第一話
「……キロ――オ――キロ――オキロ――起きろ!!」
ラバドーラが三人を呼び続けてまる二日。
体を縛りつけている縄は、どう結んだのかはわからないが、一向に緩むことはなく、暴れるほど縛り口は固くなった。
アンドロイドの身なので、食べることも寝ることもトイレに行く必要もない。苦しむことはないが、かといって喜ばしい状況でもない。エネルギーが切れるまで、ずっとこうして椅子に縛られているわけにもいかない。せめて目の前のハンドルに手が届けば良いのだが、それも絶妙な距離で離れているので無理だった。
ルーカスと卓也の自画自賛するマヌケな寝言と、デフォルトの寝返りが確認できるので、三人が死んでいるということはなかった。
どれだけ大きな声で叫んでも、体を揺らして椅子を軋ませるように騒音を立てても、起きるということを忘れてしまったかのように眠り続けた。
原因となったのは頭を打ち付けたことによる気絶だが、レストに戻ったという安心感からの気の緩みから、覚醒するまでに時間がかかっていた。
特にデフォルトはずっと気を張っていたせいもあり、脳が疲労回復に全力を尽くしているようにぐっすり眠っていた。レストでは、ラバドーラが自由に動けないこともわかっているので、多少の騒音くらいでは起きることはない。
多少どころではない騒音が響き続けるのは、ルーカスと卓也が問題を起こす時だが、二人もまったく起きる気配がなかった。
ラバドーラはとりあえずやれることからやろうと思い直し、脱獄の準備のために使っていた他の囚人や看守の外見のデータや、声紋などの削除を始めた。
容量を空けておくのに越したことはないが、現状では容量を増やしたり移し替えせないので、こまめな削除をしなければならない。いらない情報は山ほどあるが、どの情報とどの情報が関連付けられているかも考えながら削除しなければならない。
アンドロイドの記憶の削除とは、二度と思い出すことはないからだ。
万が一でも重要な情報を削除してしまっては、まったく使えない部分が出てしまったり、バグが出たりしてしまう。
このバグというものが厄介で、情報が遮断されてしまい、アクセス出来なくなるのはまだ良いほうだ。不便だが、アクセスが出来ないと認識できる。
それが、勝手に別の情報と繋がってしまうと、ありえない過去が現実の過去となって認識されてしまう。つまりバグということに気付くことなく、そういうものだったと思いこんでしまう。
ただ重要な情報は間違っても消さないように、厳重なロックの元保管されている。例えば、自分の体のことだ。部品やプログラムの情報の他にも、自分に不利になる情報、有利になる情報など様々なものがある。
これらはラバドーラの記録媒体の中だけではなく、L型ポシタムとして行動していた時の上書きウイルスによって、いくつかの惑星ストレージにデータを擬態保存しているので、自分の記録媒体が破壊されたとしても、記憶を取り戻す手段はある。
だが、L型ポシタムの被害状況がわからない以上。それをあてにするのは危険だった。他のアンドロイドの生き残りがいるかも知れないが、全滅した可能性もある。全滅していたら、惑星ストレージに保存したことさえ思い出せない。
だからこそ、記憶の削除は慎重にしていた。そう思えば、ルーカスも卓也も気絶している状況というのは、かえって好都合だったかもしれない。邪魔が入らなければ、誤ってデータを削除するということはないからだ。
ラバドーラは手始めに、自身をチャップネイズの姿に変えた。
チャップネイズが乗っていた超小型宇宙船ごと投影しても、とても小さい彼は縄に縛られていない。
白い体のスクリーンに、体にちりばめられている極小のカメラで前後の背景の映像と人物を組み合わせて投影しているだけなので、実際の体は縛られたままだからだ。
実際に姿かたちを変えられれば、あっという間に縄など抜けてしまえるのにと、ラバドーラは憤りをぶつけるように、チャップネイズのデータを消した。
そうしていくつかの人物のデータを削除していると、ここしばらくでずいぶん慣れ親しんだ姿に変わった。
死亡した看守のデータと、卓也の記憶から引き出した女性の二つのデータを合わせて作り上げた姿だ。
思い入れが強いというわけでもないが、長いことこの女の姿でいたということもあり、まるで誰かを思いのまま操れるように、別の人格が出来上がったように便利な存在だった。人間に近づいたような気さえする。そう思うと、やはり思い入れがあるというのも、遠い感情ではないような気がした。
ラバドーラが何気なく呟いた「考えものね……」という女性の声は、波立つことのない瓶に張られた水に、一滴のしずくが落ちたかのように静かに空間に広がった。
