第二十四話
まるでこの場にいる全員が、同時に眠りに落ちたかのような静寂が流れた。
ラバドーラは自分が正体を明かしたことにより、彼らの気持ちの整理が追いついていないのだろうと、その静寂を受け入れた。
しかし、ルーカスの「くくく」という喉奥で低く響く、くぐもった笑い声が小さく漏れ聞こえたかと思うと、徐々に抑揚が大きく高笑いに変わり響き渡った。
正体などわかっていたと言わんばかりに豪快に笑うので、ラバドーラは思わず身構えた。
「見たかね、卓也君。ヤツの姿を……。まるでマネキンだ。前のモニターに恋した時に比べれば幾分ましとも言えるが、所詮は無機物。君がアレに熱を上げていたかと思うと、面白くてしょうがない。腹を抱えてわっはっはだ。そして、股間の熱が今は顔を熱くさせると思うと、こりゃまた腹を抱えてわっはっはだな」
ルーカスはおかしくてたまらないと床を転げて笑った。
「……ルーカスはそのマネキンより劣るってことだぞ。君は彼女の部下なんだから」
「おしゃべり機能付きのマネキンなど。ただの玩具だ。上司も部下もない。見たまえ、真っ白で貧相な身体を……未完成品のポンコツではないか」
あざ笑うルーカスだが、腰あたりをラバドーラは踏みつけられたせいで、笑い声はうめき声に変わった。
「茶番はもうたくさんだと言っただろう。今すぐエンジンをかけろ。この男がどうなってもいいのか?」
ラバドーラが体重をかけると、ルーカスは苦しみにもがいた。
しかし、返事はない。あえて言うなら無言が返事だった。
「……どうなってもいいのか?」
ラバドーラはもう一度体重をかけて、ルーカスにうめき声を上げさせた。
卓也は「しかたない……」と諦めの表情を浮かべると「やっちゃってくれ……。ひとおもいにでも、時間を掛けて苦しめてもいい」と言った。
「この薄情者め……」
ルーカスが睨みつけるが、卓也は鼻で笑った。
「マネキンに踏まれてる姿なんてなんも羨ましくない。彼女の姿だったならともかく、今は立場を変わってほしいとは思わない。だから犠牲は一人で十分。成仏しなくてもいいけど、死んでからも迷惑をかけるようなことはしないでくれよ」
まだ疲労で床に這いつくばったままの二人は、そのままの体勢で口喧嘩を始めた。
ラバドーラは慌てて振り返り、デフォルトに向かって「困るだろう?」と聞き直した。
「いえ……どちらかというと。そのままでいてもらえるほうが助かります。『ラバドーラ』さん」
自分の正体などまるで気付いていないようなルーカスと卓也と違い、自分のことを認識していたデフォルトをラバドーラは好意的に思ったが、それなのに何事もないように作業を続けているデフォルトを不審にも思った。
「生命体の身体なんて脆い。特にこういった水分ばかりの生命体など、圧迫してやればすぐに死に至る」
ラバドーラに脅しにデフォルトはため息で答えた。
「ルーカス様を殺されるのは困りますが、もう少しでお二人の体力が回復する頃です。押さえつけておかなければ、なにか問題を起こしてエンジンをかけることもできなくなります」
レストの燃料は燃えればなんでもいいが、火が消えたエンジンで再び燃やすにはコツがいる。なにしろ燃料が囚人服だからだ。
服に使われている化学繊維は燃えやすいが、燃え上がりにくい。エンジンが温まるまで燃やすにはコツがいる。
それに火を付ける前に、エンジンが故障していないかも確認する必要があった。自分が急かされるよりも、憎まれ役をラバドーラが買ってくれている方が作業はスムーズに進む。
「それは……この私に協力を仰いでいるのか」
「脱獄する目的までは同じようですし、エンジンをつけろと命令するなら、そうしてもらわないと困ります。そちらもそうですよね?」
手を止めずに話すデフォルトを見たのと、今まで一緒にいた時間を見て、わずかな時間でも問題を起こせる二人だというのを思い出して、ラバドーラは渋々案を受け入れて頷いた。
「それで……」とデフォルトは言いにくそうに切り出した。「お願いばかりで恐縮ですが……。燃料を分けてはいただけないでしょうか?」
「燃料の担当はそっちのはずだ。それはどこにあるんだ」
ラバドーラの刺すような言い方に、デフォルトは心底すまなさそうに炉を指した。
「まさか……あの押し込んだ布切れを、本当に燃料だと言い切るつもりか?」
ラバドーラはおちょくられたと思い、怒りにモーターがうねりをあげて、体から煙を発した。
