第二十二話
ラバドーラが一人の囚人に変身して、作戦決行の指示を流した日。当然のことながら妙なざわつきが広がった。それは寄せる波のように徐々に大きくなるが、砂浜に吸い込まれるように途端に静かになる。
決行の日が決まったのだ。高揚感に声も上ずってしまう。だが、だからこそいつも以上に口をつぐむ。ここでボロを出しては台無しになってしまうからだ。
反乱に参加する囚人達全員が同じ気持ちでいた。
一方の看守達も今夜開かれる決起集会のせいか、妙な熱にうなされていた。囚人と違い、一生ここにいるわけではないが、長い別惑星暮らしに飽き飽きしている者も多く、気晴らしにと参加を楽しみにしていた。
もちろん全員が参加するわけではない。下っ端はいつもと変わらず見張りと見回り。今日も上司は早めに切り上げ、その分の仕事が多く回されるくらいだ。当然不平不満が募り、温度差にイラつくばかりだった。
しかし、その怒りを囚人にぶつけるでもなく、むしろ些細なことは見逃していた。明日になれば自分ではなく、上司の責任になる。今日の仕事を増やすことはないと。
そのおかげもあり、囚人にとっては計画のラストスパートを強引に進められる都合の良い展開になっていた。
それは作業時間を終えて、夜になっても続いていたが、ぐーすかとまるで自宅のベッドの上のように眠りこける卓也には知る由もなかった。
異変に気づいた時には、既に火災報知音が鳴り響いていた。
跳ねるように飛び起きたデフォルトは、真っ先に卓也のベッドへと目を向けた。
「デフォルトの言いたいことはわかる」と同じく飛び起きた卓也は、心の内を見透かしたように頷いてみせた。「でも、僕じゃない。少なくとも今回は。見ろ、僕は自分のベッドの上だ」
「すいません……つい、条件反射で。この警報の音を聞くとどうしても、卓也さんがまた抜け出したのではないかと……」
「まぁ、たまに僕の体が二つあったらとは思うよ。でも、絶対に喧嘩になる。なぜなら宇宙で一番セクシーな男が二人なっちゃうからね。一番なのに二人ってのはおかしいだろう?」
「おかしいのはこの状況ですよ」
「たしかに……僕はもう何日も女の子とベッドを共にしていない。これは由々しき事態だ」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ。なにがあったかを確かめませんと」
「心配することないよ。僕が鳴らせたってことは、他の誰かも鳴らせるってことだ。つまりただの誤作動ってこと」
卓也は考えすぎだというように眉間にしわを寄せた。
「なぜそう言い切れるんですか?」
「そりゃあ、恋に過ちはつきものだからね。警報器の一つや二つなるものさ。まさか、いくらなんでもルーカスが問題を起こすわけないよ。もし問題が起きたらどうなるかは、十分わかってるはずさ。宇宙一のバカだとしても、宇宙歴史上一番のバカじゃないんだから」
卓也があははと笑っていると、壁が透明になるのと同時に「なにを呑気にくっちゃべっているのかね」というルーカスの声が聞こえた。
「ごめん。訂正するよ、デフォルト。歴史上一番のバカだった……」
「訂正する必要はないぞ、デフォルト。卓也がやっと自分というものを見つめ直し、たどり着いた正しき答えなのだからな。我々にできることは彼の言葉を尊重し、こう呼んでやることだ。大バカ者と。さぁ、私に続きたまえ。この大バカ者」
ルーカスは嫌味たっぷりの口調で言うと、それ以上に嫌味な顔で笑みを浮かべた。
卓也がなにか言い返そうと考える一瞬の間を縫うようにして、デフォルトが「あの……」と口を挟んだ。
「大バカをするのは、また今度にしてもらっていいですか? 今は状況を知りたいです。なにが起こっているのか、ルーカス様が来た理由は、囚人の動きは、看守の動きは?」
デフォルトの矢継ぎ早の質問に、ルーカスはやれやれとでも言いたげにかぶりを振ってから、天井のスピーカー部分を指した。
スピーカーからは禍々しい警報音の伴奏に合わせて、指示が流れていた。
『緊急事態発生。第四エリアで火災が発生、それに伴いロックが一部解除。逃げ出した囚人が暴徒となり、主要施設を襲撃中。全看守に発砲許可を与える。ただちに鎮圧せよ。――繰り返す。緊急事態発生』
しかし、緊急放送が流れているこの部屋では、いつもと変わらないまったりとした空気が流れていた。
ルーカスも卓也も取り乱す様子はない。落ち着き払っている。かといって頼れる様子もなかった。
思わずデフォルトは「あの……これは一大事ではないんですか?」と確認してしまった。
「一大事に決まっているだろう。だからこうして、私が君達をわざわざ迎えに来てやったというんだ。まったく……あの女め。私をいいように使うとは……一から十まで気に食わん。身の程を知らん奴だ」
