第八話
卓也は自室で途方に暮れていた。方舟のデータライブラリーにアクセスして、太陽系惑星の自然現象を調べてみても、全く興味が湧いてこないからだ。
雨が降るのは当たり前だし、寒ければ雪になる。それに風が吹けば吹雪になる。彼女がなにを感じて面白いと思っているのか、好きなフリも出来ないほど、まったくもって不明だ。
念の為に、宇宙気候の研究チームの論文も見てみたが、見れば見るほど頭の意識がどこかへ逃げ出そうとしているのを感じた。
こんなことに時間を掛けるよりも、運命に身を任せたほうが早いと判断した卓也は、データライブラリーを閉じるとのんきに別のページを眺め始めた。
翌日の昼。卓也は「やぁ、偶然だね!」と、驚きの表情ではなく、満面の笑みで声をかけた。「これって運命だと思わない?」
「チャイムが鳴って、ドアを開けたら配達の人がいるのが運命ならね。友達があなたに聞かれたって、いつも昼の休憩時間に私がどこにいるのか教えてくれって」
彼女は仕事先からそう遠くないフードコートのカフェテーブルで、タブレット端末で本を読んでいた。
パンくずが残った空の皿と、半分程度コーヒーが残ったカップ。
卓也の計算通り、彼女は食事を終えた頃だったが、運命を装うことには失敗していた。
「それ僕じゃないよ。僕が聞いたのは、明日の昼、君がどこにいるか教えてくれってメッセージ送ったもん。でも、今度からは絶対に秘密にするように念を押して言っておかなきゃ……」
「それは無理じゃない? 彼女おしゃべりだから。昨日もこっちが聞いてないのに、あなたの情報をベラベラと……。他にも誰がどうしたとか、あれがあーなったとか」
卓也はよくやったと、隠しもせずに胸元でガッツポーズを決めた。
「それって僕がセクシーとか、キュートだとか、映画に出てくる主人公みたい――まるでスーパーヒーロー。マイティ卓也だとか。そういう良い噂でしょ」
映画のポスターのようなポーズを次々に取る卓也を、彼女は笑みを浮かべて見ていた。
「そうね……それも言ってたわよ。お尻が小さくて可愛いって。他にも、脱いだ服を畳まないとか、自分の話ばかりでうんざりするとか、恋の熱が冷めるのが露骨すぎて見てわかるとかね。そうだ、あと恨み言の一つとビンタの配達をセットで頼まれたんだけど、どうする?」
「……送り主に送り返して」
「あなた、よく昔の恋人に橋渡しなんてお願いできるわね……」
呆れ顔の彼女に、卓也は臆さずに笑顔で返した。
「それが僕のすごいところ。誰にも出来ないことをやってのける。きっとどんな災害でも生き残るよ。一家に一台どう? 今ならベッドメイキングのおまけ付き。夜も朝も完璧なベッドで過ごすのって気持ちいいよ」
「サービスを頼むからいいわ」
「うそ!! 僕以外にいるの? 僕も雇って! 下着もちゃんと手洗いするから!」
「方舟のサービスよ。頼んだら掃除と一緒にやってくれるの。知らないの? シーツを乱すのは得意そうなのに」
「そのネタはすぐにバレちゃうんだ。なんならもっと広めてくれてもいいよ」
「あなたって隠すことをしないのね……」
「隠そうにも、にじみ出ちゃうから。セクシーなオーラが」
卓也は良い笑顔で顔を近づけるが、彼女は優しく手のひらを添えて押しやった。
「私が言ってるのは、女性関係の話よ。普通男の人って、もっと下心を隠して近付いてきたり、警戒されるような過去の女性遍歴は黒歴史と一緒にシュレッダーにかけたりするもんじゃない?」
「僕の記憶から抹殺しても、彼女おしゃべりだから」
卓也がおどけて言うと、彼女は「そうだったわね」と笑った。
「ちょっと待て……」とラバドーラが不機嫌に卓也の話を遮った。
「なんだよ……。これからがいいところなのに……。彼女が僕に興味を持つまでの過程。さらにはどうやっていい雰囲気に持ち込んだかという最高の山場なんだぞ」
「いつまでメモリの無駄遣いさせる気だ。しょうもない過程などどうでもいい。早くフラれたところまで話を進めろ」
「フラれただなんて……そんな……」卓也は絶句した。
まさかフラれるという言葉が、自分に向けられる日が来るとは夢にも思わなかったからだ。
「事実だろう。クリスマスとかいう地球のイベントを一人で過ごしたと言っていただろう」
