第十三話
数日経ち、ラバドーラはレストの端まで響くようなため息を落とした。音量を大きくしないと排熱音まで聞こえてしまいそうだからだ。
「……保存食という話はどうなったの?」
カレーにパスタに寿司。それに揚げ物とスープが入った性六角柱形の容器が、テーブルいっぱいにずらりと並べられている。
「これが保存食だよ。どんな環境下でも、中身がナマモノでも二年間も保つんだから。それも、この容器に入れてスイッチを押した瞬間から、この容器の中の時間は止まる。つまり二年間いつでも出来たてが食べられる。栄養も食感も変化なし。タイムホールへの活用も期待されている新技術」
「それができれば苦労しないだろ。バカが……」
ラバドーラの言葉は、卓也が容器を空ける音でかき消され、まるでその場でスパイスを熱したような匂いが漂い始めた。
「なんか言った?」
「いいえ」
ラバドーラがニッコリ笑って返すと、その笑顔に気を良くした卓也が続きを話し始めた。
「来月がちょうど二年目。新技術のお披露目会ってわけ。でも、僕達はそれを先取り。うーん……一流のシェフの味」
卓也はカレーをひとくち食べて、この上なく幸せそうな表情を浮かべた。
「誰でも作れる、家庭の味って書いてあるわよ」
ラバドーラが容器に書いてある説明を読み上げた。
「カレーなんてママが作ったのが一番だ。つまり一流のシェフと一緒。君も食べてみなよ」
上機嫌の卓也とは違い、ラバドーラは浮かない顔だった。
「なにも……こんな騒動になりそうなものを持ってこなくても……」
卓也はラバドーラを喜ばそうとして味重視の保存食を持ってきたのだが、来月に保存期限が切れるものをいくら持ってこられても困るだけだった。せめて燃料になればいいのだが、容器がどんな環境下でも耐えられるように作られているせいで、レストのエンジンが耐えられるほどの炎で燃えることはなく、これを蓄えておいてもゴミが増えるだけだ。
それとなく普通の保存食を持ってくるように伝えるが、卓也は良い印象を与えようと余計なことをするばかりで、計画通りにことが進まなかった。
それどころか、来月のお披露目会までという期限がついてしまった。それまでにどうにかタイムホールを開けないと、保存食がなくなったことに気付かれ、ここが見つかるのも時間の問題だからだ。
幸い元の時間軸に近付くと、重力震が発生することがわかったので、レストにあるものが余計なものか、必要なものかは翌日になればわかる。
だが不幸にもこの数日の間、重力震はすっかり収まってしまっていた。つまり、不必要なものばかりが運び込まれていたのだ。
「どうしたの? 食べないの? 匂いが気になるなら、サラダもあるよ」
「どうしようか考えてるのよ……こんなに持ってきて。また怒られるわよ」
「バレるなんてまだまだ先の話だよ。それに、怒られるとしても僕じゃない」
卓也が含みのある言い方を擦ると、卓也の頭を背後から影が浸した。
「それは私が怒られるからかね……」
ルーカスは怒りの滲んだ声とツバを卓也の後頭部に向かって飛ばした。
「まさかそんな……すぐに人を疑うのは悪くないよ」
「ならば、なぜ私の書類が金庫室の中から出てきたのかね?」
宇宙船で使われる紙類は限られているので、誰のものかがすぐわかるものだ。昇任試験や重要書類のサインなど、今では紙のほうが貴重で、宇宙船の中では複製も難しいので、重要な場面で使われている。
ルーカスが手に持っていたのは、次の昇任試験のエントリーの為の書類だ。これがなければ、試験を受けることが出来ないので、なくす者などいない。名前など書いていなくても、一人ひとりに聞き込みをすれば紛失した者はすぐにバレてしまう。
「ルーカスの肌にくっついてたんじゃないの? ほら緊張すると汗を掻きやすいじゃん」
「そうかそうか、私の祖母の写真を開いたままで、私のタブレット端末が横に添えてあったのはなぜだ?」
「わかった……認める。実は僕……夢遊病なんだ。だから昨夜の寝てからの記憶はなにも……」
「この期に及んで、普段の女遊びの言い訳にも繋げたのは大変立派だが、私がやられっぱなしでいると思うのかね?」
「僕は試験を受けないから書類なんか持ってないし、タブレット端末も持ち歩いてる」
「ならばIDカードはどうかね?」
ルーカスはしてやったのだと得意げに笑みを浮かべるが、卓也は首を傾げてポケットに手を突っ込んだ。
「ここにあるよ」
「そんなはずはない。私は確かにIDカードを金庫室の床に置いてきたはずだぞ!」
「ルーカスってば、バカだから自分のを置いてきたんだろう」
