第二十四話
光がドアを枠取ったのは一瞬の出来事で、シャッターを切った少年からは、カメラのフラッシュがドアの金属部に反射したように見えていた。
だが、ドアの前に立っている四人は重力震の衝撃に襲われていた。それも一瞬の出来事で、夢の中で足元が崩れていくような感覚。自分ではどうすることもできない、ただ滅びに身を任せるしかないというような不安が押し寄せた。
その一瞬が過ぎ去った時、足元にあるしっかりとした強固な床は、かえって体のバランスを崩すことになってしまった。
まるで階段を踏み外したかのように、四人全員がその場で転んでしまった。
「なんなんだよ……」
卓也がぶつけた頭頂部を押さえながら言った。
「正しい時空へとつながった時に起こる重力震だと思うのですが……なにか変わりましたか?」
「僕の頭もルーカスの唇も腫れたまま。変化があるといえば……目の前にいる少年が、どうしたらいいかわからずにまごついてるくらいだね」
少年は自分のシャッターがきっかけで、目の前の四人が倒れ込んでしまったので焦っていた。他の宇宙人に攻撃を仕掛けたとなれば、宇宙戦争に発展する可能性があると思ったからだ。
そんな少年をフォローしている暇などなく、デフォルトは次にどうしようかと考え始めた。重力震。それもいつもと違うエネルギーの波が起こったのは確かなので、時空はすり寄っているはずだ。
少年のいた時空と正しく繋がったのならば、もうワンアクションくらい起こりそうなものだが、自分の身にも何も感じないし、少年にも変わった様子がなかった。
デフォルトが周りの様子を確かめている時に、背後で物音が鳴ったのだが、デフォルトはもう一度少年とコミュニケーションを取ろうと、目の前の少年に慎重になっていたので、その音に気付くことはなかった。
「これが過去の地球? こんな狭い部屋で暮らしてたわけ?」
卓也はドアの向こうの世界で、つまらなさそうに肩を落とした。
「何を言っている」ルーカスは小さな窓から宇宙を眺めて言った。「これは宇宙船だ」
「ここまでレベルが低いと、もう奇跡だな……。宇宙に漂うゴミのほうがまだマシだ。重力制御さえまともに働いてない」
ラバドーラはイライラしていた。無駄な配線に無駄な機械。そのせいで部屋は狭く、自身の体についているカメラからは常に余計な情報を取り込んでしまう。少しでも負荷を軽くするために、映像の投影を止めて真っ白なマネキンのような体に戻った。
「宇宙暦じゃないってことは、相当昔だからね。僕でも不安になる」
ラバドーラに同意しながらも、卓也はお気楽に宇宙船の中の探索を始めた。
探索といっても宇宙船は一人用なので、今三人がいる操縦室と、その後ろにある生活空間の二部屋しかない。そして、生活空間へと行くための通路はタイムホールと繋がっているので、行くことが出来ない。
重力制御が上手く働いていないので、体は軽くなっている。卓也はルーカスの太ももを蹴って少し浮かび上がると、天井の棚扉を開けて中を物色し始めた。
「まるでネズミだな」とルーカスは呆れた。ルーカスにとって、宇宙暦以前の宇宙船に興味などひとかけらもなかった。ただタイムワープとはどういうものだろうと思い、タイムホールをくぐり抜けてみたものの、目に映る光景は方舟の博物館よりも古い構造物だ。
自分だけ先に戻ろうと思ったが、あることを思いついて足を止めた。古い宇宙船ならば自分でも操縦できるのではないかという考えが頭をよぎったからだ。
「テレビで流れる昔の時代の女の子にドキッとすることってない? 服装とか髪型とかさ」
卓也は棚からいらないものを放り投げて、女の子の写真がないかと期待に胸を膨らませていると、ルーカスの声で「発進!」と意気揚々とスイッチを押す音が聞こえた。
驚いた卓也は止めようとしたが、ラバドーラが大丈夫だと制した。
「見たところ。操作が複雑になっている。まだ技術の簡略化が出来ていないのだろう。複雑な手順を踏まなければ、エンジンさえ作動しない。バカにできるのは、ライトを点灯させるくらいだ」
ラバドーラの言う通り、ルーカスが適当にスイッチを押したところで、すべてロックされているため何も作動することがなかった。
ルーカスが解除コードを知っているわけもなく、地球の宇宙船は静止状態の駆動音だけを静かに響かせるだけだ。
