第十六話
「デフォルト……最近少し働きすぎなんじゃないの?」
卓也はフライパンを持つデフォルトの後ろ姿に声をかけた。
「いえ、心配しなくても大丈夫です。この通り元気ですよ」デフォルトは触手を元気よく振り上げた。「突然どうしたんですか?」
「さぁ、どうしてだろうね。強いて言うなら……ネクタイを炒めてるから?」
卓也に指摘されたデフォルトは慌ててフライパンからネクタイを取り出すが、焦げるほど熱々の状態のまま触手で触ってしまったせいで、耐えきれず床に落としてしまった。
「申し訳ございません……」
「いいよ、ルーカスのネクタイだもん。それより、本当になにかあったんじゃないの? 最近ずっとボーッとしてるじゃん」
「なにかあったというよりも……」
デフォルトは最近自分が感じている地球帰還への焦りや、地球生活の憧れが押さえられなくなっているのを正直に話した。
催眠裁判で作り物の地球での暮らしや、ワームホールで過去の方舟で生活したことをつなぎ合わせて、自分がどう地球に生きるかを想像していると、とても心が休まるということ。
卓也は珍しく真面目な表情で深く頷きながら、デフォルトの話に耳を傾けていた。
そして、最後まで聞き終わると「僕が思うに……」と切り出した。
「デフォルトは話し相手を作るべきだよ。僕達以外のね」
「本当に大丈夫ですよ。少しボーッとすることは誰にでもありますから。さあ、気を取り直して、食事の支度を続けましょう」デフォルトは気を取り直してベーコンを焼こうとしたが、手に持っているのはまたもやネクタイだった。「どうやら……大丈夫ではないみたいです……」
「そうだろう。いいかい? デフォルトの問題っていうのは、孤独感からきてるわけ」
卓也はデフォルトが抱えている悩みを一つ一つ挙げ連ねていった。
働いても収入などという目安がないので、自分の評価というものが曖昧になってしまう辛さ。
今まで積み重ねてきたキャリアが、まったく役に立たない場所にいることでの虚しさ。
終点が見えない目標を立てるしかない状況で、やるべきことが見付からない焦燥感。
その全てが複雑な重なりをして、孤独感が襲ってきているのだと卓也は言った。
最初は適当なことを言われるだろうと思い、話半分だったデフォルトだが、話を聞いていくうちに相槌が多くなり、どうしたらいいかと卓也に質問をするまでになっていた。
「ですが……レストの中でどうすればいいんですかね。新しいことを始めようにも、限られてしまいますし……」
「デフォルト……出会いっていうのは、今やAIが見付けるものなんだよ。登録して、見栄を張ればそれで完了。後は実際に会った時に、減点方式で平均点を下回らなければ――ベストカップルの誕生! ってやつさ」
卓也はさっそくコミュニティサービス登録しようと、タブレット端末を取り出したが、デフォルトは乗り気ではなかった。
「別に出会う必要はないのですが……」
「でも、愚痴ったり、些細なことに共感してくれる人は欲しいだろう? 小さな空虚感を埋めてくれる相手ってのは大事だよ」
真に迫った言い方に、デフォルトは深く共感した。確かに、自分には些細なことをポロッと言える人物が必要なのかも知れないと。
「もしかして……卓也さんも経験があるんですか?」
「僕? 僕は埋めるほう。結構多いんだ。結婚生活だったものが、いつの間にかただの同居になっちゃて、満たされてない主婦って。主婦のコミュニティの中にもルールがあるから、言えない愚痴って多いんだよ。だから、皆言えない愚痴を抱えた彷徨う亡霊なわけ。そこへ誰の馬の骨ともわからない僕が登場。男が皆やりたがらない神父役を演じるわけ。さすれば亡霊は僕に心を開くってわけさ。わかる?」
「それはもう……卓也さんがスペース・ネットワーク・サビースをやらなくなった理由が――嫌ってほど……」
デフォルトは以前卓也が、もうSNSはやらなくなったと言っていたことを思い出していた。
「違うよ――いや……まぁ……違わないんだけど……。神父になるには共感と承認と伝達だよ。迷える子羊の言葉には、同調してあげて受け入れる。そして最後にありがたい一言を添えるわけ。デフォルトにはそういう存在が必要ってこと。わかった?」
「卓也さんの言うことにも一理あると思うのですが……。卓也さんとルーカス様が立派に成長なさるという道はないんですか?」
