第七話
「いいか、休暇というのは己を高めるために使うものだ。この私のようにな」
部屋に戻るなりルーカスはIDカードを取り出し、壁の差込口に挿れた。すると、ルーカスの手元に本型のホログラムラムが現れた。
それを見て卓也は「まだ無駄な努力を続けてるの?」と呆れた。
「無駄な努力ではない。どうせ君には読めんだから教えてやる。この惑星で使われている宇宙船の操縦方法が書かれている」
ルーカスが本を人差し指で軽くはじくと、本は卓也の目の前まで移動した。
「ルーカスにはこれが読めるっていうのか?」
卓也は宙に浮いている本をめくった。ミミズののたくったような見たことのない宇宙言語が、真っ黒なページと見紛うほど敷き詰められており、左から読むのか右から読むのか、縦から読むのか横から読むのか、それとも斜めに読むのか、はたまた螺旋状に読むのか、皆目見当もつかない。
「当然だ。私はこれを読むために、甘味もティータイムも断ったんだぞ。高い金を払って、地球人でも理解できるように作らせたのがこれだ」
ルーカスが本の上で指を鳴らすとホログラムの文字が回転し、見慣れない宇宙言語が見慣れた地球の文字と文体に変わった。
「でたらめじゃないのか? どこのマニアな宇宙人が、地球語なんていうマイナー言語を習得してるっていうんだよ」
「世の中には宇宙翻訳機というものがあるのだよ。それがあればフリーズドライに湯をかける夕食より簡単だ。ぱぱっと三秒で済む」
「いいかい? ルーカス……」卓也は子供に言い聞かせるように切り出した。「他の銀河の言語を、ルーカスの頭でも理解できるように翻訳できる機械があれば、誰かに頼むなんていう二度手間なんてしないだろう。それとも、そんなことにも気付かないほどおバカになったっていうのかい?」
「細かいことをグチグチと……これが偽物だという証拠でもあるのかね? それとも、充実した他人の生活を羨む子供のように、ただ難癖をつけて騒ぐだけか?」
「もちろんあるさ。デフォルト」
卓也に名前を呼ばれる前から、デフォルトはホログラムの本をめくって原文と訳を交互に見比べていた。最後まで速読すると、深刻な表情の顔を上げた。
「これではルーカス様が理解するのは不可能かと……」
「ほら、やっぱり偽物だ」
卓也はそれ見たことかと胸を張った。
「いえ、正確に翻訳されていると思います。普通に翻訳するのなら、自分でもこのとおりにすると思います」
「私が偽物を掴まされるとでも思ったか?」今度はルーカスが、それ見たことかと胸を張ったが、すぐに腰をかがめてデフォルトを睨みつけた。「本物なのに、私が理解できないとはどういうことかね?」
「本物だからこそ、ルーカス様には理解出来ないかと……。専門用語が出てきていますが、それについて子供でもわかるような説明がありませんし。挿絵もありませんよ」
「私をバカにするな。ちゃんと聞いていろ」
ルーカスは本に書かれた文章をスラスラと読み上げると、得意げな顔でデフォルトの様子をうかがった。
「前から思っていのたのですが……読むと読み解くというのは違うのですよ……。なにも考えずに文字だけを目で追うので、ルーカス様の頭にはなにも残らないのでは?」
ルーカスは「いいかよく聞け、タコランパ」と不機嫌に目を細めた。「どこからが頭か顔かもわからんタコのようなずう体のどこに脳みそが詰まってるか知らんが、そこによく刻んでおけ。次に私をバカにすると、酢だこにして食べずにただただゴミ箱に捨ててやるぞ」
「自分に言っていただければ、ルーカス様にでもわかるように訳したのにと思ったのですが……いったい誰に訳を頼んだのですか?」
「シャブネズミといつも一緒にいる大男だ」
「どの大男ですか?」
「枯れ枝の先にカマドウマの頭部をくくりつけたような男で、自動車工場のこぼれたオイルのような臭いがする奴だ」
「そんな人いましたか?」
デフォルトの記憶には、そんな男はチャップネイズの周りにはいなかった。
「いないというなら、私は誰に金を払ったというんだ。だいたい今しているのは、休暇の過ごし方だ。私の家計簿の話ではない」
デフォルトは「ですが……」と気になって食い下がろうとしたが、卓也に止められてしまった。
「ルーカスの言うとおりだ。自分のために時間を使うっていう話をしているのに、ルーカスの面倒を見てたら意味がないだろう」
