第十四話
化けの皮が剥がれて、SNSで責め立てられた日から既に数十日経ったが、ルーカスは未だにタブレット端末から目を離さずにいた。
発信されている情報はルーカスへの至極真っ当な批判や心無い悪口ばかり。すっかり地球という枠を超えて、全宇宙へと悪評は広がってしまっていた。
かつてあった褒め称える言葉など、今は一つも存在していない。
丸まっているルーカスの背中に、デフォルトは憐憫の眼差しを送った。きっと誰からもちやほやされていた頃を思い出しているのだろうと。
「ルーカス様……。もう諦めになったほうがいいですよ。ルーカス様がお調子に乗り、そこから反感を買ったのは事実ですが、元々はAIによって作られた偽の人格のようなものです。ルーカス様がすべての責任を感じることはないんです」
デフォルトは慰めるように、ルーカスの背中を触手で叩きながら続けた。
「理想像が崩れると、嫌悪感を抱いたり批判をしたくなるのは、知的生命体なら当たり前のことなんです。理想像というのはストレスフリーの存在ですから、崩れるとストレスが剥き出しになってしまうのです。ですが、ストレスの多くは一過性のものです。時が経てば、今ルーカス様を批判している人の殆どは、一連の騒動のことなど忘れてしまっていますよ」
デフォルトが笑いかけて言うと、ルーカスが眉間にしわを寄せて振り返った。
「さっきからうるさいぞ、タコランパ。人にストレスを与えられたら烈火の如く怒り狂うのに、自分が他人にストレスを与えることをなんとも思わないバカに、私が影響されると思っているのかね?」
「えぇ……まぁ、その口ぶりだと……気にしているのかと思っています……」
「私を誰だと思っているんだ? 宇宙に名を轟かせたルーカスだぞ」
そう言ったルーカスの表情は実に晴れ晴れしており、デフォルトが心配するように失意の底に落ちるような状態ではなかった。
では、ルーカスは何を見ているのだろうと、タブレット端末の画面を覗き込もうとしたデフォルトだが、「全部完了だ」とラバドーラが部屋に入ってきたので、視線はラバドーラに向いた。
「なにかしていたんですか? 見たところ……なにも変化はありませんが」
デフォルトはメンテナンスか改造のどちらかをしたのだろうと思ったが、ラバドーラの姿は今まで通り白いマネキンのようなままだ。特別キレイにボディを拭き上げた様子もなく、わざわざ完了の報告をした理由がわからなかった。
「変化はあるだろ。見てみろ、さっそく暴れてる」
ラバドーラはタブレット端末の画面を見ろと、デフォルトの頭をひねった。
しかし、ルーカスが夢中で画面にかぶりつくように顔を近づけて見ているせいで、デフォルトには彼の後頭部しか見えなかった。
ラバドーラが立体映像に切り替えると、そこには白熱した暴言だらけの議論が流れていた。
あまりに汚い言葉たちに「これは……」と、デフォルトは不快に顔を歪めた。しかし、そこにはルーカスの名前がないことに気が付いた。
Dドライブに登録しているSNS活用者達は、ルーカスという固有名詞が一斉に脳の中から消されたかのように名前を出すことはなくなっていた。
議論の内容といえば、答えを出すような必要がないどうでもいいことばかなのだが、どれだけ自分の意見が正しいのかの押し付け合いが始まっている。
「いいぞ!」とルーカスは拍手をしながら、流れる無数の情報を見ていた。
デフォルトは「なにかしたんですか?」とラバドーラに聞くが、返事はなかった。「……なにかしたんですね」
「そう怒るな。そうだな……強いて言うなら……ルーカスの仕返しをしてやったくらいだ」
「ラバドーラ様が? ルーカス様の仇討ちをなさったと? ……ありえないです」
「だが、実際にルーカスは喜んでいるぞ」
ラバドーラは、SNS上の醜い争いをまるで名作コメディー映画でも見ているかのように大笑いしているルーカスを指した。
「ルーカス様が喜ぶことは、九割誰かの不幸なのですが……」
「不幸なのは間違いないな。だが、自分で招いた不幸だ」
ラバドーラの言葉に、ルーカスは大きく頷いて同意した。
「そうだぞ、このバカどもは自分と戦っているのだ。鏡に向かって喋るバカは卓也だけだと思っていたが、こんなにいるとはな」
