第二十五話
ラバドーラは「なにが起こった……」と体を起こすと、足元に転がるルーカスをとりあえず蹴ってから、デフォルトの元へと向かった。
「こちらのセリフですよ……。なにがあってミサイルなんて撃ち込まれることに……。タイムホールが壊れてなければいいのですが。あの衝撃だと……」
「ミサイルごときのエネルギーが、タイムホールを通り抜けられるはずがないだろう。異次元空間の中で分散され消える。今のはどう考えても重力震だ。方舟で何度も経験しているだろう」ラバドーラはドアの向こうの様子を電磁波を使って調べた。「ドアの向こうから発せられる電磁波がこことは違う。まるで惑星反応だな。まだ地球に繋がったままということだ。座標はずれたみたいだがな。機械反応はない。少なくとも、さっきまで繋がっていた宇宙船内ではない」
ルーカスは「スプーンを使ってプリンを食べるより簡単な話だ」と言いながら二人に近寄った。「この伸びてる少年をドアに押し込んで終了だ。私の唇は元のセクシーでプリプリなものに戻る。こんな割れせんべいみたいなものとは、早々におさらばしたい」
ルーカスは早速ドアを開けようとするが、デフォルトが触手を腕に巻きつけて制した。
「危険ですよ。タイムホールというは地上や建造物の中に繋がるとは限らないのですから。大気圏や海底なんてこともあります」
「君はいつも心配し過ぎなのだ。私を見習い、冷静にどどんと構えていたまえ。だいたい危険なものなら、ラバドーラがついてくるはずもない」
「ラバドーラさんは機械の体なので、そもそもがルーカス様と違うんです。酸素がなくても、水圧がかかっても平気なのですよ。人間の体とは丈夫さが違います。ルーカス様のことを良く思っていないので、どうなってもいいと黙っていただけだと思いますよ」
「なんだと!?」ルーカスはラバドーラに掴みかかったが、あっさり腕を掴まれてしまい、逆に投げ飛ばされてしまった。床に叩きつけられても誰も近寄ってこないので「もっと心配をしたらどうかね……君の唯一の特技だろう……」とデフォルトを睨みつけた。
「そう思うのなら、唇の腫れが引くまでは大人しくしていてください」
「そうだ!」卓也もデフォルトを睨んだ。「写真を撮ったら、もとに戻るって話はどうなったのさ。僕の頭もまだ腫れてるぞ!!」
ルーカスと卓也が左右からやいのやいのとうるさいので、デフォルトは「わかりました! 自分が様子を見てきます!」と、半ばヤケになって一歩踏み込んだ。
すかさず「待ちたまえ!」と、ルーカスが引き止めた。
「ご心配なく……地球人のお二人よりは様々な環境に適応する体ですので」
「そうではない」
ルーカスが真面目な顔で見つめてきたので、デフォルトも同じ視線を返した。
「なんですか?」
「まだ隠しているトイレットペーパーがあるだろう。すべて出してから、死ぬなり、踊るなり、慌てふためくなり好きにしたまえ」
デフォルトは呆れのため息を一つつくと、返事を返すことなくドアに触手を伸ばした。
「ちょっとちょっと! デフォルト!」
今度は卓也がデフォルトを止めた。
「大丈夫です。先程も言いましたが――」
「違うって、ドアの向こうから声が聞こえるよ。それも超絶美人の声」
卓也はデフォルトを押しのけると、ドアに耳を当ててうっとりとした表情を浮かべた。
デフォルトは卓也が女性の声を聞き間違えるはずがないと、自分も聴覚器官をドアに近づけた。すると確かに声がしていた。
ドアの向こうからは『……誰かいるんですか?』『大丈夫ですか?』としきりに心配をしている。
卓也は「未来からやってきた君の恋人だよ」とドアに向かって言ったが、返事はなかった。
「卓也さん。余計なことをすると、またややこしくなりますよ」
「デフォルト……男女の仲っていうのはややこしいものだよ」
「……その頭で、女性の前へ出るおつもりですか? もし出たら、一生治らないかも知れませんよ」
「そんなの嫌だよ! ……そうだ! 今ここで治して出ればいいんだ! さぁ、メスでもドリルでも何でも使っていいから、早く僕の頭を治すんだ! ……響き的にはメスのほうがいいかな。二つの意味で」