「信じられないでしょうが、この宇宙船の燃料としては正しいのです。しっかり火を燃え移すには、液体燃料を染み込ませるのが手っ取り早いので。少量でいいのですが……分けてもらえないでしょうか?」
「それじゃあ……あの大事に抱えてきた大量の紙も、アレも燃料だと言うのか?」
愕然とするラバドーラの言葉を吹き消すように、ルーカスが盛大な音量で鼻で笑った。
「アレは私の尻を拭く紙だ。ポンコツには燃料とトイレットペーパーの違いもつかんか。まったく……学ぶということを知らんのかね」
ルーカスは嫌味をまだ続けようとしていたが、ラバドーラが体重をかけて言葉を止めさせたので、豚の鳴き声のように苦しげに空気を吐き出した。
「私はポンコツという言葉が嫌いだと何度言ったらわかるんだ。学ばない奴め」
デフォルトはラバドーラをなだめながら「トイレットペーパーと呼んでいますが、この星では紙の材料となるものがとれないので、服に使われているような化学繊維で作られています。なので、服を入れようが、紙を入れようが、結局同じことになってしまうのです」
「待ちたまえ! 私の尻を化学繊維などという程度の低いもので拭かせていたのかね! 実に憤慨だ。私のデリケートなお尻は、オーガニックではないと受け付けないのだ。確かめてみたまえ、そこのマネキン。きっと私のお尻は荒れに荒れ、悲惨な状態になっているに違いない」
腰を浮かして見せつけようとするルーカスの尻を、ラバドーラはアリでも相手にするように乱暴に踏みつけた。
デフォルトは足型に赤くなったルーカスの尻を一瞥すると「一人しか使わないものを、作ってもらうのも大変だったんですよ……」と嘆いてから、視線を炉に戻した。「とにかく、燃料がないと余計に時間がかかってしまいます。失敗は許されない状況ですよね?」
ラバドーラは悩んだ。確かに自分の燃料を使えば燃えやすくなる。少量ということならば断る理由もない。
だが、気になるのはデフォルトの余裕と、どこか脅すような口調だ。
このまま仲良く最後まで全員での脱出を考えているわけではない。ということは、デフォルトもわかっているだろう。ならば、こちらをハメる素振りの一つでも見せてもいいはずだが、そんな雰囲気さえない。なにを考えているのか、まったく読めなかった。
しかし、長考する時間はない。看守側が勝つにしろ、囚人側が勝つにしろ。この押収物倉庫に火の手が回るのは時間の問題だからだ。
ラバドーラは仕方ないと、足のカバーを開けて燃料タンクを取り出し、そこから抽出してデフォルトに渡した。
その一連の動作の間にも、デフォルトがなにかしようと動く気配はなかった。むしろ邪魔をしないようにと、ルーカスと卓也の二人を窘めていたくらいだ。
ラバドーラの戸惑いを感じ取ったデフォルトは、作業をしながら、子供におとぎ話でも話して聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「あの……自分も外様の身なので、色々と思うことがあるのはわかりますよ。宇宙は広大です。手の届かなかった真新しい技術に目を奪われることや、自分の知識にはない思いつきもしない技術に圧倒されることもあります。それらは文化として広がり、文明となり、我々知的生命体は様々な進化を繰り返していくのです。それはあなたのようなアンドロイドも同じこと。様々な宇宙船を襲撃し、膨大な技術に触れ、より良いものへと自らを改造するようなものです。見識を深め、知識を蓄えることによって、大きく躍進していくものです。当然のことですが、我々は学ぶ側でもあり、学ばれる側でもあるのです。そしてまた、それによって気付かされることも多いものです。自分が扱っていた知識や技術など、ここではなんの意味もないと。異なる文化が混じり合って生きていくということは、お互い一から学び直していくという意味なんですよ」
デフォルトが「ふう……」と一息ついたタイミングで、ラバドーラが苛立たしい声色で口を挟んだ。
「言いたいことはわかるが、この場に相応しいセリフではないな」
「本当にわかっていますか?」
デフォルトは作業をやめると、ラバドーラに振り返った。
「いったいなにが言いたい……この私に……」
「自分も通った道です……気を落とさないように。という意味です」
「意味がわからん。作業が終わったなら、さっさとエンジンをつけろ」
