第七話
デフォルトとラバドーラがレストに戻れなくなってから既に二日が経った。
その間にわかったことは、この宇宙船は大型のものであり、何十万の男女が生活しているということと、その何十万人の殆どがルーカスを嫌っていて、何十万の半分ほどが卓也に恨みを持っているということだ。
そして驚くことに、この宇宙船は『方舟』と呼ばれていた。
「いったいどういうことでしょうか……。方舟という地球の宇宙船は爆発したはずですが……」
デフォルトはルーカスと卓也の出会いとなった、方舟襲撃事件のことを思い出しながら言った。
「爆発するところをしっかり見たのか?」
「それは……」とデフォルトは口ごもった。「惑星爆発の時と同じで気絶していましたので……ですが、爆発の閃光は見ています」
「つまり爆発と思われる一瞬しか見ていないんだな?」
「はい……」
「ならば、惑星爆発の時と同じように、ワームホールが出来た可能性もある。そして方舟はその穴に引きずり込まれたのかも知れない」
ラバドーラの言葉にデフォルトはハッとなった。
「ということは、ワームホールの中でレストと方舟が繋がったということですか?」
「可能性はほぼゼロだ」ラバドーラは冷たく言った。「少なくとも、爆発により方舟は大きな損傷を受けていないとおかしい。なにより、誰一人この状況で切羽詰まっていない。ワームホールの中だというのにだ」
「そういえば、大々的にスポーツをやっていました。それに、商業施設や公共施設なども平常通りです。自分は地球に行ったことはないのですが、催眠裁判にかけられていた時の地球の雰囲気にとても良く似ています」
「混乱を巻き起こさないために、生活者へ情報が隠蔽されていたり、意図的に遮断されている可能性もあるが、私達の目のほうが正しいだろう」
ラバドーラはハッチ室にある、外を確認する用の小窓に目を向けた。
「そういえばそうでしたね……」とデフォルトは、小窓に映る宇宙空間に目をやって、がくりとうなだれた。「方舟に来てからずっと忙しかったので、すっかり忘れていました。結局ラバドーラさんは、船を奪って脱出しないのですか?」
まだ宇宙船の名前すらもわからなかった初日。
窓から見える景色がワームホールではなく宇宙空間だとわかると、ラバドーラは脱出を試みると言っていたが、もうそんな思いはなくなっていた。
「理解不能の空間に出るほど私は愚かではない。せめてレストが消えた原因が判明するまでは、この宇宙空間に出る気は起きない」
「それは心強いですね。自分一人だと、これからどうしたらいいかわからず心配でしたから」
「どうしたらいいって――ファンキーオクトパスとかいうスポーツ団体の応援だろ。……いったい何をやっているんだ」
ラバドーラはデフォルトの触手に目を向けた。ファンキーオクトパスのロゴの入ったチームタオルを持っていたからだ。
「自分にもさっぱりです……ですが、おかげで地球のお金が手に入るので、生活には困りません。ラバドーラさんと違って、自分には食事が必要ですから」
「こっちもそれで苦労しているんだ。やたらとエネルギー補給に誘ってくる。ダイエット中という言葉を使えば断れるというのを知ったが、今度はアルコールを補給しようと誘ってくる。エネルギーを電気に変えた途端にこれだ」
「宇宙船内を歩く時は女性の姿ですからね。卓也さんのような目的の男性が多いのではないでしょうか」
「女にも誘われる。ルーカスをぶっ飛ばしたのは爽快だったとな。……どれだけ忌み嫌われているんだアイツは」
「この二日だけでも、ずいぶんお二人の名前を耳にしましたからね。水再生システムを故障させたことによる指名手配の放送や、女性の生活区域に忍び込むために警報を切っていたせいで、気付くのが遅れ修理が長引いたなど……監獄惑星にいた頃とあまり変わりませんね」デフォルトは一度ため息をついて目を伏せるが、顔を上げた時には瞳に憂いの色はなかった。「ですが、その騒動のおかげで自分達の存在も有耶無耶になり、潜り込むことができているわけですから、悪いことばかりでもないですよ」
「なにを言っている……この状況こそが悪いことだ。あの二人がなにもしなければ、こんな場所にいなかったんだからな」
「まだお二人がなにかやったと決まったわけでは……」
デフォルトはかばい立てるが、レストに二人の姿がなかったことを考えると、『やはり』という言葉が頭に浮かんでいた。