卓也は覚悟を決めたと、床にどっしり座り込んだ。
「ここでは卓也さんの頭は治せませんよ。……二つの意味で」デフォルトは疲れたと息を吐くと「ラバドーラさん、様子を見てきもらえませんか?」と頼んだ。
このままでは埒が明かないと、ラバドーラは了承した。ドアを開けるとためらわずに、ワープホールの中へと入っていった。
出た場所は真っ暗だったので、ラバドーラは視覚を赤外線に切り替えた。
狭くて、埃が溜まっている。木目の壁に床。その隙間からは、日に当たらず太陽を求めてひょろひょろになった植物が伸びている。
あまりの汚さにファンが詰まりそうだと、ラバドーラはさっさと見回って戻ろうとした。
だが、一歩踏み出すだけで床がキシキシと悲鳴を上げ、やけに大きく響いた。
すると闇の向こう側から「誰か……そこにいるの?」と聞こえてきた。
関わらないほうがいいと、ラバドーラはタイムホールへと戻って報告した。
「廃墟だ。それも相当作りが古い。とても宇宙船を作る技術がある惑星の建築物とは思えんな」
「それだけ資源が豊かということですよ。さて……どうやって少年を過去の地球へ届けましょうか」
デフォルトは皆で協力しましょうと振り返ったが、その時にもう既にルーカスは気絶したままの少年を抱えてドアに向かっているところだった。
嫌な予感がしたので止めようとしたのだが、デフォルトの触手はルーカスに届くことはなかった。
「これ以上は時間の無駄だ。無知で程度の低い存在感もないガキに、いつまでも構っていられるか。勝手にやってきたのだ。勝手にどうにかするだろう」
ルーカスがゴミでも捨てるように、少年をドアの中のタイムホールへと投げ入れると、タイムホールは稲妻が走ったかのようにひび割れて光った。
タイムホールの向こうでは、投げられた勢いそのままで少年が壁にぶつかっていた。古い木造の壁はまるでベニヤ板のようにもろく、穴をあけて体半分が外へと飛び出していた。
頭の痛みと、しばらく浴びていなかった日差しの眩しさに少年は目を覚ました。目に飛び込んできたは、驚きに目を見開いた少女の姿だった
ほっと胸をなでおろし「幽霊かと思ったわ……」と、気の抜けた表情を晒した。
「幽霊?」
少年は穴から這い出そうとしたが、お尻が引っかかってしまい手間取っていると、少女が手を貸してくれた。
少女は歯を食いしばって引っ張り上げながら「ここ、地元で有名な心霊スポットなの。明日まではね」と説明した。
「明日までは?」
「そうなの。明日からは政府のものよ。宇宙開発の研究所が立つの……よ! っと」
少女が畑から大きな大根でも引っこ抜くような声を出すと、少年のお尻から下は、壁を少し壊しながら出てきた
「ありがとう……よくわからないけど助かったよ」と、少年は当たりを見合わして、のどかな田舎町の風景が広がっているのを確認した。「ここに宇宙研究所が?」
「ここだけじゃないわよ。あちこちで、それこそ田舎も都会も秘境も、至るところに宇宙研究所が出来るのよ。知らないの?」
「今まで宇宙に出てたからね。……たぶん」
少年は気絶する前のことが夢だったのか、現実だったのかわからなかった。気付けば地球にいるし、自分の宇宙船がどうなったのかもわからない。だが、妙に強烈に宇宙船の構造が目に焼き付いていた。
「宇宙船乗員の人なの? たぶんだなんて心配ね……。気を付けないと怖いわよ。ついさっきもどっかの町で、宇宙船が暴走って速報が入ってたから。一部では宇宙人の仕業って噂が立ってるけど」
「宇宙人!?」と少年は背筋を伸ばすと、お尻に痛みが走ったせいでしゃがみこんだ。
「大丈夫? ぶつけたの? 驚くことないわよ。宇宙開発者によれば、ここは宇宙人からの電磁波が届く稀有な場所なんだって。他の心霊スポットもそう。だから、電磁波を解読するために。昔から幽霊の声が聞こえる心霊スポットに、宇宙研究所を建設するのよ」
少女が伸ばした手を少年は掴んで立ち上がった。
少年は「その宇宙開発者の人に会える?」と、宇宙人の姿を写したはずのカメラを握りしめながら言った。