デフォルトは「そうですね」と簡単に了承すると、発火装置を起動し、炉に投げ入れた。
炉の中で一度静電気が起きるように、パチッと音がすると、燃料を吸った服に火がつき、その火はすぐに燃え上がり炎となった。
「準備ができたら、このエンジンルームに電気が付きます」
デフォルトが触手を二本左右に広げると、まるでそれが合図かのようにエンジンルームが明るくなった。
予備電源を使い常時電源を稼働させると、まるで巨大生物の腹の中にいるように、あちこちから低い唸りを上げて機械の電源が入る音が響きだした。
ラバドーラがなにかまくし立てているが、咆哮のようにエンジンがやかまかしく音を立てているせいで、デフォルトにはなにも聞こえなかった。
デフォルトはここでは話ができないとジェスチャーで伝えると、更に場所を変えようと伝えた。
興味のない長話と疲労ですっかり眠りこける卓也とルーカスを抱えて持ち上げると、案内をするために先を歩き出した。
素っ裸の男の揺れる尻を目の前で見せられたラバドーラは、記録メモリを無駄に使わないように目を逸らしたかったが、予測不可能な二人に対処するには、どんな些細なこともしっかりと記録して置かなければならなかった。
メモリには限度があり、容量の中で上手くやりくりしなければならない。人間の記憶と一緒だ。すべてを記録していては、あっという間にパンクをしてしまう。だから削除し、断片化し、必要な情報だけを残すように整理する。
身を隠し、計画を練っていたラバドーラのメモリは既にいっぱいいっぱいになっていた。そのせいで負荷がかかり、動きも鈍くなっている。
まずやることはハックし、邪魔な情報を一旦移し替えることだ。そして、宇宙船の権限を自分に書き換える。そうすればエンジンを止めるのも動かすのも、ロックを掛けるのも、すべて自分次第になるからだ。
操縦室に来たデフォルトは「発進させましょう」とラバドーラに振り返った。
「オマエ達は宇宙船から降りるんだ。脱獄するのは私一人だ」
「それはできません……」
「できる。私にはな」
予備電源が入った時から、ラバドーラはこの船をハックしていた。ようやくアクセスコードを解除し、船のストレージに記憶メモリの一部を移し替える瞬間だった。
メモリが空けば、あとは空いた分の処理能力を宇宙船のコードの書き換えに使える。
長い計画はようやく終わりを見せるはずだった。
「だからできないんですよ……」というデフォルトの声が遠くから聞こえる。
そして、その意味はすぐにラバドーラも理解し、「ガキのおもちゃか!」と絶望を叫んだ。
ラバドーラにとってレストは、低スペック過ぎてまったく理解できない代物だった。
わずか数時間分のデータも移行できないくらいのカツカツのストレージ、それも移行するにはどこか別の電源を停止させなければ、電源の供給が間に合わない。
ラバドーラにとってこんなに性能が低い機械は、触れたことも、見たことも、聞いたことすらなかった。
自分のメモリとレストの情報を共有してしまったせいで、処理ができない古すぎる未知のデータのせいでフリーズしてしまった。
人形そのもののように動かなくなってしまったラバドーラを見て、デフォルトは一度レストのコンピュータを再起動させた。
そうしてラバドーラからレストの情報を遮断させると、ラバドーラは再び動き出した。
「だからできないと言ったのですよ……。ネットワークでも、ケーブルでも、そのアンドロイドの身で、このレストにアクセスするのはとても危険です。レストは自分が操縦するので、ラバドーラさんには押収物倉庫のコンピュータに繋いでもらい、滑走路の確保と天井の開放をお願いしたいのです。タイミング的に両方一度にはできないですし……お二人は起きていても寝ていてもアレなので……」
ラバドーラは素っ裸のまま起きる気配のない二人に目をやると、考えるのをやめた。アンドロイドが考えるのをやめるというのは情報処理をやめるということだ。思考の放棄。つまり、ラバドーラはバカになった。というよりも、バカになざるを得なかった。
もうなにをどうしてもいいのかわからないので、ただデフォルトの指示を聞いて、その通りに動くだけだ。
幸いルーカスと卓也の二人は寝たままであり、このまま安全に発進して宇宙へと飛び立てるはずだった。
少なくともデフォルトはそう思っていた――まるで過去を掘り起こしたかのような爆発音が聞こえてくるまでは。