「周りで気になることばかり起きているのでつい……。それに、お二人がお仕事をおサボりになっていることもまだ――」
「――そこでだ」と卓也は言葉を遮った。「そんなに人のことが気になるなら、いっそ気にしまくればいいんだよ」
「……もしかして混乱させようとしていますか?」
先ほどと正反対のことを言われ、デフォルトはどうすればいいのかわからずため息をついた。
「違うよ。人を気にするんじゃなくて、気になる人を作ればいいってこと」
卓也の言葉にデフォルトは首を傾げた。
「恋をしろってことさ。これぞまさしく僕の休日の過ごし方だ」
卓也はミュージカルでも始めるかのように両手を大きく広げて言うが、デフォルトは「はぁ……」と気のない返事をするだけだった。
「どうしたデフォルト。そんなんじゃ恋なんてできないぞ」
卓也はデフォルトの触手を握って揺さぶった。
「そう言われましても……。そもそも、愛という感情に流される相手がいませんよ」
「甘いよデフォルト。恋の相手なんて、街の中でカラスを見かけるより簡単だ。ちょっと横に目を向ければ、恋が服を着て歩いてるってもんさ。僕に脱がされて、愛がむき出しになることも知らずにね」
「卓也さんのは恋とか愛とかという感情とは違う気が……」
「いいことに気付いたね、デフォルト。まさしく愛や恋は感情じゃなく衝撃だよ。だけど気付いていないこともある。それは卓也と書いて恋とも愛とも読めると」
卓也は軽くデフォルトの頭を小突いて言った。
「ルーカスと書いて天才と読むともな」
世界の常識を語るような自然な口ぶりのルーカスを無視し、卓也は「何はともあれ、休暇っていうのはね、まずは衝撃にぶっ飛ばされるところからだよ」とデフォルトを連れ出した。
三人が向かったのは囚人の共有スペースだ。壁には恒星の光は当たらない空気の入れ替えだけの窓。質素な椅子とテーブルが数個並んでおり、自由に休憩できるようになっている。塗装用スプレーで染めたかのような茎も葉も花も同じ真っ青な植物が、飾られているのか捨てられてるのかわからない部屋の隅に、ぽつんと置いてあるだけだ。
そんな簡素な部屋を三人は廊下から隠れて眺めていた。
「ほら、あそこにいるだろう。背後のバレンタイン男子が」
「いるのは前ですし、女性にしか見えないのですが……。もう……なんでもいいですね、卓也さんは」
「違う、そういうことじゃなくて、心情の問題さ。素知らぬ顔で座ってるけど、心の中では気付いてー。声をかけてーって大声で叫んでる。実に憐れで情けない……」
卓也が視線を向けると、ルーカスは「私を見るな」と強く睨みつけた。
「とにかく、彼女は声をかけられるのを待ってるってこと」
「なら、早くお声をかけてあげればいいのでは?」
「デフォルト……。彼女が二人でいるように見えるかい?」
「見えません」
「そうだろう。それなのにすぐに声をかけるなんて言うのはバカのすることだ」
「卓也さんが言ったんですよ。声をかけられるのを待ってるって」
「出会ってすぐになにも考えずに声をかけるのは、女性側の人数が多い時だけに使える手だよ。特に話題もなくふわふわとした言葉だけを使って、一人だけを褒めて優越感に浸らせる。その場は適当にあしらわれても、後から連絡がくる。勝ち組の余裕をつくのが正しいやり方ってもんさ」
デフォルトは「はぁ……」と気のない返事をする。「それで、負け組の自分たちはいつまで物陰に隠れてこうしていればいいのですか? まさか……休暇の間ずっとこうしているのでは……」
「観察は大事だよ。女性っていうのは、答えのない謎々をふっかけてくるようなもんさ。僕達男は、その謎を解くトレジャーハンターだよ。髪と服から情報を得て、まず洞窟の入り口を探差ないと」
「惑星探索もそれくらい慎重にやっていただければ、今頃こんなところにいなかったのですが……」
というデフォルトの若干の恨み言を、卓也は無視して続きを話し始めた。
「いいかい……デフォルト……。いくら着飾っても、全方位万能型顔面を持って自負してる女性なんていないの。自然に自信のある角度で振り返れる位置から声をかけないと。すなわちそれが宝の洞窟への入り口。素人は入り口を見つけたら、まず入りたがる。だけどそれは愚策だね。出来る男は、宝が洞窟の入り口までくるように仕向けるんだ」
デフォルトはため息を一つ落としてから「どうするんですか?」と、卓也が話しやすいように相槌を挟んだ。