「そうだよ、クリスマスを一人で過ごしただけ。彼女とはちゃんとベッドを一緒にしたよ。クリスマスじゃないけど……だから……」
「だからなんだと言うんだ。早く言え」
ラバドーラはイライラして詰め寄るが、卓也はそれっきり口を閉ざして開こうとしなかった。
「簡単な話だ」とルーカスが底意地の悪い笑みを口元に浮かべた。「彼女は男を知り、より良い男の元へ旅立っていったのだ。背が高い男の元へな」
「ルーカス!! この話をした時に、絶対に内緒だって言っただろう!! それを条件に話したのに……」
卓也は憤慨して地団駄を踏んだ。
その裏切られたかのような被害者ヅラに、ルーカスはなんとも言えない表情で返した。
「卓也君……君が勝手に話したのだ。聞いてもいないのにベラベラと……おしゃべりな男め……」
「だって、誰にも話さないままだと、後悔に踏み潰されそうだったんだもん。後から来た、浮気もしない、誠実な、背が高いだけの男に彼女を寝取られるなんてありだと思う?」
「自然災害に興奮する変態女なんぞに、私はこれっぽちも興味はない。長話に付き合ってやったのだ。いい加減我々を開放したまえ」
卓也が勝手に部屋のロック番号を変更したせいで、生体認証システムは再登録するまで使用不可になり、ルーカスは部屋を出られずにいた。ラバドーラも同じで、レストをハックすると古すぎるシステムのせいで、自身のコンピュータで処理しきれずにフリーズしてしまうので、部屋にいるしかなかった。
「なんだよ。聞いてなかったのかい? 僕は同じ轍を踏まないために、君達にこの話をしたんだぞ」
「安心したまえ卓也君。君なら大丈夫だ。他の男に負けることなんてない」
ルーカスは力強く卓也の両肩を掴んで説得した。
「ありがとう……まさかルーカスからそんな言葉を聞けるとは思わなかったよ」
卓也は驚きに目を丸くする。だが、それ以上ルーカスの口から言葉が出ることはなく、無言の時間がしばらく続いた。
「まさか今ので終わり!? 激励だけ?」
「他になにをしろというのかね……。泡沫候補の演説の次くらいに、何の身にもならない話をされただけだぞ。マスコミだって黙殺する」
「わかんないかなぁ……僕の背を伸ばしてって言ってるの。僕だってバカじゃないから、永遠に身長を高くしろとは言わないよ。ただ一時的に伸ばすだけでいいんだ」
「まさかフラれたのが、身長の低さだけだと思っているんじゃないだろうな。愛だ恋だ性だの感情がないアンドロイドの私でも答えが出ているぞ……」
ラバドーラは呆れて言うが、卓也は思い違いをしていると否定に首を振った。
「僕が一生一途に一人の女性を思うようになるのと、一時的に背を伸ばすのと、どっちが確実だと思ってるわけ?」
「後者だろうな……。だが、誠実な男のフリくらいは出来るだろう」
「ラバドーラじゃないんだ。ころころ人が変わるわけでないだろう。今までの話を聞いて、本当にそう思っているんだとしたら、AIなんて大したものじゃないね。ルーカスのおつむの方が何倍もお利口だよ」
比べられたルーカスは「当然だ」と勝ち誇った笑みを浮かべた。「ポンコツアンドロイドとはそもそも素材が違う。天才はどう料理しても天才にしかならないが、ジャンクフードはいくら手を施してもジャンクフードのままだ」
見下す視線を送ってくるルーカスの顔に向かって、ラバドーラは裏拳を飛ばした。
「訂正しろ。こんな死ぬ直前のネズミの脳みそを移植したような、思考能力がほぼ機能停止状態の男より私が下ということはありえない」
「じゃあ……僕の身長を高くすることが出来る?」
卓也の無理難題を、ラバドーラは熱くなったまま煙を出して答えた。
「出来るとも! このナノグラムの脳みそしかない男と一緒にするな!!」
「いいや、私だ!」と、ルーカスはラバドーラを押しのけた。「この私が、君の背を伸ばしてやる。ついでに、このポンコツアンドロイドが、博物館に飾られている真空管テレビよりも役に立たないことも証明してやる」
「それはいいね。頑張って」
卓也があからさまな作り笑いを浮かべたのにも気付かず、部屋のロックが解除されるとルーカスとラバドーラは、卓也の背を伸ばす方法を考えるために競って部屋を出ていった。
入れ替わりで、洗濯物を持って入ってきたデフォルトは「お話は終わったんですか?」と聞いた。
「終わったよ。結果は僕の一人勝ち」
