第二十三話
「随分大きかったな……」
ラバドーラは今起きたばかりの揺れで確信した。揺れがあったということは、重力制御装置で制御できないほどの大きな重力震が起こったということだ。それほどのエネルギーが発生するのならば、真実に近付いてきたということになる。
つまり、今ディスプレイに映されているものが、タイムホールを開くためのキーだ。
四人並んだ宇宙人の写真。その真実こそが、少年を元の時代に返すためのキーだった。
「自分とラバドーラさん。それにルーカス様と……誰でしょう?」
デフォルトはタコ型の火星人と書かれた自分と、ヒューマノイド型宇宙人と書かれた唇の腫れたルーカス。グレイと書かれている加工されたルーカスの姿を投影したラバドーラ。最後の一人はリトル・グレイと書かれていた。
「順を追って考えるのならば卓也だが……あいつは人間だぞ?」
ラバドーラはリトル・グレイを拡大して確認しようとしたが、ルーカスの影に隠れて、顔を隠すようにして俯いているせいで、誰なのかは断言できずにいた。
「ルーカス様も人間ですよ」
「今は違う――姿形がな。この写真がどういう経緯で撮られたものかはわからないが……」ラバドーラは少年に向かって「名前は?」と聞いた。
少年は「野口徹」と名乗った。
「経緯はわからないが、――少なくともここで撮られたものだ」
ラバドーラは写真から、右下に書かれている撮影者の名前の欄へと画面を拡大したまま移動した。
そこには『野口徹』と書かれていた。
「これで今後どうするか決まりましたね。このドアの前で記念撮影すればいいんですから。このドアと、このリトル・グレイと書かれた方を探しましょう。久しぶりに、順調に事が進んでいますね」
「そりゃそうだろう。あの二人がいないんだからな。私としてはこのまま忘れていた方が楽だが、あのバカ二人がいないと写真にも写らないからな。どのみち探すしかない」
「忘れていました……どこまで転げ飛んで行ったんでしょう?」
「一パーセントでもまともに脳が機能しているのならば、ここへ戻ってくるはずだがな」
デフォルトとラバドーラがため息を付きながら待っていると、ルーカスと卓也は思ったよりも早く戻ってきた。
卓也が頭頂部を押さえているのが見えたので、デフォルトは「大丈夫ですか?」と聞いた。
「どうだろう……じんじん痛むけど。ついさっきまた揺れただろう? ルーカスのお尻に、頭を踏み潰されて散々だよ」
フラフラもしていないし、焦点もあっている。顔色も呼吸も問題ない。ただただルーカスへの不満を述べる卓也を見て、デフォルトは「大丈夫そうですね」と安心した。「ルーカス様は大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるかね? 私はずっと前からこの唇で過ごしているのだぞ。治る気配など一向にない。……いったいどうなっているんだ」
「そのことでお話が……」
デフォルトは少年から隠すようにして、ルーカスをディスプレイの前に立たせた。
ルーカスの唇の腫れが引かないのは、この写真を撮っていないからだと。逆に言えば写真を撮るまでは、ルーカスの唇は腫れたままだということだ。
そのことを伝えられたルーカスは憤慨した。
「なんだね。つまり、この小僧が原因で私のチャーミングな唇が、フランクフルトみたく腫れ上がっとるというのかね?」
「どちらかと言うと……こちらのなにかが原因で、少年を過去から引き寄せてしまったのだと思いますが」
「私が迷惑を被っていることには違いない。早くどうにかしたまえ」
ルーカスが睨みつけるが、デフォルトは困ったように頭頂部を触手でかいた。
「どうしろと言われましても。まずドアを探さないことには……」
「そうだ」と卓也は手を鳴らした。「ドアで思い出したよ。バールのようなもの持ってない?」
「バールのようなものですか? ようなものでいいのなら、レストの工具棚にしまってあると思いますが……いったい何に使うのですか?」
「ドアを壊すんだ。安心してよ。別に金庫に侵入しようってわけじゃないからさ。トイレのドアを開けて中の紙を貰うだけ」
「卓也さん……」
デフォルトの声色が変わったことに気付いた卓也は、落ち着いてと手のひらを向けた。
「わかってるって。紙はまだあるって言いたいんだろう? でも、なくなるとルーカスがうるさいじゃん。あるならあるだけあった方がいいって」
「壊す前に聞きたいのですが、そのドアはハッチのようなものでしたか?」