「どちらにせよ、今はこの状況に巻き込まれてしまったんだ。こじつけでもなんでもいい。なにか一つの真実を見つけなければならない。なにをすればいいかわかるな?」
ラバドーラは白いマネキンの体に、アイの姿を投影して言った。
「はい――ファンキーオクトパスの応援ですね。卓也さんがそこにいますから」
「……そうだ。私もルーカスを探す。探すといっても、誰かが上げた怒声の元にかけつければ、大抵その場にいるからな。まずはあの二人の立ち位置をしっかり把握しなければならない。実体か否か……本物か偽物か……敵か味方か……。わかっているのは、アイツらは変わらずバカでアホでマヌケということだ」
ラバドーラは吐き捨てるように言うと、振り返ることなくハッチ室を出ていった。
一緒にいるところを見られると、二人の関係を聞かれて何かと説明が面倒なので、デフォルトは少し時間を送らせてからハッチ室を出た。
方舟の中は地球時間でちょうど朝の八時。想定天気は曇りということで、船内の明かりは少し暗めに設定されていた。若干の蒸し暑さが、脳や体にちょうどいいストレスをかけていた。
方舟の中ではこうして日々湿度や室温が変更されており、生活にメリハリが出来るようになっている。あまりに同じ日々が続くほうが人間はストレスになるからだ。
デフォルトも少し暑いと感じながら、チームマスコットとして稼いだお金で、いつも朝食を買う店へと来ていた。
「野菜サンド。卵抜きでお願いします」
「今日はレタスが収穫の日で、栄養たっぷりのがたくさん入ったから多めにしとくよ」
「ありがとうございます」とデフォルトが頭を下げると、その後頭部をペチペチとリズム良く二回叩かれた。
「胸肉のハムも追加だ。野菜ばかりじゃ力が出ないぞ」
「ルイスさん」とデフォルトは振り返った。
「よう、おはよう」
ルイスが爽やかな笑みを浮かべて挨拶をするので、つられてデフォルトも笑顔で挨拶を返した。
「朝早いですね。今日の試合は午後からでは?」
「最近調子がいいからな、チームもオレも。しっかり汗を流して、午後に備えるってわけだ。これもニューマスコットのおかげだ。なっ?」
ルイスはデフォルトの後頭部を何度も叩いて称賛を送るが、思ったよりも強い力で叩かれるので、デフォルトはケホケホとむせていた。
「そんなのを着てるからだ。脱げよ。今日は暑くなるし、倒れちまうぞ」
「いいえ、これでも快適に作られているんですよ。暑い時は涼しく、寒い時は暖かく。着たままでご飯も食べられますし。それに……願をかけているんです。優勝するまで着ていようと」
適当に並べたデフォルトの嘘に、ルイスはいたく感激した。
「なら、尚更負けるわけにはいかなくなったな。ほれ、乾杯だ」
ルイスは二人分のサンドウィッチを店員から受け取ると、一つをデフォルトに渡した。
デフォルトが受け取ると、グラスで乾杯するかのようにパンの角を合わせて、打算の一つも見当たらない無邪気そのものの笑顔を浮かべた。
お金を払っていないことに気付いたデフォルトだが、ルイスは気にするなとデフォルトの後頭部を押して歩き出した。
しばらく歩いて、デフォルトが気にしていることに気付いたルイスは「今度オレがMVP取った時は、そっちが奢って祝ってくれ。なあに、さっそく今日にでも取るから心配すんな」と自信満々の笑みを浮かべた。
「ルイスさんも、いつも自信にあふれていますね」
ルイスはデフォルトが「も」と言ったのを聞き逃さず「誰と比べてだい?」と聞いた。
「あのルーカスさ――」といつもの調子で、様と言いそうになったので、慌てて「ルーカスさんと」と言い直した。
「ルーカスと比べたのか? ルーカスと比べたのか?」
「なぜ二回聞くのですか?」
「『多古さん』が二回ルーカスの名前を呼んだから、それにこたえてみた。ルーカスね……たしかにいつも自信満々だな。あの前向きさは見習うべきだと思わないか? まぁ、少しやり過ぎることも多いけどな」
「少しならいいんですけどね」
デフォルトが愚痴っぽく言ったのを、ルイスは見逃さなかった。
「ずいぶん真に迫ってるけど、ルーカスと仲がいいのか?」
「いえ、ここではまだ会ったことはありません」
「ここでは……ってことは、適性検査で一緒だった口か。まぁ、方舟は人が多いからなー。なかなか会いたくても会えないんだよな。IDナンバーとか知らないのか? よかったら誰か知ってるやつに聞いておいてやろうか」
デフォルトは少し考えてから「お願いします」と頭を下げた。今後のことを考えると、ルーカスの情報は少しでも集めておいたほうがいいと思ったからだ。