もし二人が宇宙常識の目次だけでも覚えてくれれば、自分の心労はかなりマシになるとデフォルトは提案したのだが、卓也がそんなこと出来るわけがないだろう。という瞳で見てきたので断念した。
「大丈夫だよ。ベッドに誘うんじゃなければ、三割の人は優しいから」
卓也は回遊電磁波をよく拾う、この銀河にいるうちがチャンスだとしきりにデフォルトに勧めた。
「その七割に不安を感じるのですが……」
「五割は無害な無関心。一割は悪意の塊、最後の一割は無知ゆえの悪意の塊。いいかい? 三割の確率で当たりクジを引けるなら、やって損はなし」
卓也は後必要なのはデフォルトの生体認証だけだと、タブレット端末を近づけた。
「……わかりました。意味なく悩むのは無駄なことです。やるだけやってみて、無駄なら忘れることにしましょう」
デフォルトは深呼吸をすると、触手を一本タブレット端末上へとかざした。
それからの卓也のアドバイスはまとなものばかりだった。
書いたほうがいいプロフィールと書かなくていいプロフィールや、避けたほうがいいワードなど、変な人物に絡まれないための工夫や、安全に使うための方法などを教えた。
デフォルトも間近でルーカスの失敗を見ているので、誠実なコミュニケーションを取ることを心がけた。
最初は話が合わなくて一方的に打ち切られて落ち込んだりもしたが、AIが次々に相手を紹介してくれるので、デフォルトは反省点を次の相手に活かしていた。
そんな日が何日か続くと、デフォルトの触手の一本がタブレット端末を持つ専用の触手になりだした。
「まさか、デフォルトが出会い系にハマるとはね……」と、紹介した卓也も驚いていた。
「出会い系ではなく、コミュニケーションツールです」
デフォルトは朝食を作りながら卓也の相手をして、タブレット端末でコミュニケーションを取りながら、ルーカスのベッドの目覚ましを鳴らした。
忙しさといえば以前と変わらないが、デフォルトの顔は明らかに楽しんでいるものだった。
最初は自分の行き場のない気持ちを聞いてもらうために始めたものだが、今ではすっかり他人の悩みを聞けるほどの余裕もできていた。
自分の気持ちを誰かに知ってもらうだけで心が軽くなったので、それを他の誰かにも感じてほしく、コミュニティサービスを続けていた。
「なんでもいいよ、デフォルトが元気になったんなら。やっぱり元気じゃないと面倒もかけづらいしね」
「そうですか? いつもかけられているような気がしますが……」
デフォルトと卓也は一度目を合わせると、どちらからともなく笑った。
「さぁ、出来ましたよ」とデフォルトは作りたての朝食を、卓也の前に出した。
それを見た卓也は「なにこれ……」と驚愕した。
「ルーカス様が人気者だった頃に、惑星で頂いた保存食ですよ。今はこうやって食べるのが、ガラライ銀河で人気らしいです。冷めると生臭くて食べられたものではなくなるらしいので、早めに召し上がってください」
デフォルトが出したのは皿ではなく、長細い透明なコップ。そこに地球で言うパフェのように食材を飾り付けていた。
特徴的なのはおかずごとに断層を作っていることだ。
それが地層を表していることは、卓也にもわかった。
「こんなのルーカスに出したら怒られるよ。オシャレって言葉は、毎朝トイレットペーパーと一緒に流してる男なんだから」
卓也がどうやって食べようかと、しばらくスプーンを迷わせて、いざ突き刺そうとすると、慌ててデフォルトが止めた。
「あぁ! ダメですよ!! まず写真を撮ってからじゃないと」
デフォルトは卓也の手の影が邪魔だと払うと、パシャパシャとタブレット端末で写真を撮り始めた。
しかし、写真映えに納得がいかず、卓也に絶対食べないように念を押してから、慌ててラバドーラを呼びに行った。
無理やり連れてこられたラバドーラは「いったいなんなんだ……」と、まるで卓也みたいなわがままを言うデフォルトに驚きと呆れの両方を見せていた。
「僕にはわかる。一般的な地球人の感覚だよ。最新機種に求めるのはカメラの性能だけ」
「私は利便性多機能型電話機ではない」
「似たようなものだよ。どうせ僕らは使いこなせないんだから。高い性能は宝の持ち腐れ、綺麗な写真を撮れれば満足」
