第十八話
ワームホールから無事脱出し、宇宙生物も去ったことによって安全が訪れたので、デフォルトは今までの経緯を卓也に説明すると、卓也は「へー……そんなことがあったんだ」と他人事のように驚いた。
実際に他人事であるかどうかは、デフォルトとラバドーラが頭を悩ませて考えてもわからなかった。
元から卓也は男のことは九割は記憶に残らないし、女のことも付き合いが終われば忘れる。なので、過去にデフォルトとラバドーラと出会っていたかは覚えていない。
方舟にいる時は騒動の毎日だったので、特別二人が一緒だった時の騒動を思い出すこともなかった。『タイムホール』の鍵になったレストだけが『タイムワープ』の影響を受けた可能性もある。
デフォルトは「ファンキーオクトパスのマスコットをやっていたんですけど……覚えていないですか?」と聞いた。
「フットボールチームね……確かにあったような……。いちいち覚えていられないんだよ。方舟の中じゃ、シーズンごとにスポーツは変わるし、その度マスコットは一新されるしね」
「そういえば、ルイスさんの筋肉の付き方は、色々な運動をされて出来上がったようなバランスの良い筋肉でした」
「そいつは覚えてるぞ……いけ好かない奴だったろう」
「いいえ、自分には良い印象しか残っていません。どこが気に入らないのか知りたいくらいです」
「まず運動が出来るだろう。気風がいい、背が高い、人当たりが良くて、自信家でお調子者、皆に茶化されるくらいの丁度いい頭の悪さ、それを怒ることなく盛り上げる材料に使う。……なんて嫌味なやつだ」
「あの……ほとんど褒め言葉のようでしたが?」
「ほとんど女にモテるためにやってることだよ。なのに男にも同じように接する。だから嫌味でいけ好かないんだ」
「それはモテるためじゃなくて、自然体だからなのではないでしょうか?」
「なら、尚更たちが悪いね。自分は世界中から愛されてるとでも思っているんだろう」
「それは……ちょっとありそうでしたね」
デフォルトはルイスのことを少し深く思い出した。話しかけても嫌がられるとは微塵も思っていなさそうだった。パーソナルスペースに遠慮なく踏み込むタイプであることは確かだ。かといって、嫌いになる要素ではなかった。
しかし卓也は「そうだろう!」と、ここぞとばかりにルイスの気に食わないところをつらつらと述べ始めた。言いたいことを言い切って満足すると「そういえば、どうだった過去の僕は?」と急に聞いた。
「どうだったとは?」
「ハワード・ルイスで思い出したんだよ。エイミー・ハワードのことを。ちゃんと口説き落とせてたかい? もう……それだけが気が掛かりで気が掛かりで……」
「卓也さんの記憶にないのなら、口説き落とせてないのではないでしょうか? もしお付き合いされていたのなら、自分に聞いてこないと思いますよ。自分達が現在に戻った後のことはわかりませんが、いる間はラバドーラさんを熱心にお口説きになっていましたよ」
デフォルトは触手の先で、防音に使った耳栓を分解しているラバドーラを指した。
「僕が? こんなマネキンをかい? ……確かに良い膨らみはしてると思うよ。でも、こんなカチカチな機械の体だよ」
卓也がコツコツと肩を叩くと、ラバドーラは乱暴に振り払った。
「アイさんの姿のラバドーラさんをです」
「あの姿なら確かに口説く……僕の好みにぴったりだもん。でも……そうなると、僕はどっちのアイさんに先に出会ってたことになるの?」
「難しい話ですね……。過去と未来が交差していますから。もっと以前に出会っていた誰かかも知れません。それは卓也さんしかわからないことです。催眠裁判のように、関連付けたことから遠回しに記憶を引き出すことは出来ますが、無理矢理は引っ張り出せませんからね。卓也さんが思い出すしか、答えはありません」
卓也は「ふーん……」と少し考えてから、「まぁ別にいいや」とあっけらかんと言った。「会いたくなったらここにいるんだから」
「私に言うな」
ラバドーラは卓也に振り返りもせずに言った。
「いいじゃん別に。減るもんじゃないんだし」
「減る。エネルギーがな。……せっかく過去から積み込んだというのに、レストにほとんど使われてしまったんだ。卓也が明日死ぬのとわかっても、あの姿を投影などしない。出来損ないに媚を売っても意味などないからな」
