第八話
これは三人が懲罰房に入る数日前の出来事だ。
ルーカスは廊下でチャップネイズがいるグループを引き止めていた。
「本を訳せだ? それを本気で言ってるのか?」
チャップネイズはシャボンフィルターの内側にぴったり額を付けて、目を大きく開いてルーカスの顔をまじまじ見た。「そんな義理があると思ってることに驚きだ」
「義理など感じる必要はない。私に手を貸すことは、義理ではなく使命だからな」
ルーカスは断られるなど微塵も思っていない表情で言い切った。
「話が通じるようになったら、また話しかけてくれ」
チャップネイズは周りに立ち去ろうと合図を送ると、くるっと背を向けた。
「話なら通じているだろう。私のために働けと言っているのだ」
「また来世でってことだよ」チャップネイズは後ろ手に「はいさよなら」と小さく短い手を振った。
「来世の話ではなく、今手を貸せと言っているのだ。わからん奴だな……。またチーズでもキメてハイになってるのか?」
ルーカスが馬鹿にしきったため息をこれ見よがしに落とすと、チャップネイズはものすごい勢いでルーカスの眼前まで戻り、シャボンフィルターの内側が自分のつばで汚れるほどの大声で「話しかけんなってことだ!」と怒鳴ってまた去っていった。
大声に思わず怯んでしまったルーカスが突っ立ったまま目をパチクリさせていると、チャップネイズと一緒にいた枯れ枝のような体つきをした大男が一人で戻ってきた。
大男は「なんなら手を貸してやろうか?」と、カマドウマのような顔をルーカスに近付けた。
「あいにくだが、私にもわかる」
「さっきわからないって言ってただろう」
「頭の悪い顔は、ひと目見てわかると言っているのだ。博物館に飾ってあったポンコツ真空管テレビくらい、単純な脳みそをしてる男だろ。用無しなのがわかったら、今すぐ私から離れたまえ。古びたオイルみたいな臭いで頭痛がしてくる」
ルーカスが消えろと手を払った瞬間。大男は頭に血が上ったかのように、頭のてっぺんから煙を吹いたが、なんとか冷静になろうと踏みとどまった。
「なんだ、怒らないのか? 煮え切らん男だ……」
「悪口を言われたのはわかった。でも、真空管テレビがどんなものかわからないから怒る必要がない。……オレはポンコツでもないしな」
大男は怒りを顔の奥に押し込んだ無理やりな笑みを浮かべたが、ルーカスがそれに気付くことはなかった。
なにやら思いついたように「ふむ……」鼻を鳴らすと「なかなか才能がある。バカは扱いやすいからな。私の下につく気はあるか? シャブネズミについているより箔が付くぞ」
一向に話が進まないことに痺れを切らした大男は「いいから貸せ」と、ルーカスからデータ―チップを奪い取ると、後ろを向いてあからさまに怪しくごそごそ始めた。
わずか数秒後。振り返り、ルーカスに向かって手のひらを差し出した。そこからホログラムが浮かび上がり、翻訳された一ページが投影されていた。
それはルーカスが生まれた頃から何度も目にした忘れようのない地球の言語だった。
「思ったより役に立つようだな」と、ルーカスがデータチップに手を伸ばすと、大男はデータチップを隠すようにして拳を握ったので、ホログラムは消えてしまった。
「報酬は?」
「報酬だと!? 勝手にやったものに金を払えというのかね?」
「なら翻訳済みのデータをこの場で今すぐ消すのも勝手ってことだな」
大男が背を向けると、ルーカスは慌てて止めた。
「わかったわかった……。しょうがない……いくら払えばいい?」
「今あるだけ全部でいい」
「おかしい……私には全財産を要求されたように聞こえたが」
「そう言っているんだ。いいか? オマエ達は騒動を起こし過ぎている。近いうちに看守からの呼び出しは確実に罰金に変わるだろう。そうすれば金を持っていても意味がない。ここで全部使っておけば、搾取しようとする看守に一泡吹かせられるってもんだ」
「なるほど……」と一度は頷いたルーカスだが、すぐに思いとどまった。「いや、まて……。私は損しかしていないよな? 私をバカだと思ってふっかけてきたな。そんなことで、この私が大金を手放すと思ったか?」
ルーカスが鋭い目つきで睨むと、大男は怯んで一瞬目をそらした。
「今ここでゼロになるが、その本を読んで勉強し、出世すればはした金だ。今金がないから大金に感じるが、実際は微々たるものだ。それともアンタは出世して大金を持っても、安い暮らしをするような男なのかい?」
「なるほどな……たしかに。よし! 私は全財産で出世の道を買おうではないか。バカはこのチャンスを逃すが、私はバカではないからな」
