第九話
デスティニー号にいるのは卓也の姿だけ、まだ他の二人の姿はない。
そして、卓也はドアを出たすぐの通路で話し込んでいた。
「だから、もう何度も言ってるでしょ。服を着てなかった私より、あなたはセクシーだって。他になにかある?」
赤毛の女性はウェーブがかった前髪の影の隙間から、困惑の瞳をのぞかせた。
「まず服は脱いでたままでもよかった。あと、セクシーは当然として……キュートとも思われたい。あと、キミを守れるほど強い男とも」
卓也は腰を落として重心を低く構えると、短く鋭い掛け声とともに拳を前に突き出した。
「私を口説いてるの? ミスターカンフー」
女性も真似をして手振りだけだが、拳を軽く卓也の胸元に前に突き出した。
「じゃなきゃ、こんな馬鹿なことやらない」卓也は拳を引っ込めると、伸ばされた女性の手に向かって、握手を求めるために改めて手を伸ばした。そして、「卓也だ」と自己紹介をした。
女性は快くその手を握り「美里よ」と返した。「誰も来てくれないと思ったから、あなたに会えて素直に嬉しいわ」
美里の整った顔立ちが安堵に可愛らしく崩れると、卓也も口元を綻ばせたが、それは肌にピッタリと張り付いたシャツの二つの膨らみを見たからだ。
「僕も嬉しい……」
「大丈夫?」
美里はボーッとする卓也の顔を覗き込んだ。
「いや、なんでも。そっちこそ、大丈夫? 女の人だけって大変だったでしょ」
「本当ツイてないわ。女だけ、まるで女子校時代に戻ったみたいよ。……なに?」
美里は少し眉をしかめた。不機嫌にではなく、卓也が笑みを浮かべている疑問にだ。
「だって、女子校って言うから」
「なんで男の人って女子校って聞いただけでニヤニヤするの?」
「想像力が豊かだから。だってほら、パジャマパーティーに、修学旅行のお風呂。汗ばんだ体育の後の更衣室とか」
「皆いっせいに制汗剤使うから、臭いし煙いしで窒息しかけた」
「……それもまたよし。素敵空間には変わりない」
「男だけで集まって遊ぶならわかるでしょ。同性が集まれば素敵空間じゃなくて、ただの自遊空間よ。やりたいほうだい。騒ぐし、暴れるし、汚すし、下着が見えてもそのまま」
「つまり、素敵空間だ」
卓也は現実に妄想を上書きして都合いい場面を思い浮かべると、たまらないといった顔をした。
「部屋の中まで入って、そう思えたらそうかもね。中学生の恋愛じゃないんだから、家の前じゃなくて中で喋らない?」
「たしかにこんな色の服は目立つから、ご近所から噂されちゃう。その前に、早く中に入って脱がないと」
卓也はオレンジのジャケットの襟を正して、強調しながら言った。
「あら、脱がなくても素敵よ。レトロなアクション映画みたいで。ね、ミスターカンフー」
美里は悪戯な笑みを浮かべると、ドアを開けて卓也を部屋へと招き入れた。そして。お茶を入れてくると、奥の部屋へ向かった。
ドッキング室の向こうは、なんとも華やいだ世界だった。
定期的にデフォルトが掃除をしているので、以前と比べてレストも綺麗になってはいるのだが、家具や雑貨などのインテリアのレイアウトにセンスが感じられた。
自分とは別の生き物が住んでいるとはっきり感じる、不快ではない高揚感のある居心地の悪さ。
そして、なにより匂いが違った。決して男からは発せられない甘い匂いが漂っている。
卓也は部屋に一歩踏み込んだところで立ち止まったままで、山の山頂まで登りきったかのように、鼻から深く息を吸い込み、口からゆっくり吐き出した。
「入り口で突っ立って、いったいなにをしているのかね……」
ルーカスは邪魔だと背中を押すが、卓也は動くことなく目一杯空気を堪能していた。
「懐かしい匂いを堪能してるんだよ。やっと……やっと呼吸ができた気がするよ。命が生まれるっていうのはこういうことなんだ」
「すぐ命をつくろうとする男が、なにを言っている。だが、確かに懐かしい匂いだ。……ハワード・ルイスにもよく、こうやって道を塞がれたものだ」
ルーカスも深呼吸をするが、卓也のように恍惚の表情を浮かべるわけではなく、溝掃除をしているかのような不快な表情を浮かべた。
