第十二話
翌日。デフォルトは目を覚ますなり、せわしない仕草で辺りを見回したが、身を隠しているコンテナの影の位置から、正面の壁の傷跡まで昨日と同じままだった。
「今のところは変化なしだな。ハッチ自体も調べてみたが、なにも変わっていない」
睡眠の必要がないラバドーラは、一足先に身の回りの変化を調べようと探し回ってみたが、違和感を覚えるようなことはなかった。
「なにか別の要素が働いているのかもしれません。といっても、考えつくようなことはないのですが……」
デフォルトが頭を悩ませた瞬間。方舟が大きく揺れた。
すぐに放送が入り『重力震の発生による純重力波の影響により、今後も揺れが続く見通しです。精密作業、緊急作業中の人は、指示が入るまで作業を停止するように。繰り返す。重力震の発生による――』と状況を説明が続いた。
「『重力震』ということは、近くでなにか巨大なエネルギーが発生したようですね。超新星爆発か、巨大宇宙生物がなにか悪さをしたのかもしれませんね。今の揺れの大きさからして、この宇宙船に影響は少なさそうですね」
「超新星爆発か……」とラバドーラは考えながら呟いた。「たしかに宇宙生物の移動も宇宙に多大な影響を与えるものだな」
「そうですね。超新星爆発はワームホールを空けるほどのエネルギーがありますから。そういえば……宇宙生物の中には、自身の質量を変化させて、無理やりワームホールを開いて移動するものもいるらしいですね」
「ワームホールとは急激なエネルギー変化により開かれる。つまり今変化が起こったということかも知れない。だが……これくらいのエネルギーでは、レストにタイムホールが開くことはないだろう。最低でもエマージェンシーコールが鳴るくらいのエネルギーがぶつかってこなければ……」
「昨日の保存食だけでは足りないのだと思います。レストにあった保存食が、自分達が用意したものなら、おそらくあの程度ではないはずです。ワームホールに閉じ込められるとわかっているのに、少ない量しか保管しないということはありえません。未来に役立つように、他にも色々用意しているはずです」
「その可能性は大きいな。正しい未来へとすり寄っていけば、タイムホールは開かれるはずだ。問題があるとすれば……いかにあの二人に邪魔をされずに作業が出来るかだな……」
その夜、デフォルトとラバドーラはさっそくレストにいた。
しかし、二人だけではなく、当然のように卓也の姿もあった。
「見た? 聞いた? あの振動」
卓也は興奮冷めやらぬ様子で、今日の朝に起こった重力震による方舟の揺れを子供のように楽しんでいた。
「見てもないし、聞いてもないけど、感じたわよ。あの振動は」
ラバドーラは仕方なしに卓也の相手をする。デフォルトがレストの中を詳しく調べて、保存食を隠しておける空間があるかの有無を調べるためだ。自分と話している間は、卓也はデフォルトのことなど歯牙にもかけない。
「僕も感じた。あの揺れは今ここで、もう一回起こってほしい……」
卓也は真剣な眼差しでラバドーラの胸元を見つめた。
「怒ってほしいなら、いくらでも怒ってあげるわよ」
「難しいところだね……怒られるくらいで済むならという考えもある」言いながら卓也は視線を上げた。「でも、重力震なんてわけのわからないもの。いつまで続くんだろう。寝てる間に揺れたらたまったもんじゃないよ」
「そうね……。振動の減衰制御システムが修正されない限り、また揺れるでしょうね。それだけ厄介な純重力波が流れてるのよ」
「厄介って言うけど、僕にはさっぱり。ルーカスみたいなもん?」
「『純重力波』っていうのは、無重力かつ真空な空間である宇宙でも伝わる波動のことよ。この波動のせいで、機器が狂うこともあって大変なんだから」
「そんなに大変なら、ずっとワームホールで移動すればいいと思うんだ。どう? お利口な意見で、思わず頭を撫でたくならない?」
卓也は頭を差し出すが、ラバドーラの硬い指でおでこを弾かれた。
「そんなの無理よ」
「どうしてさ」
