第十三話
アンドロイドに性別というものはない。なので恋い焦がれるという感情もない。
だが、ラバドーラの心境は恋をしているかのようだった。
しきりに鏡を見て投影にズレがないかを確認し、髪を整えたり、わざと乱れさせてみたりしている。
まるで心臓の動悸のようにモーターがうねりを上げ、身体は熱を帯びていた。
今ラバドーラがいる部屋は、隠れ家に使っている故障部屋ではない。空き室をそれらしくあつらえたものだ。当然朝には本物の看守にはバレるので、二日は続けられない一夜限りの部屋。
今までは遠回しに仕向けていたのに、今回突然大胆な行動に出たのは理由がある。惑星の管理・監視システムが修復しつつあるからだ。
修復が完了すれば、隠れ家も見つかってしまうし、あちこちの監視カメラも一斉に起動してしまう。自己に投影し姿を隠しても、同じ外見の者が二人いるというのが発見されやすくなってしまう。
今ラバドーラがいるこの部屋は発電システムがある部屋と同じ区画に存在している。そして、この部屋のドアの解除コードは、前にルーカスに化けて卓也に教えた火災時の緊急コードと全く同じだ。
つまり、この区画のすべてのドアのロックが解除される。どさくさに紛れて忍び込み、もう一度システムダウンをさせる。時間があればウイルスを仕込み、遠隔から操作して、この惑星のシステムを意のままに操り、同胞の敵討ちに惑星を爆発させて脱獄できる。それも明日にもだ。
だが既に深夜をまわっており、ここから事が順調に進んだとしても、代わりの看守が起きてくる時間なので、ウイルスを仕込む時間などなくなっていた。
こうならないためにも、卓也に名前を教えず、焦らしに焦らしてすぐに飛んでくるように仕向けていたのだが、それが男女間のゲームだと解釈していた卓也は、お返しとばかりに焦らしていた。経験から、お互いに焦らし合っていたほうが、火がつきやすいことを知っていたからだ。
姿を変えられても、相手の心までコピーができないラバドーラはそのことを知る由もなく、何度も時間と鏡とにらめっこしていた。
少しでも時間を短縮させようと、男が食いつきやすいように服をはだけて、誘惑の甘いポーズを取ってみたところで、急になにもも馬鹿らしくなってしまった。鏡に映る自分の姿がこの惑星で一番のマヌケに見えてしまったからだ。
イライラがおさまらず、頭から吹き出た揺らめく煙に遮られ、投影された映像が歪んだ。
思わず「遅い……遅い! なにをやっているんだ!」と壁に向かって怒鳴り散らすのと同時に警報が鳴り響いた。
翌朝。部屋のベッド上で卓也は「うーん……」と唸って考え事をしていた。
「どれだけ悩んでも答えは出てきませんよ。百パーセント卓也さんが悪いんですから」
デフォルトは朝の食事を用意しながら言った。用意といっても保存食を栄養を考えて選んで皿にうつすだけだ。今日はルーカスが姿を現さないので、自分と卓也の二人分だけをよそう。
「そんなことないよ、半々だって。部屋までの説明が複雑なのが悪い。たまたまたどり着いた先の女性看守と、たまたま関係を持ったとしても、僕は悪くない」
「昨夜……警報を鳴らしたのは、卓也さんじゃないんですか?」
「僕だよ。だから余計に興奮した。思いがけない出会いに満足だし、彼女がかばってくれるから僕はお咎めなしだし、言うことなし。不満といえば、一緒に夜明けのコーヒを飲む時間がなかったことくらいかな。あの子は朝から駆り出されちゃったよ。まぁ、僕のせいだけど。だから悪いのは半々」
「……なにをおっしゃっているんですか?」
「ベッドを共にした日の朝ってのは、お互いにとって大切な時間ってことだろ。僕もよくわかってるよ。でも、一緒にいられない理由は僕だけのせいじゃないってこと。だから悪いのは半々」
卓也は今しがたひと仕事を終えたかのように、肩を回してストレッチすると、椅子に座って食事を始めた。
特に美味しくもないが不味いわけでもない。鼻風邪を引いた時のようにぼやけた味の食べものを軽快に口に放り込むと、鼻歌まじりに咀嚼をする。まるで好物ばかりが並べられた朝食を食べているかのように常時笑顔だ。
そんな幸せそうな卓也を見ていると、デフォルトは深く考えるのをやめてしまった。
なにを言っても意味はないし、これからどうなるかはわかっている。また呼び出しだろうと思っていると、乱暴な足音が部屋の前で止まった。
入り口を開けるなり「大変なことになったぞ……」と、今まで見たことのない真剣な表情をしたルーカスが卓也を睨んだ。
「トイレットペーパーでも使い切ったのか?」
