第五話
着陸というより不時着。もっといえば墜落だ。ゲームに出てくるフォークボールのように、レストは急に角度を変えた。
大気に混ざる緑色のガスを突き抜けた先も緑。地平線の果てまで緑だった。
しかし、墜落のスピードとは反対に、地面への衝突の衝撃は柔らかく、ウレタン素材のクッションに腰を下ろした程度だ。
レストの中も被害はなく、ナイトテーブルに置かれたフォトフレームも倒れることがなかった。
そんななかでルーカスだけが壁に額をぶつけていた。
「……急に落ちるとは」
ルーカスは赤くなった額をさすっていたが、卓也は心配する様子もなく、コップから一滴こぼれなかったお茶を一口すすった。
「落ちるっていったって、ルーカスの株ほどじゃないよ。ルーカスが直前にごねて、やっぱり赤い星だ。いや、緑の星だ。赤い星も捨てがたい。緑の星以外あり得るわけがないだろう。って僕達を惑わさなければ、燃料は充分にあったんだぞ。少なくとも墜落をしないくらいには」
「これは墜落ではなく着陸だ。その証拠に、機体には傷一つついていない」
確かに衝撃はなかったのだが、燃料がなくなり墜落したのは事実なので、卓也は確認のためにデフォルトを見た。
デフォルトはメーターから目を離さずに「損傷はないと思いますが、外に出て確認してみないことには」と、外の環境データを調べながら答えた。
だから、エアロックを開けに行くルーカスの姿に気付くことができなかった。
卓也もデフォルトに習うようにメーターを覗き込んだので、「第一歩を踏みしめるのは私の足だ」というルーカスの言葉は聞こえていなかった。
「酸素は充分ですが、湿度と気温が高めです。重力はレスト内より、少し小さいですね。恒星の光も強くないので、肌が焼ける心配もないと思います。宇宙服を着るほどではないと思いますが、『プロテクト光線』を浴びておきますか?」
「日焼けの心配がないならいいよ。あの光でコーティングされると、冬みたいに肌が突っ張ってカサカサするから嫌いなんだ」
「用心に越したことはないと思いますが……。念の為に自分が先に降りて様子を見ますね」
デフォルトが触手を正して、歩き出そうとした瞬間。ボンッという変に低いマヌケな音ともに、空気の噴出でルーカスは外に押し出されてしまった。
ルーカスは一歩目を踏み下ろすことなく前のめりに倒れると、まるでカタパルトで発射されたかのように、勢いよく飛んで行ってしまった。
さながら低空飛行のスーパーマンのような格好で、地面にこすれながら消えていくルーカスを見た卓也は、思い直してプロテクト光線を浴びてから外に出ることにした。
「いやー、なにもないところだね」
プロテクト光線を浴びた卓也は、重力の違いの影響も少なく、普通に緑色の地面へと足を下ろすことができた。
ぶよぶよとした硬めのウォーターベッドの上を歩いているようで、足元が不安になる感覚だが、地面はうねうねと形を変えるわけではない。
デフォルトはその上を八本の触手を器用に使って、重力も、柔らかい地面もお構いなしに平然と歩いていた。
「そうですね……見たところなにもないです。ルーカス様の姿も……ルーカス様はどこまで飛ばされてしまったのでしょうか」
デフォルトは緑の地平線に目を凝らした。
苔のようなものが一面に生えた地面に障害物はなく、時折薄緑の蒸気が吹き出すくらいだ。
「あんなの心配するだけ無駄だよ」
そうこぼした卓也の言葉は、デフォルトにはとても冷たく聞こえた。薄情に思えたせいで、すぐさまルーカスの肩を持った。
「未知の惑星ですよ。心配にもなります」
「人を巻き込んで被害を拡大するのに、自分は大した怪我もしないのがルーカスだぞ。そのうちあほ丸出しで戻ってくるって――ほら、見ろ」
卓也はボートサーフィンのように飛沫を上げながら、滑り込んでくるルーカスの頭を踏んで止めた。
ルーカスはそのままのうつ伏せの格好で「ひどい目にあった……」と息も絶え絶えにつぶやくが、服が濡れたくらいで怪我の一つもなかった。「だが、私は大丈夫だぞ。この通りピンピンしている」と立ち上がった。
「こんなに早く一周するとは……大気の層が大きく、星自体の面積はとてつもなく小さいんですね。緑の物体は植物っぽいですが、見たことないですね……」
デフォルトは地面の緑の藻のようなものを引っこ抜こうとするが、接着剤で貼り付けたかのように抜けもしなければ、ちぎり取ることもできなかった。
「宇宙植物じゃないの? よくある雑草の類の」
「その可能性はないわけじゃないですが、これだけ水を含んでいると燃料には使えませんね。この湿度だと乾燥させるのも難しそうですし」
空気が滴るような湿度は、三人とも初めての経験だった。
にもかかわらず、プロテクト光線を浴びていないルーカスは卓也よりも元気だった。
ルーカスは「聞いているのか? 私は大丈夫だぞと言っているんだ」と、注目を集めるために足を踏み鳴らした。
