第三話
「それで、いったいなにを企んでいるのだね」
ルーカスはタコランパ星人に詰め寄ると、彼が頭に巻いている薄いハチマキのようなものに触れようと手を伸ばした。
しかし、タコランパ星人は素早く身を捻ってルーカスの手から逃げた。
「すみません。精密機器なもので。あの……」と床を見て言いにくそうにしてから、「これが壊れてしまうと、お話さえ出来なくなってしまうのです」
「聞いたか、卓也。万能型宇宙翻訳機を作れたとしても、未だ自分の名前さえ名乗っていない。実に愚かな文化を築いてきた星に住んでいるらしい」
なにかと難癖をつけるルーカスと、どうしたもんかと呆れる卓也の耳に奇妙な音が聞こえてきた。
不快な音でもないが、心地良い音でもない。地上にいたのなら聞き流してしまうような、風の強い日の川風に似ている。鬱陶しくも聞き逃してしまうような強く繊細な川風の音のようだった。
最後に「――が、自分の名前です」とタコランパ星人が二人にも理解できる言葉で言った。
二人の耳には肝心な彼の名前はわからなかった。
「ふざけているのか……。今の屁をこいたような音が君の名前だとでもいうのかね」
敵意の次はまた敵意。一向に態度を変えないルーカスに、タコランパ星人は困ってしまった。彼はルーカスをからかおうとも、困らせようとも思っていない。むしろ、宇宙に放り出された生き残りという関係で、手を取り合っていきたいと考えていた。
「名前の発音が複雑で……翻訳機能を使っても正しく伝えられないのですよ……」と、正直に話してみたが、ルーカスの表情は変わることはなかった。
「惑わすつもりか? 我々の遥か過去の想像から、なにひとつ進化していないデフォルト型異星人め」
「翻訳機能だけではなく、スキャンからあらゆる情報を読み取り――」
ルーカスはそっぽを向くと、手のひらだけ勢いよくタコランパ星人の目の前にかざして、彼の言葉を遮った。
「容姿の話をしているんだ。月に一度髪型を変える、この男のほうがよっぽど異星人に思える」
ルーカスに睨まれるような視線を浴びせられた卓也は肩をすくめた。
「僕は女の子のほうがよっぽど異星人らしいと思うけどね。いつの時代も常に新しい言語を喋る。そして、それについていけない男は時代遅れと呼ばれる。――それで、『デフォルト』はどうするの? 行くところがないんだろう」
卓也が目を見て言うと、タコランパ星人は当然の疑問を口にした。
「デフォルトとは?」
「名前だよ。呼べないと不便だろう? ルーカスがさっき付けたじゃないか」
「私は付けていない。だいたいどうするもなにもあるか。この船からの追放に決まっているだろう。なんなら多数決をとってもいい。デフォルトを追放させるのに賛成の者は挙手だ」ルーカスは天を掴むように勢いよく手を上げたが、他に続く者はいない。「……言っておくが、私には二本の腕がある。つまり二票分ということだな」と、いかにもいい考えが浮かんだとニヤリと笑って見せたが、デフォルトの腕か足かわからない触手が八本あるのを見ると、素早く手をおろした。
そんないつもどおりのおバカな行動を取るルーカスに、卓也はいつもどおりの呆れた視線を送った。
「なにやってんのさ……。そもそも僕にだって腕は二本あるんだぞ。ルーカスが両手を上げたところでなにも変わらないって」
「なにを言っているんだ。卓也君……」と、今度はルーカスが呆れた視線を送る。「君は船長である私と、同等の権利を持っていると思っているのかね?」
「誰が船長だって?」
「緊急時の繰り上げ条例だ。正規の乗組員がいない場合。社会的立場が上の者が船長となる。つまり私だ。なにか文句でもあるのかね?」
ルーカスのは笑顔だった。欲しい物をすべてカートに入れ、キャンセルすることなく購入ボタンを押したような、小さくも極上な笑顔だ。
「まぁ……文句というか、言いたいことがね。船長、宇宙船を操縦できるの?」
卓也は操縦席と、観測スクリーンを指した。
席には誰も座ってはおらず、燃料の切れたレストはただ宇宙に浮かんでいるだけの状態だった。
卓也もルーカスも有り体に言えば劣等生なので、宇宙船の操縦は当然として、メンテナンスすらできない。
さすがにいくらルーカスでも、自分が操縦するとは言い出さなかった。なぜなら、自分自身の命もかかっているからだ。
この中でただひとりレストを操縦できるのは、爆発から逃げるまで操縦してきたデフォルトだけだった。
