第二十五話
「――とは言ってはみたものの……。どうも気分が乗らない……」
勇んでルーカスに会いに行くと言っていた卓也だが、実際にルーカスがいる建物を目の前にすると、とたんに嫌気がさしてきていた。
「ここまで来てなにを言っているんですか。絶対に会って、ルーカス様を止めなくては」
「ここまで来たから言ってるんだよ。やってることが前となにも変わらないじゃないか……」
卓也は目の前にそびえ立つ、時代錯誤の悪趣味な西洋風の城を見上げて言うと、自分の横に建つルーカスの銅像にケリを入れた。
ルーカスの百面相の銅像というだけでも腹立たしいのに、それが道沿いに延々と並び、銅像特有のどこを見ているのかわからない視線が、余計に腹立たしく感じさせた。
「ルーカス様は人一倍承認欲求が強いのでしょうね。言わば今は催眠状態……夢を見ているような状況ですから、それが露骨に表現されているのでしょう」
「まったく……ルーカスが神になろうとした星の再来だよ。なにも学んでないんだから」
「言っておきますが……卓也さんもまったく同じことをしていますよ。催眠状態になり、異星人を口説き、ただれた生活を送り、言われるまで催眠にかかったことに気付かない」
「僕も言っておくけど。別に催眠にかからなくても、まったく同じことをしてる自信があるよ。だいたいデフォルトはどうなのさ。君だって同じことをしてるよ。欲に溺れることなく、常に冷静で、問題が起こると適切に対処し、いつも僕を導いてくれる」卓也はため息を落とすと「……君は完璧だよ」と、吐き捨てるように言った。
「……ありがとうございます」
突然の称賛にデフォルトは目を丸くしつつも頭を下げた。
「褒めてない」
「ですが」
「結果的に褒めたけど、そこに行くまでの仮定は全く違う感情。デフォルトの悪いところを見つけて、難癖をつけようとした。つまり、マイナスとマイナスをかけたわけ。でも、かけたらプラスになった。イコール褒めるということになっただけ。おわかり?」
早口でまくし立てて、意味のない言葉をさも意味ありげに聞かせ、言葉に説得力を持たせようとする卓也だが、デフォルトには見抜かれていた。
「この道を通るのが嫌なのはわかりましたが、もう行きませんか?」
デフォルトが触手を一本真っ直ぐに伸ばして城を指差すと、卓也は力なく頷いた。
意外にも文句の一つもなくルーカスは城へと二人を招き入れた。
「どうだ、卓也君。デフォルト君。これが成り上がるということで、これが成功者の証拠だ」
ルーカスは金の銅像の顔を撫で回しながら言った。当然その銅像の顔はルーカスであり、自分で自分を愛でるという情けなくも恥ずかしい姿を二人に見せつけた。
「言いたいことはいっぱいあるけど、手短に言うよ。なんで西洋の城の中が畳張りなのさ」
卓也は足元を見下ろした。目に映るのは畳と靴下を履いた自分の足。畳の上は当然土足厳禁。内装も和風のものばかりだ。
「私が暮らしやすいように決まっているだろう。この城は言わば私だ。外見は西洋的だが、中身は和にあふれている」
「なるほど……君の心象風景ってわけね。だから物ばかりで人がいないんだ」
卓也は辺りを見回して言った。
あるのは装飾品ばかり。見てくれは良いが、それを掃除するハウスキーパーも、案内をする使用人の姿もない。
玄関にはルーカスが自ら降りてきて、応接間がある部屋までルーカスが自ら案内している。
そのことを指摘されたルーカスは不機嫌に眉をひそめた。
「ここが、応接間だ。話を聞こうではないか。さぁ、座りたまえ」
ルーカスは畳の硬さがダイレクトにお尻に当たるような、綿はなくほとんど布で出来た薄い薄い座布団を二人に投げ渡した。
そして、自分はふかふかの高級座布団に腰を下ろす。
「ルーカス様は催眠にかかっていると言いに来たのです。ここは刑務所で、欲望を満たし気を緩ませ、罪を白状させようとしているのです」
