第八話
デフォルトが脇目もふらずにハッチ室へと走って向かっている頃。
ラバドーラはルーカスの尻を蹴っていた。
「これでも思い出さないの? どこかおかしいんじゃない? 主に頭とか」
「頭がおかしいのは、私ではなく君だ。女に尻を蹴られて、いったいなにを思い出せというのだね
ラバドーラは「さぁ?」と首を傾げると「思い出したら言って」と、先程より強くルーカスの尻を蹴った。
暴力行為に怒りを感じないわけがないルーカスだが、今はその怒りを表すことが出来なかった。近々行われるパイロット試験を受けるために、試験監督に媚を売っている真っ最中だからだ。
試験監督に運んでおけと言われた荷物を両手で持っているので、万が一にも落とすことは出来ない。ラバドーラに反撃をするどころか、じっと耐えるしかなかった。
景気付けのようにもう一度、ラバドーラが蹴りを入れると、ルーカスは痛みを堪える声を漏らしたが、やられてばかりはいかないと目を鋭く細めてキッと睨みつけた。
「この間からなんなんだね……。私にずっとつきまといおって。私になんの恨みが……いや……ははん――さては私に惚れているのだな。だからかまってほしくて、私の尻を蹴っているのだろう」
ルーカスはさも胸の内を見透かし、秘密を暴いてやったというように、意地悪く口の端を少しだけ吊り上げた。
ラバドーラは目を伏せて「実は……そうなの」と呟くように言うと、同じ用に意地悪い笑みを返した。「だから蹴るわね」
「蹴るな!!」とルーカスは叫んだ。「いいかね……この箱の中には、精密機械が山程入っているのだ。もし、これを落として壊しでもしたら、私は試験を受けられなくなるのだぞ! 私が昇進しないのは、地球のいや……宇宙の損失と言ってもいいだろう」
「あっそ」とラバドーラは興味なく言うと、急に思いついた顔で笑みを浮かべた。「脳に強いショックを受けると、忘れていた記憶を思い出すことがあるって知ってる?」
ラバドーラは言い終えるのと同時に、ルーカスの尻でなく手の甲を蹴り上げた。
箱は一瞬ルーカスの頭上よりも高く上がると、すぐさま真っ逆さに床へと落ちた。ガッシャンという騒がしくも、すぐに消える虚しい音が響いた。
ルーカスは手の甲の痛みを覚えることもなく、ただ呆然と立ち尽くしていたが、錆びた手巻きの人形のように、不自然に揺れながらゆっくりラバドーラに振り返り、目があった瞬間に怒りが弾けた。
「なにをするんだ!!」
「あなたの手を蹴って、荷物を落とさせたのよ」
「それがどういうことになるのかわかるのかね!!」
「試験監督は激怒して、あなたに試験を受けさせないでしょうね」
「誰がわかりきったことをいちいち説明しろと言った!」
「バカだから、説明されないとわからないんだと思ったわ。それにしても――」ラバドーラはなんの変化も見せないルーカスに愛想が尽きていた。「――あなたにはがっかり。もう行くわ」
「待ちたまえ!!」というルーカスの声など無視して、ラバドーラは立ち去った。
なにを考えて生きていたら問題ばかり起こせるのかと、ラバドーラは今回の現象の原因をルーカスと卓也のせいだと決め込んでいた。
なにか証拠が出たわけではないが、むしろ証拠が出ないことが二人がなにかをやった証拠だと思っている。
だが、隠し通せるほど器用な二人ではないことを知っているので、叩けば埃が出てくるだろうと考えていたが、一向に出てこないので、半ば自棄気味に叩いてダメならばと、ルーカスの尻を蹴っていたのだ。
しかし結果はなにもない。事態が変わるどころか動くこともなかった。
ルーカスに見切りをつけたものの、これからどうしたものかと、ラバドーラは船内の共有スペースをウロウロしていた。
すると、急に一人の女性から声を掛けられた。
「ルーカスに絡むと仕返しされるわよ。嫌なことをさせたら世界一なんだから」
「知ってる。世界どころか宇宙一だ」
ラバドーラがうんざりとした表情で言うと、女性は「そのとおりね」と笑った。
二人はすぐにルーカスのどこが最低最悪かという話題で盛り上がった。そして、そこに一人また一人と会話に参加する人が増えていった。集まったのは老若男女問わずで、十人程のグループになって尽きることのないルーカスの悪口を言い合っていた。
誰が一番ルーカスに似合った最低のあだ名を付けられるかという非情な話題は、今日最高の盛り上がりをみせたが、盛り上がり切る前に、デフォルトがグループの輪に割って入ってきた。