ルーカスは貯蓄のデータを大男に渡すと、代わりに翻訳済みのデータチップを受け取った。
「アンタが出世するのを祈ってるよ」と大男はルーカスと別れた。
大男はしばらく人のいない方へと歩いていき、周囲に誰もいないのを確認すると、停電の故障で誰も使えなくなったはずの部屋のロックを外し、中へと入っていった。
部屋の中は他の囚人部屋と変わりないが、電気の供給は相変わらずされていない。なので、他のものがドアを開けるのは不可能だ。
大男が自由に行き来できるのは、その正体がアンドロイドの犯罪組織であるL型ポシタムのボスの『ラバドーラ』だからだ。配線をつなげてハッキングすることで出入りが可能になっている。
ラバドーラは部屋に入るなり、無駄なエネルギーを使わないように体への投影をやめた。すると真っ白なマネキンのような姿になった。
ラバドーラはスキャンした生命体を、体中にちりばめられたナノカメラで自己に投影することで姿かたちを変えていた。
撮影と投影が同時に出来るため、下半身だけはすぐ後ろの背景だけ投影することで宙に浮かぶ生命体にもなりきることが出来る。
そうして様々な生命体に姿を変え、囚人惑星をうろついて情報収集するには理由があった。
本来ならば、ラバドーラはとっくに脱獄をしているはずだった。あのL型ポシタムの襲撃があった日にだ。大型の宇宙船で注意を引き、電磁シールドを張らせることにより電力を使わせ、独房の電力供給量が減ったところで、ハッキングをして逃げ出す予定だった。
しかし、不意の停電のせいでタイミングが狂ってしまった。なんとか独房からは逃げ出せたものの、今度は惑星に閉じ込められてしまった。
逃げ出そうにも、囚人管理のためのセキュリティーにより、ネットワークに何度も侵入することは出来ない。囚人が乗っていた宇宙船は勝手に逃げ出さないようロックがかけられている。ラバドーラにとって、ロックを外すのは赤子の手をひねるよりも簡単なのだが、燃料まで抜かれてしまっているので保管庫に侵入しても出発することは出来なかった。
ラバドーラは「まったく……宇宙船の操縦など三秒で覚えられるだろう」と苛立たしげに呟いた。「だいたい……せっかくマスターキーを渡したのに、なぜ廃棄倉庫にある機械を選んだ。そのせいで動力源がオイルだ。燃費が悪いにもほどがある」
ラバドーラは肉付きの良い太もものカバーを外すと、中のオイルタンクを交換した。
自らを改造できるラバドーラは、本来オイルなんて時代遅れのものは燃料として使わないが、使わざるを得ない理由があった。
この囚人惑星の電気を動力とすると、膨大な量を使うことになるので、部屋の電気消費量に異常が出てしまい、簡単に自分の居場所がバレてしまう。そこで、いつも騒動を起こす卓也とルーカスを使い、重機機械がある車庫を開放させ、騒動が起こってるうちにどさくさに紛れてエネルギータンクを盗む予定だった。
しかし、結果は失敗。そこにあったのは使い古されたオイルだったというわけだ。
ラバドーラがルーカスと卓也を利用したのはこのことだけではない。卓也に嘘の囚人部屋のロック解除番号を教えて、火災による緊急コードを入力させ、宇宙船の保管部屋のロックを解除させて中へと忍び込んだ。
この時に目星をつけた宇宙船で脱獄するために策動しているところだ。
他にもルーカスと卓也が引き起こした騒動のほとんどにラバドーラが絡んでいる。
二人が騒動を引き起こしている時が、ラバドーラが自由に動ける時間なのだ。
だが、計画はスムーズには進まず。一進一退を繰り返していた。それもこれも、ルーカスと卓也の二人が予測不可能な結末ばかりに行き着くからだ。
運搬用の小型宇宙船を使い、看守の気を引くだけの予定が、燃料を補給したのが二人だったせいで外に有害物質が蔓延することになってしまった。それによって施設に囚人が入り浸る結果になり、ラバドーラも身動きが取れなくなってしまった。
計画を進行させるためにも、ルーカスの宇宙船操縦技術はとても大事になるので、今回コンタクトを取って本の翻訳したのだが、高知能なアンドロイドに囲まれていたラバドーラは、地球のバカの限度を知らなかった。
翻訳さえすれば、誰でも宇宙船を乗りこなせると思っていた。学習するというのはアンドロイドにとっては至極当然のことだからだ。ひとつも身にならない学習があるなんて思いもしなかった。
そんなバカを知らず侮ったせいで、悲劇ともいえるほどこれから三人と関わっていくことになる。
そして、時間は数日後に戻る。