卓也は真剣には受け取らず、からかうように言った。
すると、ルーカスは渾身の力で机を叩いた。キレイに並べられていた食器と保存食は宙に舞い、カランカランと音を立てて床を汚した。
「もう……気を付けてくださいよ。割れる心配はない食器だとしても、傷はつきますし、へこみもするんですから。ルーカス様のように図太くはないんですよ」
デフォルトは数本の触手を使って落ちたものを拾うと、とりあえず皿の上に戻した。その一度を落ちたものを卓也は気にせず口に入れた。
そして「なにを怒ってるのさ」と口に食べ物を入れたままもごもごと聞いた。
ルーカスは「昨夜――」と言いかけてため息をついた。
「昨夜のこと? あぁ、警報のことね。まぁ、無関係ではないよ。……なんせ関係を持ったからね。怪我の功名ってやつだよ。スリルってのは癖になりそうだね」
「昨日は女看守の部屋に行ったのではないのか?」
「眠りこけてたくせによく知ってるね。行ったよ。目的は達成した。ちゃんと夜中にこっそりを抜け出して、女性看守と関係を持ったよ。ただ……部屋だけが目的と違ってた」
「地図があっただろう」
「この地図ね……無駄に精巧過ぎて逆にわかりにくい」
卓也は地図を皿の上に乗せた。そこに書かれていたものは、地図や間取り図というよりも、建築図面に近かった。
「まさか……読めないのか?」
「読めるよ。でも、股間のコンパスが力強くどこかを指してる時は無理。あまりに急かして僕より前に出るから、近道をしようとしたら迷ったんだよ。ルーカスも経験あるだろ?」
「そんなことはどうでもいい。これからどうするつもりだ」
「どうするもなにも……。ルーカスがそんなに僕と彼女の仲を応援してくれてるとは思わなかった。なら決まりだ。今夜ルーカスが彼女の部屋まで案内してくれればいい。看守と一緒なら僕も堂々と歩ける。それにルーカスと一緒だと、コンパスが前を指すことはないからね。まるで暑い日の犬の舌のように、だらんだらんしてるよ」
「そんなことは、もうどうでもいい」
「どうでもいいって。自分から言いだしたんだろう」
「いいから聞け」とルーカスは注目を集めるように自分を指し、卓也とデフォルトが耳を傾けたのを確認すると、神妙な声で切り出した。「この惑星はもうすぐ機械化惑星として完成する」
「いいことではないですか。自分達が自由になる交渉をするチャンスですよ」
デフォルトが口を挟むと、バカだとでも言わんばかりにルーカスはこれ見よがしにため息を落とした。
「いいか、デフォルト。機械化惑星として完成するということはゴミ箱の完成だぞ。そのうち発展させている惑星の有害物質が運ばれてくる。当然それもゴミだが、ゴミは他にもある――私達だ」
ルーカスは意味を強調するように自分の胸を叩いた。
「そう卑下するなよ」と卓也が眉をひそめた。「ルーカス、君はせいぜい生ゴミだ。有害ゴミは言いすぎだよ」
「私達だ!」とルーカスは怒鳴ったあと、急に頭を激しく横に振って頭を冷ました。「私達囚人の事を言っているんだ。そもそも囚人とは言うが、奴隷のようなものだ。勝手な惑星間法令の決め事に処罰されているが、これは違法なことだ。百対ゼロの裁判など、どの宇宙法律でも許可されていない。なぜこれがまかり通るか、最終的にこの惑星ごと私達を処理するつもりだからだ。わかるか? 運ばれた有害物質ごと、私達は銀河の果てで爆発処理させられるんだ!」
ものすごい剣幕で言い切るルーカスだが、卓也はおろかデフォルトでさえも呆然としていた。今の話で絶望したわけではなく、与太話を聞かされたと思ってるからだ。
「ありえない話でもないと思いますが……」
デフォルトは一応は話に耳を傾けてみようと頭を悩ませたが、知っている限りの看守達にそこまで悪いイメージはしない。奴隷と言うなら食事も休みも必要ないからだ。なにより、今目の前にいるルーカスがさんざん問題を起こしても流刑になっていないのを見ると、思い過ごしだろうと判断した。
「デフォルトは優遇されているからそう思うだけだ。この機会化惑星が完成したら私達の行き先は? 発展させた惑星に住まわすつもりか? 今まで囚人として扱ってきた私達をか? クーデターが起こる。それとも、完成祝いに開放するか? 不当な判決を受けて働かせていた戦争の火種になるような私達をか? 私なら故郷の星に帰り、真っ先に軍隊を引き連れて攻め込みに戻ってくるぞ」
ルーカスは鼻息荒く言うと、判断を急かすように何度も机を叩いて焦らせた。