「風向きを変えるのさ。心は愛に溺れる前に、まず浮ついて愛の波に揺られる。風に流されるままね。それを正しい方角へ導くのが僕らの仕事さ。この時に間違っちゃいけないのが、男のコンパスに従ってはいけないってこと。困ったことに勇ましく常に前を指す。磁気が狂ってるのも知らずに、慌てて舵を取ると、自分で作った出っ張りに躓いて座礁。立ち往生さ。そして、一人……寂しく……息を引き取る」
卓也は元気に立てた肘をゆっくり横に倒しながら言うと、パンっと急に手を叩いて話し調子をもとに戻した。
「所詮僕らは異物なんだよ。異物がいかにして空気に成り代わるか、そしてその空気がどれだけ存在感を残せるかが勝負。わかる? 僕らは彼女の帰り道に、どこからともなく流れてくるカレーの匂いになるんだ。そうすれば、彼女の頭はカレーでいっぱいになって、近いうちに向こうから僕を食べに来る。僕が用意するのは最高のお皿とトッピング。一般的ではなく彼女にとってのだ。そうすれば、デザートは彼女が用意してくれる。それを用意するのに観察が必要ってこと」
卓也の話は終わらず「それから」とデフォルトに語っていると、まず鼻で笑う音が聞こえてきた。
「アホらしい……」とルーカスは聞こえるようなため息をついた。「トイレットペーパーのようにペラペラと……男は無言で語るもんだ。見ていたまえ」
ルーカスは廊下の影から身を乗り出そうとしたので、卓也はどうぞと肩をすくめて道を譲った。
ルーカスは部屋に座る彼女からも見えるように顔を出すと、じっと見つめた。
「いいか、デフォルト。男は気持ちを言葉にしちゃいけない。目で女に命令をするんだ。わかるか? 私は今こっちを見ろと念じている。ほら、見ろ。アホな女がチラチラと私に目を向けている。私が気になっている証拠だ」
「たしかに気になって……は、いるようですが……」
デフォルトが隙間から様子をうかがうと、卓也も隙間に顔を押す付けて様子を伺った。
「あの目は見たことがあるね。部屋にいるコバエが気になっているときだ。つまり鬱陶しくてしょうがない」
「負け惜しみかね、卓也君。ようく見たまえ。私がこちらを見ろと強く念じた瞬間から、アホ女は私目が逸らせなくなっている」
「たしかにこちらをじっと見て……は、いるようですが……」
デフォルトが言いにくそうに濁した言葉を、卓也がはっきり言葉にした。
「あの目は見たことがあるね。子供の頃に自然と地球と生命っていうドキュメンタリーで見たよ。狙われてるのに気付いた時の小動物の目だ。つまり怯えてる」
「まだ負け惜しみを言うかね。あの女はもう私に夢中だ。その証拠に私が立てと命じて見れば、今すぐにでも立ち上がる」
ルーカスがかっと目を見開くと、彼女うは椅子を引いて立ち上がった。
「本当に立ち上がりましたよ」とデフォルトが驚くと、卓也も「うそぉ……」と驚いた。
「驚くのはまだ早いぞ」とルーカスは口の端を吊り上げて下卑た笑みを浮かべると、小声で「こっちにこい」と言いながら女性を見た。「こっちにこい。そうだ、足を上げろ。違う、左足だ! もういい……テーブルを回り込め。そうだ。いいや違う。もういい出ていけ! そうだ、出ていけ! その短い足を走らせてさっさと出ていくんだ! ほら、右足だ。左足だ。いち、に、いち、に。さっさと走りたまえ! わーーーー!!」
ルーカスは最後の方はもう小声でもなく、女性に向かって怒鳴り散らしていた。
当然女性は変な男がいると必死に部屋から逃げ出していった。
ルーカスは「これが私の力だ。女は思うように動く。女とはこうやって口説き落とすもんだ」と自慢げな笑みを口元に浮かべた。
「そうですね……自分が恋を知って、更にストーカーになりたいと思ったら、お二人にあらためて意見を聞きたいと思います……」
「それじゃあ結局休暇になってないじゃないか。僕達がせっかく付き合ったっていうのに」
卓也はもうどうしようもないとため息を落とした。
「実を言うと、やっぱり働いていたり、頭を動かしていたほうが休まる気がします。ですので、良い休暇が過ごせたかと言われると……」
デフォルトが顔を伏せて言い淀むのと同時に、先程逃げた女性が看守を連れて戻ってきた。
そしてルーカスを指差すと、強い口調で「あの人です!」と叫んだ。
看守が「また、オマエらか!」と怒鳴り散らして近付いてくると、デフォルトは顔を上げて「悪い休暇とも言えなくはないです」と言い、いつもの誤解を解くために一歩前へと出た。




