第五話
ため息が一つ落ちるが、遠くの掘削音にかき消されてしまった。
何度か同じため息を繰り返した卓也は「どっちか、どうかしたの? くらい聞けないわけ?」と、声を大きくして言った。
「すいません。騒音のせいで気付きませんでした。なんと言っていたんですか?」
デフォルトは作業の手を止めて卓也の元へと駆け寄った。
「なにも言ってないよ」
「それだと気付くのは不可能です……」
「僕が表情を曇らせて、憂いを帯びた目を伏せ、悩ましげなため息をついてるんだぞ。どうしたって聞くのが普通だろう?」
卓也が聞くまでしつこいぞという顔をしたので、デフォルトはしょうがなく「……どうしたんですか?」と聞いた。
「僕は恋をしたみたいだ」
「そうですか……」
「また、そんな目をして。言っておくけど、今度の恋は本気の恋だぞ」
「この目の意味は、周りをよく見てくださいって意味です」
言われたとおり卓也は辺りを見回した。
足元には藍染めしたような光沢のない砂と、海を砕いたようなコバルトブルーの石屑が広がり、周囲は地球では見ることのできない青色の岩層が不気味な模様を描いて、そこらで大小様々に隆起しており、その中の手頃な岩にルーカスが腰掛けていた。
「僕がルーカスに恋をしたとでも言うつもりかい? 説明しただろう。裸で抱き合ってたのは、急な衝撃があったからだって。その衝撃っていうのは、愛とか恋とかの心理的なものじゃなくて、物理的な衝撃だからね」
「掘削で広がった砂煙を箒で集めて、スコップで拾い、台車に入れて運ぶ。機械は一切ありません。すべて人力です。卓也さんが夜中に抜け出して、騒ぎを起こしたせいで大変だったんですよ。この仕事を取るのも苦労したんですから。言っておきますが、ここで仕事がなくなるということは、わずかばかりの燃料だけ乗せた宇宙船で、宇宙へ追放されるということですよ。食料も、通信手段も、武器もない。ただ死んでいくのみです」
「言わせてもらえば、僕のせいじゃない。ルーカスが番号を間違ったせいで、火災時の緊急コードを入力しちゃったんだから」
卓也が睨みつけるが、ルーカスはまったく動じない態度で、顔だけを卓也に向けた。
「私はなにも言っていないと何度も言っているだろう」
「いーや、確実に言った! デフォルトも聞いてただろう?」
卓也はとにかく味方をつけようとデフォルトを巻き込んだ。
「聞いていましたが、だからといって夜中に抜け出して他の囚人部屋に行く理由がありません」
咎めるデフォルトの言葉を聞いて、卓也は不貞腐れて眉をひそめると「僕にはあるの」と言った。
「理由ではなく、ただの本能だろう。後先考えない行動で我々は割りを食っているのだ」
ルーカスは同意を求めるようにデフォルトを見たが、働いてるのはデフォルトだけだ。ルーカスは座ったまま動こうとしないし、卓也は恋に落ちたとため息をつくばかり。
デフォルトはとうとう諦めると、自分の分だけでも仕事を進めようと、箒で砂や塵や小石を集め、スコップを使って台車に載せ、所定の場所まで持っていった。
その勤勉な姿を見ても、二人が働くことはなかった。それどころか、注意する者がいなくなったので、堂々と雑談に花を咲かせていた。
「この胸の高鳴り、まるで中学生に戻った気分だ。彼女のことばかり頭に浮かんでくる」
「制服を着ろ。今でも充分中学生に見える」
「僕の背の低さは関係ないだろう。彼女のすべてが気になるんだ。好きな食べ物、音楽、休日の過ごし方、笑い方。それに髪型とか、肌の色とか、顔とか……」
卓也はうっとりとした眼差しで、脳が空に映し出した彼女の姿かたちを眺める。
「知らず知らずで、気になることばかりだな。その分じゃ、名前も知らんだろう」
「しょうがないだろう。催眠中に出会った女性なんだから。でも、最高の女性だよ。でも、よく見ようとすれば消えてしまうし、手を彼女に伸ばしてもすり抜けていくんだ……」
「そりゃそうだ。妄想の女というものはな。目は閉じて、手は女ではなく股間に伸ばすくらいでちょうどいい。というか……それしかないだろう」
「僕が言いたいのは、彼女のモデルとなった人が、この囚人惑星のどこかにいるんじゃないかってこと」
ルーカスは「なんだ……」と、ため息をつくと「すぐ近くにいるではないかと」と卓也の目を見た。
「うそ!? どこ? 彼女に会ったの?」