デフォルトとラバドーラが方舟にタイムワープした時は、レストのハッチと方舟のハッチがタイムホールの出入り口となり、過去と未来を繋いでいた。もしかしたら、今回も同じになっているかも知れないと思い聞いてみたのだが、卓也の答えはノーだった。
とりあえず一度そのドアを見てみようと、デフォルトとは卓也にそのドアがある場所まで案内を頼んだ。
道中変わったところはなく、通路にはディスプレイがずらっと並んでいるだけだ。
生物が隠れられるような怪しい物陰はなく、監視するように不審な動きをする機械もない。デフォルトの警戒心は和らいでいた。
だが、それはドアの前に立つまでの話だ。
あからさまに怪しいドアの前に立つ卓也の姿が、それもう見事なまでに馴染んでいた。
それは催眠裁判中の出来事ではあるが、地球で使われているドアと同じものにデフォルトには見えていたからだ。
「卓也さん……このドア……」
「トイレのドアだよ。いかにもビルのトイレって感じだろう?」
「そのいかにもというのが、ここにあったらおかしいんですよ。ここは地球じゃないのですから。このドアがタイムホールになって、少年がやってきたに違いありません」
「ということは……これはトイレのドアじゃなくて、ドアのようなものってこと?」
「そうですね。見た目はドアですが、隣の部屋ではなく、別の次元に繋がっているんです。このドアの前で撮影された写真が、雑誌に掲載されていました。あの少年がここで撮影し、Dドライブに送ったのかも知れません」
「でも、地球がDドライブの電磁波をキャッチするようになったのは、もっと後になってからだよ。西暦を使っているあの少年が送れるとは思わないけどね」
「あの少年の子孫が送ったのでしょうかね……。とにかく、試してみる価値は大いにあります」
「そうだね。一度戻って確認してみればいいよ。よくわかんないけど、これで何かが元通りになるんだろう?」
タイムワープに関わったという実感がわかないせいで、卓也はあまり状況を飲み込めずにいた。一度経験していなければ、デフォルトでも状況の把握に時間がかかっていたことだろう。
デフォルトはまだ条件があると、歩き出そうとする卓也を引き止めた。
「いえ……まだリトル・グレイと呼ばれる異星人が……彼の存在が必要なんです」
「リトル・グレイってのは、西暦の人間が考え出した架空の宇宙人だよ。存在するはずもないのに、どうやって探し出すつもりさ」
卓也が肩をすくめて言うと、床に伸びる卓也の影も動いた。
デフォルトはその影のあることに気付き、それを目で追うようにして卓也の体と見比べた。
「あ……その……リトル・グレイの心配はいらなさそうです……。とりあえず一旦戻りましょう」
デフォルトは自分の口からは、とてもじゃないが真実は言えないと、あとのことをルーカスとラバドーラにまかせることにした。
「朗報だよ。よくわかんないけど、ドアがあったってさ」
揚々と手を上げて現れた卓也を見て、まず最初に笑ったのはルーカスだ。腹を抱えて床を転がりまわって、何度もディスプレイに体をぶつけているが、そんな痛みなどお構い無しでバカにした笑い声を響かせている。
ラバドーラも声こそ漏らさないが、ニヤニヤとした意味ありげな笑みで卓也のことを見ていた。
「なにさ?」と卓也は首を傾げた。「そのバカでも見付けたような視線やめてくれない」
卓也はこれは一体どういうことだと振り返ったが、デフォルトは視線を逸らすだけだ。
一人少年だけが雰囲気が違い、「騙したていたんですか……」と後ずさった。
「人聞きの悪い事を言うなよ。僕は騙される方。それも女の子限定で」
「卓也さん……ぶつけた頭は痛みませんか?」
デフォルトは卓也がショックを受けないように、慎重に言葉を選んだ。
「そういえば……いつの間にか痛みはなくなったね」
「なにか体調に変化はありませんか? だるいとか、熱っぽいとか、……――頭が重いとか」
「何を言ってるんだい。僕はすこぶる元気だよ。だるさとは無縁。熱といえば、最近はアネンダ・デルルルカルド=ポニッシュにお熱ってとこかな。頭は……そういえば、少し重いかも。パーティで女の子の興味を引くために、石油王の息子だって言ってターバンを頭にグルグル巻いた時みたいだ」
「そうだろうとも。その時の状況が目に浮かぶ。巻かれるのはターバンではなくて、縄だろうがな」
ルーカスはまだ床に転がったままで、爆笑の余韻で痙攣する腹筋を押させていた。
「なに言ってんだか……」