「便利ロボットってのは、古今東西出来損ないに力を貸すのが相場って知らないの? 今だって便利道具を作ってるんじゃないの?」
卓也はラバドーラの手元を覗いた。
ラバドーラがいじっている耳栓に使った部品は、エネルギー変換器を改造した時に余ったものだ。宇宙生物の聴覚器官に貼り付けたものとは逆に、音波を電気エネルギーに変えるようにしてあるので、それを自分の体の邪魔にならない位置につけようと試行錯誤しているところだった。
「これは私の為のものだ。本来ならば、あの宇宙生物に付けた方のエネルギー変換器を使うはずだったんだ。わかったら邪魔するな」
「音を電気エネルギーに変えるなら、エンジンルームに置いて充電できるようにしたほうが良くない? 充電が溜まれば、いつでもアイさんの姿になれるってことだろう?」
「音波を電気エネルギーに変えたところで本当に微々たるものだ。そうでなければ、ワームホールから出る時のエンジン音で、二人共脳みそに電気が流れてショートしてる」
「それって、昔の死刑じゃん……。そんな危ないものを、よくも説明しないで付けさせたな」
「説明していたらゴネるだろう?」
「当然」
「なら、説明しない理由がわかったな?」
「いいや……僕は納得できないね。デフォルト! なんか言い返して!」
卓也はガツンと頼むと、デフォルトの背中を押した。
「ゴネられる時間はなかったので、自分も正解だと思いますが……。それより、電気エネルギーが微々たるものなら、無理に体に付ける必要はないのでは?」
「マルチエネルギー変換器だからな。変換できるのは音波だけではない。効率の良いエネルギー変換を模索しているところだ。問題は……部品の性能が悪すぎて自由がきかないところだ。……なにがマルチだ!」
ラバドーラは急に工具と耳栓を投げだした。
地球はまだ独自の規格を使っているので、小型になれば小型になるほど融通がきかない。地球の部品があるならまだしも、最初の改造で部品を使い切ってしまっている状況では、ラバドーラがいくら頭を使っても限界があった。
デフォルトは「まあまあ」と宥めると「どこか落ち着ける惑星に付いたら、今一度レストをメンテナンスも兼ねて確認しましょう。余計なものを取り除けば部品も使えますし、プログラムに触れなければラバドーラさんがフリーズすることもないでしょう」
「そうだな……」ラバドーラは静かに排熱して頭を冷やした。「ワームホールから抜け出したならば、まず行き先を決めなければな」
「そんなの決まってるじゃん! 『Dドライブ』だよ! ほら見て」卓也はモニターを操作してログを見せた。「ワームホールで運良く捕まえた回遊電磁波が、Dドライブのログを拾ってくれたおかげで、辿れば道のりはバッチリ。迷って惑星をフラフラするより安全だし、雑誌を発刊してるDドライブに行けば、他の惑星へのログも手に入るかも知れない。とりあえず行けば、それだけ道は開ける。なのに行かないバカはいないよね?」
卓也はデフォルトとラバドーラの顔を交互に見て同意を求めた。しかし、二人は顔を見合わせて言葉に迷っていたので、「言っとくけど、これ――二人が話し合って出したことだからね。過去の自分をバカだと思うならどうぞご自由に」と、どちらにせよ責任をなすりつけた。
「行く宛もなく彷徨うよりはいいかと」
デフォルトが聞くと、ラバドーラは頷いた。
「それがいいだろう。少なくとも、目的の惑星がわかっていれば、レストの燃料の配分が出来る」
卓也は念願の惑星Dドライブに行けると喜び、気も早く準備をしに部屋へと向かった。
それから少し経ち、戻ってきたのは卓也ではなく「……なにか忘れていないかね?」と、恨みを声に乗せたルーカスだ。
二人が同時に振り返ると、猫背のルーカスが鬼のような形相で睨んでいたが、その顔は唇を盛大に腫れていたせいであまり確認できなかった。
「どうしたんですか……その顔?」
「どうしたんだと? どうしたんだと聞いたか? そこのタコランパ。よし、ならば教えてやろう。これがトイレウイルスにかかった男の姿だ。君達が私を暴れさせるから、急激に悪化したのだぞ……」
「その体勢は……もしかして脊髄にまで感染するんですか?」
ルーカスの不自然な猫背に、デフォルトは慌てて駆け寄った。