「デフォルトを追放したら、帰ることも、どこに行くこともできず、僕達はずっと二人きりだぞ」
「タコランパがいるよりマシだ」
ルーカスが強情に首を横に振ると、卓也は重い溜息を落とした。
「わかった……言い方を変えよう。老後、僕らはお互いのオムツを交換しなくちゃいけなくなる……」
ルーカスは目一杯考えてから「デフォルト君……乗船を許可する」と、苦いものと酸っぱいものと辛いものを同時に口に入れたような苦渋の表情で言った。
「ありがとうございます。乗船の間に誤解も解ければと思います。それと……名前もありがとうございます」
デフォルトは照れたように言うが、ルーカスはそんな言葉を何一つ聞いていなかった。
操縦席を王座代わりにふんぞり返って座ると、「諸君ら、いったいどうするつもりだね」と他人任せに聞いた。
「さすが船長が板についてるね」と呆れる卓也だが、彼もこれからどうしたらいいのかというのは思い浮かんではいなかった。
「あの……」
「意見があるなら挙手が先だ」
ルーカスに言われ、デフォルトは触手を高く上げた。
ルーカスは満足気に頷くと、「言ってみたまえ、デフォルト君」と偉そうに腕を組んだ。
「まず、掃除をしませんか?」
デフォルトは操縦席の床ににまで転がってる、お菓子の包み紙を見ながら言った。
「却下だ。この非常事態になにを言っているんだね」
「精密機械なので、あまり汚すぎると……」とデフォルトは頭に巻いたハチマキのような布を指した。「実は既に使えなくなった機能がいくつか……。あとは掃除をするのと同時に燃料を集められればと」
デフォルトはお菓子の包み紙をいくつか拾うと、それを燃料として活用するためにエンジンルームへと向かって歩いていった。
「燃料がなければ……レストを動かすこともできんか……。しょうがない掃除をするぞ。サボったら厳罰を与える」
すっかり船長気取りのルーカスは、卓也に釘を刺すと操縦室を後にした。
「あの……これは……」
デフォルトは板のように固まったシャツを持ち上げて言った。
卓也は受け取ると、それで壁を叩いた。コツコツととても布とは思えない音が響く。さらにハンガーでシャツを叩くと、バリバリとまた布とは思えない音が響いた。何度か繰り返して叩くと、板はようやくシャツと呼べるものに近付いた。
「これで、まだ着られる」
卓也は大丈夫だと笑顔でうなずくと、いるものと書かれた箱にシャツを放り投げた。
「もしかして、掃除や洗濯という文化がない星の人なんですか?」
「実はそうなんだ。する人達は変わり者と呼ばれてしまう」
「嘘を言うんじゃない」と大量の下着を抱えたルーカスが部屋に入ってきた。「この男はできないだけだ。その点私は違う。下着も朝、昼、晩と替えるほど清潔者だ」
ルーカスは自慢でもするように、下着を広げてデフォルトに見せつけた。
「できないんじゃないよ、しないだけ。女の子の前ではするよ。そうしたらモテる場合はね。いないなら、する意味がない。たとえ汗で靴下が固まったとしてもね」
卓也は先程のシャツと同じ状態になった靴下を、同じようにハンガーで叩いてほぐした。
「あの……卓也さんは責めたりしないのですか?」
デフォルトは顔色をうかがうように聞いた。
「責めるよ。責めたりもあるし、責められたりもある。時には二人からってのもあるね。来る者拒まずが僕の信条だから」
「あの……愛の話ではなくでですね……」
「そうなの? 残念。僕は興味があったのに、デフォルト達のベッドの使い方とか、可愛い子はいるのかとか、その可愛い子は宇宙一セクシーな地球の男に興味があるかとか。そう言えば裸の王様って雑誌知ってる?」
「いえ、知りません。勉強不足なもので……。そうではなくてですね」
なにが言いたいのかわかったルーカスは、デフォルトが言う前に卓也の代わりに答えた。
「我々は嫌われていたからな。私に才能があるがゆえの妬みだな。妬み嫌い、上から物を言うことで、なんとか自分の価値を上げようとする地球で一番愚かな文化だ。少しばかり滅んでも、なんの問題もない」
「ルーカス様の慰めの言葉には救われます」
「待て待て、なんでルーカスは様で、僕はさんなんだ」
卓也は下唇を突き出して、思いっきり不満をあらわにした。
「先程フルネームを教えてもらい、そう呼ぶようにと。ルーカスサマと」
「……自分で言って寂しくならない?」
卓也の哀れみなど、ルーカスは意に介した様子もなく、誇らしげ顔で鼻の穴を広げていた。
