第十九話
天井は遥か高く、肉眼では捉えられない。宇宙にも似た遠く暗い闇の中で、規則的な間隔でブンブンと換気装置の音が不気味に響いている。
広さも相当なもので、歩いて端まで行って帰ってくるだけでぐったりしてしまうほどだ。
そもそもこの押収物倉庫の床は構造的に凹凸が激しく、小型浮遊移動機に乗って行動するのが常だ。ここを歩くのは、いびりやしごき以外ではありえないことだ。
しかし、今ルーカスとラバドーラが歩いているのは、いびりでもしごきでもいじめでもない。
押収物倉庫にあるレストを探すためだ。床のでこぼこが幸いし、監視カメラから身を隠しながら移動ができる。
ルーカスの一応の看守の立場から、見つかっても言い訳はできるが、ラバドーラの存在が知られてしまう。流石に押収物倉庫に入っていたとなれば、在籍データを確認されるからだ。亡くなった看守のデータを拝借しているとはいえ、相違点に気付かれてしまうだろう。
惑星全体が作業場ということで、配置換えになるとまったく顔を合わせない日が何ヶ月も続いたりするが、連絡も取れない日が続くと、元の看守を知る者が不審に思ってくる。
タイムリミットは決まっていないが、もうすぐ背後に迫り、いつ肩を叩かれてもおかしくない状況だ。
なので、できるなら誰にもバレずに、出来るなら今日にでもこの惑星から飛んでいきたいというのがラバドーラの思うところだった。
だがそう簡単にいくわけもなく、別行動をしている卓也とデフォルトが燃料を入手できるか、そしてその燃料を運び込む時間。宇宙船を発進させるタイミング。
どう考えても今日明日に出来ることではなかった。
まず、この押収物倉庫から目当ての宇宙船を探すこと自体困難なことだ。
宇宙支配域に入ってきた宇宙船を無作為に捕獲し、催眠裁判にかけて囚人にし、労働力を手に入れているのが現状だ。
罪状はどうにでもでっち上げられるし、なにも考えずに銀河を往来する知的生命体など、叩かずとも、少しつついたけでも埃が出るような者達ばかりだ。
襲撃、密輸、侵略。様々な危険思想を持っている。銀河が違えば異世界だ。文化の違いどころの騒ぎではない。なので、清廉潔白を語る宇宙船は、正式な手続きをし、正式なルートを通っていくので、今回のように勝手に理不尽な裁判で裁かれることもない。
危険思想がなく、新惑星探索を目的とした宇宙船もあるが、それは黒に近いグレーゾーンの行為だ。知的生命体が管理する銀河に侵入してしまったら、白黒をつける権利は管理側にある。
地球も墜落してきた宇宙船や飛来物を返すことはなく、自らの発展のために使った。
そして、それはこの機械惑星でも同じことだ。
開放するつもりがない囚人を集めているのに、なぜ押収物倉庫があるのか。
未知の新技術や新素材を取り入れ、斬新な技術や新しい技術的な知識を結びつける為だ。
そうして自分達の星を発展させている。
押収物倉庫には宇宙船の他にも、大小形様々な機器類やリヤカーなど、床や宙でまるで虫のように動いていた。
宇宙船を解体し、研究するためだ。
その機器類の騒音と発する熱のおかげで、ラバドーラの機械の身体は探知されにくくなっていた。気をつけるのは映像を捉える監視カメラだけだ。
配線塊が壁になってできた影に身を潜めたラバドーラは、注意深く周囲を観察して安全なルートを探していた。
ルーカスはといえば、ラバドーラの「進め」「止まれ」「走れ」「隠れろ」という手短な命令口調にイライラしてきていた。
そして、それを我慢することなくラバドーラにぶつけていた。
「もう少し具体的に話せないのかね? 単語で喋るとバカに見えるぞ」
「そう思ってるから、単語で説明してるんだけど?」
ラバドーラはバカ相手に喋ってるつもりだとルーカスを指差した。
「私が言っているのは、指示をするなら的確に具体性をもたせろと言っているのだ。それをだ。進めだ。止まれだとなんだ。ポンコツな指示はやめたまえ」
「ごめんなさい……。あなたには難しすぎた?」
言い終わり、ラバドーラは唐突にルーカスのお尻を蹴り上げた。
突然の衝撃にルーカスは前のめりになるが、顔面から倒れないように、おぼつかない左右の足をなんとか交互に進ませる。そうしてバランスを取りながら数歩進むが、とうとう足をもつれさせてしまった。足元から頭部へと、がくんと重心が変わる瞬間。ルーカスの目の前にはラバドーラの拳があった。
殴るわけでもなく、叩くわけでもなく、ただ拳をルーカスの顔先に出しただけ、あとはルーカスがバランスを崩す勢いで勝手にぶつかってきた。