デフォルトは「大変です! これを見てください!!」と缶詰をラバドーラに見せた。
「私は缶詰を食べない」とラバドーラが言うと、女性が「あら、ダイエット中? そういえば――」とルーカスの悪口からダイエットの話題へと変えようとしたので、デフォルトは慌てて言葉を続けた。
「ここです! よく見てください」と、缶詰に書かれている製造番号を触手で指した。
一人の男が「ずいぶん古いものだな」と缶詰に顔を近づけた。「歴史研究の資料に出てきそうな古さだ」
ラバドーラは「ごめんなさいね。彼と二人で話があるの」と、デフォルトを連れて共有スペースを出た。
誰にも後をつけられないように、遠回りと寄り道を繰り返してハッチ室へと戻ると、二人でもう一度まじまじと缶詰を見た。
「これは私がレストで見付けたものじゃないか。まだ記憶メモリに残っているから間違いない……。これをどこで見付けた!?」
「卓也さんに連れて行かれた倉庫です。博物館に展示する予定のものだと言っていました」
「製造ナンバーが全部同じ可能性もある」
「そう思ったんですが……これを」
デフォルトはもう一つの缶詰を見せた。製造年月日の数字は一緒だが個別番号が違っている。
最初に見た缶詰の製造ナンバーは、レストにあったものとまったく同じ数字が書かれていた。
「誰かが無意味にコピーをしたか、時空でも超えたとしか考えられんな……」
ラバドーラは缶詰を手にとって詳しく分析を始めたが、デフォルトが勢いよく触手を叩いて鳴らしたので、その音に驚いてやめてしまった。
デフォルトはラバドーラと目が合うと「思い出しました。レストは博物館に展示されていたものだということを」と焦って言った。
「だからなんだ?」
「缶詰は博物館に展示される予定。なぜ同じものがレストにあったか、誰かがレストに運んだからということです。わかりますか? 運ばれたからあったんです。増えたわけではありません。あるべきものはあるべき場所に移動したんです。レストも同じです。ここにないということは、あるべき場所へと移動したんです」
デフォルトは興奮気味になり、触手でハッチを力強く叩いた。
ラバドーラは混乱することなく、デフォルトの言いたいことをすぐに理解した。
「なるほど『タイムホール』に繋がったということか……。別時空の同一物は同じ時空に濃密に存在すること出来ない。レストはこの世界のあるべき場所に、あのアホ二人もこの世界のあるべき場所にいるということか」
『タイムホール』というのは、ワームホール内の不安定なエネルギーが爆発して出来るもう一つの穴だ。ワームホールも高次元移動するものだが、タイムホールもまた別の次元を移動するものだ。そこは過去から未来へと移動するだけではない。現在という点が、過去と未来が混ざった時空というチューブの中に閉じ込めれるようなものだ。
ここは地球で作られた超巨大探索型宇宙船『方舟』の過去だということだ。
なので、ここにいるルーカスと卓也は、デフォルトとラバドーラと出会う前の二人ということになる。この先方舟が爆発する未来も知らなければ、囚人として囚えられることも知らない。
「レストの一部がタイムホールに繋がってここへ来たのならば、レストに行けば元の時空線に戻る手がかりがあると思いますが」
ラバドーラは頷いてから「だが――」と切り出した。「エリア移動にはIDが必要となる。その適当に似せて作ったマネーカードのIDは空白だ」
「そうなんですよね……。ラバドーラさんが作ってくれたカードのおかげで、いつの間にか仕事になっていた応援マスコットの給料は自由に使えるのですが……IDナンバーを調べられるような事態になったら……」
デフォルトとラバドーラは顔を見合わせて同時にため息をついた。こんな時どうするかと悩んだ時に、浮かんだ顔が二人共同じ顔だったからだ。
それから時間が経ち、今は地球時間で深夜になっていた。
この時間は基本的に居住区域から出ることは禁止されているが、警備ロボットの見回りは通路だけなので、一度どこかの部屋に入ってしまえば見つかることはない。
巡回ルートは定期的に変わるが、その都度流出もする。厳重にならない理由は、それも兼ねての息抜きだからだ。
当然行き過ぎた乱痴気騒ぎは罰せられるが、男女の逢い引きや友人とのゲームなどは、現行犯以外はほぼ黙認されている。
そんな方舟の深夜。警備ロボットが入ってこないのがわかっているので、堂々と明かりをつけている場所があった。
