第二話
「またダメだ! このポンコツめ!!」
ルーカスは空中ディスプレイを蹴り上げるが、衝撃吸収システムが働いているのでびくともしない。大きな音でも鳴り響けば幾分気が晴れるというものだが、いくら蹴っても自分のつま先に痛みが走るだけなので、蹴れば蹴るほど鬱憤が溜まっていった。
凄まじい執念により入力されたプロフィールは、人体の構造を無視しないと打ち込めない数で、地球人の能力を遥かに凌駕していた。だが、ルーカスの奇跡はそこにすべて使われてしまったのか、AIが間違いを起こすようなことはなかった。
「ルーカスの努力は実らない。不服ながらも、一番近くで見てきた僕がそう言ってるんだぞ。AIより正確に物事を判断できる。そんなプロフィールダメに決まってるだろう」
「そう自負するなら、私が今なんと入力したか当ててみたまえ。どうせ当たらんだろうがな。いいか? なんと入力したのかを当てるのだぞ」
ルーカスは空中ディスプレイに手をかざすと、ささっと指先を動かした。
「そんなの簡単。なんも入力してないんだろう。いかにもルーカスらしい浅はかな考えだよ」
卓也は正解だと確信しているので、ルーカスに振り返ることもしなかった。
「……まぐれ当たりだ。次だ、私が今何を思っているのかを当ててみたまえ」
「僕が言い当てたのをまぐれだと思ってる」
「驚いた……」ルーカスは口をポカンと開けた。「卓也君……どうやら君の能力は本物らしい。私の家来になれる素質がある」
「……いい方法教えてあげないぞ」
「わかった。私の秘書になれる素質がある。これならいいだろう?」
卓也は「はぁ……」と深いため息をつくと、ルーカスに向き直った。「いいかい? AIを騙すのも女の子を騙すのも一緒。コツは騙すんじゃなくて、自分も自分に騙されること。僕がオランダ人だと思えばオランダ人だし、石油業界で働いていると言えば石油業界で働いてる人になるわけ。わかる?」
「卓也君……オランダ人は皆背が高いし、君は石油業界でなど働いていない。嘘にしても、もっとまともにつけないのかね?」
「嘘なもんか。僕はチーズが好きだ。オランダ人もそうだろう? つまり僕はオランダ人だ。それに、僕はガソリンスタンドでバイトしたことがある。つまり石油業界で働いてたってこと。ほら見ろ、石油業界で働くオランダ人の出来上がりだ」
卓也は両手を広げて自分を主張すると、誇らしげに笑みを浮かべた。
「頭が痛くなってきた……」
「それはルーカスが自分をコントロール出来てない証拠。僕なんかその気になれば、昼はベジタリアン。夜は肉食獣になることだって出来る。これは自分を騙すことが出来るからなせる境地。騙されたと思って試してみなよ」
「天才の私に、バカになれとでも言うつもりかね?」
「まぁ、紙一重って言うし。今から天才になれって言われるより簡単だろう? バカになるほうが」
「たしかに。私は人から天才と呼ばれ過ぎている。これ以上の天才になるのならば、奇跡を二、三回は起こさねばならん」
「天災って呼ばれてるんだけど……まぁ、いいや。いいかい? バカになりきるんだ。今からルーカスの大好物はドッグフードだ。手を使わず、皿に顔面を押し付けて食べるのがマナー。鼻くそを固めて城を築くのが将来の夢で、婚約者はサル山のボスの娘。赤いお尻と、飛び回るノミがチャームポイント。口癖は『鼻水が出る限り喉は乾かない』。そんなルーカスが夜寝る前に考えることは、玉を一つ取ったらアルトに、二つ取ったらソプラノになるのかだ――さぁ!」
卓也は演じきってみせろと、手を叩いて急かしたが、さすがにルーカスも言っていることがおかしいと首を傾げた。
「それじゃあ、まるっきりバカではないか。バカもバカだ。ミジンコだってもっと何かを考えて生きているぞ」
「そうだよ。バカなの。それくらいやんないと、AIは手強いんだから」
ルーカスはため息を一つ挟むと「これも全宇宙に私の有能さを見せつけるためか……世のバカの罪はこれだ。同じバカにならなんと理解できないということだな」と憂うと、空中ディスプレイに向かってバカを演じ始めた。
