第十四話
その日は朝から昼まで、重力震の話題で持ちきりだった。揺れたのが就寝時間だったこともあるが、あまりにも大きな衝撃だったせいで、方舟のあちこちのシステムに異常をきたしてまったのだ。
今はサブシステムを稼働して賄っている状態で、ほとんどの乗組員は作業に当たっている。
レストで夜を明かしたデフォルトとラバドーラには、その光景が異常なものに見えていた。というのも、レストで体感した揺れは、こんな事態を引き起こすほどの衝撃はなかったからだ。
だが、ものすごい衝撃があったことは事実だった。デフォルトもラバドーラもプロフィールを優秀な人物として登録しているので、修復復旧作業に連れ回されて、あちこちの被害状況を実際に目で確かめることが出来たからだ。
レストだけが違う次元に浮かんでいたかのような被害の少なさだった。
「やはりタイムホールを開こうとしている影響でしょうか? だんだん次元のズレが明確になってきたような気がします」
「それもあるが、こんな貧弱な宇宙船で宇宙に出るからだ。見て回れば見て回るほど、欠点ばかりが浮かび上がってくる。設計者は何を考えて作ったんだ。乗っているのがだんだん不安になってきた……」
「自分はレストでの生活が長かったので慣れましたが、確かに無理やりな作りが多いですね。何に使うのかわからない機能もたくさんありますし、きっと考え方が根本から違うのでしょう」
二人は喋りながらも作業の手は止めない。修理というよりも、破損箇所を目立たせる。自分達で修理をすると、地球人の技術では扱えなくなってしまう恐れが出てくるから、あまりおおっぴらに手を加えることは出来なかった。
破損はデータにも起こっており、こっちの修復にはしっかりと手を加えた。デフォルトとラバドーラのIDカードはマスターキーにもなっており、どの部屋の扉も開けることができ、どのデータファイルも開く事ができる。
これでタイムホールを開くための準備に余計な時間を掛けずに済む。出来るなら今日にでもという気持ちが大きかったが、二人は結局夜まで修復作業を手伝うことになったので、この日はなにもすることは出来なかった。デフォルトには疲労がたまり、ラバドーラも中途半端という作業を繰り返さないといけないストレスに熱がたまり、情報処理能力が遅くなってしまったので、ハッチ室で静かに過ごしていた。
他の乗組員も皆同じようなもので、方舟の一大事を解決するために各々が動いていたので疲れ切っていた。作業に当たらなかったのは、怪我や病気の一部の者達と、作業をさせてはいけない二名だけだ。
後者の二名は、部屋にロックが掛けられて外に出ることが出来ず、一日の殆どを寝て過ごしていたため、元気が有り余ってしょうがなかった。
暇になった夜。当然おとなしくしているわけもなく、警備が少なくなった方舟の中を堂々と出歩いていた。
「見てよ、ルーカス。僕ってば、影までイケてる」
卓也は壁にうつった長く伸びる足の影を、奇妙に動かしてポーズを取った。
だが、ルーカスがライトの位置を変えると、まるでアナグマのように足の影が短くなった。
「たしかにイケてるな。君にはなんともお似合いな短足だ」
「短足はルーカスでしょ。僕は身長の割に足は長いんだ。なんなら横に並んでみようか?」
「君に残された小さなプライドを傷つけないためにも、私は拒もう。私よりも、背も低ければ、頭も悪い。全てにおいて私に劣る君だが、唯一残された足が長いという妄想まで砕いてしまっては、生きていけないだろうからな」
「僕は死後の世界も楽しみにしてる。だって、今いる地球の何千倍か何万倍か知らないけど、とにかくたくさんの女の子がいるんだぞ。僕にとっては一流ホテルのビュッフェみたいなものさ。問題があるとすれば、食べ過ぎないかだけ。でももし食べ過ぎたとしても、看病をしてくれるのも女の子だ。天国ってのは本当にあると思うんだ」
卓也は神にでもお祈りするように両手を合わせながら言った。
「何を言っている。死人の八割は地獄で、さらにその半分は男だ。君に都合のいい世界など広がってなどいるはずもない」
「地獄大歓迎。男は無視だし、あまりに純情な女の子って苦手なんだよね」
「何を言ってる……女と見れば見境がなくなる、欲望に脳みそを支配されたような男ではないかね」
「パクチーが苦手っていうのと一緒。でも、旅行先とかで雰囲気に流されて食べることもあるじゃん。それと一緒。あとは、お酒を飲んで味がわからなくなった時とか」
「私は純情大歓迎だ。純情、従順、服従。私が女に求める三大要素だ」
