第六話
緑の星で手に入れた茶色の物体はとても良く燃え、当面の燃料の心配はなくなったが、どこか行く宛があるというわけでもない。
地球に戻ろうとも明確な方向はわからない。なんとなくの流れに身を任せるしかなかった。
しかし、レストの中では悲観的になることもなく、常に新しいことにチャレンジする日々が続いていた。
「……本当に食べられるの?」
卓也はまな板にのせられた緑の物体に、一ミリの信頼も寄せてなかった。
言うまでもなく、緑の星でルーカスが運び入れた物体だ。宇宙生物が食べられないということではないが、地球ではかなりの珍味的存在だ。一部の食通や悪食が食べるだけで、一般には流通しない。
それでなくても、見た目は完全に植える前の芝だ。食欲が出るような見た目ではない。
「無理にとは言いませんが、この先のためにも慣れておいたほうがいいかと」
デフォルトが緑の物体を真っ二つに切ると、これでもかというほど緑の液体が流れ落ちて、ぺらぺらに薄くなってしまった。
「この先ってなに? 不吉な予感しかしないんだけど……」
「食料は有限ですからね。今はまだ保存食がありますけど、そのうち惑星に降りて食料を確保する必要がでてきます。それに、これはまだ食べやすい分類だと思いますよ」
デフォルトにとっても流れものを調理するのは初めてなのだが、妙に慣れた手付きで下処理をしている。
肉の筋切りのように切れ目を入れると、だし巻きのようにくるくる巻いていき、蒸し鍋に入れた。
「惑星を食うようなやつなんだぞ……お腹を壊すならまだしも、僕のお腹を食い破ってなにか出てきたりしないだろうね……」
「微生物検査は済んでいるので、その心配はないかと。有害な微生物は発見されませんでしたから」
「いっそ見つかってほしかったよ……。そしたらそれを口に入れなくて済むんだからね」
「自分には、その地球人の食の感覚というのはいまいちわかりませんね。動物から菌類、植物に至るまで、様々な生物を食べるために工夫して生きてきた星人なのに、新しいものにそんなに臆病になるなんて」
「だから人類の進化には時間が掛かったんだよ。でも、そのおかげで地球に住む生物で、一番長く絶滅してないんだと思うよ。それで、デフォルト達はなにを食べてたのさ。星を持たないんだろ?」
星に住むということは食料となる生物が育つ場所ということだ。卓也にとって、デフォルト達の食糧事情はとんと見当がつかなかったが、デフォルトからの答えは実に簡単なものだった。
「船では様々な宇宙生物を家畜化して育ててましたよ。畑もありましたし。他にも惑星に寄って、食料を確保することもありましたね。星を持たないといっても、星に降りないというわけではないですから」
「それで宇宙生物を調理するのにも手慣れてるわけね」
卓也は皿を横目に見て言った。
デフォルトは蒸し上がった緑のだし巻きみたいなものに、輪切りにしたトマトを重ねると、それをピンで刺して固定してオリーブオイルをかけた。
「一応地球の味に寄せてみたんですけど」
「一応ね……」
諦めのため息をつく卓也の横で、ルーカスが勢いよく立ち上がった。
「決めたぞ、卓也。私はデフォルトを地球につれていく。宇宙間異星人特別移民保護法だ。我々はだ。母船をなくし、新たな生活地を地球に求める異星人を保護する必要がある」
「邪なことを考えてるだろう」
「失礼なことを言うな。純粋な気持ちだ。だいたい、君になにがわかるというのだね」
「僕が女の子を持ち帰ろうと、バーで足掻いてる時と同じ顔をしてるから。地球に帰ったらデフォルトの知識で一儲けしようくらいに思ってるんだろう」
「そのとおり、儲けたいという純粋な気持ちだ。道具を与えられた猿程度の知識しかない地球人に、私が知識と技術を売って大金持ちの社長になる。なにか文句でもあるのかね?」
ルーカスは悪びれた様子もなく、全世界共通の正しいことを伝播するかのように、実に堂々とした佇まいで言いのけた。