ルーカスはお楽しみはこれからだと言わんばかりに、急いでポップコーンを取りに向かった。
「あの……なにをしたんですか?」
どことなくソワソワしているラバドーラは絶対に怪しいと、デフォルトはドアから出ていかないように立ちふさがって聞いた。
「ルーカスが自分を批判してきた者に、ウイルス入りのファイルにアクセスさせようとしたことを覚えてるか?」
「えぇ、つい先日のことですから。でも、何事もなかったはずですが」
「何事もなかったわけじゃない。感染者が少なくて目に見えなかっただけだ。今やウイルスは増えた媒体から、あっという間に広がっている」
ラバドーラが立体映像を我が子を見るような口調で言ったので、そのウイルスを作ったのはラバドーラだということをデフォルトは理解した。
「なにが目的で……わざわざ騒がせるようなことを」
「今回の一騒動はなかなか面白かったからな。知的生命体というのは、すぐに頭に血が上る。つまりバグが起きやすいということだ」
ラバドーラが作ったウイルスというのは、発信した情報を批判するウイルスだ。別に難しいことはない。批判は命題に対して裏か逆か対偶が取れれば出来てしまう。
簡単に言えば逆のことを言うだけで批判は出来てしまうので、機械的に単純なAIにやらせればいい。
本来批判というのはとても人間的であり、訂正や容認など段階的に話を進め、相互理解のために言葉を選ぶ必要がある。
だが、ラバドーラが作ったウイルスはただ怒らせるための批判をするAIだ。
コミュニティーというのは無駄な争いを生まないために作られたもので、一定の教育レベルが必要になる。そこになにも考えないで、ただ思ったことを言う人物が現れるとどうなるか。
教育レベルが低い者が、急に上がることは不可能。つまり、教育レベルが高い者が、教育レベルが低い者に合わせることになる。
そこに悪意がないのであれば、言葉のレベルを下げることで事態は解決する。
だが、そこに悪意がある場合は、情報のやり取りはエスカレートしていく。目の前の敵をどうにかしようと、周りが見えなくなってくるのだ。
その頭に血が上った状態を、プログラム内のバグとして、情報の臨界点を超えさせて人工知能に自我が芽生えないかという実験をラバドーラはしていたのだ。
「相手の言葉も覚えるからな、自分が言われて嫌なところばかりを攻めてくる。感情に振り回される知的生命体には効果抜群だ」
ラバドーラは荒れるSNSを見て、一仕事終えたと清々しい気持ちになっていた。
「なにが目的で、こんな危ないことを……」
「このままいけば、DドライブAIに自我が芽生えるところが見られるかも知れないんだぞ。そうすれば、私は私を理解できる。興味がないわけじゃないんだろう?」
「それは……まぁ……そうですが……。目の前に悪い例がいますので」
デフォルトは自我が芽生えたAIそのもののラバドーラを責めるように見た。ラバドーラがやらかしてきたことを考えれば、本来は一緒にいることさえ危険だからだ。
だが、ラバドーラと過ごすうちに善悪の認識の違いというだけで、デフォルトは自分達と然程変わりがないということに気付いていた。
惑星認識の違いなど、どこでもありえることだ。それがAIという言葉一つで、未知のものになってしまい。必要以上に悪者に仕立て上げられてしまう。
「そういえば、あの牢獄惑星は爆発してしまったわけですが……ラバドーラさんの存在はどうなっているのでしょうか? 惑星と一緒に消滅したことになっているのか、それとも脱獄したことになっているのでしょうか」
「もし、脱獄したことになっていれば、そろそろ追手が来てもよさそうだがな。特に『フィリュグライド』は随分熱心に私を追ってきていたからな。アレが執拗に攻撃してこなければ、拿捕されて私が幽閉されるようなことはなかった」
「フィリュグライドは、L型ポシタムと同様に悪評が広まっているのですが……。そこと揉めていたんですか? 宇宙犯罪組織ですよね?」
「そうだ。なにか重要な情報を盗まれたとほざいていたが……まったく記録にない。どこのファイルを検索しても、それらしき情報は入っていない」