「このポンコツめ! 何世代も昔のポンコツめ!!」
ルーカスは何度もスイッチのオンオフを繰り返すが、パチパチと切り替えの音が鳴って終わりだ。いつもの悪運が働きかけることはなかった。
ラバドーラはわざわざルーカスの嫌がる『アイ』の姿を投影すると、「あなたには高度過ぎる機械みたいね」と嫌味たっぷりに言った。
ポンコツという嫌いな言葉を発したルーカスへの仕返しだったのだが、ルーカスが反応するより早く、卓也がラバドーラに飛びついた。
「やぁ、しばらく。僕がどれだけ君に逢いたかったかわかる?」
女性の姿をしている限り卓也がしつこいのはわかっているので、ラバドーラは合成して作ったルーカスの裸を自分の体に投影して「離れろ……」と凄んだ。
「うわ! 気持ちわるっ!!」
卓也はラバドーラを押し飛ばすが、重力制御が上手くいっていない空間のせいで、反動で自分も後方へ飛んでしまった。
天井に頭をぶつけた卓也は綿毛のようにゆっくり落ちてくると、手元の出っ張りに手をついて立ち上がった。
前方に飛ばされたラバドーラは、大股を開いて操縦席のモニターへと尻餅をついていた。
「なにが悲しくて、私は私の股間を凝視せねばならんのだ……。だいたい……私のはもっと元気だ。これではまるで干からびたミミズだ」
ルーカスはラバドーラの股間へと手を伸ばした。丁度操縦桿と重なるように、尻餅をついているので、操縦桿を雄々しく押し上げた。
「アホなことをするな」とラバドーラが立ち上がろうとした時、モニター横のスイッチをいくつか押してしまった。
するとすぐさまアラートが鳴り響き、機械音声で『緊急停止解除。破損率五パーセント。安全のため地球への強制帰還が実行されます』と流れた。
卓也が手をついた先と、ラバドーラ手をついた先。更にはルーカスの操縦桿の操作により、重力震の衝撃を受けて緊急停止状態だった宇宙船が動き出したのだ。
まだ修復システムが未熟な時代なので、安全のために数パーセントでも損傷があれば、地球へ強制送還されるようなシステムになっている。
システムが古すぎるので、ラバドーラでも止めることが出来ない。
宇宙船はまっすぐ地球に向かって発進を始めた。
火星の横を通り過ぎると、見覚えのある惑星が見えてきた。
「見なよ、ルーカス。懐かしい地球だぞ」
卓也が声を高くするが、ルーカスは低いため息で返した。
「懐かしいものか。私の祖母も生まれていない時代の地球だぞ。人類が服を着ているかも怪しいものだ」
「わお……楽園って本当に存在してたんだ。それなら僕もう移住しちゃうよ――いや……やっぱりちょっと考える」
卓也はまだルーカスの裸を投影しているラバドーラを見てげんなりした。女の子が裸なら嬉しいが、同じ割合だけ男の裸も目に映るということだ。
「芸術を身に宿したいのはわかるが、いつまで私の裸でうろつくつもりかね。さては気に入ったな」
ルーカスが機嫌良く笑いを響かせると、ラバドーラは「お気楽なものだ……」と呆れて投影を止めた。
「いくら昔といっても、勝手知ったる地球だ。未開の惑星とはわけが違う。どこぞのおんぼろアンドロイドは恐怖に震えているらしいが、私は常に冷静だ。心配はいらない」
ルーカスはどうにでもなると笑ってみせると、ラバドーラはどうにかしてみろと、ルーカスの笑いをそっくりそのまま自身に投影して笑い返した。
「人数制限を超えているからな。重量オーバーだ。どこに着陸するつもりかは不明だが、そこへたどり着く前に墜落するぞ。地面に墜落すれば大爆発。運良く着水できたとしても、じわじわと溺死だ」
ラバドーラはタイムホールでいつでも戻れるのを知っているので、脅すだけ脅してルーカスに仕返しをしてやろうと考えていた。
「なんだと!? 私はこんな寂れた過去の地球で死ぬつもりなどないぞ! 浮上だ、浮上!」
慌てて操縦桿をこねくり回すルーカスを見て、ラバドーラはざまあみろと清々しく思っていた。
だが、宇宙船が大気圏に突入すると自動操縦が解除されてしまった。
地球からの電磁波を拾ったことにより、宇宙空間ではないと認識され、緊急時のロックが解除された。そこにたまたまルーカスが自動操縦解除のコマンドを入力したのだ。