「会ったことはないが、いる場所は知っている。丁度いい機会だし、会ってみようではないか。私も興味がある」ルーカスは立ち上がると、卓也のつむじを見下ろして、頭をコンコンと二回小突いた。「失礼だが、ここに理想の女はいないかね? 名前は妄想で、出身地は空想の中だ」
「嫌味をどうもありがとう」と卓也はむくれた。「だいたいルーカスは本気の恋をしたことがないからわからないんだよ、僕の気持ちが」
「なにを言っている。私だって恋の一つや二つをしている。今も目を閉じれば思い出す。麗しきクリスティーヌ嬢のことを」
「知ってるよ。なぜか給料日だけルーカスに近付いてくる子でしょ。なぜかはわからないけどね」
「まさしく、その女だ。彼女はあれを食べたい、これが欲しいなぁと、まるでねだるように私に甘えて言うんだ。だからは私は言ってやった。そんな安物は似合わない。もっと高くて良いものをねだったらどうだと」
「言うだけ期待させて。翌日から無視するから。君は彼女の集団にあることないこと言われて嫌われたんだぞ」
「当然のことだ。絶世の美女ならともかく、平凡以下の顔を化粧という特殊メイクで小賢しくチューンナップして、ようやく平均点に落ち着いた顔面を、短い足を誤魔化すために細い棒きれでかかとを上げた靴を履いて近付けてきて、背中と腹の肉を寄せ集めた本当の意味での脂肪の塊を胸だと言い張り、谷間を見せてくる女を、私のような一流の男が相手をするはずがない。知ってるか? 奴らは持ち物に名字をつけるんだ。ブランド名の財布。ブランド名の鞄。自分の名字が持ち物に名前負けしている、実に浅はかな者達だ」
「偏見の押しつけをどうもありがとう。おかげで、思考が狭まったよ。『山田・ルーカス』君」
「言っておくが、祖母の名字をバカにすると許さんぞ『ミラー・卓也』君。鏡の中の自分に恋をしたことがある君には、ピッタリの名字ではないか」
「僕も言っておく。二度とミラーとは呼ぶな。我が家ではタブーなんだ。僕はパパの姓もママの姓も名乗りたかったに、それが出来ないっていうんだ。ふざけた法律だよ。名乗れたとしても、どっちの姓が先にくるのか……それが問題だ……。だから僕は卓也だ。二度とミラーをつけるな」
卓也はルーカスの胸に人差し指を突きつけた。
するとルーカスが突然うなだれた。
「アホとの会話は疲れる。もっと言えば、大地で砂を掃くという意味のない仕事はもっと疲れる」
卓也は「最初の言葉には同意」とルーカスを見ると、ついで足元の地面を見て「……最後の言葉にも同意」と砂を蹴り上げた。青い砂煙が舞う中「でも、ルーカスはやらないと。またお金がなくなるんじゃない?」と、つぶやいた。
「ちまちまやるから疲れるのだ。機械を使えばすぐだ」
「なら、これを使っていいわよ」と、すべての機械を動かすことのできるキーチップをルーカスに渡したのは卓也ではなかった。
ルーカスには見たことのない女性看守だった。
「使わないならしまっちゃうけど? もしかして、使い方がわからない? ただチップを挿れるだけよ。これがあればパスワードも生体認証も必要ないわ。じゃあ、お仕事頑張って」
女性看守はルーカスにキーチップを押し付けるようにして渡すと、手を振って離れていった。
彼女の姿が完全に見えなくなると、卓也は「ルーカス!」と大声を上げた。
「なんだね。言っておくが、機械を運転するのは私が先だぞ」
「本当に知ってたのか?」
「当然。私の常日頃の評判を聞き及んだに違いない。つまり、信頼に値する人物と認識されたわけだ、この私が。次に私が踏むステップは、ただの囚人から機械の優秀な運転。すぐさま有能なパイロットとなり、この銀河の支配者になる日も遠くないということだ。媚びを売るなら今のうち売っておきたまえ」
当然卓也は反論してくると思っていたが、ルーカスが予想していた反応とは真逆のものだった。
「売る売る! 凄いよ、ルーカス。君は僕の一番の親友だ。これ以上出会えて良かったと思った日は他にないよ! 僕が知る上で最高の男だよ。一番はパパでその次が僕だから、正しくは三番目だけど……。とにかく! もっ! 最高!」
卓也は両手を合わせてルーカスを拝み倒した。
「なにを企んでいる……」
「知ってるんだろう? だから彼女の名前を教えて!」
「知るか」
「お願い! 彼女なんだよ! 僕が恋してる女性。催眠の世界に出てきた女性が! 見た瞬間すべてを思い出したよ! 彼女が僕のすべてなんだ。彼女さえいれば、他の女性なんてそんなにはいらないよ」
