第十話
ルーカスが呼ばれた指定の場所というのは、既に午後の仕事に出払った人気のない滑走路だった。
「おお……これが私の宇宙船……」と、ルーカスは最愛の恋人を抱きしめるように機体をハグした。
見た目を例えるのならば、カメラの三脚で支えられた古いドラム型洗濯機。それ以外に言葉が見つからない。
しかし、これがこの惑星の宇宙船であり。地球の宇宙船とはどう比べようにも比べられないほど、高性能なものだ。
「さっそく仕事を頼みたいのだが……」と看守部長に化けたラバドーラが声をかけた。「燃料を補充するのを忘れてしまった。仕事の前に補充を頼みたい。スピードを維持したまま突っ込めば、コンピューターが感知して燃料倉庫の扉は勝手に開く」
「上官殿! 私とこの相棒『ゴッドッグ号』にお任せください。私の腕にかかれば、宇宙船に乗ったまま、トイレットペーパーで尻の穴を拭くのも容易い。上官殿がご要望とあらば、すぐにご覧に入れましょう」
「いいから……さっさと入口を開けて乗り込んだらどうかね……」
ベタベタと小型宇宙船の外側を触るだけのルーカスに、ラバドーラは苛立たしい口調で言った。ルーカスの感慨など何一つ理解できないし、する必要もない。思いは一つ。さっさと燃料倉庫で一騒動起こしてもらうことだ。
ルーカスが操縦する小型宇宙船が燃料倉庫の扉に衝突。爆発事故。その騒ぎの最中、看守に化けて燃料を盗み出す。盗み出された燃料は、他の燃料と一緒に燃えたことになるので足がつかない。
いつもどおり率先して、はやる気持ちを抑えずに、欲望に従って問題さえ起こしてくれればいい。だが、今日に限ってルーカスは動こうとしなかった。
強度を確かめるように外壁を叩いたり。意地悪な小姑が駄目だしする箇所を探すかのような目つきで、宇宙船の隅々まで眺めている。時折、意味ありげに頷き、また目を伏せて考え事をする仕草を見せる。
それらを何度も繰り返し、新たに材質を確認するように指の腹でなぞるという行為が足されると、ラバドーラがもしやと思って項垂れた。
「まさか……コックピットのドアの開け方がわからないとは言わないよな?」
ルーカスは「私が?」と驚いた顔を見せると、「まさか」と心外な顔をした。「命を預ける相棒を隅々まで調べることがそんなにおかしいことでありましょうか?」
あまりに真面目な顔で嘘の一つも滲ませずに言うもので、ラバドーラはわかったと納得するしかなかった。
だが、ルーカスはドアの開け方などわかっていなかった。ルーカスが翻訳された本で覚えたことは、ドアを開けるという一つの動作であり、ドアの開け方の過程はさっぱり抜け落ちていた。
しかし偶然にも、IDカードの差込口を見つけると、ラバドーラに振り返って笑顔を見せた。
ラバドーラがこれでやっと操縦すると安堵の笑みを返すと、ルーカスはその笑みを正解の笑みだと解釈して、意気揚々とIDカードを差し込んだ。
すると、コックピットのガラス部分が二つに割れ、操縦席が顕になった。
「では、このルーカス! 上官殿もご満悦の航空ショーをご覧に入れましょう!」
ルーカスは気持ちの良い笑顔で敬礼をすると操縦席に乗り込んだ。
「違う……燃料を入れてくるんだ」
「そうでありました」とコックピットを閉じたルーカスだが、姿が見えなくなってもソワソワしているのが感じ取れた。
浮足立ったルーカスに若干の不安を感じたラバドーラだが、あまりに自信満々で受け答えするので信じるしかなかった。
程なくしてルーカスが飛び立っていったので、操縦は本当に勉強したようだと安堵のため息を吐いた。
そして、すぐにでも燃料庫に侵入できるようにと移動を開始した。
青い荒野、青い山岳。まるで個体の海を見下ろしているかのような景色を見ながら、ルーカスは幸せを噛み締めていた。
「こうして生まれてきたようだ。実にグリップが手に馴染む。地球の精度の悪い宇宙船など、超知的生命体の私には合わなかったのだ。どれ……下等な生命体に会いに行ってみるとするか」
ルーカスは燃料庫ではなく、卓也とデフォルトが作業をする場所へと向かった。
「まったく……ルーカスはどこに行ったんだか」とぶつぶつ文句を言う卓也と、「様子がおかしかったのが気になります」と心配するデフォルト。
「拾い食いでもして、お腹を壊したんだろう。入ったトイレに紙がなくて出られないんだよ。乾いてかぶれるまでほっとけばいいさ。たまにはいい薬ってもんだよ」