「私のはここにある」
ルーカスはIDケースを取り出すと、中にIDカードが閉まってあるのを確認した。
「……それじゃあ、私のIDカードはどこ?」
ラバドーラはうんざりと頭を垂れた。卓也にプレゼントされたミニバッグの中を見ると、自分のIDカードがないからだ。
部屋に入るにはIDカードがいるのだが、ラバドーラには部屋がなく、デフォルトのように買い物をすることもない。使う機会がまったくないので今の今まで、IDカードの紛失に気付かずにいた。
ルーカスは「あーっ!」と、ラバドーラのミニバッグを指した。「それは先日、卓也が買っていたミニバッグではないかね」
「そうだよ。彼女にプレゼントするのに買ったの。……まさか僕のだと思ったわけ? こんなあからさまな女性物のバッグをかい?」
卓也はアホを見る目でルーカスを見たが、ルーカスも同じくアホを見る目で見返した。
「レズビアンを口説くのに女装までした男が言う言葉かね? あのときは下着まで女物で、スカートまではいていただろう……」
「なんだよ、似合ってただろう。それにパンツを脱ぐのに手間取らなければ、上手くいってたんだ。あんな小さいのよくはいていられるよ。はいてる間中ずっと息子が千切れるかと思ったよ。まぁ、今となってはいい思い出だよ。良い夢を見させてもらった」
「あの女にとっては悪夢以外なんでもない」
ルーカスがやれやれと首を横に振ると、そのタイミングに合わせてラバドーラが左頬を平手打ちした。
「私は今現在悪夢を見てる最中なんだけど? 私のIDカードをどうしてくれるの?」
「悪夢は私だ! 何度男を叩いたら、そんなに硬いタコが手のひらに出来るのだ! きっと私の左頬にはミミズ腫れが出来ている……どうしてくれる!」
ルーカスが凄んで顔を近付けてくると、ラバドーラは右の頬を平手打ちした。
「これで同じよ。次に同じ文句を言ったら、顔面に拳をぶつける。――でも、きっと言うでしょうから、先に殴っとくわ」
ラバドーラははっ倒すようにルーカスの顔を殴ると両足を掴んだ。
「こら! なにをする! うぶ……」
暴れるルーカスを、ラバドーラはまるで洗濯物でも干すように上下に振って床に叩きつけて黙らせた。
「案内させるのよ。その金庫室まで。もうひとりのアホもついてきなさい。その保存食を持って」
ラバドーラは卓也に保存食の入ったケースを持たせると、IDカードが誰かに見つかる前に金庫室へと向かった。
金庫室は当然ながら警備されている。カメラにセンサー。どれも地球の技術では最高峰のものだ。
しかし、ラバドーラにとっては何世紀も昔の技術に等しい。なにも道具が揃っていないレストの中ならともかく、道具が揃っている方舟の中ではバレずに侵入することなど容易い。
今の地球の技術では人より物に頼ったほうが確実なので無人なのが幸いし、金庫室のカメラに映らない遠くから、壁の配線と自分の配線を繋いでハックするだけだ。
一応は自分と壁の配線の間に盗んだ機器をはさんで、アンドロイドだとバレないようにしたが、ルーカスは不機嫌にそっぽを向いているので見ていないし、卓也はラバドーラの手元ではなく谷間を見ているのであまり意味がなかった。
「わお! 美人女泥棒って、どうしてこうドキドキするんだろう」
興奮気味の卓也に、ルーカスは冷静に答えた。
「相手が犯罪者だからだ」
「わかってないんだから、ルーカスは。心を盗まれて出来た空間で、心臓が高鳴るあの瞬間。いつ体験してもいいものだよ」
「よくわかっている。女もほうもよくわかっているぞ。右乳首を二回ひねれば、君の金庫が開くことまでな」
「開かせるまでが男の甲斐性だよ。上と下だけが本物の札束を詰め込んでおけば、安物金庫でも本物に見える」
「少しは本物の金庫に、本当に大事なものでもしまっておいたら?」
ルーカスと卓也の二人が話している間に、ラバドーラは金庫室の扉の前に立っていた。
「もう、ハックしたの?」
「そうよ。あなた達が無駄話している間にね。少しは時間を有意義に使うってことを覚えたら?」
ラバドーラは一人でさっさと金庫室の扉を開けて中へ入っていった。
金庫室と言っても、お金や宝石のような財産が入っているわけではなく、惑星探索の間に手に入れた重要なものや、漏洩してはいけないような技術を保管しておく場所だ。
ルーカスと卓也が侵入出来たのは悪運の高さからだ。たまたま一ヶ月後の保存技術の研究発表会の準備のために、金庫室への人出入りが多くなったのを利用し潜り込んだ。
侵入がバレれば冷凍拘束され、地球に帰還したのち裁判にかけられるような重罪だが、二人はそんなことを微塵も考えずに、ただ思いつきで行動していた。