ラバドーラの拳で顔面を支えられているおかげで、床にぶつかるようなことはなかったが、それと同じかそれ以上の痛みがルーカスの顔面に走っていた。
ルーカスはゆっくりと顔上げる。涙をふくこともなく、一時もラバドーラから睨んだ目を離さなかった。
そして怒鳴り散らそうと、口を大きく開けた瞬間。ラバドーラの手のひらが塞いだ。
「言葉で理解するのが難しいようだから、体が勝手に反応するようにしたのよ。もうひとつ教えてあげるけど、ここで大声を上げたらすべて台無し。あなたも私もこの惑星ごとドカン。さらに、もう一つ。私はポンコツって言葉が嫌い。次に言ったらその辺の工具でぶっ叩く」
「もう叩いているようなものではないか……。なんだその拳の硬さは……。どんだけ皮膚が厚ければそんなになるのだ」
「ルーカスのツラの皮の厚さほどじゃないわよ。それで、どうする? 今この場で選んで。口で説明されるか、お尻を蹴られるか」
「それよりいい方法がある」とルーカスはポンっと手を打った。「私が指示を出し、君の尻を蹴り上げる。君はその勢いで銀河の果てまで飛んでいく。これで宇宙船いらずだ。私は口うるさい暴力女が消えてから、ゆっくり宇宙船を探す」
ルーカスは下手くそな蹴りを空中に向けて披露すると、まるで空手をかじっているかのように、手のひらを突き出してポーズを決めてみせた。
ラバドーラは「そう」と答えると、二、三歩ルーカスから離れた。「さぁ、蹴られたわよ。それで、どうやって同宇宙船を探すのかしら?」
蹴られてもこれだけしか飛ばないとバカにされたと思ったルーカスは鼻息を荒くした。しかし、ラバドーラは真面目な顔でルーカスの足元を指差していた。
ルーカスが視線を足元に向けると、配線コードの束に片足を突っ込んでいた。
「こんなもの引き抜けばいいだけだ」
ルーカスは締め付けられるコード束を、手で開いて足を引き抜こうと考えたが、体重を支えようと手をついた箇所もコード束が積み上がってできた壁だった。
ルーカスの両手は片足同様に、コードの束に噛みつかれたようになってしまった。
これにはラバドーラも呆れた。情報を処理しきれずに、体のモーター音が強くなった。
「どうやったら、その狭いコード束の隙間にするっと手を滑り込ませることができるのよ……」
「聞きたければ、まずは私を助けることだ。言っておくが……挟まれた片足の血が止まり、だんだん冷たくなってきている。大変だぞ! 早くしたまえ!」
一瞬放っておこうという結論したラバドーラだが、ルーカスがいなくてはレストの外観がわからないので、結局助けるしかなかった。
からまったコードから抜け出したルーカスは、まだぶつぶつ文句を言いながらもラバドーラのあとを続いた。
だんだんと遮蔽物が減っていく代わりに、宇宙船が数多く見られるようになってきた。
深海魚のように奇抜なフォルムをしたものから、単純な丸いもの、平べったいものなど、様々な形の宇宙船があるが、どれもこれも解体途中で無様な姿を晒していた。
「スクラップばかりではないか」と小さくこぼしたルーカスの尻を、ラバドーラが強く蹴った。
「スクラップって言葉も嫌いなの」
「じゃあ、私も尻を蹴られるのは嫌いだ。私の尻はデリケートなのだ。精密機械を扱うのと一緒だ。触れるのには専門的知識がいるし、メンテナンスにも専用の道具がいる。私にとってのふわふわのトイレットペーパーがそれだ。汚れた精密機械を水の勢いだけで洗い流すようなバカがいるか?」
ラバドーラは「まぁ……そうね」と、ルーカスの言うことを自分に当てはめて納得した。「悪かったわ」
素直に謝るラバドーラに気を良くしたルーカスは、ここぞとばかりに偉そうな態度で畳み掛けた。
「精密機械を乱暴に扱うという行為は、愚かで原始的な行動だ。私の尻を蹴るというのは、博物館に飾ってあった真空管テレビを叩いて直すのと同じ行為だぞ。つまり君のとった行動というのは、あまりに愚かな考えを持っている者しかたとらない。古臭く、錆びついていて、劣化した――ッ」
またもラバドーラに尻を蹴り上げられたルーカスは、わずかに宙へと浮かび、体を床に打ち付けた。
床にぶつかる寸前に、ラバドーラがルーカスの腰のベルトを一度掴んで勢いを殺してから手を離した。そのおかげで音は響かなかったが痛みはある。むしろ痛みに備えたタイミングが狂ったことで、不意を食らって余計に痛みを感じてしまった。