卓也はまた深いため息をつくと、かぶりを振ってこわばった両肩を小刻みに震わせた。
「……僕を副社長にして」
「言うことを聞かない部下などいらん。私が部下に求めるのは、従順さと優秀さ。そしてなにより、私を置いていかないということだ」
ルーカスは不機嫌にフンっと鼻を鳴らすと、なにも考えずに緑の物体の料理を口に放り投げるようにして食べた。
「だから何度も謝ったじゃん。悪かったって。僕もデフォルトも悪気はなかったんだよ。燃料を探すのに必死だっただけなんだから、いい加減に機嫌を直せよ」
「忘れていた。口答えもしないのが条件だ。君はおとなしく、隣で私がビッグになるのを見ていればいい」
「わーお、隣ってことは結局副社長にしてくれるってことじゃん。やったね」
「……そういう意味ではない。いいかね、卓也君。地球は君を中心に回っているのではないのだよ」
卓也は驚きに目を見開くと「……ママが嘘を言ったっていうのか?」と、心外だという顔をした。
「母親というのは嘘をつく、最も醜く信用できない生き物だ」
言い争っている最中。ルーカスはスナック菓子でも食べるように、どんどん緑の物体を食べていき、すっかり皿は空になっていた。
「お口に合ってよかったです」と、デフォルトは完食の喜びに笑みを浮かべ、感謝を述べた。
しかし、当の本人のルーカスは「なにがだね」と、自分がなにを食べたのかわかっていない。
完食に気付いた卓也も、言い争うのをやめてルーカスの心配を始めた。
「大丈夫なの? 吐き気とかしたりしない?」
「だから、なにがだね。ハッキリと言いたまえ」
ルーカスがその場で不機嫌に足を踏み鳴らすので、卓也とデフォルトは一瞬だけ顔を見合わせた。
「宇宙生物を食べた感想だよ。大丈夫なの?」
卓也はルーカスの顔色をうかがった。ご機嫌うかがいではなく、実際の肌の色だ。青くなったり赤くなったり、はたまた緑になったりしていないかと見てみたが、顔色に変化はなかった。
動機もせず、発汗もしてない。痙攣もしていなければ、悪寒や腹痛の症状もなさそうだ。
「そんなものを私が食べるわけないだろう……。君こそなにか変な物を食べて幻覚を見ているのではないかね?」
ルーカスが緑の物体が刺さっていたピンで指してきたので、卓也はルーカスの腕を掴み、ピンの先をルーカスに向けた。
「じゃあ……これ……なにを食べたの?」
ピンの先から、糸を引く緑の液体が床にこぼれ落ちた。
ルーカスは「なにを食べさせたんだ……」と、つぶやいた瞬間。そのままの体勢と表情で倒れ込んだ。
ルーカスはベッドの上で苦しげにうめき声を上げる。呼吸の感覚は短く荒い。額からは滝のような水分が流れ落ちて枕カバーを汚した。
デフォルトはゴーグルでルーカスの体をスキャンすると「三十六度七分。平熱ですね。あと、タオルはしっかり絞らないと」と、体に問題がないことを伝えた。
「どこも異常ないってさ。思い込みだよ」
卓也が小馬鹿にしたように言うと、ルーカスは勢いよく上体を起こした。
「そんなわけがあるか! 私は宇宙生物を食べさせられたんだぞ。探せ! どこか悪いところがあるはずだ。見つからないと、おちおち健康にもなれない」
「頭が悪いってだけじゃダメなの? それなら相当重症だと思うけど」
「卓也君……私は病で伏せているのだぞ。よくも酷いことが言えたものだな。宇宙生物を無理やり食べさせられ、置いてきぼりにされたせいで悪化したのだ」
「順番が逆だろ。置いてきぼりにしてから、ルーカスが勝手に食べたんだ」
卓也が矛盾点を突くと、ルーカスは深く咳き込んだ。不自然に肩がひどく揺れる。まるでジェットコースターにでも乗っているようだ。
「デフォルト君……薬はないのかね」
「薬といっても……健康体が飲むようなものは……ビタミン剤でも飲んでおきます?」
「それを飲んで治るのかね?」
