第二十一話
ルーカスとラバドーラがレストを発見し、卓也とデフォルトが燃料の問題を解決したので、いつでも脱獄が出来るはずだった。
レストの保管場所を把握し、燃料の確保した日から早数日。それは、他の囚人達がこの惑星はなにかおかしいと気付いてからと同じ日数だった。
ほぼ全ての囚人達が同じ方向へ向かって流れている中で、少数が反対方向へ向かっていたらとても目立ってしまう。
囚人達も計画を無事進行させるために、余計なことは起こって欲しくないと思っている。なので、特にルーカスや卓也が目立った行動をとってしまうと、囚人達からも目を付けられて身動きが取れなくなる可能性がある。
囚人達の騒ぎに乗じて、レストの保管場所に潜り込み、早々に脱獄するというのが一番確実な方法だとデフォルトは思っていた。
だが、堂々と脱獄を公言してタイミングを合わせるわけにもいかない。囚人達は脱獄ではなく、権力を奪い取ることが目的だからだ。
問題ばかりを起こすルーカスと卓也が別の職場を与えられ、半ば幽閉されているということで見逃されているが、本来二人は八割の囚人から嫌われ、恨まれ、敵対されている。問題を起こされては計画が台無しになってしまうので、行動を制限されてしまう可能性が高い。
結局タイミングを見計らうことしかできない。
デフォルトはタイミングを見誤ることがないように、囚人達との何気ない会話から情報を引き出し、合わせ、整理し、答えを繋ぎ合わせ、緊張の糸を緩めることをしなかった。
基本的に囚人の口は堅く全容を話すようなことはないが、ストレスと下剋上への高揚感のせいでポロッとなにかを口走ってしまうことがある。それをいくつか繋ぎ合わせると、囚人側の行動がぼんやりだが浮かんできた。
まず第一に、常に新しい指示が出されているということだ。この計画の指揮を取っている人物が誰なのかはわからないが、複数の人物とコンタクトが取れる人物ということだ。一人に指示を出すのではなく、複数人に指示を出し、末端の囚人にまで情報を届くようにしている。
第ニに、その指示はとても簡潔でわかりやすいものだということだ。伝言ゲームで起こる内容の不正確さがないように、三つ四つの短い単語で作られてる。
そして、その指示は決して強制ではない。不得意な者はいつもどおり仕事をして、得意な者だけがそれぞれ自分で考えて動くようにというルールがある。
遅いが着実な準備を。というのが一番新しい指示だった。
準備の内容まではわからなかったが、前にチャップネイズが口を滑らせた「武器を集めている」という言葉。その言葉が本当なら、今はまだ武器を集めている最中だろうとデフォルトは考えていた。
ラバドーラの燃料騒動から備品の管理が厳しくなった今。工具機械をそのまま持ち出すことはできない。取れたボルトの一本やナットの一個などを少しずつ集め、それらを合わせて原始的な武器を作っているのなら、まだ時間が掛かるはずだ。
だがそれは遠い日の話ではない。チャップネイズが着火装置を作って渡したということは、それだけ部品が揃ってきているということだ。
囚人達が惑星を乗っ取るという計画を実行する日時はわからないが、一番早い日を想像するならば武器がすべて完成した日だ。
そう考えると、「まだ」ではあるが「まだまだ」ではない。
気を抜いている暇などないはずだった。
「もうどうやったって無理よ、ルーカス」
ラバドーラは机代わりに積んだ箱に肘をついて、うんざりした顔で言った。
「いいや、私が負けることは絶対にありえない」
ルーカスは腕を組んだまま微動だにしない。
二人が座る中心にある机代わりの箱。その上には勝手にここにある荷物を加工して作った不細工なチェスのコマが並べられていた。
既に大勢は決しており、ルーカスの負けが決まっているのだが、ルーカスは負けるとは微塵も思っていない不敵な笑みのままただ盤面を見ている。
もう既にこの状態が三十分は続いていた。
「どうやったらそこから勝てるのよ。王様一人で。それを取られたら負けなんでしょ」
「王というのは一番優秀で誇り高い者がなるのだ。つまり私のような人間がなるのだ、王様にな」
「だから裸なのね」
「そうだ。私の服はバカには見えない服で作られている。私が裸に見えるのは、君がバカだということを証明している」