周りの妙な反応に居心地の悪さを感じた卓也は頭をかいた。そして、その時にあることに気が付いた。
頭頂部をかこうと思ったのに、手のひらが触れたのは側頭部だった。
頭頂部は一回り以上大きく腫れ、いつもの調子で手を伸ばしても届かなかったのだ。
卓也は驚きに目を見開いて、何度も触って確かめてみるが、しっかりととがるように頭頂部が腫れていた。
慌てる卓也の顔を見て、ルーカスは再びおかしくてたまらないと床を笑い転げた。
「よかったではないか。背が伸びたぞ。これでようやく成人男性の平均身長ではないか」
「いいもんか! これじゃあまるで使い古された宇宙人だよ! なんでこんなことになったのさ!!」
「おそらくですが……ルーカス様のお尻の下敷きになった時に、感染したのではないでしょうか……タイムワープ空間によるウイルスの変異で、唇ではなく頭に症状が出たのだと思います。ですが――」
説明中のデフォルトに、卓也は人差し指を突きつけた。
「何を冷静に分析してるのさ。一大事だよ! こんなの宇宙一セクシーな男が台無しだよ!! それもここはDドライブだぞ! こんな姿を撮られたらスキャンダルになっちゃうよ!! 薬は? それがなければ緊急手術だ!! 誰か僕の頭を切り開いてー!!」
卓也がパニックになればなるほど、ルーカスは手を叩いて喜んだ。
「散々私をバカにしてきた罰が当たったのだ。神は君を見捨てたのだ。わかるかね?」
「何言ってんだよ! ルーカスのせいだろ!」
「私のせいではない。トイレットペーパーがないせいだ。私だって唇が腫れたままだ。紙は私を見捨てたのだ。わかるかね?」
いつもの言い合いが始まりそうな雰囲気になったので、急いでデフォルトが間に割って入った。
「大丈夫ですから! お二人共最後まで自分の話を聞いてください。ルーカス様の唇も卓也さんの頭も同じです。タイムホールが開くためのキーとなっているので、今回のことが収まれば腫れは引くはずです」
デフォルトは宇宙人が四人写っている写真を見せた。
手元に鏡がないので、卓也は自分の姿を初めて第三者の視点で見ることになった。結果は絶望。まるでこめかみに銃を突きつけられているかのように、顔が真っ青になっていた。
「うそ……これが僕? こんな情けない姿を写真に残すなんて絶対に嫌だ……」
「ですが、写真を取らなければその頭は治りませんよ。一生そのままの頭でいるおつもりですが? 大丈夫です。あの写真を見て卓也さんだと思う人はいませんよ」
「じゃあ……なんで皆ここにやってくる僕を見てニヤニヤしてたのさ……」
「いいですか? 卓也さん。自分達は事情を知っていたので、見ただけです。この写真が世に出回ったとしても、卓也さんだと思う人は絶対にいません。リトル・グレイと書かれているのですから」
デフォルトはなんとか卓也を説得すると、まだ事情が読み込めない少年を連れて、ドアの前まで向かうことにした。
「あの……本当に写真を撮っていいのですか?」
人間だと思っていた卓也まで異星人だと思いんだ少年は、四人にすっかり怯えてしまっていた。
四人の宇宙人が自分に内緒でコソコソ話、あちこち連れて行かれるのだから無理もない。極めつけて、写真を撮れとわけのわからないことを言うものだから、不安になってしょうがなかった。
「えぇ、撮ったら地球に帰して差し上げますよ」
デフォルトはなるべく優しく話しかけるが、その言葉で自分はこの四人に連れされたのだと勘違いしてしまった。
デフォルトは訂正して説得しようとしたが、ラバドーラがこういう時は脅したほうがスムーズに進むと提案し、強制的にでも少年に写真を撮らせたほうがいいと判断したので、自分達は少年を連れ去った宇宙人一味だということにした。
だが、問題は少年のことだけではない。卓也が隠れて出てこないのだ。
卓也は「やっぱり……いや」とルーカスの背中に顔を隠した。
「卓也さん……少しだけでいいんです。写真の卓也さんも隠れるようにして写っていたので問題はないです。ですが、顔だけは見えるようにしてください。いいですか? 自分も今はデフォルトではありません。火星人です。卓也さんも、今は卓也さんではなくリトル・グレイなんです。演じてください」
「わかった……やってみるよ」卓也は目をつむると「僕は卓也のようなもの……僕は卓也のようなもの」と数度呟いてから、意を決して目を思いっきり見開いた。
その時に丁度少年の持つ地球のカメラのフラッシュが焚かさった。
それと同時に、そのフラッシュよりも遥かにまばゆい光が背後のドアから漏れ出した。