ルーカスは人差し指から順に、中指、薬指と指を立てると、全宇宙の女を見下すように鼻で笑った。
「それって……別に女の子に限った話じゃないじゃん。ルーカスがいつも言ってる、自分が惑星を支配したときの国民の条件ってやつでしょ。そういう差別的で退廃的な考えと、支配欲にまみれた妄想をどうにかしないと、絶対将来なにかをやらかすぞ」
「文句があるならば、あの暴力女にも同じこと言いたまえ。なにかと私に難癖をつけて、尻を蹴りたがる……わけのわからん女だ」
「僕もそこがわかんない。なんで彼女は僕よりも、ルーカスに絡みに行くのか。普通地球人の女の子は、一回ルーカスに絡んだらそれ以降ゴキブリと同じ扱いをするのに。まさか……ルーカスに興味があるってわけじゃないよね」
卓也の心配そうな顔を見て、ルーカスは勝ち誇って鼻の穴を広げた。
「だとすれば、男としての格の違いだな。君とは違い、私は一人の女に深く愛されるタイプなのだ。この方舟に乗る前に惚れられた女などしつこかったぞ、いくら突き放しても私の元を離れないのだ。勝手に食事を用意し、掃除をし、添い寝までする……」
「それって、お世話ロボットの話だろ。バグによって更生プログラムが甘やかしモードに入ったまま戻らない、メイドLOVExxx-2型の金髪モデル。エッチなことが出来る違法パーツまで出回って社会現象になったやつだ」
「違う」
「絶対そうだよ。だって僕も欲しかったんだもん。気付いた頃には回収騒ぎ。あと一歩早ければ手に入れられたのに……」
「無機物にまで欲情するとは……なんて情けない男だ……。私のは尻の穴まで拭こうとすストーカー女の話だ。婚姻届でドレスを作るようなイカれた女だぞ」
「ルーカスの性格が、そういうマニアックな女の人を呼ぶんだよ。ロボだって異星人だって、僕は差別しないだけだよ。ほら見て」
卓也はタブレット端末の電源を入れ、立体映像を投影させると、アネンダ・デルルルカルド=ポニッシュ。という青い肌の異星人の女性がいくつもポーズを取っていた。
「なんだ……この南国にいる生臭い魚類や、いかにも毒を持っていそうで持っていない虫けらと同じような青い肌をしたやつは」
「僕のイチオシの女性さ。宇宙一セクシーな女性を選ぶっていう企画にエントリーしてるんだ。次々号の『裸の王様』が待ちきれないよ。ようやく投票できるんだ」
「裸の王様というのは、あの低俗の品性の欠片もない宇宙雑誌のことかね?」
「いいや、違う。次号に発表される宇宙一セクシーな男って企画の最有力候補が僕っていう魅力的な雑誌。言っとくけど、宇宙で一、二を争う情報雑誌だぞ。方舟で購読してないのはルーカスくらいのもんさ」
「私はアホに踊らされる趣味はないのだ。君達が流行というバカ過敏症にかかっている間、私は常にスキルアップを目指している。私が目を通すものはすべてに意味があるのだ」
「知ってるよ。昨日も宇宙船操縦士の資格試験の本を買ってただろう。皆言ってるよ。本を買うよりも、賽銭箱に入れて神頼みをしたほうが確率が高いって。僕もそう思う、だってアホだもん」
「いいかね? アホと言うほうがアホなのだ」
「ならルーカスもアホじゃん」
「アホというのは、君のことだ。みなさーん、ここにアホがいるぞ!」
ルーカスが大声で言うと、拓也も負けじと大声を出した。
「いま大声を出してるアホはルーカスですよー」
二人が通路で大声で話しているのは、昼間の騒動でみんな疲れて寝ているからというだけではない。
昼間の騒動のどさくさで手に入れたお酒を片手に歩いているからだ。
すっかり酔って気が大きくなっているが、多少の騒音では起きないほど乗組員は疲れているし、ラバドーラが自分が動きやすいようにと警備ロボットの探索範囲を極端に狭めたので、ルーカスと卓也の二人は誰に求められることなく酔ったままレストに向かっていた。
二人にその後の昨夜の記憶はなく、起きた時にはデフォルトに看病されていた。
「あまり脳に作用するものは摂取しないほうがいいですよ。特に重力震が発生しやすい時に飲むと、重力制御に以上が出た場合に脳に損傷を受ける場合があります。それに卓也さん達のように、星に生まれる生命体は宇宙空間にストレスが溜まりやすいので、様々なものに依存しやすく危険なのですよ」
デフォルトの注意は、ズキンズキン波打つような頭痛のせいで、二人の耳にはまったく入っていなかった。
「いったい……なにをしていたんですか……」
デフォルトは汚れも汚れたレスト内を見てため息を落とした。一晩で汚く出来る限界にでも挑んだのかと思えるほどゴミが溢れかえっているからだ。