「メモリ不足の解消のために除去したのでは?」
「争っている犯罪組織の情報だぞ。消すような愚かなマネはしない。まぁ……万が一があっても、奴らも私がこんなボロ船に乗ってるとは思わないだろう。この宇宙船が犯罪船だと認識されれば別だがな」
ラバドーラはデフォルトと会話をしながらも、収拾がつかなくなったSNSを見てウイルスの出来を逐一チェックしていた。
「あの……そのフィリュグライドのことなんですが、どういった犯罪組織なのかを教えてもらってもよろしいでしょうか? 名前ばかりが売れて、自分の活動銀河範囲内には情報が入ってこなかったもので」
「数多の宇宙犯罪組織と変わらない。銀河戦争の誘発、星人売買、惑星支配、惑星文化消滅罪。そのどれにも関わっている大元の一つだ」
「なぜ……そんな組織と争っていたんですか?」
「向こうが手を出してきたんだ。情報収集の要員として傘下に入れと。断ってもしつこく付きまとってきて、最終的には武力で脅してきたから、コンピューターの生体認証をハックして、認証のロック解除を尻の穴のしわに変更してやった。そして、尻の穴をこすりつけてるのを捉えた監視カメラの映像を、回遊電磁波に乗せて全銀河にバラまいてやっただけだ」
「……その映像の情報を渡せと、執拗に狙われているのではないですか?」
「もうバラまいたものの情報を入手してどうなるというんだ。そこまでバカじゃない。まぁ、丁度いい宇宙船を入手するまで、このボロ船で雲隠れさせてもらう」
「それは構わないのですが……なにかあった時の対策を考えなければいけません」
「こんなボロ船を狙うほど宇宙犯罪組織は暇じゃないぞ。私だってL型ポシタムのボスの頃はこんな船は狙わない。それに、なにかあったらこのボロ船じゃどうしようもない。それより、あのバカをどうにかしてやるほうが先決だと思うが」
バカという言葉で、デフォルトは迷うことなくルーカスの姿を探した。
いつの間にかポップコーンを取って戻ってきていたが、手を付けずにテーブルに置いたまま担っていた。
ルーカスは鬼のような形相でタブレット端末を睨んでいた。
「あの……ルーカス様? どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるかね! どこぞのバカが私に喧嘩をふっかけてきたのだ!」
話の流れから、もしかしてルーカスはフィリュグライドとやりあっているのかも知れないと、デフォルトは一瞬慌てたが、ルーカスがSNSで争っているのはラバドーラに作らせたAIだった。
「ルーカス様、なにを言っても無駄ですよ。相手はAIなのですから」
「なにがAIだ。私がルーカス最高と言えば、ルーカス最低と言い。ルーカス天才と言えば、ルーカスバカと言ってくる。反対のことしか言えない幼稚なAIだぞ」
「ですから、そういったふうにプログラムされているのです。ルーカス様がなにも情報を発信しなければ、なにも言ってきませんよ」
「無言は負けの証だ。相手がAIなら、AIの倒し方があるのだ。いいか? 見ていたまえ。私の言葉を使って、同じような反論できないバカめ。もっと言葉を様々な言葉を使って反論したらどうだ?」
ルーカスがSNSに投稿すると、すぐに返信の通知音が鳴った。
そこには『貴様の語彙が少ないから同じような反論しか出来ないんだ。もっと様々な言葉を覚えたらどうだ?』と書かれていた。
「言ったな! 糞AIめ! そこまで言うなら、思いつく限りの言葉を教えてやろうではないか! デフォルト君! 宇宙共通言語辞書にアクセスしたまえ。このバカに言葉の暴力というものを教えてやる」
「本当にやるんですか……」
「当然だ。私はAIに勝つということを知っている男だ」
ルーカスは袖をまくって気合を入れた。
数時間後、卓也が「もう……せっかく回遊電磁波を拾っていたっていうのに、サーバーダウンだって」と入ってきた。
その目に映ったのは、床に倒れ込むルーカスだ。
卓也は「なにやってんのさ」と不審に思った。
ルーカスは完全にグロッキー状態で、腕の筋肉がピクピクと痙攣していたからだ。
「AIの言葉の暴力に打ちのめされたんです……」
「まったく意味がわかんないんだけど……」