ルーカスと卓也がバカをやっている間。デフォルトとラバドーラの二人は、スムーズにDドライブを見て回り、ここに長居する必要はないと答えを出していた。
やはり地球へのログは手に入らなかった。だが、近くを通った宇宙船が回遊電磁波を拾ったのは確認出来たので、そこへ向かい、レストとラバドーラのエネルギーを手に入れようということになった。
ルーカスと卓也の意見を聞く必要はなく、既に決定事項になっていた。
断られても何度も頼み込むというデフォルトと、もしもの時は略奪しようというラバドーラが口論しながら帰ってくると、空中モニター前で騒いでるルーカスと卓也の姿が目に入った。
「それじゃダメだよ、ルーカス。鼻をほじると時は大胆に親指で。あと口は半開きで白目をむかないと」
「歯をむき出しにして食いしばって、必死に鼻をほじる姿も実にバカらしいと思うが……どうかね」
「ルーカス……君は天才だよ。それ採用。深追いして鼻血が出ると、尚良い」
ルーカスは言われた通り親指を鼻の穴に突っ込んで、歯を食いしばった。そして白目をむこうとした時、戻ってきた二人の姿を捉えた。
「何をやっているのですか……」と、デフォルトは呆れながらも周囲を見て、何も問題が起こっていないかを確かめた。
「どうだ。いつもの私と一味違うと思わんかね?」
ルーカスは白目をむいて、鼻をほじるさまをデフォルトに見せつけた。
「いつもどおりですが?」
「そんなはずはない。よく見たまえ」
デフォルトは言われた通りに、ルーカスの奇行をまじまじと眺めたが、二人が唐突にバカなことをやるのはいつものことなので、なにも不思議に思わなかった。それどころか、問題が起こっていないほうが稀有なことに感じてしまう。
「どうでしょう……お腹が減ったとかですか?」
「違う! 察しの悪いタコランパめ!! 私の顔をよく見て感じたまえ」
「あぁ!」とデフォルトは大声を出した。「唇の腫れがだいぶ引いていますよ。良かったですね」
「なに!? 本当かね?」
ルーカスは空中モニターに顔を近づけて、笑いかけたり、唇を尖らせたりしてみるが、反射防止システムが働いているので自分の顔を確かめることが出来なかった。
「バカ丸出しだな」とラバドーラが呟くと、ルーカスが「ようやく気付いたか。そうだ私はバカなのだ。それも、途方も無いバカだ」と返してきたので、思わずラバドーラとデフォルト目を見合わせた。
ルーカスが自分のことをバカだと認識しているはずがない。認識出来ているのならば、ルーカスという人間は存在しないからだ。
ラバドーラは頭の横で指をくるくる回し、とうとうルーカスがおかしくなったのだと同意を求めたが、卓也がそれは違うと説明した。
「ルーカスはおバカだけど、今度のバカは違う。バカを演じてるんだ」
「バカがバカを演じるなんていう発想こそ、バカがすることだ。オマエ達二人と話していると、バグが起こりそうになる……」
ラバドーラは構っていられないと、一人先にレストへと戻っていった。
「なにあれ」卓也は肩をすくめて、デフォルトに聞いた。
「ここで燃料が手に入らなかったんです。エネルギー不足による不安があるんでしょう。あと……地球のログも手に入りませんでした……」
デフォルトが申し訳無さそうに言うと、卓也は心配ないと強めに背中を叩いた。
「大丈夫だよ。目的地は既に決めてあるんだから」
卓也はポケットから手のひらサイズの小型端末を取り出すと、ホログラムを起動して、コピーした銀河情報をデフォルトに見せた。
「これは……周辺の惑星へのルートが書かれたログですね。自分も同じことを考えていたところです。近くの惑星や宇宙船とコンタクトを取ろうと。まさか、先に情報を集めてくれているだなんて……」
デフォルトは感動していた。ようやく心が合わさったような気がしたからだ。目的の一致、目標を定め、手段を手に入れる。それを卓也が進んでしてくれていたことに、思わず一筋の涙が流れ落ちた。
「そんな……大げさな。そこまで心配されたと思うと、僕もやるせないよ。でも、大丈夫。これからは僕――卓也の本領発揮! 惑星に宇宙船なんでもござれ、バシバシ女の子を口説いていくからね!」