「僕も知りたいよ……」
卓也は大きなあくびをすると、突然強くなった頭痛に顔をしかめた。
「私は思い出したぞ……」とルーカスは落ちている保存ケースを拾いながら言った。「この中に入っている食べ物は味が薄いから、缶詰に入っている保存食を探そうと歩き回ったはずだ」
「それで……」
デフォルトは企業コードの入った缶詰の山に納得がいった。いくつか開けられているが、一口二口食べただけで中身は残ったままだ。酔って歩いているうちに限界を迎え、レストに戻った時に意識も朦朧と半分寝ていたので、集めた九割は手付かずのままだ。
「寝る……」と床に再び突っ伏した卓也とルーカスだが、このままここに寝かせておけないとデフォルトはなんとか起こした。
「片付けはやっておきますので、お二人共部屋に戻って休んでください」
デフォルトは封の開けられた保存食を二人に持たせると、出入り口まで送っていった。
デフォルトが朝からレストに来た理由は、通路にいくつも缶詰が落ちていて、それを広い集めながら辿ってきたからだ。
すべてを拾ったかどうかはわからず、二人の仕業だとバレるのも時間の問題だろう。そうなれば、レストの中を調べられてしまう。
だが、奇しくも保存食を集めることが出来た。今この瞬間がタイムホールを開くチャンスなのではないかとデフォルトは考えた。
ロワーデッキを改造した保管庫に、ルーカスと卓也が持ってきた保存食を並べていると、方舟を覆うような変化を敏感に感じ取ったラバドーラもレストとへとやってきた。
「おかしいぞ。計測器に映らないような微弱な重力震がずっと続いている。遠くで圧縮した力が漏れ伝わってきているみたいだ」
「大量の保存食が運び込まれたせいでしょう」
デフォルトは先程のこと説明をしながらも、触手はしっかり動いて、保存食をしまっていた。
「なら、これをすべてしまい終えると、タイムホールが開く可能性があるな」と、ラバドーラも手伝った。
しかし、全てをしまい終えてもタイムホールが開くような衝撃はない。
微弱な重力震は続いているので、一度の外の様子を確認しようと、二人はロワーデッキから出て、ここがルーカスと卓也に見つからないようにカモフラージュすると、いきなり轟音が響き渡った。
しかし衝撃はない。だが、明らかに外の雰囲気が違っていた。
窓から外を見ると、赤く照らされサイレンが鳴っているようだった。しかし音は聞こえず、まるでコマ送りのように博物館内の装いや情景が変わっていった。
ルーカスと卓也が何度もこちらに向かってきて、同じ数だけ出ていく姿が見え、時折見たことのない人が博物館の内装を変えている。
徘徊する案内ロボだけが規則的な周期で窓の外に現れる。
レストの前に案内ロボが移動してくるのは六時間に一回、四回姿を一日が終わるということだ。
レストの周囲は何百倍もの速度で時間が流れていた。
ラバドーラの「タイムホールが開いたぞ!!」という言葉がなければ、デフォルトはずっとその光景を眺めていたかもしれない。
だが、このタイムホールに入らなければ、また別の次元に取り込まれる可能性が出てくるので、デフォルトは触手を急がせて、ラバドーラの声がしたハッチ室へと向かった。
ハッチはラバドーラの手によってすでに開かれており、その向こうはまるで鏡のように同じ景色が繋がっていた。
「これでようやく戻れる……」
ラバドーラは一足先にハッチをくぐり抜けるが、デフォルトは一度立ち止まって振り返った。もしかしたら、あのまま地球の宇宙船に乗ったままでも、自分は適応してやっていけたのではないかと思ったからだ。
だが、深く考える前にラバドーラに「早く来い」と、手を引っ張られたので後悔は少なくタイムホールが開いたハッチへと飛び込んだ。
くぐり抜けた先では、ハッチは閉まっており。しばらく開けてないという証拠の埃が溜まっていた。
ここが元のレストだと確証したのは、デフォルトとラバドーラの名前を呼ぶルーカスと卓也の声がしたからだ。
二人がハッチ室を出ると、姿を見つけた卓也が「よかった……ここにいたんだ」と胸をなでおろした。「起きてから姿を見ないから心配してたんだよ」
過去の卓也とは違い、一番に自分を心配してくれる卓也に思わずデフォルトは笑みがこぼれた
「すいません。少し……用事を済ませてきました。それで、どうしたんですか? 朝ごはんですか」
卓也は「朝ごはんってあれ?」と操縦室に人差し指を向けた。「食べるつもりなの?」
「あれとは?」
操縦室に向かったデフォルトの目に入ったのは、モニターに映る巨大な宇宙生物の姿だった。