「いいかげん言い訳を聞くのも飽きてきた……」
看守部長はうんざりと頭を垂れてため息を落とした。
「それは残念。せっかく他人になすりつけるための言い訳を考えてきたのに」
軽口を叩く卓也はすぐに床を動かされて壁に追いやられた。
「私はこの惑星を思い、必要なのは小型宇宙船の操縦士だと考え、勉学に励むため、自主的に休暇を儲けた次第です。よって、サボっていたのはミスター卓也だけであります!」
ルーカスはキビキビと敬礼をし、興奮気味に大きく開いた鼻の穴から息をこぼしていた。
「前から思っていたが……そのマヌケなポーズはなんなんだ」
「これは敬意を表す礼式であります、上官殿。媚びを売るあらわれとも言えます」
「上官ではない。囚人と看守だ。いいか、ルーカス。なにもしないのが、この惑星のためだ。このさいだからはっきり言おう。ルーカスと卓也。君達二人はデフォルトは働かせるための人質だ。君達個人個人の働きにはこれっぽちも期待していない。デフォルトがいなければ、すぐさまこの場で頭を撃ち抜いている。わかるか?」
脅しの目つきで話す看守部長に向かって、ルーカスは物知り顔で頷いてみせた。
「当然、このルーカス。すべてを把握しております。上官殿が一本触手毛深フェチということも」
「バカ、ルーカス。それは秘密だって言っただろう」
卓也は余計なことを言うなとかぶりを振った。
「……いいか、立場はわかるな? 正直に言え、誰から聞いた」
看守部長は床を動かし、卓也を引き寄せると、入れ替わりにルーカスを壁まで追いやった。
「皆言ってます」
「その皆は誰かと聞いているんだ」
「だから皆ですって。この惑星の全員」
卓也の真面目な眼差しを身に受けて、看守部長は居心地悪そうに、指でゆっくり二回机を叩いた。そして、意を決したようなため息を一つ挟んで、通話を繋いだ。
「こちら南館連絡室。どうしましたか?」
「根も葉もない噂なんだが、私が一本触手毛深フェチというのを聞いたか?」
通話相手が「……いいえ」と答えたので、看守部長はほれ見たことかという笑みで卓也を見た。
「看守部長が一本触手の毛深い星人に言い寄ってる画像データが回ってきているので、噂ではなく事実かと。言うことはそれだけですか?」
「……いいや、まだ言うことはある。君は減給だ」と、看守部長は相手の返事を待たずに通話を切った。
「慰めるわけじゃないですけど、僕も毛深い一本触手は好きですよ。一本触手といえば、初めてキィルイソリュト星人の特集を見たときは衝撃だった。まさかこんな世界があるとは――」
看守は「いいから黙れ……」と、床を動かして卓也も壁に追いやった。
なにか言われる前に「重ね重ねお詫びを申し上げます」と、デフォルトが二人の代わりに謝罪した。
「まぁ、相手の方はルーカスが半径百メートル以内に近づかないことで納得した。問題なのは、女囚人が近くの看守を連れて戻ったことにより、その持ち場にいた囚人がチャンスだと暴動を起こそうとした。幸い暴走が起こる前に止めたが、混乱が起こってしまった。そこで聞きたい。どうすれば問題を起こさずに済むかだ」
デフォルトはなにも言うことができなかった。そして、看守部長はそのことがわかっていた。なので、デフォルトがなにか思いつく前に先に口を出した。
「そこでだ。これからは罰金制度を設けることにした。問題を起こすたびに大幅に徴収していく。君達に金を貸す囚人はいない。真面目に働かざるを得なくなる。早速今日からだ」
看守部長は卓也の個人データにアクセスすると、よく見えるように大きく拡大して空中に投影した。
「君達の働きからすれば、元からないようなものだが、これで完全にないものになる。真面目に働かなければ生きていけない」
看守部長は嫌味な笑みを浮かべて卓也の残高をゼロにしたが、元からあまり使わず女性囚人や女性看守に面倒を見て貰っている卓也にはダメージはゼロだった。
表情変化がないのでおかしいなと思いつつも、看守部長はルーカスの残高もゼロにしようと個人情報にアクセスしたが、最初からゼロになっていた。
ルーカスはまるで気を利かしましたというような笑みを浮かべて、元気いっぱいに敬礼をしてみせた。
「どうして……ゼロなんだ? 少しも貯めようと思わないのか?」
「こうなることを予期し、事前に全て使っておきました。上官殿の手は煩わせません!」
ルーカスは自分は気の使える男だとアピールするような顔で言った。
看守部長は「君達ほどのバカとは、銀河で初めて遭遇した……」と頭を抱え、「もういい」と三人を部屋から追い出した。