「言われればそうなんですけど……」と煮え切らない態度のデフォルトに、ルーカスは「なにが不満だ。言え」と脅すような声色で聞いた。
「なにと言われましても……」と一瞬答えに迷ってから卓也と目を合わせると、二人同時にルーカスがまともなことを言ってるのがおかしいと言った。
「私だって年に数回くらいまともなことを言うだろう」と言ってから、ルーカスは心配な顔で「……言うよな?」と聞いた。
「そうかもね。ちなみに僕が聞いた最後のまともな言葉は、半年前の『トイレは流すべきだ』って言葉かな。そんな男の言葉を仮に信じだとして、僕たちはどうすればいいのさ」
「脱獄しかないだろう。いいか、私達は網にかかった魚だ。そして今、生け簀に放り込まれている。まだ海とつながっている。ここしかチャンスがないんだ」そこまで言って、ルーカスは急に言葉を止めると「計画の話はまた今度してやる」と言って足早に部屋から出ていった。
しかし数分も経たないうちに戻ってくると、卓也に向かって「やってくれたな……」と怒気を込めてつぶやいた。
「やろうって言い出したのはルーカスだろ。それで計画はなんなのさ。聞くだけは聞いてあげるから」
卓也が脱獄の計画を話せと急かすが、ルーカスは首を傾げるだけだ。
「なにを言っているんだ……やったのは君だ。おかげで私は朝から招集をかけられ、朝からひと仕事だ。それに加え、君が過去に手を出した女看守二人が出くわし、私はとばっちりを食らっていたんだぞ。見たまえ、君へのメッセージだそうだ」
ルーカスは赤く手の跡がついた両頬を指差して卓也に見せた。
「そんなことはどうでもいい。脱獄の話はどうなったんだよ」
「どうでもいいはずがあるか! 私はビンタをされたんだぞ。同じ地球人というだけでだ。あまりに腹が立つから、女子トイレすべてに使用中の立て札をかけてきてやったわ! ――……脱獄だぁあ!?」
ルーカスは驚愕の悲鳴を上げた。
「自分でおっしゃったことじゃないですか……」とデフォルトが呆れた。「するしないは別として、珍しく良い意見をと思ったんですが」
「待て待て、良い意見というなら、私が言ったものだ。確かに言った。脱獄しようではないか。して、どうやってだ」
「それはまた今度と言われたので……」
「今が今度だ。だが、私が言ったのなら、答えは私の頭の中にあるはずだ。思い出してみよう」
そう言うとルーカスは座り込み、目を閉じて深く思い出し始めた。大きく息を吸い込み、吐き出して、深呼吸を繰り返していると、そのうち呼吸は寝息に変わっていた。
「慣れない仕事で疲れているのでしょうか? それで変なことを言い出したのかもしれませんね。ストレスは人格を変えると地球の本に書いてありましたし」とデフォルトはルーカスに布団をかけた。
「疲れるようなことなんてしてないだろう。でもどうする?」
「脱獄ですか? あまり良い考えとは思えませんが……。ですが、たしかに腑に落ちないこともありますし……判断が難しいですね。そもそもどう脱獄するのかという問題がありますし。宇宙船を手に入れ、燃料を入れるだけでも不可能に近いのに、そこから宇宙船を発進させ、この惑星を飛び出すなんて無理だと思うのですが」
デフォルトはそちらの意見は? と目配せをした。
「ここの暮らしも悪くはないと思うんだけど、出られるなら出たいかな。ここじゃ出会いが限られるからね。でも問題が二つある」
「そうですね……話の信憑性と、真実だった場合の手段ですよね」
「……脱獄までにあの彼女を口説き落とせるか。それと彼女以外を何人撃墜できるかだ」
「卓也さんも……年に数回くらいまともなことを言ってくれると助かるのですが……」
デフォルトがいつものため息をついている頃。
「あのバカ!」と悪態をつく者がいた。まだルーカスに化けたままの姿でいるラバドーラだ。
昨夜卓也が現れず、別の区画で騒ぎを起こしたせいで、ラバドーラが立てた計画はおじゃんになってしまった。
監視カメラもほとんど復旧してしまうので、今までのように色々な人物に化けることが難しくなってしまった。
そこで、諸刃の剣だが三人を使って脱獄の準備を始めることにした。最後に正体がバレることになっても、宇宙船に燃料さえ入れてしまえばどうにでもなる。相手が宇宙船で、ただ発進させるだけならば、どんな最新のセキュリティーでも乗っ取れる自信があった。
そこに行き着くまでに、バカ二人をどうにかして導くのかが肝心になってくる。
そのためにも卓也をもっと自分に夢中にさせる必要があると思ったラバドーラは、同じ看守という立場を使い、もう一度ルーカスを利用することを決めた。