「まったく……見たまえ。私のお尻が真っ赤に腫れ上がっている……」
ルーカスがベルトに手をかけると、卓也がクッションを投げつけた。
「見せないでよ。だいたいルーカスが悪いんだから、文句を言うなよ」
「私はまだなにも言っていない」
「でも、方舟の問題事のだいたいはルーカスが悪いじゃん。今度はなにやったのさ」
「私はなにもやっていない。無礼な女がいきなり私の尻を蹴ってきたのだ」
「うそぉ」
「嘘ではない」
「まだルーカスに構う女の子が方舟にいるっていうのかい? 地球ならまだしも、ここじゃ皆に悪評が知れ渡ってるじゃないか。皆言ってるよ。イナゴの大群より、ルーカス一人いるほうが被害が大きいって」
「皆とは誰だ……」
「皆とは皆だよ。今週の船内記事のアンケートにも出てるよ。見てないの?」
卓也はタブレット端末をルーカスに投げ渡すが、すぐに投げ返された。
「私は浮ついた記事を読む暇なんてないのだ。パイロット試験の勉強をしていたからな。だが、それももう無駄になった……」ルーカスは悲しみに打ちひしがれて肩を落とした。そして、「あの女め……」とラバドーラを思い出して壁を睨みつけた。
「あぁ、それ知ってるよ。試験監督に謝りに行って、その時に子供の画像データを消したんだろ。なんでまた……そんな誤りを……」
「私は試験監督に真実を伝えていたのだ。あまりに気のない返事をするので、私は景気付けに机に拳をおろした。その先にたまたまタブレットが置いてあっただけの話だ。普通置くかね、机にタブレットを」
「難しい話だね。机にタブレットを置いておくかどうか……。少なくとも僕らは置かないね。なぜなら、とっくの昔にこの『レスト』の机は、ただのゴミ置きになってるからね」
言いながら卓也はパーティーの残り物をつまんだ。
「私が苦労に苦労を重ねていたあいだ君は……乱痴気騒ぎかね。まったくお気楽で羨ましい」
「僕にだって苦労はあるんだぞ。せっかくエイミーと親しくなれるチャンスだっていうのにだ。こんな日に限ってハワード・ルイスが大活躍。皆彼の話題で持ちきり。ファンキーオクトパスのマスコット。彼が来てから僕の運勢は散々だよ。なにかと僕の目の前に現れるんだ」
「私もだ。あの女は私につきまとう。この間なんて便所の中まで付いてこようとしていた」
「ルーカス……これはおかしいよ」と卓也は真面目な表情を見せた。「絶対におかしい。よく考えてごらんよ、女の子に追いかけられるのは僕の役目なはずだ」
「私の魅力というのは、花の香りと一緒だ。その場に咲き誇るだけで、寄ってくるものだ」
「知ってるよ。先々月のルーカスのあだ名を決めるアンケートで、ラフレシアが大賞を取ってたから。寄ってくるのはハエばっかり。トイレ掃除にはお似合いだってさ」
卓也はタブレットを確認してみてよとルーカスに投げ渡すが、先程同様に見ることなく投げ返された。
「卓也君……君の仕事もトイレ掃除だろう。あまりに女に手を出すから、嫌われるようにトイレ掃除に回されたって話だ」
「残念でした。今はドラゴンのマスコットだよ」
「どうせ、また上司に媚びでも売ったんだろう。お得意の子供みたいなわがままで」
ルーカスは卓也の身長の低さをバカにして言うが、卓也は余裕を持って鼻で笑い返した。
「そうだよ、赤ちゃんみたいに泣いて頼んだら、トイレ掃除は免除。ついでにおっぱいまで吸わせてくれた。君は今でも苦渋を飲まされてる。なんなら頼んでみてあげようか? ルーカスもマスコットになれるように、そうすればあのタコのマスコットも行き場をなくして、僕の独壇場ってわけだ」
「いいや、私は一矢報いると決めているんだ。男が汗を絡ませ玉を奪い合う醜悪なスポーツなどにかまっていられるか。明日を見ていろ。もう既に計画は考えてあるのだ」
「オッケー、ちょっと待って」
卓也は目を閉じると、人差し指を左右のこめかみに当ててうなりだした。
「なにをやっているのかね……」
「なにって明日を見てるんだよ。ほら、見えてきた。君の計画は失敗。騒ぎを起こして、これ以上どう降格させればいいのか悩んでるお偉いさんの姿が見える」
卓也は目を開けると、舌を出していたずら顔で笑った。
「私には、泣きすがる君の姿が見えるぞ。私の偉大さにひれ伏しているな。どちらが正しい明日になるか見ものだな」
ルーカスは高笑いを響かせるとレストを出ていった。