「直るというのは語弊があるかと。悪くないものは治しようがないので」
「そうか……治しようがない……不治の病か……。この息苦しさは、きっとそれからきているのだ」
ルーカスは重々しく言うと、目を虚ろにさせ、苦しそうに細く息を吐いた。まるで、残り一週間の命もないかのような雰囲気だ。手は弱々しく震え、儚げに視線をさまよわせている。
「そりゃまた……一大事だね」と卓也はなんとも言えない顔でため息をついた。「そろそろ瞳孔が開いて、心臓も止まってくるんじゃない?」
「言われてみれば……私の心臓は止まっている気がする。これは大変なことだぞ」
ルーカスは胸を押さえると、目を見開いて驚きの表情を浮かべた。
「大変だよ。心臓が止まってるのに喋ってんだもん」一通り文句と嫌味を言った卓也は、逃れられない運命を受け入れることにした。「……それで、なにをしてほしいわけさ」
「多くは望まない。卓也君、水だ。ミネラルウォーターでいい。デフォルト君、ワッフルを一つ。砂糖たっぷりの甘々なやつだ。ある日突然モテるんじゃないかと思ってる思春期の少年くらい甘くしてくれ。あの木の葉がすべて落ちる前に……」ルーカスはベッドに倒れ込むが、すぐに体を起こした。「早く持ってこいという意味だぞ」と、その場を動かない二人を急かす。
いったいったと手で追い払われた卓也とデフォルトは、ドアの向こうで同時に肩を落とした。
「ルーカス様は本当に不治の病なんでしょうか……。たしかに宇宙のウイルスの成長は早く、手に負えなくなることもありますが」
心配するデフォルトとは違い、卓也は呆れて肩を落としていた。
「不治の病には変わりないね。本人が治ったって言わない限りずっと病気のままだから。地球の言葉で仮病っていうんだ。……言っただろう。ルーカスはごねると長いって。機嫌を取らなきゃ、寝てるときに耳元で咳き込んでくるぞ。朝まで……」
卓也は足取り重くレストの倉庫に向かった。
倉庫の中には様々な物があった。使える物もあるが、使えない物のほうが多い。その八割はルーカスと卓也が、方舟から勝手に失敬してきたものだ。
倉庫と呼んでいるが広い部屋ではない。二人も入ったら身動きが取れなくなってしまう。そもそも、元々は用途のわからない空き部屋であり、二人が持ってきて飽きたものを押し込んでいくうちに倉庫になってしまっただけの部屋だ。
卓也は前に面白そうだと思い、船内シェルターから勝手に持ち出してきた、水の入ったケースを棚から下ろした。
「これでいいや。地球で初めて作られた、常温でも五百年保存可能なミネラルウォーター。ほら、日付見てよ。今日でちょうど五百年と……十年目。まぁ、五百年も保つなら、十年くらい過ぎても大丈夫だろう」
卓也が後ろを確認せずに適当に投げたものを、デフォルトは触手を伸ばして難なくキャッチする。
「保存場所は徹底してくれないと困るのですが……。食料なら食料、嗜好品なら嗜好品と分けてもらわないと」
「僕もどこになにをしまったか覚えてないよ。方舟から適当に持ち出してきてはレストで自慢して、飽きたらここに入れてただけだからね。こんなのもある。西暦の芸術――エロ本。画像データをいちいち紙に印刷するなんて、昔の人はよっぽど暇だったと見える。羨ましいね」
投げ渡された本に映る裸の女性の写真を、デフォルトは特に特別な感情なく眺めていた。
「これも食べるんですか?」
「食べたいのは、中のモデルだけ。美人っていうのは、いつの時代も美味しそうに映るんだから不思議だよね」
「そうなんですか。自分の船では、容姿よりも中身で選ぶのが普通だったので。ところで、ワッフルというのは専用の機器がないと作れないそうなんですが……」
デフォルトは卓也の話をしっかり聞きながらも、ワッフルの作り方が書かれたレシピを読み込んでいた。
「格子模様ねぇ……それがないとルーカスは怒るだろうな」卓也は少し考えてから「そうだ、エンジンに押し付ければいいよ。それっぽい形がつくし、そのまま焼けるし言うことなしだ」