ルーカスは余裕たっぷりの笑みで、ラバドーラの目を見た。
「……あなたが言ったのよ。負けたほうが脱いで、この場に惨めな身体をさらけ出すって。その最後のパンツを脱がすまで、裸じゃないって言い切るつもり?」
「男の筋肉とは鎧なのだ」
「あばらが浮いてるわよ」
「これはこういう筋肉なのだ。ポンコツにはわからんか」とルーカスが言った瞬間。ラバドーラはコマを作る時にでた石の破片をアバラに向かって投げつけた。
鈍い音を共にルーカスの苦痛なうめき声が漏れた。
「あら、ほんと。鍛えてるのね。いい音が鳴ったわ」
「大丈夫ですか?」と患部を見ようとするデフォルトを、ルーカスは手で振り払った。
「大丈夫だ。こんなもの名誉の勲章だ。雑魚という敗者が八つ当たりしてきたに過ぎん」
「あの……どう見ても、ルーカス様の負けは決定していると思いますが……」
チェスの盤面はデフォルトから見ても、誰から見てもルーカスの負けが決定していた。
「そう思うのが雑魚だと言っているのだ。もう既に勝利の方程式はできているのだぞ。あとは勝利まで待つだけだ」
「なら、早くコマを動かしたら? 次の瞬間すぐさま摘み取ってあげるから、命を」
ラバドーラはイライラしていた。勝利を確信しているものの、万が一の為に頭の中で一からコマを動かして再現していたからだ。他にもイカサマに備えていたりと、メモリを余分に使って熱を持ったせいだ。
「勝利まで待つだけだと言っただろう。だから私は待つ――やってられないと投げ出すまでな。そうすれば私の不戦勝だ」
「そんなのルール違反よ」
「王様が取られたら負けと言っただけだ。時間制限なんて決めたか?」
「いい? 常識的に考えて――」
「常識的に考えるのならば。私の負けはないということだ。私は何日だってここで待つぞ。デフォルト君、お茶だ。私には王者に相応しい上等なお茶を。向かいにいるアホには、苦渋の決断を迫るのにふさわしい苦い苦いお茶を出してやれ」
ルーカスは上機嫌に下手くそな鼻歌を歌い始めた。その底抜けに呑気なメロディーは、やけにイライラを助長させた。
こんな形で、こんな奴に、こんな勝負に負けるのは絶対に嫌だと、ラバドーラはどうにかならないかと考えた。アンドロイドのこの身。ただ待つという根比べで人間に負ける要素は無い。だが、今の状況でそんなことをしては、他の看守が見回りに来て正体を晒すことになってしまう。
こんな勝負やってられないと投げ出すのが一番だが、そんな勝利でも目の前の男は高らかに勝利を宣言して喜ぶだろう。その光景を思い浮かべるだけで頭から煙が出そうだった。
悔しそうに考え込むラバドーラを見て、ルーカスは心底嬉しそうな表情を浮かべた。
だが、その笑顔もすぐに一転。恐怖のどん底に叩き落されたように口をあんぐり開けた。
「いやー重かったよ……。まったく……罰ゲームっていっても限度があるよ」
卓也は部屋に入ってくるなり、両手で抱えた昼食を箱の上に置いた。四人分をいっぺんに買ってきたため視界は悪く、勝負途中の盤など見えておらず、コマは弾け飛ぶように部屋の隅々に飛び散らかった。
「これでノーコンテストね」
先程まで浮かべていたルーカスの笑みをそっくりそのまま真似して、ラバドーラが笑みを浮かべた。自分の正体がバレてもいい状況なら、顔までそっくりコピーして鏡のように笑い返してやりたいほど爽快だった。
「なにしているのだ!」
ルーカスは卓也に向かって吠えた。
「昼食を買ってきたんだよ。ルーカスが命令したんだろ。僕がデフォルトにチェスで負けた罰ゲームだって。ルーカスこそなにをしてるんだよ……裸で」
卓也は不審な目を向けた。どう考えても、ルーカスが一人裸でいる状況はおかしいからだ。
「……パンツははいているだろう」
ルーカスはバツの悪い顔で、そっぽ向くようにそむけながら言った。
「よかったよ、はいてて。心底そう思う」卓也はついでラバドーラを見ると、がっくりと肩を落とし、落胆の表情を浮かべた。「残念だよ、服を着てて。心底そう思う」
「包み紙は自分で開けるからワクワクするのよ」とラバドーラは悪戯な笑みを浮かべた。
「僕はショーウインドウに飾ってあってもワクワクするけど。ともかく、ご飯を食べちゃおう」
卓也は箱の上に僅かに残ってるコマを乱暴に手で払うと、狭いスペースを存分に使って昼食を並べ始めた。
