第二十二話
「いいかね? 少年。あれが、重力制御装置だ」
ルーカスは天井付近で浮いている手のひらサイズの球体に指を向けたので、少年はそれに視線を向けた。
「……あれはスピーカーです」デフォルトは訂正すると、最初に触手で床を指して、次は天井、そしてまた床と、ぐるっと一周させた。「このタイプの重力制御装置は、回転で重力のベクトルを分散させているので、建物全体が回転しているんですよ」
「いいかね、少年。あれが酸素発生装置だ」
またルーカスが得意に説明すると、デフォルトがすぐに訂正した。
「……あれはエアダクトです」
「さっきから……いったいなんのつもりかね? 私の邪魔ばかりしおってからに」
ルーカスは足を止めると、まるでコンパスのようにクルッと振り返り、不機嫌な顔をデフォルトに近づけて言った。
「あまりに適当なことを教えるからです。いくら発展途上の時代とはいえ、宇宙で生活出来る技術を持っているのなら、既に利用されている技術のはずです。混乱させては未来のためになりませんよ」
デフォルトは触手を地球の未来人である、現在のルーカスに向けた。
この少年に教えたことは、今の自分に影響するということをしっかり自覚してほしいと、デフォルトにしてはキツめの口調で言ったのだが、ルーカスは心外とでも言うようにふんっと鼻を鳴らした。
「デフォルト君……わかっていないは君だ。ここで大きな夢を見せるからこそ、人類は発展するのだ」
「ルーカスの意見に賛成」と卓也が手を上げて言った。「回転式重力制御装置なんて古臭すぎるよ。これが完成形だと思ったらそこまでしかいけないだろう? 童貞が女の子に夢を持つのと一緒さ。僕もどれだけ完璧な女性を作り上げたか……」
卓也は目を細めると、若き日の自分の妄想を思い出してうっとりした。
「全然違う……」とルーカスは睨みを利かせた。「夢は夢でも悪夢だと気付かせてどうする気かね。女というのは、自分が気に入らないことがあれば、仲間を呼んで異論を無理矢理にでも正論に変えるような生物だぞ。そばにいる男もろくなものではない。股間の都合に自らが振り回されている。まったく嘆かわしい……男なら股間くらい自分の意思で振り回せ。そう、私は強く言いたい」
「ご立派な意見だけどさ、ルーカスの周りに変人が多いだけだと思うよ。僕はそんな女の子に出会ったことないもん。わお……驚き……僕でも出会ったことのない女の子がいるんだ……」
「君は女というものを知らんのだ」
「そりゃ知らないよ。女の子にすべてわかるって言ってごらんよ。絶対怒られるから。知らないふりをするのも男の役目。恋愛とは如何にバカを演じるかだよ」
「安心したまえ。それなら君は素でいける。演じるまでもない。私が言いたいのは、女は愚かで、男は惨めということだ……。そんな話していたか?」
ルーカスは首を傾げるが、卓也も同じように首を傾げるだけだ。ラバドーラに早く歩けと蹴られると、二人はまたあーでもないこーでもないと話しながら歩き出した。
そんな気の抜けるような光景に挟まれていても、少年は緊張した様子でいた。
未知の構造物に、未知の技術に、未知の知的生命体。今までに培った経験や、得てきた知識をフルに活用しても、脳が処理できないほどのものが目の前に広がっているからだ。
だが、それはデフォルトにとってもあまり変わらなかった。少年よりも知識も技術も経験もあるが、ここが未知の場所であることには違いない。なんの役割を担っているのかまったくの謎だ。
卓也の話では雑誌を発刊しているということだが、そもそもの目的がわからない。本当に雑誌を作っているのならば、乗り込んできた複数の異星人や、時空を超えてきた少年など一番のネタになるはずだが、誰かが現れる様子はない。それどころか警備ロボットの存在さえ見当たらない。
頼みのラバドーラは新しいことを覚えたての子供のように、システムに侵入するのに夢中だった。
今回は配線で直接繋ぐわけではなく、飛び交う電波から侵入を試みていた。電波の暗号化自体はレベルが高くないのだが、解析が終わる前に新しく暗号化されてしまう。そして、それは絶え間なく起こっている。一度電波が送受信されると、すぐに別の暗号方式されてしまうのだ。
このシステムが常用されているということは、一瞬にして一斉に情報機器へ伝達できる手段を持っているということだ。
「誰かかどうかはわからないが、ナニかがいることには間違いなさそうだ。敵意はなさそうだがな」
