第十七話
「卓也さん……自分をハメましたね」
数日後。デフォルトはやられたという表情で、タブレット端末の画面を卓也に見せつけた。
そこには食器に反射した笑顔の卓也に関するコメントが表示されていた。
自分のところの夫は食事を作ってもありがとうの一言も言えないのにという愚痴や、なにも手伝いもしないのに時間がなくて手を抜いた時だけ指摘してくるという不満。
笑顔で食べているのが素敵や、後片付けをしてくれているなんて羨ましいなど、卓也の思惑通りの褒め言葉など色々だ。
「ハメたなんて人聞きの悪い事を言うなよ。僕は種を巻いたの。今は芽が出ただけだけど、そのうち大きな愛の花が咲く。あとはそれを摘み取って、ブーケにして、デートを申し込みに行くってわけ」
「それは難しいことかと」
「デフォルト……僕を誰だと思っているんだい? 宇宙一セクシーな男だぞ」
「それはそうなのですが……。このコミュニティでは自分のパートナーだと思われているそうですから。それも……括弧付きの」
「わお……ハメたってそっちの意味? なんで僕らがゲイカップルだと思われてるわけさ」
「卓也さんが必要以上に写真へ入ろうとするからでは?」
デフォルトが載せた写真にはことごく卓也が写り込んでいる。そのどれもが直接的なものではなく、反射を利用して写り込んだり、体の一部分だけを写り込ませたり。まるで、デフォルトとイチャイチャしながら写真を撮ったかのように写ってしまっていた。
「たかだか写真だろう? 僕のキュートなお尻を強調したり、半裸で写り込んでセクシーさを強調しただけだよ。なんでゲイだと思われてるんだろ……」
卓也は真面目な顔で首を傾げると、デフォルト同じように首を傾げた。
「とにかく訂正しておきます。性的指向は正しく伝えておかないと、あとあと厄介になりますからね」
卓也は「頼んだよ。僕のセクシーな魅力は、女性にだけ伝わればいいんだから」とほっと一息ついたが、その時にあるコメントが見えた。
「待って! それになに!? だから卓也って魅力なのねってやつ」
「どれですか?」デフォルトはコメントを遡った。「あぁ、これですね。ヘテロセクシュアル女性がゲイ男性に惹かれるというのは、稀にありえることです」
「それって、大学の女子寮って聞くと男がドキドキするのと一緒?」
「……違うと思います。オシャレな友人関係だと思っていたり、同性のライバルでもなく、それでいて的確なアドバイスをくれる都合の良い存在だと思っていたり、あまり良いイメージはないですね。相手がゲイだからというところから入ると特に。宇宙では雌雄のペアが関与しなくても、生殖が可能な生命体の方が多いですから、男女もどこの星人も関係なく、一人は一つの個体として捉えるのがスペースワイドな考え方です」
「なるほど……つまり男がレズビアンに特殊な感情を抱くのと一緒ってわけだ」
「わかってないではないですか……」
「安心してよ、デフォルト。わかってるって、ちゃんと会って話さないと」
卓也はタブレット端末を勝手に操作して、自分を魅力だと言っていた女性のプロフィールを眺め始めた。
「違いますよ。相手にしなくたっていいってことです」
「それは違うよ、デフォルト。誤解っていうのは、しっかり目を見て話すから解けるんだ。このままじゃ僕のためにも、彼女のためにもならないだろ。意見を交換し、間違いを正し正され、お互いを受け入れる。それこそがデフォルトの言うスペースワイドな考え方だと思うんだけど」
「卓也さんにしては立派な考えだと思うのですが……どうするんですか? もう喋れないんですよ?」
デフォルトは自分の頬を触って、卓也に貼られていた自動翻訳テープはもう剥がれてしまったと伝えた。
「そうだった……そうだ!? ラバドーラが新しいのを作ってるんだった!」
卓也はタブレット端末を放り投げてデフォルトに返すと、走ってラバドーラの元へと向かった。
いつのものように勝手に暴走されては敵わないと、デフォルトも慌てて後を追いかけた。
自動翻訳テープのことを聞かれたラバドーラは、ちょうど今その事を考えていたと悩ましげに言った。