興奮気味に「はいっ!」と力強く返事をしたデフォルトだが、すぐに冷静さを取り戻した。「……口説くとは?」
「目的だよ。目標はアネンダ・デルルルカルド=ポニッシュ。このコピーした情報は、その手段。一体何だと思ったのさ?」
「いえ……」と、デフォルトは涙を拭いた。自分の思い違いの恥ずかしさと、落胆に肩を落としたが、卓也が手に入れた情報が必要なのは確かなので、何も言うまいと口をつぐんだ。
だが、そうなるとルーカスの不可思議な行動が気になりだしてきた。また考え足らずで思いつくまま、自分の欲望に従ってなにかをやらかそうとしているのだろうと。
そんなデフォルトの視線に気付いた卓也は、「あれこそ心配いらないよ。AIに完全敗北したってだけ。本人もなんであんなことしてたか、もう忘れてるよ」
卓也は唇を何度も触って、引っ張って伸ばして正常に戻ったことに歓喜しているルーカスを顎でしゃくった。
「それも困るのですが……。なにかやらかす前にレストへと戻りましょう」
デフォルトはルーカスの首根っこを掴むと、卓也の背中を押してレストへと急かした。
その間にAIが新たな記事が書き、送信されようとしているとは思いもなしなかった。
レストに戻ったルーカスは鏡を見るために、いの一番にバスルームへと駆け込んだ。
「見たまえ!! 私の唇が元に戻っているぞ!!」
喜びの奇声を上げる壁向こうに、卓也は「知ってるよ! 僕らは見てるんだから!」と怒鳴るような大声で返した。
「卓也さんの頭の腫れも引いて良かったですね。ルーカス様のように長引いたら、大変だったかも知れませんよ」
「本当だよ。これから女の子に合うっていうのに、あんな長い頭をしてられるかって。ね?」
卓也は手ぐしで髪を整えるように、何度も頭頂部から後頭部へかけて撫で回して、腫れが引いたのを確かめた。
「そうではなく、脳に損傷がなくて良かったということですよ。自分は地球人の脳の構造はわかりませんから、たぶん本を見ても手術は不可能だったと思います」
「わお……気を付けなくちゃ……。でも、あれは僕のせいじゃなくてルーカスのせい。あんな有頂天じゃ、また何かやらかすぞ」
卓也は真面目な顔で意見した。
壁の向こうからご機嫌な口笛が聞こえてきた。痒みからも痛みからも開放されたルーカスは、Dドライブのデータバンクに自分で何を入力したかなどすっかり忘れてしまっていた。
「自分は卓也さんのほうが心配なのですが……男女の仲になるのは良いことだと思いますが、卓也さんは女性に熱を上げると、周りが見えなくなるのと、行動的になりますから」
「そりゃそうだよ。僕は男に熱を上げることはないし、恋は盲目、アタックあるのみだからね。心配は無用」
「恋の心配はしていませんよ、卓也さんの女性遍歴は色々見てきていますから――催眠から過去まで。そして、こじれた関係のいざこざやドタバタも同じ数だけ……」
「僕は宇宙一セクシーな男だぞ。これから会いに行く女の子達は、皆同じ雑誌の購読者。ボーナスステージに入ったようなものだよ。皆僕にまいってる」
「女性と同じ数だけ、嫉妬や怒りに狂っている男性がいると思うのですが……」
「それは僕の責任じゃない。もてない男のやりどころってだけだよ。むしろどんと来いだね。良い引き立て役になるし、多少迫害されてたほうが女心をくすぐるってなもんだよ。なんならデフォルトがしてくれてもいい。僕達って良いコンビになれるよ」
デフォルトは「そのうちお願いします」と適当に返事をすると、小型端末を繋いで、レストにログをコピーした。
一番近い惑星なら、レストの燃料も十分足りそうだった。
女性が目的ならば、道中卓也は問題を起こさないし、ルーカスの問題行動も全力で止めに入るので、惑星まではすんなり行くことが出来る。
問題は惑星から出る時だ。女性と別れがたいと卓也がごねるかも知れないし、燃料が手に入らないかも知れない。いつも通りルーカスが何かを引き起こすかも知れないし、しびれを切らしたラバドーラが事件を起こすかも知れない。
デフォルトは頭には様々な不安がよぎっていた。自分だけでもしっかりしなければと、静かに気合を入れると、惑星『ドヴァ』に進路を定めた。