「迎えに来た。それって、今の暴動を機に脱獄しようってことじゃないの?」
卓也はあくび混じりに聞いた。
「そのとおりだ。まったく……なにが私は囚人の暴動で宇宙船が壊されないように、先に行って見張ってるだ。私は小間使いか」
ルーカスが文句を独り言のようにぶつぶつと言うと、卓也はあくび途中で喜びに顔をほころばせた。
そのせいで緩んだ口の端から垂れるよだれなど気にも掛けずに、ルーカスに詰め寄った。
「え? アイさんもうレストに行ってるの? そういうのは先に言ってよ。じゃあ、支度をしないと。僕の家に案内するようなものだからね。まずシャワーだろ」と、卓也はベッドから立ち上がるとデフォルトに振り返った。「そうだ、服のシワも取っておかないと頼んだよ」
卓也が慌てて服に手をかけるのと同時に、デフォルトの深いため息が部屋いっぱいに響いた。
「あの……お二人共、よく聞いてください。囚人の暴動が起き、脱獄をすると言ってレストに向かったってことは、今日脱獄するってことですよ。このチャンスを逃せば、自分達はこの星と一緒に爆発するか、反乱に成功した囚人達に一生こき使われて生を終えるということですよ」
無言の時間が流れる。わずか一瞬のことだが、デフォルトにはあまりに長く感じられた。もし二人が理解しなかったらという一抹の不安が、何百倍にも長い時間に感じさせた。
そして、ようやく意味を飲み込み、事態の深刻さを理解した二人は、目を合わせて同時にお互いの名前を呼んだ。目を大きく見開いて、また同時に「早く逃げないと!!」と叫んだ。
デフォルトに向かって振り返るとまた同時に「どこに?」と叫んだ。
「……とりあえず外の様子を確認しましょう」
デフォルトは部屋の外へ出ると、廊下の端で風がぶつかるようなかすかな音も聞き逃すまいと耳をすませた。
だが周囲は恐ろしほど静寂に包まれていた。自分の心臓の音が一番うるさく感じるほどだ。
このエリアにいる囚人は、既に集合場所へと移動していた。行き先の見当はつかないが、暴動の騒がしさが聞こえてこないということは、おそらく他の囚人は施設の中央に集まっているのだろう。自分達もそこへ行き、他の囚人の流れに沿って動くか、看守の目にも囚人の目にも触れぬよう独自の流れに沿って動くか、デフォルトは決めかねていた。
そこを先に一歩踏み出したのはルーカスだ。周りに気をつける素振りもなくずんずんと歩いていく。エリアを隔てるドアの前に立つと一度だけ振り返った。
「なにをしているのだね。死にたいのならば、レストに燃料を運んでからにしたまえ。早く着いてこい、最短ルートで行くぞ」
そして、今度は振り返ることなく歩いていった。
デフォルトは着火装置を持つと、卓也と共に急いでルーカスに続いた。
静かだったのは収監されていたエリアだけであり、エリアを三つも移動すると、周囲は暴動の熱気に包まれていた。口汚い罵り合いがひっきりなしに飛び交い、景気づけとでも言わんばかりに、機械が爆発する音が響いた。
中には敵味方の区別もつかなくなるほど錯乱している者もいる。
そんな蜂の巣をつついたような状況の中。ルーカスは迷う素振りを見せることなく、脇目も振らずにスイスイと歩いていた。
あまりに自信満々に闊歩しているので、デフォルトは信じて後ろをついて歩いたが、急に卓也が立ち止まりルーカスに声をかけた。
「さては迷ったな」
ルーカスは初めて足を止めると、雨ざらしのブリキの人形の錆びた関節のように、ぎこちなく顔だけを卓也に向けた。
「……なにを言っているのだ。迷っている人間が、こんなに颯爽と歩くと思っているのかね?」
「あの早歩きは、迷って不安になってる時のスピードだ。脇目を振る余裕もなくなってるんだろ」
「そこまで言うなら卓也君。君が先頭を歩きたまえ」
ルーカスは紳士的な仕草で道を譲ったが、表情にはありありと焦りが見えていた。。
ルーカスが道を覚えていないことを確信した卓也は「デフォルトぉ……」と泣きつくように振り返った。
「そうですね……。こんな状況ですし、全員が全員この惑星を乗っ取るという考えのままではないと思います。怖気づいた人、冷静になった人。それに自分達と同じように、宇宙船を探して逃げようとしている人もいるはずですから。この大きな流れと違う動きをしている人を探してみましょう」
三人は少しのあいだ別行動を取り、反乱とは違う勢力を探すことにした。
デフォルトは巻き込まれないように慎重に、距離をとったり詰めたりして、絶妙な距離を保ちながら看守と囚人がひしめき合う。絡み合いの渦の中に入っていった。