ラバドーラは思わず笑っていた。二人の行動がおかしかったわけではなく、こんな技術を機密に保管していることにだ。どれも宇宙技術としては低レベルだった。
「あった! これだよ」と卓也は拾ったIDカードをラバドーラに渡した。
ラバドーラは「そうね、ありがとう」とお礼を言いながら、ある一点をじっと見つめた。
そこには、これから宇宙で試そうと積まれた、地球の最新技術で作られた試作品が置かれていた。
「こんなのに興味あるの? マルチエネルギー変換機器だって」卓也は自分のタブレット端末で情報を読み取ると笑いを漏らしながらルーカスを呼んだ。「ルーカス、これ見てよ。原始人でも使えるレーザー無線だって」
卓也が見せたタブレット画面からは3D映像で原始人が焚き火の周りで動いていた。
そのマヌケな映像につられたルーカスは「どれ、よく見せたまえ」と画面を覗き込んだ。「なになに……この機器を使えば、焚き火の熱エネルギーも、お手軽に電気エネルギー変換できる。どんな状況下でも、位置エネルギーさえも電気エネルギーに変換することが出来る。それを使いレーザー無線で連絡を取り合えば、宇宙での遭難確率は減る。大変だぞ卓也君……原始人が過去から襲ってくるぞ」
ルーカスは演技ぶって言うと、バカにした笑い声を響かせた。つれらて卓也も大笑いをしているが、ラバドーラは真剣に映像見ていた。
「気に入ったわ」
位置エネルギーも電気エネルギーに変換できるならば、重力コントロールさえできれば永久的に電力を作り出すことが出来る。地球の技術がそこに至っていないのはわかっているが、これを改良すれば自身のエネルギー問題を解決できるかもしれないからだ。
「――それで、持ってきたんですか? こんなに色々なものを……。浮かれ過ぎなのでは?」
レストに運び込まれた荷物を見たデフォルトはいい顔をしなかったが、ラバドーラもデフォルトの格好を見て色々言いたくなっていた。
「その姿には言われたくない」
デフォルトは色とりどりの塗料でフェイスペイントされており、触手がすべて入る特別仕様のユニフォームを着て、ファンキーオクトパスのロゴ入りのタオルを何枚も握りしめていた。
「……勝ち越しが決まるかどうかの大一番の試合だったもので。ですが、大丈夫です。勝ちました」
デフォルトはぐっと触手の先を丸めて意気込んだ。
「私がバカ二人の相手をしている間に、球蹴りの応援とはな……。今ここにあの二人がいれば、立派な三バカだぞ」
今は地球時間で深夜。ルーカスと卓也はラバドーラに何回も荷物を運ばされて、疲れてしまったのでレストにはいなかった。
「すいません……今までの生活にない刺激だったもので。いいものですね、一丸となって興奮するというものは。地球人というのは感情の起伏を上手く使う星人なのかもしれません」
「感情の起伏が激しいことは確かだな。だが、それによって振り回されることがほとんどだ。上手く使っているようには思えん」
「ですが、ラバドーラさんもアンドロイドにしては、かなり感情の起伏が激しい方だと思いますよ。地球人と似たような星人に作られたのでは?」
「そんな昔のことはとっくにデリートしている。それより、その荷物をもっと詰められないのか?」
「これ以上詰めると保存食が入りませんよ。それに、エネルギータンクやよくわからない道具など、必要ですか? 余計なものを持ち込み、時間軸がずれるとタイムホールが開かなくなると思うのですが……」
「よく考えてみろ。私がただ三人の保存食のためだけに動くと思うか? 今となっては過去の私か未来の私なのかはわからないが、絶対に自分のための道具を一緒に保管しておくに決まっている。それに出しっぱなしにしておいてどうする? あの二人が弄って、ひと騒動を起こすだけだぞ」
その現場が容易に想像できたデフォルトは、一旦ラバドーラの言うとおりに全てしまうことにした。
すべての作業が終わったのは、地球時間で午前二時を少し回った頃だ。
デフォルトは「ふぅ……」と一息をついた。「この時間では、変に出回るより、朝までここにいたほうが良さそうですね」
「それに朝になればわかる。重力震の発生時間によって――」
ラバドーラが言いかけた瞬間、方舟が大きく揺れた。そして、数日前に聞いた緊急放送が再び流れる。
「朝ではなくこの時間に重力震か……。重力震の時間が早まったということは、時間軸の差異がかなり縮まったようだな。つまり私の考えは正しかったようだ」
ラバドーラは誇らしげに自分が詰めた荷物を叩いた。