「宇宙は水面だからよ、おバカさん。だから宇宙船っていうのは、水に浮かんでるようなもの。異次元空間っていうのは水中。異次元空間に入るっていうのは、重しをつけて勢いよく飛び込むようなものなの。出る時には重しを外さないといけない。そんなことを自在にできるのは、自分の質量を変えられる宇宙生物くらいよ。だからほとんどの知的生命体は、ワープゲートっていう一度開いたワームホールを安定させて使う道を選んでるわけ」
言いながらラバドーラは、排熱というため息をついた。説明をしているが、今ここがタイムホールで繋がった異次元空間だからだ。ややこしいことこの上ない。
「まるで僕らの関係だ。刺激を与えて新しいワームホールに飛び込まないと!」
「やっぱり……あなたのせいなんじゃないかしら」
ラバドーラは卓也を睨んだ。異次元空間を肯定的に捉えるているのが、どうもタイムホールは繋げたように思えてしまう。だが、卓也がそんな知識も技術もないことはわかっている。
「僕のせいなら、責任を取る準備は出来てるよ。ワームホールから出るには、また別の刺激だ。心臓ドキドキな刺激的なの大歓迎」
「なら、息を止めてみたら? お手軽にドキドキ出来るわよ」
「もう体験済み。君って息をのむくらい綺麗だから」
卓也はまっすぐにラバドーラの顔を見た。
「さっきからずっと呼吸をしてるじゃない。嘘つきね」
「だってため息が出るほど美しいから、つまり僕は君がそばにいるからこそ呼吸が出来るってこと」
「つまり私が離れたら死んでるってこと?」
「そうだよ。だから、会った時はまず人工呼吸をしてくれないと」
卓也は目を閉じると唇を突き出した。
「あのちょっといいですか?」
「ダメ……人工呼吸しないと死んじゃう」
「……なんならしましょうか?」
その声がデフォルトのものだと気付くと、卓也は目を開けて不機嫌な顔を向けた。
「僕になんか用かい?」
「いえ、姉に」とデフォルトはラバドーラを呼んだ。
「どうしたんだ」とラバドーラが声を潜めて聞いた。
「下のロワーデッキに換気用ファンが複数取り付けられているのですが、必要ないものを外すのに、一度見てもらいたいんです。配線と配管も多すぎて……必要ないことはわかるのですが、自分がやると時間が掛かりそうなので、お願いしてもいいですか? あそこを整理すれば、かなりのスペースが開くはずです」
「わかった。見てくる」
ラバドーラがいなくなると、卓也はがっかりとうなだれて、そのままゴロゴロし始めた。
「少し質問をいいですか?」
デフォルトがおもむろに聞くと、卓也は振り返りもせずに「なんだい?」と返事をした。
「卓也さんは、過去を変えたいと思ったことはありますか?」
「君はあるの?」
卓也が聞き返すと、デフォルトは「あるかもしれません」と答えた。
「へぇ……僕はないけどね。僕は今の僕にこの上なく満足してる」
「過去の失敗をなかったことにしたいとか思わないんですか?」
「それはモテない人の意見だね。失敗して落ち込むからこそ、女の子が慰めてくれるんだぞ。そして、その失敗があるからこそ褒めてもらえる。そう僕は甘え上手。……ところで、君のお姉さんは甘えられるのが好きなタイプ?」
「どうでしょう……。どちらかといえば、そつなくこなすほうが話が合うかと思いますが」
「なるほど。じゃあ、これからは僕は出来る男だ。宇宙の摂理に従い、知的に生きることにするよ」
「出来るんですか?」
「フリなら出来る」
「それなら、宇宙船の操縦は覚えておいたほうがいいですよ」
「それじゃあ、まるでルーカスじゃん。どう考えても知的じゃない」
「出来ることが増えるのはいいことですよ」
「それは違うよ。やることが増えるのはいいことだけど、やらされることが増えるのダメなことだ。出来ることを増やすってのは、主に前者だ。なぜなら、君が言ったからだ。君が、僕が宇宙船を操縦できたら便利だと思っての発言だからだよ。利益は君にあり、僕にはない」
卓也の鋭い物言いに、思わずデフォルトは怯んで言葉を失った。卓也が宇宙船の操縦が出来れば助かったなという場面が多々あったので、思わず口に出てしまっていたのを見抜かれた気がした。
だが、卓也は「まぁ」と肩をすくめておどけた。「ね? フリなんて簡単。それっぽいことを遠回しに言えばいい」
「識者にはすぐにバレると思いますが」