「今言った言葉も全部嫌い。特にその真空管テレビとかいうやつ。なんでかはわからないけど、その名前を聞くだけでイライラするわ」
ラバドーラはすぐさまルーカスを乱暴に立たせると、痛がる前にさっさと歩くように蹴るふりをした。
そう何度も蹴られてはたまらない。だが、なにもせずに言うとおりに歩くのも癪に障るので、ルーカスは睨みつけることだけはしっかりとしてから歩き出した。
しばらく歩いていると、まだ解体されていない宇宙船ばかりのエリアになった。
「ずいぶん最新型のもあるのね」とラバドーラは声を高くし、「私が知るか」と冷たくあしらうルーカスを気にもとめず話し続けた。
ラバドーラの話の内容はルーカスにとってどれも右から左へと、停車禁止のように一方通行だった。ロケットの打ち上げのように、あっという間に大気圏を抜けて遠い宇宙だ。言葉の欠片を拾い集めるのも困難だ。もとより拾い集める気もないのだが。
ルーカスが適当な相槌を打ちに、あくびを混ぜて変な声を出していると、急にラバドーラの足が止まった。
「それで、ルーカス達が乗ってきたレストはどんな宇宙船なの?」
「あのポン――」コツ宇宙船と続けようとしたルーカスだが、またお尻を蹴られてはたまらないと、慌てて言葉を変えた。「――ポン……トにいい宇宙船だ」
「ポント……ポントにって?」
地球にそんな言葉があるかどうかの判断もつかないので、ラバドーラは素直に聞き返した。
「本当にだ。本当に良い宇宙船と言ったんだ。完璧な重力制御。宇宙船の表面重力まで完璧に管理されている。高速拡張するブラックホールの真横だって進める」
「あら、期待していなかったけど地球の宇宙船って、結構やるのね」
「当然だ」とルーカスは嘘を一つもにじませずに言い切った。「私が生まれた惑星だぞ。常に宇宙の最先端だ。私が変えたと言っても良い。君が住んでいた時代とは違うのだ」
あまりの大言壮語に嘘だというのは見抜いたラバドーラだが、そこまで豪語するのなら少なくとも宇宙基準でも標準かそれより少しくらい下のものだろうと期待値を下げた。
「さらに、トイレにはふわふわのペーパーが常備されているから、私の肛門は常に清潔に保たれている」
「あーもう……余計な情報に容量を使わせないでよ」
「記憶力のない女め」
「ありすぎるから怒ってるのよ。だいたい本当に探してるの? ルーカスしか外観がわからないのよ。忘れたとか言わないでよ……」
「私が忘れるか。私の記憶力をなめるな。出会ってから合計十八回尻を蹴られ、五回蹴るフリで脅されている。……絶対忘れんからな。覚えてろ」
ルーカスの恨み節をラバドーラは適当に流した。宇宙船と燃料さえあれば、もう二度と会うこともないからだ。
そこからしばらく表面的な会話を続けながら探していると、ルーカスが「見つけたぞ。あの宇宙船だ」と指差した。
「へぇーあれが」ラバドーラが近づいていったのはレストの隣にある中型の宇宙船だった。
時代の端っこにギリギリ付着しているような及第点以下の宇宙船だが、まぁ仕方ないとラバドーラは諦めをつけた。
ルーカスは大きく肩を落とすと「これが見えていないのか……」と隣のレストを指差した。
「見えてるわよ。宇宙トイレまで押収してあるのね。下等知的生命体の生物研究でもしてるのかしらね」そこまで言ってから、ルーカスの目つきが変わっていることに気づいた。「怒ってるの?」
ルーカスは「そうだ! 私は怒っているのだ!」とレストを乱暴に叩いた。「こんな宇宙トイレを、我が宇宙船の隣に置いておくなんて、憤懣やるかたない。こんなのは宇宙の肥溜めだ。時代錯誤の臭いがうつってしまうではないか」
ルーカスはこのまま馬鹿にされるくらいならしらを切ろうと、ラバドーラと一緒になりレストに罵詈雑言を浴びせた。
「まぁ、その下等生命体のトイレは当然として。こっちのあなた方が乗ってきた宇宙船も新しくはないから、解体されるのは後回しになりそうね」
解体研究されるのは最新型の宇宙船からだ。
ラバドーラがレストと思い違いしている宇宙船は古いものなので、手間取っている間に宇宙船が解体されていることはない。本物のレストは解体すらする必要もない。最後にこの惑星と一緒に爆発されるからだ。
ラバドーラは脱獄への道筋が見えたことに、安堵のため息を付いて体内にこもっていた熱を外に逃がした。
そして「あの二人は、燃料を手に入れられたかしら」と、別行動をとっている卓也とデフォルトのことを思った。