「任せとけ」と胸を叩くルイスは、デフォルトの目にはとても頼もしく映っていた。
しばらくは談笑を続けながら歩いていたが、デフォルトは会議の為ミーティングルームへ、ルイスは練習の為にスタジアムに行くので別れた。
ルイスがいなくなった途端に、どこからともなく現れた卓也は「ハワード・ルイス。まったく嫌な男だよ……」と呟いた。
「そうですか? 自分はいい人だと感じていますが」
「それは君が問題外だからだよ。女の子を横から奪われることなんてないと思ってるんだ。だいたいなにを思って一日中着ぐるみを着ているんだい? いいや、僕にはわかる。顔を隠すためだろ。顔がバレなければ、女の子に声をかけ放題――ってことだろ。タコランパ君……君は油断ならない相手だよ」
「卓也さんは、相変わらずずっと女性のことを考えているんですね……。それより、自分を見てなにか思い出しましたか?」
「思い出す? 思い出すね……」と卓也はデフォルトをジロジロ見ると、急にぽんっと手を打った。「そうだ! 忘れてたよ!」
「思い出しましたか?」
「ハワード……だ。エイミー・ハワード。今日は彼女がパーティーを開くって言ってたんだ。汗臭い着ぐるみに入ってる場合じゃないよ」
卓也はミーティングをすっぽかして走っていったが、角で姿を消したところで急に姿をまた現して戻ってきた。
「ちょっと来て!」とデフォルトの触手を掴むと引っ張っていった。
卓也がデフォルトを連れてきた場所は倉庫だ。
卓也は「危ない危ない。パーティーにプレゼントはつきものだからね」と、積んでいる箱を取り出して開けて中身を物色し始めた。
「あの……これは窃盗では?」
「人聞きが悪いことを言うなよ……僕はリサイクルされる前の物を失敬するだけ。この倉庫にある半分は近いうちに分解されて、新しいものに作り変えられるんだぞ」
「そうなんですか? 新品のものばかりの気がしますが」
「君は着ぐるみを着ていれば満足だろうけどね。この世には流行ってものがあるんだよ。この宇宙船も然りだ。廃れた服は、流行りの服へ。時代遅れの雑貨は、新しいものへ。まぁ、長い宇宙船生活の知恵だよね、地球と同じような生活をするってのは。でも、方舟にはないものも多くある。野菜は栽培されてるけど、花はないからね。で、この倉庫に造花があるって、ナタリーが言ってたんだけどな……」
「造花を探すのを手伝うってことでいいんですか?」
「その通り。話が早くて助かるよ」
「でも、試合はいいのですか? 午後からですよ。マスコットがいないのでは盛り上がらないのでは?」
「フットボールのデイゲームよりも、僕のナイトゲームの方が大事」
デフォルトは「本当に相変わらずですね」と笑った。そう離れていたわけではないが、いつもと変わらない卓也を見て、無性に懐かしく思ったからだ。
それ見て卓也は「ほら見ろ」と不満をあらわにした。「関係ないみたいなことを言っておいて、ちゃっかり僕の情報だけは集めてるんだ。じゃないと、相変わらずなんて言葉は出てこないよ」
「そうですね……噂はよく聞きます……とても真実味を帯びて」
「いいかい? 良い噂は本当だ。悪い噂は全部ウソ。でも、悪い噂だけど、女の子が頬を赤らめて話してたら本当だね。そんなことより、今は造花を探すのが先。ベッドの上と一緒。お喋りは良いけど、手は止めない。これは鉄則だよ」
卓也と少し離れたほうが効率がいいだろうと、デフォルトは遠くの箱を引っ張り出した。
「これはずいぶん古いですね……」
デフォルトにとって地球の流行り廃りはわからないのだが、埃のかぶり具合から見てかなり古いものだとわかった。
「それは博物館行きの荷物だよ。誰も見ないのに、ちょくちょく展示物を変えるんだ。造花はないと思うけど……一応確認してみてよ」
デフォルトは「はい」と返事をすると、箱を開けた。
中身は缶詰だった。
なんの気なしに、箱から手に取った缶詰を見て、デフォルトは驚愕した。
レストでラバドーラが見付けた缶詰と、製造ナンバーが一緒だったからだ。
手が止まるデフォルトに、卓也は「大丈夫かい?」と声を掛けた。
「いえ……あの……すいません!!」デフォルトは深々と頭を下げると「大切な用事があったのを思い出したので――失礼します!!」と、もう一つ缶詰を手に取って慌てて駆け出した。
この導き出した真実を、一刻も早くラバドーラに伝えなければならなかった。




