第十五話
「いったい……なにをしたんですか……」
デフォルトはレストの何百倍も大きな宇宙生物を見て、体の力が抜けていくのを感じた。頭の奥がジンジンと痺れるようで、自分は今何も考えられない状態なのだと。第三者視点で感じているようだった。
静かだが、確実にパニックに陥っている。それは宇宙生物が、明らかに何かをしようと体を丸めていたからだ。
「何言ってるのさ……」と卓也は眉を寄せた。「デフォルトが言ったんだろう。あの宇宙生物を利用してワームホールを抜け出そうって。だから僕達は宇宙生物を苛立たせようと、ずっとちょっかいを掛けてきたんじゃないか」
卓也はモニターの宇宙生物に人差し指を向けた。この体制になっているのには理由があると。
だが、デフォルトはまったく身に覚えのない事実に「自分が言ったんですか?」と驚愕するしかなかった。この話自体が嘘だと思わなかったのは、卓也の目が口説く時のように真剣そのものだったからだ。
「そうだよ。三日前、突然現れた宇宙生物を見て、デフォルトが言ったんじゃん」
「三日前……三日前の自分はなんと言ってましたか?」
「あの宇宙生物は、前に僕らが惑星と間違って降りた時の『流れもの』だって。だから大きな音を立てようって話じゃん。ワームホールの壁の音波エネルギーを刺激して、居心地の悪い空間にすれば、ワームホールをこじ開けて出ていくからって」
「すいません……変なことを聞くようですけど……自分達が出会った宇宙生物だという証拠はありましたっけ?」
「僕らが燃料のために剥がした傷が、証拠だって言ってたじゃん……どうしちゃったの?」
卓也はモニターを拡大して、流れものの傷跡を見せた。人為的に皮が剥がされており、あの時の宇宙生物に間違いはなかった。
「重ね重ねすいません……大きな音で対処してるとのことですが、どの音ですか?」
デフォルトは耳をこらすが、いつものレストのエンジン音が聞こえるだけだった。
「もしかして……ルーカス!!」と卓也は大慌てでエンジンルームへと向かった。
卓也の足音が遠くなるのを聞きながら、デフォルトは何も喋っていないラバドーラに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ではないな……過去にいた時とまったく同じ波形の微力な重力震を感じる。アイツが重力震の発生源だったらしい」
ラバドーラは睨むようにじっとモニターの宇宙生物を見ていた。
「タイムホール発生によるシンクロ現象でしょうか……。ということは、戻ってきたことに間違いはなさそうですね」
「だが、理想的に開けたわけじゃない。だからタイムラグが生じた結果、少し状況が変わってしまったらしい。変わった結果、あの宇宙生物ともにワームホールから抜け出せるなら願ったり叶ったりだ」
ラバドーラは今の状況を肯定的に捉えていた。この程度のパラドックスなら、なにも問題ないと判断したからだ。
パラドックス次元の時間介入というのは、呼吸と同じようなものだ。宇宙に存在するものならば、全てにごく自然に作用している。突拍子もない出来事や、思いがけもしないこと、まったく無意味にぼーっとしてる時間などがそれだ。パラドックスの時間修正は常時行われている。
生物のほとんどはそれに耐えうる構造を持っている。脳のニューロンと意識のタイムラグだ。そのレイコンマ数秒のラグが、パラドックスのギャップを処理する空白の時間だ。
だが、アンドロイドのラバドーラには『脳』という器官がない。なので、もし何かあったとすれば、真っ先に自分に変化が起こるはずだ。それがないのならば、気にする必要はないという結論に至った。
その説明を受けて、デフォルトも一応は納得を見せた。突拍子もない事ならば、ルーカスと卓也と出会ってからは、何度も経験してきたからだ。
まさに今もだ。この一大事に卓也が戻ってくることもなければ、ルーカスが姿を見せることもない。流れものにストレスを与える大きな音も一向に聞こえてこない。
なにか手を打ちたいが、現在のことを正しく知っているのはルーカスと卓也の二人だ。
二人に会って話を進めなければならないので、デフォルトとラバドーラは探しに歩いた。
その頃ルーカスは、こめかみに血管を浮かばせ、歯を食いしばり、睨むような目つきで眉を寄せていた。汗はダラダラと流れ、首の筋を浮き上がらせて唸り声を上げる。
その声があまりに大きかったので、デフォルト達はすぐにルーカスの居場所がわかった。
トイレの中だ。