大抵はアンチウイルス対策がされているので、侵入しようとすればブロックだけではなく、無効化するように攻撃的なプログラムがされているものだが、今の所ラバドーラは異変を感じることはなかった。
「あまり刺激しないでくださいよ……。速やかに解決しないと、またタイムホールに巻き込まれるかも知れないんですから」
デフォルトは少年に目を向けた。
この少年がタイムワープしてきた原因が、このDドライブと呼ばれる惑星にあるはずなのだが、今のところは代わり映えのない長い通路が続いているだけだ。
通路脇のディスプレイに触れてみると、見たことのない異星人の文字で書かれた雑誌が浮かび上がった。
「へー、GOF銀河で一大リゾート建設だって。天然恒星にするか、加工恒星にするかで、銀河内で揉めてるらしいよ」
卓也はデフォルトの頭を押し込むように肘を乗せて雑誌を眺めては、適当にスワイプさせて次の記事へと飛んでいた。
次々と雑誌に書かれた内容を説明する卓也に、デフォルトは目を丸くして驚いた。
「読めるんですか?」
「画像を見ればわかる」卓也はわざわざ女性の画像の胸を触ってスワイプさせると、次の記事の説明を始めた。「銀河を漂う宇宙ゴミに抗議活動。別の惑星の有害微生物が付着した宇宙ゴミが無人惑星へ落下。新たな生態系が出来上がり、宇宙秩序を乱してる。だってさ」
卓也が動画もあると再生したので、デフォルトは注意深く見たが、卓也の言っているような記事には思えなかった。
「……裸の星人達が、意味もなく騒いでるだけのような気がしますが」
「よく見なよ。ほら、彼女なんて怒りに震えている」
「卓也さんが見ているのは女性の胸で、震えているのではなく揺れているんです……」
「なるほど……それで目が離せないのか。実によく考えられた抗議活動だよ。見事に宇宙に訴えかけている。僕も思わず立ち上がりそうになってくる」
「卓也さんが言うと意味が違ってきます……。気を抜きすぎですよ」
「僕が嘘を言ったって言うのかい? 奥の方をよく見てみなよ。ホログラムで訴えてるだろう?」
卓也が動画の一部を拡大すると、言葉はわからなくとも宇宙ゴミ問題を訴えているのがわかる動画が流れていた。
「手前の人達と、奥の人達で全然温度差が違うのですが……」
「そりゃ、わざわざ娯楽雑誌に送るような連中だもん。メッセージよりもスタイルが大事に決まってるじゃん。参加してる自分達を見てもらうことに意味がある。でも活動の場は、女の子に声をかけるのに絶好の場だよ。勝手にテンションが上がって、勝手に混乱してるんだもん。大きい声を出して賛同してれば。深いところで繋がった気になれる。翌朝に慣れば、向こうも冷静になってるから、後腐れもないというおまけ付き」
「きっとこの記事元も、卓也さんみたいな人が送ったのでしょうね……」
「デフォルト……僕はそんなことしないよ」
卓也が心外だという視線を浴びせてきたので、デフォルトは頭を下げた。
「さすがにそうでしたか……すみませんでした」
「いいよ。前に賛成派と反対派のデモにそれぞれ参加してるところが、たまたま雑誌に載っちゃって、両方からスパイ疑惑をかけられて大変だったんだから……。デモに参加する時は、カメラを持ってる連中には近付かない。これは鉄則だよ。その写真が何に使われるかわかったもんじゃない。失礼な連中だったよ。常識が欠如してるんだから」
「その人達も卓也さんに同じことを思っていたでしょうね……」
デフォルトはこれ以上余計な話を広げられても困ると、ディスプレイの電源を落とした。
それと同時に突き上げるような縦揺れが起こり、足に踏ん張りが効かなくなったところへ、すぐさま激しい横揺れに襲われた。
デフォルトは触手を天井と床につけて踏ん張り、なんとか少年は助けられたが、ルーカスと卓也は放り出されるように通路の奥へと飛んでいった。
揺れが収まると、少しだけ飛ばされたラバドーラがデフォルトの元へ寄ってきた。
「方舟にいたときと同じだ……。これは重力震だな」
「なにかキーになるものと接触したのでしょうか?」
デフォルトとラバドーラは過去に起こった同じ状況を思い出して目を合わせた。
「地震ですか?」と状況がなにもわからない少年に聞かれ、デフォルトが返答に困っていると、ラバドーラが「接触事故だ。ここはもうすぐ爆発する」と脅すように言った。
当然少年はパニックになり、腰が抜け、オロオロとしだした。
「ラバドーラさん!」とデフォルトは咎め、少年に手を貸そうとしたが、ラバドーラに止められてしまった。