「まさか……修理できないとかじゃないよね……」
卓也は不安になったが、ラバドーラは問題はそこではないと修理中の二枚の翻訳テープを見せた。
一枚は卓也から剥がれたもので、もう一枚はルーカスから剥がした翻訳テープだ
卓也の翻訳テープは生体発電シートという。体から発している熱や静電気から充電する部分が劣化したことによる故障なのだが、ルーカスの翻訳テープはどういうわけだがその機能を果たしていなかったのだ。
「それは……ルーカス様の翻訳テープは作動していなかったということですか?」
「あちこちの惑星住みの囚人だらけの場所にいたんだぞ」
もしも翻訳テープが作動していなかったら、ルーカスは自分の力で宇宙言語をマスターしたことになる。だが、それは絶対にありえない。
しかし、生体発電シートが機能していないということは、翻訳システムも動いていないということだ。
今までに立ち寄った惑星でも、異星人とルーカスが話しているのは何度も目にしているので、翻訳機が使われていたのは間違いないはずなのだが、ラバドーラはどういう仕組で動いていたのかまったく理解出来ずにいた。
専門外のことなのでデフォルトにもわからず、二人が首を傾げあっていると、業を煮やした卓也が間に割って入った。
「それで、僕の質問には誰が答えてくれるの? 僕は様々な銀河の女の子と、再びお喋り出来るようになるのか? 君たちは自信満々に頷くだけ。それだけでいいんだ」
「修理は出来る。ルーカスと卓也の二つの自動翻訳テープがあれば、だいたいの仕組みはわかるからな。元が簡易的なデバイスだ。完璧元通りには材料が足りないが、九割は元通りに作り治せる」
「それが聞きたかったんだ」と卓也は近くの椅子に座ると、ご満悦な様子で鼻歌を歌いだした。
そののんきな反応に、デフォルトは「よく、もう一度貼り付ける気になりますね……」と驚いた。
「なんでさ? だって、それを張るだけで労せずに色んな惑星の女の子と喋れるんだよ。僕はマゾじゃないから、努力って言葉には魅力は感じないね」
「そうではなくてですね……」
「なんだよ。エッチな話ならそう言ってよ。それなら僕はどっちでもいい。オセロのようにすぐにひっくり返っちゃう。挟まれるのもたまらないね」
卓也な何の問題とおちゃらけていた。
「不可解なことが起こっているのに、再び試すのは怖くないんですか?」
デフォルトは身体や精神に影響するかも知れないと説明したのだが、卓也は女性以外には興味がないと話半分で適当に返事をするだけだった。
「ほっとけ」とラバドーラは冷たく言い放った。「バカというのは怖いという言葉を知らないからバカなんだ。それに怖いもの知らずのほうが扱いが楽だ」
ラバドーラはあっという間に修理を終えると、安全確認をしないまま卓也の頬に貼り付けた。
「どうだ聞こえるか?」
ラバドーラの質問に、卓也は「完璧! 地球の言葉そのもの!」と感激した。
「そりゃそうだろう。地球の言葉で話しかけているからな」
「僕をからかうなら、せめてアイさんの姿にして……」
「調整しているんだ。地球の言葉が別の宇宙言語に聞こえるかも知れないからな。わかったか? バカ」
「難しいね……。地球のバカには色んな意味のバカがあるんだよ。「もう……しょうがない人ね」って甘えさせてくれる時に言うバカとか、「私を見てよ」ってヤキモチを焼くときのバカとか、「愛してる」って意味のバカとか」
「……わかったのか? バカが……」
「今のは……蔑んでる時のバカだね」
「正解だ」とラバドーラはため息で排熱した。「地球の言語は大丈夫らしいな。残りの宇宙言語のテストをするぞ」
ラバドーラとデフォルトは自分達が知っている宇宙言語で卓也に質問を繰り返した。
いくつも翻訳出来ていない言語があり、その都度ラバドーラは修正した。
翻訳機の中にはすべての言語がデータ化されているわけではなく、ルーツやベース。文法の組み合わせ方などから、AIが処理して正しい言語を作るという方法だ。