卓也が「まだ?」と何度もノックをして急かしていた。
「なにをやってるんですか……」
「なにって……エンジンに燃料を放り込んで、エンジン全開で大音を立てるはずのルーカスがいないから探しに来たんだよ」
「この一大事になにをしてるアホめ!」
ラバドーラが力任せにトイレがある壁叩くと、ルーカスも力任せのノックを二回返した。
「何を言っている。腐った缶詰なんぞ食わすから、私は腹を下し、肛門がフリーパス状態になっているのだ。ラバドーラ!! キミが見つけたものだぞ!!」
ルーカスは大声を出した後、腹痛に耐える情けない声を漏らした。
「とりあえず、代わりにエンジンルームに行きましょう。ここにいて聞き耳を立てるのも悪いですし……」
デフォルトの言葉にうなずくと、卓也はトイレに背を向けた。
「確かに悪いね。気分が……」
その言葉に深く同調したラバドーラは頷いた。その時、右手を握られる感触があった。
「さぁ、行こう。案内するよ」
卓也はとても爽やかな笑顔で言うと、ラバドーラに向かって手を差し出した。手のひらを上に向け、握られてるのを待っている。
「何をしている……」
「なにってエスコートの基本だよ。足元が悪くなるからね」
卓也が距離をわずかに縮めるのを見て、ラバドーラは『アイ』の姿を投影したままなのを思い出した。
もう必要はないと真っ白なマネキンに戻ったラバドーラに、卓也は心底がっかりして肩を落とした。
「ああん……もう、あのままでよかったのに」
「私があの姿でいると、話が進まないだろう」
「じゃあ、さっさとどうにかしてよ」
卓也は差し出した手を引っ込めると、だらだらと歩いてエンジンルームへ向かった。
エンジンルームへ入るなり、見え覚えのある燃料タンクが散乱していたので、ラバドーラは思わず駆け寄って声を上げた。
「なぜ、これがここに!」
「なぜって、自分から出してきたんじゃん。エンジンの音を大きくするならこの燃料を使えって。二人共どうしちゃったのさ。どっかおかしいよ」
デフォルトとラバドーラは、卓也に言われたくないという言葉をどうにか飲み込んだ。ここでは卓也の言ってることのほうが正しいからだ。
ラバドーラは他に保管したものも弄られているかもしれないと、慌てて改造したロワーデッキへと向かった。
とりあえずやることがわかったデフォルトは、燃料タンクの整理を始めた。転がっている燃料の種類は様々で、自分なら燃料を入れる順番が大事だと伝えているはずだからだ。このエンジンで最大火力を出すにはどうすればいいかと考えながらも、少し前までいた方舟のことも考えていた。
自分の一族が滅んだ時には感じなかった喪失感に襲われ、ヒビの入った心が中心から少しずつ崩れていき、大きな穴をあけていくようだった。
仲を深め、友人と呼べる人物も出来たので、やりきれない思いだった。タイムパラドックスにより、方舟が爆発してないことを願ったが、自分がレストにいるということはそういうことだろうし、卓也に確認する勇気もなかった。
――だったのだが、「方舟が爆発してから、僕達の人生は爆発続きだね」とあっさり口にしたので、デフォルトは体の力が抜けて、持っていた燃料を落としてしまった。
「危ないよ。安全に作られてるとはいっても、衝撃は与えるなって書いてあるんだから」
「すいません……。自分の心にも色々と衝撃を受けたもので……」
「なにがあったか知らないけど、ここが正念場だぞ。ワームホールを抜けたら、念願のDドライブへゴーだ」
「そうですね。はい……――はい?」
デフォルトは聞き慣れないワードに思わず聞き返した。
「全宇宙人が憧れる星。『Dドライブ』だよ。あの僕が宇宙一セクシーな男性に選ばれた『裸の王様』が作られている権威ある惑星」
「それも……自分が行くと言ったんですか?」
デフォルトは触手で自分を指した。タイムホールに入る前には、そんな話題などなかったはずだからだ。
「言い出したのは僕。でも、回遊電磁波をキャッチしたのはデフォルトのおかげだよ。まぁ、それもあの宇宙生物が、穴を開けてワームホールに入ってきてくれたおかげだけどね」
卓也の話では、宇宙生物がワームホールに侵入する際に、様々な宇宙電磁波も一緒に流れ込んできた。それは、この宇宙生物のワームホールへの侵入方法が、ブラックホールを作って宇宙空間に穴をあけるという方法だったからだ。
自らの質量を変え、高密度に強い重力持つ物質に変化することで、周囲のエネルギーも一緒に引っ張られてしまう。