その波紋は卓也の鼓膜を揺らすには十分すぎるものだった。
「朝一番に入る声が君の声だなんて、素晴らしい一日の始まりだね。一つを除いて言うことなしだ。今日最後に聞く声も、君の君だと僕は嬉しいな」と卓也はベッドから起き上がるように優雅な仕草で、床から起き上がった。そしてラバドーラの椅子に縛られた姿を見て、口笛でも吹きそうなくらい嬉しそうに唇を尖らせた。「男女の仲にはサプライズがつきものだ――ナイスサプライズ!」
卓也は親指を立てると、両手をわきわきさせながら近づいてきたので、ラバドーラは投影をやめて元の真っ白なマネキンのような体に戻った。
「よく起きたな。早くこの縄をほどけ」
ラバドーラはようやく自由になれると思ったが、まず卓也から返ってきたのはため息だった。それだけで答え出たようなものだが、次にはっきり言葉にした。
「縄をほどくメリットがあるとは思えないんだけど? 僕をバカだと思ってるなら間違いだぞ。アイさんの姿ならともかく、マネキンに誘惑されるとでも思うのかい?」
「あの女の姿だと、まともに話を聞かないだろう。身を持って知っている……何度計画を遠回りさせられたか……」
「僕もそこを言いたい……よくも姿を変えて騙したな。僕には過去に、似たようなことで心に傷をおっているんだぞ……。あの時は催眠にかけられていたとはいえ……あんなモニター画面に……」
卓也が悔しそうに膝から崩れ落ちるが、ラバドーラの言葉は「学習するという言葉はないのか?」という辛辣なものだった。
「催眠にかけたり、高解像度で自分に映像を投影したりずるいじゃないか。だいたいそんな……そんな……」
卓也は舐めるような視線でラバドーラの全身を見ると、あからさまに思いついたという表情を浮かべて操縦室を飛び出していった。
その時、思い切りルーカスを踏みつけていったので、ルーカスは飛び起きるなり怒りの形相でラバドーラを睨みつけた。
「貴様か! 私を踏んだのは!!」
ラバドーラはため息を付いてから「私をよく見ろ」と肩をすくめた。「自由に動けるなら踏むどころか、炉に放り込んでやるところだ」
「じゃあ他に誰がいるというのかね。事実なら説明できるだろう」
ルーカスが詰め寄ると、ラバドーラは首を振って周りを見ろとジェスチャーした。
「一人いないのがいるだろう。それで事実が思い当たらないならば、その脳みそは生物として機能していないな」
ラバドーラの嫌味をルーカスは鼻を下卑た風に「フン」とならして返した。圧倒的優位に自分が立っていると気付いたからだ。
「ずいぶんいい格好をしているな。囚人にはお似合いだ」
「なら、そこに椅子が一つ空いてる。真似すればいい。お似合いだぞ」
「この私にそんな口の聞き方をしてもいいと思っているのかね。私はこのレストの船長であり、異星人だろうが、アンドロイドだろうが、マネキンに乗り移った幽霊だろうが、痛いところは熟知している」
ルーカスが近づくと、ラバドーラは悲鳴を上げた。
「なになに! どうしたの?」
悲鳴を聞いた卓也は、タブレット端末を手に持って慌てて操縦室に戻ってきた。
そこには最高の笑顔を浮かべているルーカスと、大声を出して、少しでも言葉を遠ざけようとしているラバドーラの姿があった。
「どうした? ポンコツ。まだまだあるぞ。黒電話にマンガン乾電池。どうだ、時代遅れの白マネキンにはお似合いの言葉だ。とどめはこれだ。イチィ――メガァ――バイトォ」
「本当に……どうしたのさ」
「卓也か。見たまえ、この惨めな姿を」
ルーカスは椅子に縛られた格好で、いやいやと首を振るラバドーラを指したが、卓也は動けない相手に自信満々の笑みで嫌がらせをするルーカスを見ていた。
「見てるよ……物凄い惨めだ……」
「私ではない。このカメレオンのように、姿を変えるこのマネキンのことを言っているのだ」
「そうだ。たしかにそれだ! 僕はそのためにこれを持ってきたんだった」
卓也はタブレット端末を近づけると、「ねぇねぇ」とラバドーラの肩を揺らした。
「なんだ……私は屈しないぞ……」
「そんなんじゃないって、ほらこれ」
卓也はずずいとラバドーラの顔に画面を近づけた。
「なんだこの青い肌の女は」
「なんだってことはないだろう。この子は有名なあれだぞ……。えっと……」卓也は一度画面を確認すると、再びタブレットをラバドーラに見せた。「そう。アネンダ・デルルルカルド=ポニッシュだ。宇宙一セクシーな美女。僕が投票したんだから当たり前さ」
「それがどうしたっていうんだ」
「彼女に変身してぇー!」
卓也は拝み倒した。まるで椅子に座る王に懇願する民だ。