なので喋り聞きを繰り返せば繰り返すほど、精巧なものになっていく。
この翻訳テープがあった惑星では、それで言語データを収集して完璧な宇宙言語翻訳機を作ろうとしていたのだが、技術交流にやってきた異星人がもっと精巧な翻訳技術を持っていたので、だんだん使われなくなってしまった。
それで、その自動翻訳テープを出す機械のバージョンアップも止まってしまい、バグが残ったままになってしまった。ルーカスの自動翻訳テープの生体発電シートが作動していないのも、そういうことだろうとラバドーラは考えていたのだが、修理中や調整中にバグが見付からなかったので謎は深まるばかりだった。
「問題はないのか?」というラバドーラの言葉に、卓也は「完璧!」と答えるだけだ。
結局、調整が終了しても、バグらしきものが出てくることはなかった。
ルーカスの分の自動翻訳テープを直そうと、テープを見つめたままになっているラバドーラに、デフォルトは「無理やり剥がした時に故障したんじゃないですか?」と声をかけた。
「それも、おかしな話だ。なぜあんなに張り付いていたのか。翻訳テープは、そのうち剥がれるように出来ていたはずだ」
「ルーカス様に異常がなければ、大丈夫だと思いますが……。最近食事以外でお姿を見ないのですが。そういえばどこへ?」
「便秘でトイレに籠りがちなことくらいだ。今も部屋のトイレだ。異常があるのか気になるなら、聞いてくればいい。まぁ、頭の中以外には見付からないと思うがな」
ラバドーラは問題はテープでルーカスではないと言い切ったのだが、気になったデフォルトはいきむ声のするトイレのドアをノックした。
「なんだね……私は産みの苦しみを味わっている最中だぞ……。まるで作家だ。中に膨大なものがつまっているというのに一向に出てこない……。出たと思えば、中身のない空気のような物語ばかりだ」
「作家の方に怒られますよ……」
「ならば、妊婦だ。これさえひねり出せば幸せが待っているというのに、世界を拒むように出てこない……。まだ産んでもいないのに、なぜ私は引きこもりと戦っているのだ……。ただ出ればいい。それだけで、今までの苦しみの時間はすべて水に流すと言うのにだ……一向に出てこない……」
「妊婦の方に怒られますよ……。他は大丈夫ですか? 熱があるとか、どこかが痛むとかは?」
「熱をもっているのは屁で、痛むのは腹だ!! 考えなくともわかるだろ! タコランパめ!」
ルーカスの口調はイライラそのもので、当たり散らされているのはわかったのだが、デフォルトはそれに怒ることも気に病むこともなかった。
中にいる尻を丸出しにして、青筋を立てて便座に座るルーカスの姿がちらついて、不憫に思えてしょうがなかったからだ。
「下剤をお持ちしましょうか? この辺りではブラックホールも存在していませんし、重力震の反応もないです。重力は安定しています。体内重力の乱れによる過度な効果や、より便秘になるようなことはないので安全ですよ」
「困ったら薬を頼るような男に見えるかね?」
「えぇ、見えます」
「その通りだ……。早くもってきたまえ!!」
ルーカスが切羽詰まって叫ぶので、デフォルトは慌てて下剤を取りに走った。
しかし、持ってきた下剤を飲んでもルーカスの便秘が治ることはなかった。
「おかしいですね……すぐに効果が出るはずなのですが……」
「おかしいのはその薬だ……。私の腸が蛇のように動いているぞ……。まさかそれはエイリアンの卵で、腹を食い破って出てこようとしているのではないだろうな……」
ルーカスが文句を言う声よりも、お腹の音のほうが大きくなっていた。
「それはありえませんよ。地球のお薬ですよ?」
「じゃあ、なぜ……鉄の扉を取り付けたかのように、私の肛門は閉じているのだね……。どうにかしたまえ!」
「……チャイムでも鳴らしてみますか?」
「適当なことを言うと、素手でノックさせるぞ。もういい! どこかへ行きたまえ!」
という言葉を最後に、ルーカスの口から人間の言葉は出なくなった。
「んっ~~~~!!」といういきむ声だけが、抑揚をつけて叫ぶように響いた。