「見たまえ! 私が宇宙船を操縦しているぞ!」
操縦桿を握りしめるルーカスは、この上なく幸せそうな顔をしていた。
「違う! 落ちていっているんだ!! 機体を持ち上げろ!!」
ラバドーラは叫んだ。
墜落時のG重力のせいで体が思うように動かない。すぐ後ろのタイムホールに飛び込むのも不可能な状況になっていた。
「このボタンかね?」と、ルーカスは操縦桿のボタンを押した。
すると地上に向かってレーザーが放たれた。
「ルーカス!? なにやってるのさ!」
卓也がルーカスの手ごと操縦桿を握って、機体を持ち上げるが、重量オーバーのためにすぐに傾いてしまう。その間も、絶え間なくレーザーは発射されている。
「なにをやっている!」
ラバドーラは操縦桿からルーカスを引き離そうとしたが、どこにそんな力があるのかと思うほど強く握られていた。
「ルーカス! ふざけてる場合じゃないって!」
卓也とラバドーラの二人が力任せに引っ張っても、ルーカスは手を離さない。
正しくは離せなかった。宇宙船を操縦しているという高揚感は、やがて緊張感に変わり、操縦桿を握ったまま指の先の筋肉までコチコチに固まってしまったのだ。それも不幸なことに、レーザーの発射ボタンを押したままの形でだ。
レーザーの性能がよくないのが幸いして、遠くまで被害は及んでいない。射程距離の短さのおかげで木を燃やす程度だ。だが、高度が下がるにつれて家や人に当たる可能性も出てくる。
レーザーを撃ち続けているので、エネルギーの消費が激しく、みるみる高度が下がっていた。
地上に攻撃を繰り返す宇宙船が現れたというのは、あっという間に地球の主要施設に広がり、軍の戦闘機まで出動する事態になっていた。
その頃、少年の持っている無線機に地球から通信が入っていた。
途切れ途切れの電波を拾おうとあくせくする少年を見て、デフォルトは安堵した。地球の電波を拾ったということは、間違いなく少年の時代の時空へと繋がったということだ。
つまり後ろのドアから地球の電波が届いているはずだと、デフォルトは振り返った。
その時に初めて違和感に気づいた。いるはずの三人が自分の目に姿が映らなかったからだ。
どこにいったのかと慌てるデフォルトは、突然鳴り響いたアラートの音に更に慌てふためいた。
「すいません……速報が入ったみたいで」少年はポケットから小型の情報交換機を取り出すと、発信された情報を読み上げた。「宇宙船の暴走。重力制御装置のシャフトの歪みが原因か? ――怖いですね……僕が乗っていた宇宙船と同じ型番ですよ。地球に帰る前に確かめたほうがいいみたいですね。でも……僕の宇宙船はどこに停められているのでしょう? あっ! また速報です。宇宙船が住宅地へ進路をとったので、戦闘機が撃ち落とすことに決定したみたいですね」
デフォルトは嫌な予感がして、聴覚器官をドアに押し当てた。すると中から聞かなければよかったと後悔する声が三つ。ルーカスの「撃ち落せ!!」という怒声と、熱くなったラバドーラの「あんな型遅れにおくれを取るな!!」という暴走気味の音声。そして、極めつけは「もういっそ宇宙人として投降しようよ。手厚く歓迎されるかもよ。……撃ち落とす前まではの話だけど」という卓也の不穏な状況説明。
デフォルトは一度深呼吸してからドアを開けた。
すると地球の宇宙船の中の重力の方向が変わり、まずラバドーラが落ちるようにドアから出てきた。次に卓也がとっさにルーカスの襟首を掴んでせいで足だけ出てきた。
首を絞められたルーカスは次第に力が抜けて、固まっていた筋肉が緩み、操縦桿から手を離すことが出来た。
ラバドーラと同じように、ルーカスと卓也は落ちるようにしてドアから出てきた。
さらにドア向こうからミサイルが飛んでくるのが見えたデフォルトは、あれまでこちら側に出てこられてはたまらないと慌ててドアを締めた。
同時に衝撃が走り、デフォルトと少年はふっ飛ばされてしまった。
デフォルトは少年がクッションになったことによりなんともなかったが、少年は下敷きになり気を失ってしまった。
タイムホールが破壊されたのかと思ってドアを見たが、ドアは閉じられたままで、その隙間からは黒煙と光が僅かに漏れ出していた。しかし、それもすぐに消えてしまった。