「それはよかったですね。おめでとうございます」
デフォルトは触手を器用に複数本使いながら、乾かした洗濯物を畳みながら棚にしまっていく。
「ありがとう」と卓也は、デフォルトの触手を掴んで動きを止めた。
「あの……畳み終わったら、まだ食事の支度もあるのですが……」
「今のうちに僕を見ておかないともったいないよ。セクシー卓也は。マイティ・セクシー卓也になるんだから」
卓也はボディービルダーのように横や後ろを向くと、貧弱な体でポージングしてみせた。
「体を鍛えるのでしたら、食事のメニューを変更しますか?」
「違うよ、デフォルト。見てわかんない? この変身前の高揚感」
卓也はタコ踊りを踊るように何度もポーズを変えるが、デフォルトにはなんのことかさっぱりわからなかった。
「なんにしても、運動をするのは良いことだと思いますよ。卓也さんもルーカス様も、運動不足だと思いますから」
「それも違う。背の低いキュートな僕は、背の高いワイルドな僕になるってこと」
デフォルトは「もしかして……」と真剣な表情で卓也に近付くと、まぶたを開いて瞳孔を確認したり、唇の乾燥具合を見たり、熱を測ったりと、体の異常がないかをあらかた診察した。問題がないとわかると「よかった……。もしかしたらドヴァ星人に体を受け渡したのかと……」と、ほっと一息ついた。
「もう……心配性なんだから……デフォルトは……。ルーカスとラバドーラが僕の背を伸ばす方法を探すんだよ」
「ルーカス様と……ラバドーラさんが?」
「そう言っただろう。バカとAIが競えば、なにか起こると思わない?」
「バグが発生するとしか思えませんが……」
「そう! まさにそれだよ! バグが発生すれば、僕の背も伸びる可能性がある。そしたら、ぽっと出の男に彼女を奪われる可能性も、次の惑星で失敗することもない」
卓也は自信満々に言い切ったが、デフォルトは心配の顔を崩さなかった。
ラバドーラがいくら頭が良かろうと、地球人とは価値観が違う。特に道徳に関しては天と地の差がある。卓也も地球人の道徳観からはハズレているが、アンドロイドのラバドーラはそれ以上だ。背を伸ばす方法を思いついても、安全である保証はどこにもない。
ルーカスに至ってはもっと酷い。二次被害が起こる可能性が限りなく高いからだ。道徳どころかネジが何本もハズレているので、何を思いつくかは誰も予想できない。下手すればワームホール以上の異常現象が起こる可能性もある。安全という文字は元から存在していないといってもいい。
「次の惑星に行けない可能性は考慮しなかったんですか……ラバドーラさんはともかくとして、自分はルーカス様が考えた方法を試す勇気はありませんよ」
「そんな……ルーカスって言っても、僕と同じ地球人だよ。なにが危険か危険じゃないかくらいはわかってるさ。手足を切断すれば二度生えてこないことは知ってるし、体のほとんどは水で出来ていることも知ってるし、無茶はしないって」
卓也は大丈夫だと、デフォルトの後頭部を茶化すように軽く叩いた。
「その無茶がバグを起こす原因なのですが……。そして、そのバグというのは卓也さんの体に作用するものですよ。卓也さんの背を伸ばすというのなら……」
卓也は叩いていた手を止めると「どうしよう……早まったかも」と心配に顔を青くした。
「お二人の様子を見たほうが早いのでは?」
卓也は「そうだ! 来て!」と、デフォルトの触手を引っ張って、一番問題がありそうなルーカスの元へと向かったが、部屋にルーカスの姿はない。
必死に探すと、バスルームからルーカスの鼻歌が聞こえてきた。
「ルーカス!! そこにいるの?」
卓也が壁を叩くと、壁の一部が透明になり、そこからルーカスが顔を出した。
「なにかね……」
卓也は「よかった……いたんだ」と安堵すると、「ほら見ろ考えすぎだったろ。もう忘れてお風呂に入ってる」とデフォルトの後頭部を調子よく叩いて部屋から出ていった。
「なんなんだ……まったく」
「すいません。お邪魔して……自分も食事の支度をするので、もう邪魔はしません」
デフォルトが頭を下げると、透明な壁は元の壁に戻った。
「塩はここにあるから、使えんぞ」とルーカスの声が聞こえてきたが、塩なら予備があるから良いだろうと、デフォルトも部屋を出ていった。