「口に入れるものですよ。衛生的によくありません」
「デフォルトがいつも綺麗に掃除してるだろう。それに焼けば消毒されるって」
卓也は用事を済ませたと、デフォルトを押して倉庫から出た。
そして、ルーカスに水を渡し少し会話をすると、一度倉庫に戻ってから、ワッフルを焼くためにエンジンルームにいるデフォルトの元へと向かった。
「案の定、ミネラルウォーターかどうかもわからない、五百年前の水をありがたそうに飲んでたよ。あの入れ物に入ってたら、おしっこでもミネラルウォーターだと思って飲むだろうね」
言いながらエンジンルームに入っていった卓也の鼻には、ワッフルが焼き上がる甘く香ばしい匂いが届いてきた。
「卓也さん。これでいいんでしょうか……。どうしても裏面が平らになってしまうのですが」
エンジンのそれっぽいデコボコに合わせて、板に貼り付けた生地を押し付けて焼いているので、どうしても板側が平らになってしまった。
「いいんじゃないの? ルーカスだって本物のワッフルが食べたいとは思ってないんだから」
「先程は、形がしっかりしていないとルーカス様は怒ると」
「それっぽくついてればいいよ。自分のために苦労させるのが目的なだけなんだから。甘々の難題も、これをかければ問題なし。まだデフォルトがそこにいるかと思って、さっき倉庫に寄ったときに見つけたんだ」
卓也ははちみつ入りの瓶を見せつけたが、デフォルトは琥珀色の液体を見て困惑の表情を浮かべた。
「それをかけるのはちょっと……」
「さっきのは冗談だから大丈夫だって。僕にだって、ルーカスにおしっこを飲ませるような趣味はないよ。これははちみつって言って、数千年も保つんだ」
「ですが、明らかにカビと思われるものが……」
デフォルトの心配を卓也は笑い飛ばした。
「なにも知らないんだな。この白い斑点は、カビじゃなくてはちみつが結晶化しただけだよ。心配なら、よけてかければいい」デフォルトが止めるより早く、卓也はワッフルに蜂蜜をたっぷりかけた。「デフォルトも言ってただろう。食料は有限だって。あるものを使っていかなきゃね」
「結晶化はしてないように見えますが……」
デフォルトはカビだと断言したかったが、自分は見たことがなく、食べたこともない食料なのでそれはできなかった。自信満々の卓也に流される形で、ルーカスにはちみつをたっぷりかけたワッフルを出すことになった。
ルーカスはそのワッフルを見て上機嫌になり、口に運んでまた上機嫌になり、自分が寝るまで二人にあれをしろこれをしろと、命令というよりもおねだりを続けた。
翌日、ルーカスはまだベッドから動かずにいた。
「いい加減起きろよ」
卓也は布団に包まるようにして寝ているルーカスを揺さぶった。
「……具合が悪いのだ。お腹は痛いし……吐き気もする。体はだるいし……熱もありそうだ……」
「それはもういいって。昨日散々楽しんだだろう。言っとくけど、二日も機嫌治すのに付き合うほどど、僕はお人好しじゃないぞ」
「本当だ……。見たまえ、息苦しそうにしているだろう?」
ルーカスはのそりと起き上がると、具合の悪い顔を卓也に見せつけた。
「昨日もそう言ってた。まったく……デフォルト。昨日みたいにスキャンしてやってよ。なんともないって」
仮病には付き合いきれないと、卓也はデフォルトの触手を引っ張って呼びつけ、ルーカスの診断を任せた。
スキャンを終えたデフォルトは「あの……卓也さん……」と、困り顔で耳打ちした。
「ほら、風邪でもなんでもなかっただろう?」
「風邪ではないのですが……食中毒です。色々ありますが、大きな原因ははちみつだと……」
「……まぁ、たまには二日も機嫌を治すのに付き合うお人好しになってもいいか」
卓也は立ち上がると、証拠隠滅のために、燃料タンクにはちみつ瓶を放り込みにいった。