「意味がわからん……」
「せっかく宇宙一セクシーな美女に選ばれて、ヌードになったっていうのに、回遊電磁波の受信が失敗して、肝心の画像はダウンロードできずじまいだったんだ。そこに、なんにでも変身できるアンドロイドが来たんだぞ! ヌードとは言わないから、変身して本人のように振る舞って! そうすれば、実際に彼女に会った時にイニシアチブが取れる!」
額を床に擦り付けて哀願する卓也を見て、ルーカスの口から「なんて惨めな姿だ……」と言葉が出た。
ラバドーラはごく自然に頷いて、その言葉に同意した。
「条件がある……この縄をほどくなら、この体に投影していやろう」
「そんなのお安い御用だ。見事彼女に変身したら、僕の体だってあげちゃう。好きにしていいよ」
卓也の後半の戯言の間に、ラバドーラはあっという間に姿を変えた。
アネンダ・デルルルカルド=ポニッシュの姿――が映っているタブレット端末に。
「なにやってんの……もしかしてギャグ?」
「それに姿を変えろ言っただろう。だから姿を変えたんだ。早くほどけ」
「僕はこの女性に姿を変えてってお願いしたんだ。タブレット端末に変わるんだったら、意味ないじゃん!」
「そんなのできるわけがないだろう……実物も見ないのにか? ブラウン管に興奮するんだったら、タブレット端末でも変わらないだろう」
「ぜんぜん違う。解像度が違う。ブラウン管で見た時に綺麗でも、タブレットの画面で見るとブスに見えるものなの。そもそも、L型ポシタムって高性能のアンドロイド集団なんだろう。そのボスのくせに、データ解析して本物そっくりにデータを作り出すってことくらい出来ないのかい?」
「出来る! こんな時代遅れの宇宙船じゃなければな! 宇宙ゴミでも拾って作ったのか? こんな仕組みのわからない宇宙船で、宇宙にいるなんて不安でしかない。オマエらは本当に知的生命体か? データにアクセスしてフリーズするなんて初めてのことだぞ」
まくしたてるラバドーラに、ルーカスがやれやれと首を振った。
「見たまえ……卓也君。自分の無能を責任転嫁して乗り切ろうとしいる。実に惨めだと思わんかね」
「惨めだよ……ルーカスの言う通り、君はポンコツだ」
「いいから、約束通り縄をほどけ。そこの男の次に、炉に放り込んでやるから」
「そんなこと言われてほどくバカがいると思うかね? 君のようにポンコツで無能ではないのだ。私は」
ルーカスでは話にならないと、ラバドーラは卓也を見た。当然『アイ』の姿を変えて。
「ねぇ……ほどいて。胸に跡がついちゃうから」
「大変だ! 跡がすぐ取れるように、おっぱいの方から緩めないと」
卓也が手を伸ばすと、ルーカスは首根っこを掴んで引き離した。
「なにをやっているのかね……」
「どうしよう……ルーカス……彼女は策士だぞ。聡明だ。僕の弱点を知ってる」
「私も知っている」
「じゃあ、策士って言葉と聡明って言葉は忘れて」
「私に任せたまえ」
ルーカスが勇んでラバドーラに前に立つと、ラバドーラは甘えた声で「本当に苦しいの……ほどいて……」とささやくように言った。
「私は女の甘える声っていうのが大嫌いなのだ。鼻から息を抜いて……フランス語でも話しているつもりかね?」
「嘘ぉお……ルーカス絶対おかしいって。普通はあの声大好きだぞ」
「だから君はいつも女に騙されるのだ。私はアホな女にはいつもフランス語で、こう返してやる。中指を立てて『ヴァッファンクーロ!』とな」
「ルーカス……それイタリア語」
「なんでもいい。ケマニャーナアンガソールでも、アイアムワーストマンカインドでも、掘った芋いじるなでもな」
「どれもフランス語じゃないって」
「いいからほどけ! バカども!」
ラバドーラが怒鳴ると、卓也はマネキンの姿に戻ったことに露骨に表情を変えた。
「自分でどうにかしなよ。僕はマネキンで遊ぶほど、体寂しい男じゃないんでね」
「でも、ほどいてくれないと、あなたの頬に手を当ててキスをすることもできないわ」
すかさずラバドーラは姿を変えていった。
「うん、ほどくー」
「まったく……何度引っかかれば気が済むんだ。アホかね……」
「フランス語の一つも知らない君にアホ呼ばわりはされたくない。だいたい一番のポンコツはルーカスだろ」
卓也がルーカスの顔を指して言うと、ラバドーラが「そうだ、もっと言ってやれ」と口を挟んだ。
もう誰と誰とが言い争っているのかもわからない状況。その騒々しさに目を覚ましていたデフォルトだが、あまりもな光景に一言をこぼすことしかできなかった。
そして、その弱々しい言葉は誰にも気づかれることはなかった。
「なんて惨めな……」