「薬になればいいのですが……。ルーカス様の場合は周囲に劇薬を散布するようなものですから」
二人が作業をしながら会話していると、その横を宇宙船が墜落してきた。地面にぶつかりスーパーボールのように高く跳ね上がると、今度はピンポン玉のように、あちこちの岩肌にぶつかりながら着陸してきた。何度も何度もぶつかり速度を落とすと、ようやく停止した。
コックピットが開き「強度のテストは……まぁまぁと言っていいだろう……合格だな」とルーカスがぶつけたのはわざとだと言うように出てきた。
「なにしてんのさ……」と卓也が声をかけると、その存在に今気付いたかのようにルーカスは大げさに驚いて見せた。
「卓也君にデフォルト君ではないか。こんなところで古い友人に会えるとは思っていなかった。調子はどうかね?」ルーカスはこれ見よがしに操縦士の制服の襟を正した。そして、視線が充分に集まったの確認すると「その顔が見たかった。驚愕しているようだな」と満足気に言った。
「そりゃ、驚くよ。誰だって驚くさ。バカが宇宙船から降りてきたんだもん」
「まったく……これほどアホだとは。気付かないのか? なにか言うことがあるだろう」
ルーカスは卓也の小汚い囚人服を指差すと、自分のおろしたての制服を見せつけて胸を張った。
「今度はどこから盗んできたんだ?」
「それは不可能だ。私の制服だからな。自分で自分の物を盗むと言うか? 盗むとは言わんだろう。こう言うのだ……」ルーカスは言葉を止めて頭を悩ませると「どう言うのだ?」と聞いた。
「君はバカで全部が収まる。アホなことやってないで、早く仕事しろよ。明日も食べるものがなくなるぞ。言っとくけど、もう僕の残高もないから勝手に借金もできないからね」
「心配無用だ。私は借金とは無縁だからな。そして、君達との縁もこれまでだ。多少名残惜しくもあるが、レベルの差というのは埋めようがない。レベルを下げるということは出来ないからな」
「まったく……なにを言ってるかわからない……」
「そうだろうな。これは高レベルな会話だ。私と対等に話したければ、レベルを上げたまえ」
いつも以上に自信満々で不敵に笑うルーカスに、理解不能と卓也は首を傾げた。
しかしデフォルトは「もしかして」と朝のことを思い出した。「本当に操縦士になったのですか?」
「嘘!?」と卓也は大声を上げて驚いた。「操縦士だって叫んで出ていったあれ? あれは頭がぶっ飛んだってことじゃないの?」
「疑うのならばこれを見たまえ」
ルーカスはIDカードをデフォルトに投げ渡した。IDカードは囚人用ではなく、看守用になっていた。
恩赦による身分の引き上げの書類にも目を通したデフォルトは、それが本物だということを認めざるを得なかった。
「どうやら、本当に宇宙船の操縦士として雇われているようです」
「嘘だね! だってルーカスだぞ」
「認めたくないのはわかる。だがこれが将来を見据えて努力を重ねた私と、曇った瞳でなにもしないと堕落に甘んじていた君との違いだ。あまりに惨めで情けない。そこでだ、卓也君。君が望むのなら、その瞳にワイパーでも取り付けてやろう」
「絶対なんかの間違いだ。昨日の今日だぞ。問題を起こして給料がゼロになった途端に出世するっていうのか? それも、満足に操縦も出来ないのに操縦士にか?」
「卓也君。言葉を慎みたまえ。私の一声で、君を男子便所の椅子に任命することも出来るのだぞ。そうならないためにもやるべきことはわかるな?」
ルーカスは卓也に雑巾を投げ渡すと、顎をしゃくって宇宙船を指した。
「なんだよ」
「今朝の昼でもう忘れたのかね? 私の宇宙船の雑巾がけをさせると言っただろう。だが、私も鬼ではない。選ばせてやる。男子便所の尻拭き兼尿のしずく切り係に任命されるか、私の宇宙船の拭き掃除をするかだ」
「鬼……」と、卓也はしぶしぶ宇宙船を拭き始めた。
それをルーカスは「実に気分が良い光景だ」とニヤニヤしながら眺めていた。ついで「デフォルト君」と声をかけると「君のトイレットペーパーを全トイレに常備させるという功績を讃え、私のマッサージ係に任命してやろう。さぁ、揉め」と肩を怒らせた。
デフォルトはいつもやってることだと文句もなく肩を揉んだ。揉みながら考えたが、どう飛躍させてもルーカスが囚人からパイロットになる理由も意味もわからなかった。