卓也は「まぁいいけど」とつぶやくと、デフォルトに向き直って、彼を鋭く睨みつけた「正直に言うと恨んでるよ」
「やはり……」
「僕はまだエイミー・ハワードを抱いてなかったんだからね。もう二度と、神が作ったあの造形美には出会えないんだぞ。きっと寝る間も惜しんで作り上げた最高傑作だと言うのに」
神という言葉にピンと来なかったデフォルトだが、それよりも気になったことがあるので、それは頭の片隅に流されてしまった。
「ルーカス様もそうでしたけど、気にならないんですか? 生き残ったのは、恐らくお二人だけなんですよ」
「そんなことを言ったら、デフォルトだって一族が滅んだって言ってたじゃないか」
「嫌いでしたから……争い事を好む一族が……。せいせいするとは言いませんが、自分一人になったことで、ようやく自分になれたような気がします」
デフォルトの感情は、自分でもよくわからなかった。ルーカスと卓也に謝罪の気持ちはあるものの、どこか線を引いているような。それは自分の一族のことに対してもそうだった。自分の感情をどこか俯瞰的に見ているようだった。
「争い事が嫌いだなどと、どの口が言ってるのかね。攻撃をしておいて」
ルーカスはアホを見る瞳をデフォルトに向けた。
「自分はしていないです。混乱に乗じて、脱走しようとしていたんですよ。一族の船だとすぐにばれてしまうので、こちらの船を拝借しようと」
「火事場泥棒か。とことん卑劣な異星人だな。タコランパ星人というのは。気をつけたまえ、卓也君。この船もいつ乗っ取られるかわからんぞ」
「そのほうが安全だと思うけどね」
卓也はゴミだと判断したものを入れた箱を持ち上げると、エンジンルームへと向かっていった。
結局答えらしい答えをもらえなかったデフォルトは、「気を使われているんですかね……」と呟いた。
「あの男が気を使うものか。二本の足より、真ん中の一本の足を使って歩くような男だぞ。男どもが消えたことに、なんの問題も感じているはずがない。下半身以外なにも感じない男だ」
ルーカスは茶化すわけでもなく、慰めの嘘をつくわけでもなく、真面目に言いきった。
「人のことばっかり悪く言うけど」と、空になった箱を持って卓也が戻ってきた。「どうせ地球に帰ったら生き残りのヒーローになるため、あることないこと言うつもりだろう。言っとくけど、嘘の報告はすぐにバレるんだぞ」
「少し大げさに言うだけだ。だいたい文句を言われる筋合いはない。君もよく使う手だろう。私はいつも黙っていてやってるぞ。身長を三センチもサバを読んでも」
地球に帰れることを前提に話をしているが、二人は決して前向きなわけではない。自分本位の二人にとって、大事なのは自分が生きていることであり、方舟が爆発し、四散したことは二の次三の次だった。
そもそも、二人にとって方舟は居心地が良い場所ではなく、思い入れもない。
ルーカスは誰ともうまくはいっていなかったし、卓也は誰かと心まで深い関係になることはなかった。
むしろ、大半の時間を過ごしていたレストに乗っているほうが妙な安心感があった。
そんな薄情な二人に、デフォルトの心は少なからず救われていた。
「このレストは、親星となる恒星が消え、迷子になった惑星のようなものです。目的もなくふらふらするのではなく、まずどこか近くの星に着陸して燃料を補充しないと。これからどこへ行くにしても燃料が足りません。『ライフ・マグネット』を使うので、必要な条件があれば入力します」
卓也がすかさず「女の子。最低三人は」と言えば、ルーカスは「私を崇める文化だ」と高らかに断言する。
「……ライフ・マグネット・システムってわかってますか? 上陸するのに必要な項目を設定し、条件を満たす星が見つかると、自動的にその星へ進路を変えるシステムですよ。たとえば酸素とか、水とか、重力の大きさとか――」
「そんなことはわかっている。必要最低限のことくらい、その精密機器を駆使して入力できんのかね」ルーカスはかぶりを振ると「まったく役に立たんやつだ」と吐き捨てるように言い、操縦室へと向かった。
「ルーカスはね、アホのくせに根に持つから気を付けたほうがいいよ。僕は異文化交流のためにも、是非とも異星人の可愛い女の子がいる星に着陸してほしいね」
卓也は燃料のゴミに火をつけてくると、エンジンルームへと向かった。
残されたデフォルトは、自由気ままな二人に挟まれて上手くやっていけるかと、幾ばくかの不安を抱いた。