「住民説明会でしょっちゅう来てるから会えるわよ。でも、今は暴走した宇宙船のところへいっちゃったわ。会う前に……家で着替えたほうがいいわよ……。パパので良かったら下着の替えもあるから」
そう言って少女が指したのは少年のお尻だ。まるで漏らしたかのように膨らんでいる。
少年は慌ててお尻を触って確認したが、それはお尻が腫れているだけだった。
「なんでこんなに腫れてるんだろう……打ちどころが悪かったのかな……」
「頭じゃなくてよかったじゃない。頭だと打ちどころが悪いと死んじゃってるわよ」
少女に手を引かれ、少年はゆっくりと歩いていった。
ワームホールが閉じたDドライブでは「ほら見て!」と、卓也が歓喜の声を上げていた。
記事の内容が書き換わっていたからだ。
『あなたに会いたい』という企画ページが『懐かしの事件簿』という企画に変わり、サブタイトルに『暴走宇宙船。少年、奇跡の生還。その背景には宇宙人の協力が?』と書かれていた。
内容の一部はこうだ。
地球で初めての宇宙船暴走事故。幸いにも負傷者はゼロだったのだが、乗っていはずの船員の姿がない。その船員は同時刻、遠く離れた町で見つかることになるが、この少年が持っていたカメラには宇宙人の姿が。こんなあからさまな宇宙人などいるはずないと派閥と、昔から宇宙人は地球にやってきて姿を晒していたと考える派閥に別れ、一時はブームになったが、研究者はこれはフェイクだと断定。奇跡の少年は一転してオオカミ少年へ。少年の信用は地へ落ちると思われたが、常識にとらわれない新たな発想で宇宙時代へと大きく風向きを動かすことになる。
そしてこの少年こそが、『レスト』を制作したチームのメカニックである『野口勝』の先祖に当たる者だ。
次回、宇宙からの贈り物『ギフト』とはなんだったのか。宇宙飛行士の間で肛門が腫れる謎の奇病が流行。の二つ。
「これって、元の次元と繋がったってことだろ? つまりルーカスが苦しんでる宇宙病は、ルーカスが自分で流行らせたってこと?」
「それはわかりませんが、抗体が作られないウイルスが持ち込まれたわけですから、ルーカス様に予防接種の効果がないは当然かと」
ルーカスが「なに!!」とデフォルトに詰め寄った。「唇の腫れを治したくて、少年に手を貸したというのに、また腫れるではないか!」
「腫れるのは過去のルーカス様です。今のルーカス様は完治に向かっていくはずですよ。安静にしていればですがね」
「そんなことより、悪いことしちゃったな。謝れるなら謝りたいよ」と卓也がしょげた。
「そうですね。あの少年は嘘つき呼ばわりされる人生を送ってしまったわけですから……」
「違うよ。どうにか過去の僕にメッセージを伝えておけば、僕は今以上に良い男になってたのにって、そういう話だよ。謝りたいのは過去の僕に。だって、考えてもごらんよ。タイムホールを利用すれば、大金持ちにもなれたし、地球を征服することも出来たんだぞ。でも、それをしなかった。今になって後悔ばかりが残るよ……」
「参考までに、どんな卓也さんになりたかったのですか?」
「そりゃあ、女の子にモテたいし、女性にもモテたい。可愛いねって言われたいし、セクシーだとも思われたい。なんだ、全部叶ってるじゃん。やったね、ハイファイブだ」
卓也が手のひらを差し出したので、デフォルトは慣れたように触手を合わせた。これは、方舟にタイムワープした時、マスコットとして身につけたものだ。
「タイムホールには関わるべきじゃないですね……。だんだん……なにが正しいのか、あべこべになってきましたよ」
「これから、私達はもっと厄介なものに関わることになるがな」
ラバドーラの言葉に、デフォルトは思わずルーカスの姿を見た。
まだ唇は腫れたままだが、幾分腫れが引いたようにも見える。
「それは厄介ではない。厄災だ。厄介というのはここのことだ」と、ラバドーラは右足で数回床を踏んだ。
「Dドライブですか?」
「そうだ。どうやら私と同じ類のものらしい。ここ全体がな」
卓也が「それってアンドロイドってこと?」と聞くが、ラバドーラは首を横に振った。
「もっと前の段階だ。人工知能だ――もっとも人工と言っても、人が作ったわけではないがな」