そんなデフォルトの不安も、卓也の不満も、今のルーカスにとっては自己顕示欲を満たす気持ちの良い視線だった。
卓也の囚人服が更に汚れ、小型宇宙船がピカピカになると、ルーカスは血行が良くなった肩を回しながら立ち上がった。
「さて、そろそろ行くとするか……燃料を入れてこいと上官殿直々の命令が私にはあるからな。君達のように暇ではない。いや、これは失言だったな。君達は忙しくなるはずだ。私の監視の目が鋭く光るからな。今日から悔しさで眠れぬ夜が続くのだ。今のうちたっぷり昼寝でもしておきたまえ」
ルーカスは笑い声を響かせながら、宇宙船を発進させた。
そして、命令通り燃料庫に向かう途中、ルーカスはあること思い出した。
「しまった! 忘れていた……。最初に卓也にやらせる仕事は、私が上空から垂らしたヨダレを両手でキャッチさせることだった。順番は変わったがまぁいいだろう」
ルーカスは実行しようとコックピットを開けたが、その瞬間。突風に煽られて体が投げ出されてしまった。
幸い下にいる囚人がクッションになり、豪運にもルーカスは傷一つなく着地できたのだが、操縦士のいなくなった宇宙船はそうはいかなかった。
高度を落としながらただまっすぐに進み、向かう先は燃料庫ではなく、ラバドーラが目を付けた宇宙船が押収してある倉庫だった。
そして、その爆発音は遠くにいるラバドーラの耳にも聞こえていた。
「どこに目がついてたら、燃料庫の反対側にある押収物の倉庫に突っ込めるんだ……」
ラバドーラの落胆の声は喧騒にかき消された。
目当ての燃料庫は万が一にも火が燃え移らないようにと、二重ロックがかかり、真空状態にするため中の空気が抜かれていった。
システムに侵入するのも、壁を壊して侵入するのも不可能になってしまった。燃料を手に入れられたとしても、もう一つの目当てである宇宙船が灰になってしまった。
ルーカスが予定通り燃料庫に突っ込んでいれば、燃料の供給がなくなり、追いかけてくる宇宙船はいない。悠々と脱獄できるはずだった。
しかし、ラバドーラの後悔は短く、早々に”頭”を切り替えて新しい計画の準備に入った。
二本の足と二本の腕を左右交互に動かし、揺れる胸、なびく髪。そこにいたのは看守部長の姿とは程遠い、地球人の女の姿だった。
そしてその頃本物の看守部長は、頭を抱えていた。
「私は許可した覚えはない。デフォルトならわかるが、ルーカスだぞ。私の手元に置いておくメリットがまったくない。デメリットだらけだ。現にこうして問題が起きている」
「ですが書類にサインがされています。間違いなく看守部長のサインです」
部下が証拠となる書類データを見せた。そこには自分でも見慣れたサイン。それに生体認証もしっかり照合されていた。
「おかしいな……本当に私が書いたサインか?」
「今急ぎで調べさせています。過去のサインデータと合わせて、癖に違うところがないかと」部下が話している最中にデータの受信が始まり、早速そのデータを空中に投影した。「困ったことに……サインデータは間違いなく部長が書いたものです。過去のサインデータから、まったく同じサインが発見されました。少しも狂わず全く同じものです……」
困ったというのは責任の所在に関してではなく、サインが流用されていたということだ。
「なるほど……どうもおかしいと思った。いくらルーカスが愚かだとしても、あそこまで問題を起こす生物がいるはずがない。ラバドーラが介入してるに違いない」
「では、早速ルーカスを尋問にかけますか?」
看守部長は「そうだな」という肯定の言葉をすぐに否定した。「いや待て。あったぞ……メリットが……」
「まさか、このままルーカスを部下にしておくつもりですが? 刑期が終了してない囚人を部下にする例がありませんよ。それに、機会化惑星工事が終われば囚人の必要はなく、この惑星ごと有害ゴミと一緒に銀河の果てで爆発処理するんですよ。新惑星につれていくつもりですか?」
「せっかくラバドーラが尻尾を出してきたんだ。このチャンスを逃す手はない。ルーカスは看守補佐として雇う。そうしてラバドーラの動向を探る。利用してラバドーラを捕らえれば用無しだ。名誉補佐官として、機会化惑星の運転でもさせるさ。銀河の果てまでな」
看守部長はルーカスには卓也とデフォルトの見張りでもさせろと部下に命じると、押収物倉庫の事案に取り掛かった。