リベンジをしようと思っているルーカスは、落ちているコマを拾おうと立ち上がった。そしてかがんだ瞬間。新品など存在しなく、何度も洗ってゆるゆるになっていたパンツは地面へと落ちていった。
それはもう見事に、揺れることも引っかかることもなく、りんごが木から落ちるようだった。
目の前であらわになったルーカスの尻を見せられたラバドーラは、憂いと鬱憤を一息で一気に吐き出すような長いため息をついた。
「あげるわ……食欲なくなっちゃった」と、自分の分を卓也に押し付けると立ち上がった。
ルーカスの行動に気分を害したのは確かだが、救われてもいた。アンドロイドに食べる機能はついていない。顔は表情を投影して変えているだけなので、穴もあいていない。
こんなしょうもない地球の遊びにムキになってしまい、適当に返事をしたせいで自分もここで食事をとるハメになっていたので、どうしようかと思っていたところだ。
ラバドーラが部屋を出ていくと、今度は卓也が深いため息をついた。
「わかっている、みなまで言うな。私も同じ気持ちだ」とルーカスは一番の理解者のような顔で肩をすくめた。「出し抜いてやりたいんだろう。あの女を」
「字的にはあってる。でも意味は違う」
「同じことだ。どちらにせよ気持ちいい。そこでだ。完璧なアイディアに、見事な発想、一分の隙もないこの作戦は、完全無欠の私が考えた――」
「じゃあ失敗する」
「口を挟むな。まだ話の途中だ。まったく……どこまで話したか……」
「ルーカスがちんちくりのぽんぽこぴーのとこまで」
「そうだったな。ちんちくりんのぽんぽこぴーの私が、ぱっぱらっぱぱと踊りだし、すたたんすたたんと闊歩するわけだ。……なんだね……この状況は……」
「なんだっていいよ。なにを話したって僕の答えはノーなんだから。ルーカスのいい考えっていうのは、いつも君だけに都合のいい考えだ」
「わかっていないな……実に惨めだ。女に軽くあしらわれ、地面でのたうち回るミミズと一緒だ。現実が見えていない」
「でも、スカートの中の下着はよく見える」
「だが、手は届かん。私の作戦というのは、あの女をどん底に叩き落し、私が優位に立つためのものだ。いちいち命令されてはかなわんからな。君は、私に負け失意に泣く女を勝手に慰めていたまえ」
「その作戦ならデフォルトが優位に立ったほうが絶対成功する。ルーカスの優位なんて背が高いだけ。それ以外一つもないんだぞ。方舟でなんて呼ばれてたか知ってるのか? バカにアホにマヌケ。おたんこなす。悪口をゴミ箱に入れて放置したら生まれる微生物。悪臭の元。政治家の公約。なんなら一覧にして渡そうか? 短編小説よりも読み応えがあるよ」
「方舟に乗っていた、おしゃべり機能がついただけの子供の玩具達の言葉など私には聞こえん。ピーチクパーチク同じ言葉ばかり繰り返しおって。だいたいだ――」
ルーカスが熱くなり始めると、デフォルトはすぐさまに制した。
「それよりもですね。少しだけでも、今後のことを話し合いましょう。いいですか?」と話し始めた。
その頃ラバドーラは姿を変え、昼の時間をダラダラと過ごすだけの囚人の中に紛れ込んでいた。
「今日は看守が少ないな」
「そう言えばそうだな。いつもは一人や二人、暇そうにフラフラ難癖をつけに回ってるけど、そいつらがいない」
「聞いたところによると、夜に看守の集会があって、その準備に追われてるってよ」
「集会? オレらがやるならわかるが、看守がなんの集会を開くっていうんだよ」
「決起集会らしいぞ」
「かーっ、力を合わせて頑張りましょうってか。オレらを騙して働かせる為に、わざわざご苦労なこったな。どうなるかも知らないで」
「知らないなら教えてやるのも悪くない」
「それって……」
「何はともあれ、この間みたいな火事はごめんだな。せっかく牢から出られても、焦ってなにを持ったらいいかもわからない。大事なのは、火事、貴重品、焦らず流れについていくってことだ」
「なるほど。もしもの時の備えは大事だ。特に火事みたいな時はな。みんなに教えてやらんと」
一人の囚人がその場を去ると、「貴重品ってのはみんな違うから、今のうち整理しとかないとな」とまた一人また一人去っていった。
最後に残ったラバドーラは、それぞれが他の囚人に伝えに行ったのを見送ると、夜まで身を隠そうと踵を返した。