「もう少しパニックにさせておけ。懐かれて色々知られる方が面倒だ。重力震が起こった原因はディスプレイの中にあるはずだからな」
ラバドーラはディスプレイを起動させると、膨大なデータの解析を始めた。宇宙ゴミ問題がキーになっているのか、デモがキーになっているのか、地球の情報がキーになっているのか、まずは絞り込んでみた。
その頃。ルーカスと卓也は遠くまで滑っていた。デフォルトやラバドーラと違って、服を着ているせいで摩擦係数が強く、滑りやすくなっていたからだ。
二人が止まったのは、行き止まりにぶつかったからだ。
ルーカスは壁に張り付くようにぶつかった唇をゆっくり剥がすと、お尻の下に敷いた卓也を睨みつけた。
「どうしてくれる……私の唇が更に腫れてしまったではないか……」
「僕に言わないでよ。僕だって頭をぶつけたんだから。嫌だよ……ハゲとか出来てたら……」
ルーカスのお尻の下から這い出してた卓也は、後頭部を押さえながら立ち上がった。
妙な痛みが広がる後頭部をさすりながら周りを見渡すと、あるものを見つけた。ドアだ。それもこの場には似つかわしくない、地球人の手に合わせたノブが付けられたドアだ。
その形から卓也は自然にノブを掴んで回したが、鍵がかかっているようでガチャガチャと引っかかる音がなるだけで、開くことはなかった。
「ルーカス、これなんだと思う?」
「なにも知らんのかね……」とルーカスはバカにしてため息をついた。「それはドアというものだ」
「ありがと。まさかルーカスがドアの存在を知ってるなんて思わなかったよ。ついでに、あのドアの向こうになにがあるのかも教えてよ」
「ドアと行ったらトイレに決まっているだろう」
「それ本気で言ってるの?」
「当然。通路の端にある変哲もないドアが、トイレではなく何だというのだね? 食堂でもあると言うのかね?」
「なるほど、確かにトイレは端にある。まさか……トイレに行くんじゃないだろうね。どうして、その顔になったか忘れたの?」
卓也が腫れに腫れた唇を指で弾くと、ルーカスは短く悲鳴を上げた。
「クソっ! 死角からとは卑怯な!」
「真正面からだけどね。腫れすぎて視覚がなくなってんじゃん。こんな場所でうんこなんかしてごらんよ。地面に下唇を引きずって歩くことになるぞ。まるでタヌキの玉袋だよ」
「キミみたいなアホと一緒にするな。私はトイレットペーパーを取りに行こうとしているのだ。もう二度とこんな顔にならないためにもな。わかったら、このドアを開けるぞ」
「そんなことが出来ないから、鍵がかかってるって言うんだよ」
「なら、バールでもなんでも探してきたまえ。行くぞ」
ルーカスが意気揚々と滑ってきた道を戻っていったので、卓也はズキズキと痛む頭を押さえながら後をついて行った
「そんな都合よく転がってるはずないのに……」
二人が呑気に歩いている間。ラバドーラはまだデータの解析をしていた。
デフォルトもなにか手伝いに慣ればと、適当に雑誌を捲って重力震が起こらないかと試していた。雑誌の内容はどの時代のものも、どの惑星向けのものでも、デフォルトにとっては有益な情報など一つもないものばかりだ。卓也の言った通り、文字が読めなくてもわかる。画像も動画も、一瞬の享楽を求めて生きていく星人ばかりが映し出されていた。
その中の一つに、見たことのある地球の文字が目に入った。
それは最初にここへ降り立った時に卓也達が見ていた雑誌のページで、『あなたに会いたい』というタイトルで始まるページだ。
それを見てデフォルトは驚愕した。
「ここにルーカス様が映っていますよ!」
「あぁ、それか」とラバドーラは目を合わせずに頷いた。「笑えるくらいそっくりだろ。今投影してる私そっくりの画像もあるはずだ」
「そっくりではないです。これは本人ですよ! 同じ宇宙服を着ているんですから」
デフォルトに言われて、ラバドーラは真偽を確認した。さっきは顔のインパクトが大きすぎて気にならなかったが、確かにルーカスも自分も同じ服を着ていた。
そして、さらにもう一つ。絶対にデフォルトでは気付かないことに、ラバドーラが気付いた。
「おかしい……。ここに掲載されている宇宙人が増えている」
ラバドーラは雑誌に映るデフォルトを指した。
自分の姿を見間違うはずもなく、デフォルトも「これは自分です」と断言した。
そして、もうひとり。ルーカスの影に隠れるように増えていた、頭の長い小型の宇宙人を指したところで、再び重力震が襲ってきた。