水分をふんだんに吸っている柔らかい地面は、ビチャビチャと音を立てた。
「元気なら良かったじゃん。惑星一周した感想は今度ゆっくり聞くよ。だから、まずは着替えてきたら? 緑の汁がついてきゅうりの化け物みたくなってるよ。昔、きゅうりを残したことがあるんじゃないか?」
「きゅうりは大好物だ。祖母の得意料理が、きゅうりの酢のものだからな。いいか、私はレストに戻り着替えてくるが、くれぐれも私を置いて遠くに行くんじゃないぞ」
卓也は「はいはい」と気のない返事をするが、遠くに行くつもりはなかった。置いていくと、後でめんどくさくなるのがわかっていたからだ。
しかし、一面緑の世界に違う色を見つけると、足は自然とそっちへ向いていた。
卓也が「これはなんだろう」と茶色の物体を拾おうとすると、まるでかさぶたのように剥がれた。
水分はほとんどなく、巨大なビーフジャーキーのように茶色で硬い。
「見たところ、緑の物体と同じものですね。細胞は死んでいますが。仮にこれが植物だとしたら枯れている状態です」デフォルトは自らの触手で確かめ、ゴーグルでスキャンする。「これなら燃えるので、燃料に出来ます。ですが、これだけじゃ足りないですね……」
二人は辺りを見回した。同時にふらふらと足をさまよわせるように歩き出す。
卓也が「こっちにもあった」と声を出すと、デフォルトも「こちらにもありました」と声を上げた。
目を凝らすと、思ったよりも茶色い物体は点在していた。
二人は視線を落として探しているせいで、集めているうちにレストから離れているのに気付かなかった。
ルーカスが着替え終えてレストの外に出た頃には、二人の姿は点とも存在してなかった。
「まったく……どこでなにをしているのだ」と、ルーカスは憤懣やる方ない思いで辺りを見回した。
二人の話を大して聞いてもいないので、足元の緑は植物だと思っている。これを剥がして持っていけば、燃料の問題は解決だと考えているので、それをせずにどこかへ行ってしまった、卓也とデフォルトをどれだけ無能なのかと憐憫に思ったあと、自分は船長だという無駄な責任感を発揮し、一人で燃料を積み込むことに決めた。
卓也とデフォルトがどれだけ力を込めても抜けなかった緑の物体だったが、ルーカスが力を入れると簡単に剥がれた。
二人はプロテクト光線を浴びていたせいで、この星と重力の力に体を合わせてしまったので、機械の力でも借りない限り剥がすのは無理だったが、浴びていないルーカスは己の力で剥がすことができた。
さらには無駄な才能を発揮し、最初は手のひらサイズで剥がれていたのが徐々にコツを掴み、天然芝のマットを剥がすかのように簡単に大きく剥がせるようになっていた。
「こんなプリンをスプーンですくうより簡単なこともせずに、二人はどこをほっつき歩いているのかね……」
ルーカスの静かな独り言は、なにもない地平線に消えていった。
「船長自ら、すべての支度とは世も末だ。先が思いやられる……」
束になった緑の塊を担ぐと、レストの中に運び込んだ。
大量に運び込み、あまりに暇なので燃料タンクに押し込み、ルーカスに取ってはすべての準備を終えていつでも、離陸可能な状態だった。
レストに寄りかかり、卓也とデフォルトが戻ってくるのを、不機嫌に眉を寄せて待っていた。
卓也とデフォルトはというと、正しく燃料となる茶色の物体を大量に抱えてレストに向かって歩いていた。
「これだけあれば足りるかな?」
「空き箱や、埃を燃やすよりは何万倍も保ちますよ」
デフォルトは真ん中四本の触手で歩き、左右二本ずつの触手で卓也の何倍もの燃料を担いでいる。
「燃えるのはいいけど、あのエンジンの音どうにかならないの? 特にかかり始め。耳の中で道路工事をされてるかってくらいうるさいんだけど」
「修理はできますが、改造は無理ですね。道具もパーツもないですから、そんなものがある星に着陸できたら、改造するより別の船に乗せてもらうほうが速いです」
言いながらデフォルトは、燃料となる茶色の物体と、足元に蔓延る緑色の物体を何度もスキャンしていた。
その行動に卓也は不安を抱いた。
「今さら人体に有害とか言わないでよ。ガッツリ抱えて肌にも触れてるんだから……。僕はおでこにニキビ一つできただけで死んじゃうんだぞ」
「昔ですが、誰かの研究資料を見たときに、似たようなスキャン結果を見たような気がしまして」
「昔の記憶より、今を大事にしたほうがいいよ。ルーカスはごねると長いからさ」
卓也が目を凝らした視線の先では、まだ小さく輪郭もぼやけるルーカスがいる。それでも尊大な態度で腰に両手を当てているのがわかった。
二人から見えているということは、ルーカスからも二人の姿が見えているということだ。
「置いていくなと言っておいただろう!」
ルーカスが米粒程度の二人に聞こえるように、大声で怒鳴り散らすと、前触れもなく足元の大地が脈を打った。