囚人達がキープしてきた団結も、だんだん限界を迎えてきていた。元より、仲良しこよしではなく複数のグループに別れていたのが、目的のために一緒になっただけだ。この暴動こそが目的な者もいるし、熱にうなされたテンションで目的が暴動にすり替わってしまった者もいる。
今後のこの惑星のトップに立つためにも、今からリーダーシップを取ろうとする者もいる。
理性のタガが外れてしまえば、団結などという言葉は一番最初にどこかへいってしまう。
それに加え、結局主導者が表舞台に立つことがなく、肝心な時に統率が取れなくなってしまっていた。
裏で糸を引いていたラバドーラは、ここまで混乱しないうちに三人が来ると計算していたので、もうこれからの展開は未知のものになってしまった。
そんな様々な思惑と駆け引きと混乱が渦巻く中。デフォルトはその一つの渦に引き込まれてしまった。
「いたぞ! デフォルトだ!」と大声を張り上げたのは、友人どころか顔見知り以下の存在の囚人だった。
デフォルトがしまったと思った時には、もう既に周囲を逃げられないように囲まれてしまっていた。武器を持った囚人が少しずつ距離を詰め、人垣の囲いを狭くしていく。
一縷の望みをかけてルーカスと卓也の姿を探すがどこにもいなかった。
しかし、遠くを見たことによって、自分が思っていた状況と違うことに気が付いた。追い詰めるように囲まれていたのではなく、守るようにして囲まれていたのだ。
「よかった……見つかった……」と、安堵の声を漏らしたのはチャップネイズだった。
人垣の上をふわふわと飛んでくると、デフォルトの顔の横で静止した。
「無事だったんですね」
デフォルトも、チャップネイズの無事な姿を見て胸をなでおろした。特別仲がよかったわけではないが、自分に良くしてくれてた一人だ。無事なら無事に越したことはない。
「デフォルトのおかげだ」
チャップネイズはネズミのような鼻をヒクヒク動かしながら笑みを浮かべた。
どこか尊敬の眼差しを向けてくるチャップネイズに、デフォルトは首を傾げた。
「……自分のおかげとは?」
チャップネイズは「またまたぁ」と上司におべっかを使うように砕けて言うと、任しておけというようにウインクをしてから、頭一つ分高く浮かんだ。
そうして周囲の囚人から見える位置に来ると、囚人一人ひとりの顔を見るようにゆっくり回転しだした。
「彼が我らを理不尽と不条理の鉄の牢から解き放った救世主デフォルトだ!」
「え!? 違いますよ!」というデフォルトの否定の言葉は、囚人達の歓声によってかき消されてしまった。
「おかしいと思ったんだ。皆が武器を欲しがる中、デフォルトだけが着火装置を欲しがるなんて。この火災騒動を起こすためだろう」
チャップネイズは一本取られたとでも言うような顔で天井を仰いだ。
「それは……たまたま偶然ですよ」
「他にもおかしいことがある。なんでデフォルトみたいな優秀な奴が、あんなマヌケ二人と一緒にいたかだ。でも、それも今日で納得がいった。この日のためなんだろう?」
チャップネイズは確信を持って言ったが、デフォルトは首をかしげるばかりだ。
「さっきから全然話が見えないんですが……」
「前にもあっただろう。火災によって囚人部屋のロックが解除されたこと。マヌケを演じさせた部下に様子を見させたんだな。そして、火災でロックが解除されることを知り、今日まさに実行ってわけだ」
「あのですね……」
「もう一人のマヌケもそうだ。問題しか起こさないのにいつの間にか看守になってる。そして自分達を別部屋に隔離するように仕向け、今日の計画のために裏で糸を引いていたんだな」
「お二人の行動は、どうにも説明できないのですが……。とにかく違います。現に今自分は、突然の暴動にあたふたうろついているだけですよ」
勝手に話が進んでは敵わないと、デフォルトは嘘を混ぜて否定するが、チャップネイズはお見通しというように口の端を吊り上げた。
「卓也は『なにしてるの?』って、女囚人に声を掛けてたぞ。状況の把握を命じたんだろ?」
「なにしてるんですか……」
「ルーカスはそこらに火を着けて回っていた。新たな計画のための準備だ」
「本当になにをしてるんですか……」
デフォルトはちょっと目を離したすきに、予測不可能なことをやっている二人に落胆してうつむいた。
その仕草が何か考えているように見えた囚人は、口々に「さぁ! オレたちにも指示を!」とデフォルトに詰め寄った。
そして、まだ暴動の喧騒が遠い押収物倉庫。看守も囚人もおらず、機器の火災のせいでセキュリティーもなくなっている絶好の脱獄の機会が到来している中。
ラバドーラは「遅い!」と怒りに声を荒らげて叫んでいた。