「唯一使いこなせる知能と技術を持ったデフォルトがこれだぞ。……一体どうなっている」
ラバドーラはどの角度から撮るのが一番良く映るのかと、テーブルの周りをせわしなく移動していた。
「どうって……こうなってるんだよ」
「さっぱり意味がわからん……」
デフォルトがテーブルのセッティングをやり直し始めたので、ラバドーラはそのすきに勝手にタブレット端末を見た。
卓也は「うそ!?」と動揺した。そこには信じられないものが映っていたからだ。「これ『怠惰な昼下がり』じゃん!」
「……オーバーヒートしそうなワードが聞こえたが……一応聞こう……」
ラバドーラはデフォルトが登録している、コミュニティサイトの説明を求めた。あまりにも漠然なサイト名なので、考えるより聞いたほうが早いと判断したからだ。
「ワケアリな女の秘密クラブだよ」
卓也があまりにはっきりというもので一瞬面食らったラバドーラだが、すぐさま卓也の言葉を変換した。
「……女性専用の完全招待制のサイトということだな」
「内に秘めた熱い感情を曝け出して、それを知らない皆に見てもらうところ」
「溜め込んだ不遇や不平不満を発散し、共感を得てストレスを発散する場か」
「僕が唯一諦めた。女の城だよ。僕は女性の独身寮だって何度も入ったのに、ここは難攻不落……何人の男が、侵入しようとして散っていったか……」
「アホらしい……」
ラバドーラが知的生命体の感情などまったく理解できないと呆れていると、卓也は驚きに目を見開いた。
「知らないの!? ここを見れば、恋人と分かれそうな子、旦那と離婚しそうな女性が丸わかり。口説きのフリーパスが転がってるようなもの。落ちてるなら拾って届けなくちゃ」
卓也はチャンスとばかりに、女性のプロフィールを覗こうとしたが、デフォルトに気付かれて取り上げられてしまった。
「ダメですよ、卓也さん。プライバシーの侵害は裁かれるべき犯罪ですよ」
「おかしいよ! デフォルトだって男だろ? なんで怠惰な昼下がりに登録できたのさ! さては……Dドライブになにかしたんだろ……。僕は許さないよ、その方法を教えてくれるまで」
卓也は親の仇を見るような瞳で、キツくデフォルトを睨みつけた。
「招待されたんですよ。最初に卓也さんに登録してもらった、コミュニティサービスで知り合った女性に。最初は愚痴を言い合っていただけなのですが、自分に共感することがいっぱいあると。それなら、ここのコミュニティサービスを使ったほうが、自分のためにも皆のためにもなると」
「その説明はおかしい。だって、男のデフォルトが女性会員限定のサービスに登録できた理由にならないもん」
「自分は特別会員なんです。同じ境遇ならば、男性も受け入れようという運動が広がっていて、そのプロトタイプに招待されたのです」
「なんでデフォルトだけが……夢の国のフリーパスポートを手に入れられたのさ……」
「自分にもわかりませんが、家庭を顧みず自分勝手で排他的な夫を持つ層と、多感で劣情的な思春期の子供を持つ層に支持されているとのことです。あくまで実験的な試みなので、限定的な会員です。永遠にこのサービスを利用できるわけじゃないです」
デフォルトは角度が決まったとラバドーラに写真を頼むと、早速自分のページに、教えてもらったレシピを参考に作ったという言葉を添えて掲載しようとしたが、卓也がそれを止めた。
「デフォルト……。これじゃあダメだよ」
「ダメですよ。いくら邪魔をしても、卓也さんを招待することはありませんし、悪用もさせません」
デフォルトは見透かしているとばかりに言ったが、卓也は首を振って否定した。
「違うよ。写真を撮るなら、食べてる人も映らないと。せっかく手間暇かけて作ったものなんだから、それを喜んでくれる人がいるっていうのも知らせないと。じゃないと、感謝されるっていうのが伝わらないでしょ? ほら、こっから下を映せばいいだろう?」
卓也が自分の顔を映さなくてもいいと言うのでデフォルトは驚いた。てっきり、自分の顔を付きの写真を掲載させて、あわよくば出会いの場にしようと考えいると思ったからだ。
「それなら、お願いします」
デフォルトが言うと、卓也は時間が経って生臭くなった朝食を笑顔で口に運んだ。
それもとびっきりの笑顔でだ。
なぜなら、反射した器に自分の顔が映っているのを卓也は知っていたからだ。