たまたまDドライブへ繋がる回遊電磁波をキャッチ出来たので、そこへ行けば地球へのログがあり、帰還できるかもしれないと考え、全員が賛同したとのことだった。
卓也は説明中ずっと嬉しそうに『アネンダ・デルルルカルド=ポニッシュ』という宇宙一セクシーな女性に選ばれた彼女のヌード画像を見せていた」
「それは……」とデフォルトは目を見開いてタブレット端末に顔を近づけた。
「デフォルトまでこの反応とは……宇宙一セクシーな美女は違うね」
卓也は自分も異論はないと誇らしげな笑みを浮かべていた。
「この画像は確か、途中までしかダウンロード出来なかったのでは?」
「えぇ!?」と卓也は驚愕した。「これより、凄い画像もあるっていうのかい? どこに? 見せないと……僕は、僕はおかしくなっちゃうよ! おねがーい! 見せてよぉ!」
卓也はデフォルトの触手を掴むと、縄跳びでも弄るように振り回して懇願した。
「違いますよ、この画像は回遊電磁波の受信の失敗によって、途中までしかダウンロード出来なかったのでは?」
「なるほど……つまりこの画像は、本来はホログラムで三六〇度どの角度からでも、マニア歓喜で鑑賞できるスーパーアイテムということだね?」
「……違います」とデフォルトは項垂れた。詳しく話してもしょうがないので「どうやら、疲れているせいか記憶が混濁しているようです」と誤魔化した。
「そうだね。なんかずっと変だもん。疲れてるなら、休んでてもいいよ。バーンっと燃料くらいささっと入れておくから」
卓也はまかせろと笑顔を浮かべて、空の燃料タンクをセットしようとしたので、デフォルトは「お気遣いなく」と断って、自分で続きを始めた。
「本当に大丈夫?」
「気持ちだけでも嬉しいですよ」と言ったのは、デフォルトの本音だ。過去の方舟にいた時ならば、卓也はここまで自分を気にかけてはくれていないだろう。関係を深めてきたことを実感し、喪失感であいた心の隙間から、じんわりと温かいものが湧き出てくるのを感じていた。
だが、ほっこりしていられる時間は短く、「やられた!!」という大音量のラバドーラ声が聞こえたと思うと、走る足音がまっすぐエンジンルームに向かって来るのが聞こえた。
エンジンルームに戻るなり、ラバドーラはデフォルトに聞かれる前に「残ってるのは保存食だけだ!」と大音量で言った。
卓也は他人事のように「うるさいなーもう……」と耳をふさいだ。
「あんなに過密に詰め込んだ燃料をどうしたんだ! あれは私のエネルギー分も含まれているんだぞ!!」
ラバドーラは卓也の胸ぐらを掴む勢いで詰め寄ったが、デフォルトに羽交い締めにされて止められた。
デフォルトは「ラバドーラさん……」と小声で話しかけた。「燃料は過去の時空で秘密裏に保管したものですから、卓也さん達は燃料のことを知らないはずです。許可したのは自分か、ラバドーラさんのどちらかかと……」
ラバドーラは一度冷静になって、床に転がっている燃料タンクと、デフォルトが並べ直している燃料タンクの数を確認した。
「いや……それにしても減りがおかしい。もっと持ち込んだはずだ」と自分自身に言い聞かせるように言葉にし、状況を整理していたラバドーラは、少し前の記憶メモリにアクセスし驚愕した。「起きてから、私達の姿を見ていないと言っていたな……その間は誰が指揮をしていたんだ?」
「指揮っていうか、言われたとおり燃料を入れてたよ。タンクも燃料にしようと思って投げ込んだら、溶けるばかりで燃えなくて、火力を上げるのに苦労したよ……いくつ燃料を足したことか」
卓也はひと仕事を終わらしたように満足げな笑みと、汗を浮かばせた。
ラバドーラは一度シャットダウンしたかのように動きが止まった。だが、すぐに動き出して、落ちている燃料タンクを担ぎ上げた。
「……あの宇宙生物は大きな音を出せば怯んで、ワームホールに穴をあけるんだな?」
「情報を統合するとその可能性が高いです。微弱な重力震はその前兆だと思います。ブラックホールを作っている最中かと……出来上がれれば、重力に引っ張られて、あの宇宙生物ごと宇宙空間へ放り出されるはずです」
「なら、燃料を全部注ぎ込め。少しでも宇宙生物がこの空間にいたくないと思わせるんだ」
「いいんですか?」
「ここまで燃料を使われて、ワームホールから出られないほうが問題だ。スクラップになるのならば、宇宙空間がいい。その方が復活できる可能性は高いからな」
ラバドーラはエンジンルームをデフォルトと卓也に任せると、ルーカスも働かせる為にトイレがある部屋へと向かった。