その二人の背中を掴んだデフォルトは、一気に自分のもとまで引き寄せた。
「生命反応がなかったので、人はおろか、生物がいるのはおかしいかと……」
「そりゃそうだよ。――生命はこれからつくるんだから。心配しなくても、すぐ生命反応は出てくる。だって見ただろう? あんな可愛い子なかなかお目にかかれないよ」
卓也の言葉に、ルーカスもデフォルトもかぶりを振った。
「私は見てはいない。どこぞの必死になっているバカが、抜け駆けをするために、私に足をかけたせいで、床と衝突するハメになってしまったからな」
ルーカスは治療テープを貼った鼻の頭を指していった。
「自分はその治療をしていたので、同じく姿を見ていません。本当にいたんですか?」
「いたよ。呼ぶから待っててよ。美里、ちょっと来て」
卓也が呼ぶと、三人は耳をすませた。
「どうしたの?」という声とともに卓也には足音が聞こえてきたが、他の二人の耳にはファンの風切り音と、モーターの駆動音が聞こえてきた。
「お茶を入れてきたわ。三人って聞いてたから、三人分。どうぞ、座って」
美里はコップをテーブルに置くと、椅子に座るように促し、今度はお茶請けを持ってくると席を外した。
「どうだ、可愛いだろう?」
卓也は既に美里を恋人にしたかのような自慢げな表情を浮かべるが、ルーカスの反応は鈍いものだった。
「……ギャグで言っているのかね?」
「まさか、僕が女の子に関して嘘を言う男だと思うのか」
「なにを言っている……。相手は配線丸出しの旧型ロボットだぞ。なにを挿し込みたいのか知らんが、穴はすべてケーブルで埋まっているぞ」
ルーカスはやってられないとため息をつこうとしたが、息が口から出る前に卓也の手によって塞がれてしまった。
「彼女に聞こえたら、気を悪くするだろう。だいたいルーカスは差別主義的過ぎるんだよ。可愛いくせ毛じゃないか、それを配線だなんて」
ルーカスは懐疑的に眉をひそめてデフォルトに目配せをすると、デフォルトもちょうどルーカスに視線を送ったところだった。
ルーカスとデフォルトが見た姿は紛れもないロボット。アンドロイドでもなく、単純にロボットだ。反重力装置でわずかに浮かび、ファンから取り込んだエアーで移動するという省エネロボットだ。たしかにモニターには人の顔らしきものは映っているが、割れているせいで人影程度しか映っていない。アームは六本ついており、それぞれ個別に動いている。
「なんの話ししてたの? なにか企んでたんでしょう」
お茶請けを持ってきた美里は、卓也には母親が子供のいたずらを見つけた時のような表情をしているように見えていた。
「なにも企んでないよ」
卓也はルーカスとデフォルトを無理やり座らせながら言った。
「企んでいるのは貴様のほうだろう。粗大ごみと化した旧型ロボットに後れを取るような私ではないぞ」
ルーカスがロボットをにらみつけると、卓也は慌ててルーカスの口を抑えようとして、取っ組み合った。
「だから失礼なことを言うなって!」
「目を覚ませ、卓也。船には三人いると言っていた。だが見たまえ、どう見ても一体しかおらん」
ルーカスが指した時にはロボットのアームは喧嘩を止めるように、六本とも卓也に触れていた。
「ごめん……ルーカス」と、卓也はぎこちない動きでルーカスの顔を見た。
「わかったならいい」
「僕だけモテて」
卓也は美里の手を握ると、二人を蚊帳の外に楽しそうにおしゃべりを始めた。
デフォルトだけは冷静に、一連の騒動を客観的に分析していた。
「どうやら、孤独さから正気を失わないようにプログラムされているようです。この船が遭難していたのは本当でしょうね」
「ロボットを女だと言い張るのは、正気を失っているとは言わないのかね。私には十分正気を失っているように見えるが」
「何かしらの作用が働いているのかもしれません。同じ人間に見えていたほうが安心感があるなど、錯覚を見せているのかもしれません。その場合、大抵は理想の相手が幻覚として現れるようになっていると思うのですが」
デフォルトはモニターを指した。人の影のように曖昧に映っている映像が、人により理想の相手の顔が映って見える。という一種の催眠療法だと判断した。