「デフォルト……。識者なんてそういないよ。ほとんどが自分をかしこいと思ってる一般人だ。それも、自分の意見を大きい声で押し通すのが目的になってるだけで、タチが悪い」
「卓也さん!? 今、デフォルトと呼びませんでしたか?」
「デフォルト……さぁ」と卓也は首を傾げた。「それより、なんの話をしてたっけ? そうだ自分をかしこいと思ってるやつはタチが悪いって話だ。ルーカスを見てごらんよ。一目瞭然。地球じゃルーカス予備軍がウヨウヨしてる。僕みたいに弱さを、武器にするほうがよっぽど利口だよ。弱いってのは、凝り固まった一般常識を貫ける唯一の武器だ……。なんで僕は君とこんな話をしてるんだ?」
「卓也さんが勝手に話し始めたんですよ……」
「まぁいい。僕のマネは出来ないだろうからね。ほら、見てこの顔」卓也は捨て犬が哀願するような瞳でデフォルトを見つめた。「この顔が女の子は大好きなんだ」
「たしかに……卓也さんは過去を変える必要なんてなさそうですね」
デフォルトが呆れていると、ラバドーラが下のロワーデッキから戻ってきた。
卓也にどこに行ってたのか聞かれる前に、ラバドーラは「トイレよ」と先に牽制した。ついで「わざわざレストを降りるのが面倒くさいわ。トイレも、食事も」と愚痴りだした。
「でも、このレストは展示品だからね。エンジンなんて動かないからしょうがないよ。トイレは無理だとしても、保存食くらいなら置いておけるね。さては、僕に用意しろって言うんだろ」
「違うわ、あなたが自分で言い出すのよ」
ラバドーラが卓也の頬にキスするように顔を近付けると、卓也は「その通り、僕が用意するんだ。明日を楽しみにしてて」と、準備の為にレストを出ようとしたが、一度戻ってきて「君の唇って柔らかいね」とだけ言い残して、今度こそ去っていた。
卓也の走る足音を遠くに聞きながら、デフォルトは「卓也さんはどこかおかしいのでしょうか?」と呟いた。
「なにを言ってる。どこもかしこもおかしいぞ」
「そうではなくてですね。ルーカス様はラバドーラさんが人間の姿になっていても、体が固いことを認識しているのに、卓也さんは手を握っても頬に唇をつけられても、まったく気付くことがないので、おかしいと思いまして」
「そんなの、女という生物がそういうものだと脳が認識してるんだろう。だから催眠裁判に引っかかるんだ。それも深く……。普通は催眠裁判中に、生殖行動を取るようなことはないからな。それも毎晩だ。脳のメモリの半分は女のことを考えているんだろう。きっと」
ラバドーラは卓也の催眠裁判のデータを盗み見た時の記憶を呼び出していた。
「そういえば、ラバドーラさんの今のお姿は、卓也さんが催眠裁判中に良い仲になった女性の姿なんですよね……。そう考えると、卵が先なのでしょうか、鶏が先なのでしょうか?」
「大事なのは地球の生命体の話ではなく、ロワーデッキの入り方だ。来い」
ラバドーラはその話題には興味がないと、デフォルトを連れてロワーデッキの入り口まで来た。
「いいか?」とデフォルトが見えるようにパイプを掴んだラバドーラは「こことここを同時捻って外すだけだ」と、実践してみせた。
パイプが捻られると、他のパイプがまるでブラインド用に均一に並んで道がひらけた。
「こんな複雑にする必要はありますか?」
「これで簡単なスキャンには引っかからないし、入口を開けてもパイプが並んでるから入ろうとは思わないだろう。簡単に入って探せるようなら、未来の方舟襲撃後のデフォルトが開けてしまうかも知れないからな」
「そうですね……エンジンルーム周りは弄りましたが、ここは弄っていないです。たしか、ひと目見た時に、ここは直せなかったら困ると思いましたから。それにしても……」デフォルトはスキャンでもするようにレストを三六〇度見回した。「このレストについて色々不可解だと思っていましたが、そのいくつかは自分達の責任だったとは……。これからはレストのことを悪くは言えませんね」
「私は言うぞ。なにをしても元の時空に戻れる保証があるなら、このレストを全面改造したいくらいだ」
ラバドーラはタイムホールを使って元に戻っても、結局はワームホールの中に戻るだけだと、しばし思考停止していた。