「肛門が腫れているのだ……二倍にな。今すぐ安静にしなければならない……、一歩歩くだけで肛門がマッチを擦ったように熱い……本当に火がつくのならば、私はここに来るまでに百軒は放火してきたぞ」
大げさではなくルーカスの顔は真っ青になっていたので、デフォルトはうつ伏せになれるようなベッドを用意し、腫れた唇でも食べられるようなものを調理場に向かったが、途中で地球の病気なら卓也に詳しいことを聞こうと思い、寝室へと向かった。
「ルーカスが病気になって変?」
卓也は自分の写真ばかりが保存してあるタブレットから目を離して、走って部屋に入ってきたデフォルトを見た。
「はい……肛門が腫れて猫背になり、唇は真っ赤に腫れ上がり顔は血の気が引いて真っ青です」
「それって唇が顔の半分以上を締めて、鼻呼吸ができなくなったから口呼吸を繰り返すうちに喉が腫れて、そのせいで喉が乾燥して腫れて、喋るたびに下手くそが吹いたリコーダーなみたいにピーピー鳴り出したってこと?」
「いえ……そこまで変ではありません」
「ならまだ平気」
「そんなに変な病気なんですか?」
「ルーカスに限ってはね。だって普通のインフルエンザなのに、鼻毛肥大症にかかって窒息死しかける男なんだぞ。絶対普通じゃない症状になるに決まってる。僕らに出来ることは……」
「出来ることは?」
「おもしろ写真を撮ってDドライブへ送ることだ」
卓也は足取り軽くルーカスの様子を見に行った。そして、ベッドにうつ伏せに寝るルーカスを見ると、すぐさま盛大に笑い声を響かせた。
「どうしたのさ、ルーカス! そのお尻! まるでエイリアンの頭だ!」
普通なら肛門は二倍程度に腫れるのがトイレウイルスの症状なのだが、ルーカスは肛門どころかお尻全体が腫れ上がり、ズボンに収まらなくなっていた。
「笑うがいい……存分に笑え、私の苦しみなど君達ノーテンキ共にはわからん。理解できないことを、バカは笑って誤魔化すことはわかっている……だがな……だが……――だが、写真を撮るな!」
ルーカスは大声は卓也の持つタブレット端末のシャッター音と重なった。
「でも、ルーカス見てみなよ、これ。笑うなって方が無理だって」
卓也は撮ったばかりの写真をルーカスに見せた。
「ぶわっはっはっは! なんだこの尻は、まるっきりエイリアンではないかね!!」
ルーカスは自分のお尻を見て大声で笑うが、その振動で腫れた尻の谷間が擦れて痛みが広がったので、笑い声は叫びに変わった。
「なんて惨めな生物だ……」
ラバドーラの目に映るのたうち回るルーカスは、とてもではないが知的生命体の姿には映らなかった。
「ここにいる全員に責任があるのだぞ……」とルーカスはラバドーラを睨んだ。「私のデリケートな尻を気安く蹴ったせいで弱っていたに違いない。そこに触手の数しか能のないタコランパが腐ったものを私に食べさせ、発情期の猿よりも劣る自制心の男がトイレの管理をしっかりしないせいで、私はこうなっているのだ。そんな私になにをさせた? 下半身をむき出しにし、便器に縛り付けて放置したのだぞ。君達がワームホールから出たと歓喜の声を遠くに聞きながら、私は腹が冷え、痛む肛門からなんとか糞をひねり出して安堵の声を漏らしていたのだ」
想像するだけでもあまりに悲惨な光景なので、卓也は「わかったよ……看病すればいいんだろう。皆で」とため息を落とした。
「私は皆の中に入れるな」とラバドーラは拒否した。
「ルーカスはゴネると長いぞ……。僕らは寝られるけど、寝る機能がないラバドーラなんて格好の餌食さ。一緒に看病して、ルーカスを早く治した方が利口だと思うけど? それとも夜中ルーカスの恨み節を聞いてたい?」
「……貸せ」
ラバドーラは地球の病気を詳しく調べると、卓也からタブレット端末を奪った。
卓也とデフォルトはルーカスが、甘いものを食べたいと言うので保存食を確認しに向かった。
その途中、卓也は一度足を止めた。
「なんかさ……前に似たようなことをした覚えがあるんだけど、これもタイムホールの影響とかじゃないよね。同じことを繰り返すみたいな」
「そうでしたら、次は卓也さんが問題を起こす番なんですが……大丈夫ですよね?」
デフォルトはルーカスが宇宙生物の一部を食べて具合が悪くなった次は、卓也が勝手に宇宙船とコンタクトを取って燃料にされそうになったことを思い出していた。