「簡単なことだ、聞けばいい」ルーカスは卓也に「それが、そんなに気に入ったのかね?」と耳打ちをした。
「実は……僕の初体験の相手に似てるんだ。気さくな年上の女性でね。その時、僕の中でビックバンが起こったのさ」
卓也もルーカスに耳打ち返すと、満更でもなく気取って笑い、またロボットとおしゃべりを続けた。
「間違いない。完璧、催眠にかかっている。頭の中でビックバンだ」
「催眠がとけた時に、卓也さんがショックを受けないといいのですが……」
「デフォルト君……なにを言ってる。受けるに決まっているだろう――だからなおさら面白い」ルーカスはタブレット端末を起動すると、卓也とロボットのツーショットを撮影した。「ほら、お二人さんこっち向いて」
卓也は「撮るなよ」と言いながらも、幸せな笑顔をカメラに向かって見せた。
それ見たルーカスも幸せな笑顔を浮かべる。
「もっといい笑顔を頼むぞ、卓也君。明日になって、羞恥に自殺したくなったら、遺影にしてやるからな」
一通りの撮影が終わり、落ち着いたところで、デフォルトがおもむろに口を開いた。
「ところで、ルーカス様は大丈夫ですか? 同じ人間ならば、催眠にかかると思うのですが」
「私があとで自殺をしたくなるような醜態を晒していると思うか?」
デフォルトが黙って考え込むのを見ると、ルーカスは答えを急かすように靴音を響かせた。
「あぁ、今に限った話ですね。思いません」
「まぁいい……。私はあのおもちゃが人に見えるほど、アホではないということだ」
「ちなみに、ルーカス様の理想の女性とは?」
「私を便所のネズミと呼ばず、服のボタンの数より脳細胞が少ないのねとも言わず、給料日前だけ私を食事に誘うような女でもなく、胸は大きく、腰はくびれて、お尻は小さい美人だ。和服が似合うと尚良い」
「前半はともかく、そんな都合の良い異性体がいるのですか?」
「いるわけがないだろう。幻想的なペガサスや、空を飛ぶトナカイ。公約を守る政治家と一緒だ。想像上の生き物に過ぎん」
「ルーカス様が催眠にかからない理由がわかりました……」
「私には強靭な精神力が宿っているからな。催眠など陳腐なものにはかからん」
「強靭すぎますね……。しかし……あのロボットが信号を送ってきた理由は何でしょうか? 生命の痕跡のなさを考えると、かなり昔に事故を起こしたようですが。いくら省エネルギーで動くといっても、長い年月の間に使われていた燃料となるものがあるとは思えませんが」
「あるのならば、探してレストに持って帰ればいいだけのことだ。もっとも……そんなものがあるとは思えないが」
ルーカスは空のコップと空の皿を見て言った。飲食をしてなくなったわけではなく、ロボットに出された時から空だった。
物資も殆ど残っていないは間違いないが、デフォルトはこの意見に賛成した。
今の状況では、卓也よりもルーカスの意見を取り入れるのがまともな判断だからだ。
幸い、図らずも卓也がロボットを引きつけておいてくれているので、デスティニー号の中を自由に見て回ることができた。
変わったことといえば、骨の一つも残っていないことだった。
二人はいくつか部屋を見て、今は土田大羊とネームプレートの貼られた部屋を漁っていた。
「この宇宙船は、宇宙語学の発展のために作られた船らしいですね。あのロボットには言語学習システムと、自動翻訳システムのAIが組み込まれているそうです」
デフォルトは壊れたデータファイルを読み込むと、他からの情報を引っ張り込んで、なんとか空白を埋めながら解読していた。
「そのシステムが、あの色ボケの介護に役立っているというわけか。技術者も、ロボットの終着点がこんな情けないものとは思わなかっただろうな」
「長い宇宙生活の中で見知った顔だけだと刺激が少なることから、初対面の人を作り出す為にも使われていたらしいです。つまり、元からそういう使われ方をしていたようですよ。人間というのは、遠回りながらも、面白い発想をしますね。いたるところに創意工夫のあとが見られます」
デフォルトは「例えば――」と話し始めた。