「だから知らんと言っているだろう。知っているのは、あの女看守が私に一目置いているということだけだ。まぁ、卓也君……君は視界にすら入っていなかったようだがな」ルーカスは意地の悪い笑みを浮かべてから「頼み方一つで、仲を取り持ってやらんこともない」と、キーチップを爪で弾いて卓也に渡した。
その頃なかなか戻らないデフォルトは別の囚人仲間に捕まり、半ば強制的に雑談に加えられていた。
「――だから、あっちにもこっちにもいるんだってよ」
「でも、噂なんだろ」
「じゃあ、女の部屋に忍び込むためにロック解除したってのは?」
デフォルトは「……それは本当です」と、囚人二人に恥ずかしそうに答えた。
囚人は「それで、あちこち仕事場を回されてんのか大変だな……」と慰めの言葉をかけると、「そういえばこれも噂なんだけどよ。L型ポシタムのボスが、この間の停電のすきに脱走したって噂を聞いたか?」
「聞いたことないですね」
デフォルトは他の囚人と一緒に首を傾げた。
「この間の航空ショーで看守を煽ったのも、L型ポシタムのボスだって噂だ」と言うが、他の囚人が黙ってデフォルトを見たので真相を悟った。
「じゃあ、トイレの清掃中はもちろん……だよな?」と聞くと、デフォルトは黙って恥ずかしそうに頷いた。
「これはどうだ! 石像を作って宇宙宗教戦争を仕掛けようとしたってのは、いかにもL型ポシタムがやりそうな情報操作だ。な? ……え? それも、あの二人が? よくあの二人とやれてんな……」
「とにかく、変な噂を広めると罰せられるかもしれないので気をつけてくださいね」
デフォルトはこれ以上仕事中に無駄話で足止めを食うわけにはいかないと、話を打ち切った。
台車を引いて仕事場に戻るデフォルトに向かって「気を付けるよ、デフォルトみたいになんないようにな」と、からかいを含めた激励を送った。
しかし、戻ってきたデフォルトには驚くことが二つあった。
一つはすっかり地面がキレイに掃除されていること。
塵一つなく、磨かれた大理石のように光沢のある青い岩盤が顔を出している。何一つ手間を加える必要はなさそうだ。
もう一つは許可が出るはずのない機械が稼働していることだ。何度手間を加えても言い訳が思いつきそうにもなかった。
「一応聞いておきますが……どういうことですか?」
デフォルトは今しがた機械から降りてきたばかりの卓也に向かって聞いた。
「どうもこうも、彼女は綺麗で、知的で、ウイットに富み、心の余裕が笑顔に溢れているとても素敵な女性ってことだよ」
デフォルトは「……どういうことですか?」と、相変わらずなにもしていないルーカスに聞き直した。
「卓也は私の代わりに働き、私はなにもしない。実に素晴らしい等価交換だということだ」
「はっきり聞きます。この機械はどうしたんですか? どちらが、どこから、どういう理由で、どうやって盗み出したのですか?」
「人聞きの悪いことを言うなよ」
卓也は少し誤魔化そうとしたのだが、あっさりとルーカスが白状した。
「卓也が倉庫から女の情報を知るためにキーチップを使って盗み出したのだ。私は何一つ悪くはない」
「僕にだって良い訳がある。夢にまで見た女性とルーカスが知り合いだったの。だから代わりに仕事をして、情報を引き出そうとしてるんだよ。そうだ、デフォルトも会ったことがあったよね。あの人だよ」
「意味がわかりません」とデフォルトはうなだれた。「とにかく、大騒ぎになる前に機械を戻さないと」
「大げさだよ、デフォルト。これはバキュームカーみたいなもんだよ。地球のものとそんなに変わらないって。僕に運転できるくらいなんだから」卓也は地面の砂埃を吸い取っただけだと地面を指した。「それに自動運転機能もついてるから、僕達が戻すとこを誰にも見られずに済む」
卓也が運転席に飛び乗ってパネルを操作すると、機械は勝手に動いて戻っていった。
「これで上手くいったなんて思わないでくださいよ。そもそも、ズルをしようとして上手くいった試しがありますか?」
「なんだよ。暴走して逆流するとか、爆発するとでも言うのか?」
卓也が心配し過ぎだと笑みを浮かべた瞬間。遠くから「くせー!!」という叫び声が響いた。
想像もしたくない阿鼻叫喚の修羅場だが、「誰か止めろー!」という叫びと、最後の爆発音で、どんな状況になっているかは容易に想像できた。