地震ではない。波打つシーツのように地面が形を変えたのだ。そして、一瞬の静寂。その間に卓也とデフォルトは何事かと顔を見合わせた。
しかし、答えが出ないうちに、ルーカスが「なんだ今のは」と叫ぶとまた地面が動き出した。今度は水平型エスカレーターのように、二人の進みたい方向とは反対へと動いている。
慌てて走り出すが、動く柔らかな地面を逆走するのは困難であり、バランスを取るのさえうまくいかない。
ルーカスには、二人は足がつく水底で泳いでいるかのようにマヌケな姿に見えていた。
まだ遠くに小さく映る二人に「なにをやっとるのかね!!」と叫ぶと、今度はルーカスの足元も動き出した。
ありがたいことに、ルーカスのいるレストが着陸している地面は、卓也とデフォルトに向かって進んでいる。
くしゃくしゃに丸めた一枚の細い布を、誰かが端から引っ張って真っ直ぐにしようとしているかのような動きだ。三人はその布の上を抗う術もなく滑っている。
三人が合流する直前。意思を持っているかのように、緑の物体がレストに覆いかぶさり始めた。
その光景を見たデフォルトは全身真っ青になって叫んだ。
「早くレストの中へ!! ここは既に星ではなく、『流れもの』の上です!!」
「なんだね! 流れものとは!」と、ルーカスは我先にレストに乗り込みながら聞いた。
「宇宙生物です! 説明の前にエンジンに火を入れませんと……このまま飲み込まれて、この惑星の結末と同じ運命を辿ることに」
デフォルトは一目散にエンジンルームに向かったが、燃料タンクを見て悲鳴を上げた。
どうしたんだと後の二人も続き、デフォルトが口を大きく開けて燃料タンクに向かって触手を一本指しているところへと向かった。
「あぁ、これか。驚いたかね? 出発の準備は万端だ。船長自ら逃げる準備をしておいてやった。いつでも離陸できるぞ」
自慢げであり満足気。ルーカスの至高の笑顔が、今朝デフォルトが磨いたばかりの燃料タンクの表面に反射した。
「呆然としてる暇はないよ。早く掻き出さないと!」
卓也は鉄パイプを突っ込むと、暖炉の灰かき棒のように使い、ぎゅうぎゅうぱんぱんに詰まった緑の塊を掻き落としていく。
ある程度緑の物体を掻き出して、茶色の物体を入れて火をつけた時には、レストはとても飛び立てるような状態ではなかった。
機体に圧力が掛かるミシミシという不吉な音。モニターは緑の物体に包まれているせいで真っ暗。
このままどうあがいても、深海で潰れるペットボトルと同じ運命を辿るのだと思ったその時だった。
燃料が充分に燃え始めて、エンジンが動き出した――とてつもない轟音を発して。
卓也とルーカスは耳を抑え、タンクから離れて床に転がると、同時に緑の物体もレストから離れた。
ただ一人影響のないデフォルトは、触手のすべてを天井、壁、床、を伝わせて、操縦室へと向かい、すぐさま離陸の準備を始めた。
緑の物体は再びレストに襲いかかろうとするが、轟音を発するレストには近寄れないようで付かず離れずを繰り返していたが、とうとう諦めてレストから離れた。
デフォルトはその瞬間を逃さず、すぐさまエンジン出力全開で宇宙空間へ飛び出した。
丸かった真緑の惑星は、ひょうたんの形のようにくびれており、今なおくびれ続けていた。終わりはすぐに迎え、真っ二つにちぎれるのと同時に、星の正体が顔を出した。
顔も手足もない緑色の水のような存在が、宇宙空間に浮かぶでもなく沈むでもなく、ただそこにあった。
「あれは自分達が『流れもの』と呼んでいた宇宙生物で、星を捕食し消滅させては移動を繰り返す生物です。言わば……星を持たずに生まれた。知的ではないほうの生命体ですね。ですが、宇宙には最も適応している生物です。仲間が研究していた生物ですね」
「それがなんで宇宙船を襲うわけさ」
汗でびっしょり濡れた前髪を整えながら卓也が聞いた。
「大きな音に弱いんでしょう。恐らくですが、ルーカス様の大声に驚き、隣りにあった船に襲いかかってきたのかと。レストのエンジンが古いものでよかったですね。音もしない最新型でしたら、今頃惑星ごと捕食されてましたから」
「肝を冷やしたよ。宇宙生物なんて出会うものじゃないね。行動の目的がわからない生物ほど怖いものはないからね」
「星のコアを生むという話があり、新たな惑星が生まれるプロセスの一つだと研究していたそうですが……」
「その研究結果ってばらしていいものなの?」
「前にも言いましたけど、一族は滅んでますから。研究者もあの爆発で死んでいますよ」
「つまり……」と、ルーカスは見事な三日月のようにニヤリと笑みを浮かべて口を挟んだ。「その研究というのは、もう誰のものでもないわけだな?」
「そういうことになりますね」
「そうか、そうか」
意味ありげに頷くルーカスからは見えてはいないが、他の二人はモニターに映る緑の物体が、恒星の反射ではない生物発光を繰り返し、また別の星へのろのろと向かうのが見えていた。
それはまるで銀河の集まりが流れていくようだった。