言語学習のために宇宙に出た船だが、宇宙は広く、都合よく宇宙言語の交流をしてくれる異星人には出会えない。そもそも地球の言葉で話しかけても無視をされてしまう。
そこでファーストコンタクトは地球の言葉ではなく、相手の言葉ですることを思いついた。
最初に作ったのがハッキングシステムだ。無造作に信号を発信し、それを拾った宇宙船のシステムに侵入し、そこからランダムに拾った言葉で相手に話しかける。
当然支離滅裂なので相手からの反応は乏しかったが、何度も続けているうちに少しずつ制度が上がっていた。
だが、それでは乗組員が一生を終える間に、赤ん坊より言葉を覚えられないかもしれない。
幸い言語学習システムの覚えたての拙い言葉は、救難信号によく間違えられた。
これを利用するのに時間はかからなかった。おびき寄せて捕まえればいい。なにより困惑と痛みと恐怖は、言葉を発することに直結する。
最新型のエンジンの燃料は燃えればなんでもよく、これが二つ目の幸いとなった。
燃料の心配はいらなくなったからだ。人が誰もいなくなっても、半永久的にこのシステムを動かすことができる。
「どうやら日誌によると、レストと同じエンジンを使っているらしいですよ。相当古い時代の宇宙船のようです」
「野良犬システムか。どちらかと言えば、ライオンシステムだな。異星人を食わせていたのだからな」
ルーカスは上手いことを言ったと、自分の言葉に笑った。
「それで骨も残っていないんですね……」デフォルトは顔上げて「逃げませんか?」と提案したが、その時には既に察したルーカスが走って部屋を出ていた。
卓也がいた部屋まで急いで戻ったデフォルトに「遅いぞ! デフォルト君!!」とルーカスが声を掛けた。
「もう捕まったんですね……」
先に逃げたルーカスは、しっかりロボットのアームにより拘束されていた。
「なになに!? まったく意味がわからないんだけど! なんで、ルーカスが美里に抱きつかれてるのさ。さっきまで僕と楽しく話してたのに」
状況を把握していない卓也は、的外れの不平不満を言った。
「いつまで催眠にかかっているつもりかね……。もういい、デフォルト!!」
ルーカスが助けを求めようとしたデフォルトは、すぐ横で自分は情けないと顔を歪めていた。
「どうも……」
「なにをしているのかね……」
「しっかり、異星人を捕まえられる設計になっているようで……。ですが、近くでスキャンしたことにより、解除コードがあることがわかりました」
「なら、はやくしたまえ!」
「それが……パスワードがわからず……」
「ずるい! 僕も混ぜてよ! 美里と最初に話してたのは僕なんだから」
という卓也の言葉を聞いて、デフォルトは『美里』という言葉を知っている限りのあらゆる言語で入力してみたが、拘束は解除されなかった。
手足を折って、自由を奪おうとロボットがアームの拘束に力を加え始めると、「そうだ! 土田大羊だ!」とルーカスが叫んだ、その瞬間、ロボットは急にシャットダウンした。
「この人殺し!」と叫んだ卓也だが、ロボットがシャットダウンし催眠効果も切れたので、正しい景色が目に映ったのだが、理解が追いついていなかった。「やっぱり僕のほうがカッコいいって言った美里を、逆上したルーカスが殺したはずじゃ?」
「……このアホめ。私が優秀じゃなければ、今頃火葬されていたんだぞ」
「なにを言ってるのさ……。それで、なに? 美里はどこなの?」
「ルーカス様の言う通りですよ。自分は漢字はまだ勉強不足なので、『美里』が『土田大羊』のアナグラムだとは気付けませんでした。ルーカス様がいなかったら――」
デフォルトがルーカスを称賛しようとした途中。
急にロボットが再起動を始め、『システムの再起動。管理システムの実行。『土田大羊』パスワードを確認しました。船の爆発を始めます』と、モニターにカウントダウンが表示された。
「ルーカスがいなかったら――爆発しないで済んだ?」
「説明はあとで……とりあえず逃げましょう――ルーカス様のように」
卓也とデフォルトは、既に駆け出してレストに向かったルーカスの後に続いた。