デフォルトはまっすぐにルーカスの目を見て、瞬きもせず一度も逸らさずに言った。
ルーカスは目を伏せ「わかっている……」とつぶやいた。「その後に続くのはこうだ。私は愚かで、嘘つきで、おバカさんだと」
卓也は「そうだ! そのとおりだよ!」と、驚いた表情でルーカスを指差した。
「やはりな……つまり嘘ということだ。私は愚かでも、嘘つきでも、おバカさんでもない。催眠にもかかっていないし、ここが裁判所でもなければ、刑務所でもない。薄汚い欲望を満たしているのは、君達の方ではないのかね? 私という成功者が、さらに成功を収めるのにいても立ってもいられなくなった。だが、私の通ってきた道は、既に成功という花を収穫済みだ。君達は妬み、嫉み、僻みという種を植えることしかできない。いつか私が再びこの道を通ったときに、その花を見つけてくれるのではないかと、浅ましい期待を持ってな」
ルーカスはどこからともなく出てきたお茶をすすった。まるでここで煎ったばかりのような、芳醇な茶葉の香りが漂わせ、同時に自分が人生の勝利者という自信も満々に漂わせた。
「全部本当のことなんです。とにかく、目が覚めるまではあまり変なことは言わないように。雑談ならまだしも、会見で堂々と宣言してはいけません。どんな罪に問われるか……」
ルーカスは「ほらきた」と、手をパチンと叩いた。「やはりそれが目的か。私が地球の総統になるのが悔しく、難癖をつけ、足を引っ張りに来たんだな。それとも、そこのタコランパと組んで地球をアホの異星人だらけの星にするつもりか? さては……スペース・グローバル派に感化されたな? 情けない……。奴らは遥か遠い過去の愚者のようなものだ。フロンティア精神という曖昧な言葉で誤魔化し、先住民の文化と土地を奪う。今度は星規模で同じことをしようとしている。だからこそ私が先頭立ち、戦うのだ。グローバリズムの着地点が曖昧のまま、言葉の響きに酔いしれて声高々に叫ぶバカどもの為にな」
ルーカスが熱烈に語っているのを、卓也は肘をついて床に横になりながら聞いていた。そして、ルーカスが一通り喋り終わり、静寂の間が訪れるとおもむろに口を開いた。
「声高々に叫び終わった? なら、冷静になって考えてごらんよ。スペース・グローバル派なんてのは存在しないの。君の欲望を叶えるために作られた架空の敵。なぜなら、それがいないと君が正義にならないから。ルーカスこそ、地球の総統という曖昧な言葉に酔いしれてる愚か者だよ」
「話にならん。とにかく私は異星人を地球から追い出すぞ。私が地球の総統になってから、改めて利益をもたらすものだけを受け入れる。そう会見で主張すると決めたのだ」
ルーカスが手を二回叩いて鳴らすと、場面が切り替わった映画のように卓也達は外に追い出されていた。
「こうなると……やることは決まりましたね」
デフォルトは触手の先を丸めて拳を作ると意気込んだ。
「賛成。でも、方法はどうするか、狙撃するか、毒殺か。これが催眠世界じゃなくて現実世界なら、ネットに晒して社会的に殺すって手もあったんだけどね」
「違います。ルーカス様の会見の現場に飛び込んで直接語りかけるんですよ」
「今と同じ結果になると思うけどね。手っ取り早く口封じしたほうが早くない?」
「違います。ルーカス様にではなく、観測者にです。おそらく、罪のレベルの最終決定はルーカス様の会見の内容だと思うのです。ではなければ、とっくに催眠を解かれて、今頃裁きを受けているはずです。なので、会見の場でなんとかルーカス様から主導権を奪い、無実を主張するのです」
「そんな上手くいくかな……」
そして、ルーカスが出馬の会見をする当日。空は雲ひとつなく、見透かされるような薄い青空が高く広がっていた。
人っ子一人いなかったルーカスの城は、今では多くの記者やカメラマンなどの報道陣と、傍聴者と野次馬と支持者が入り混じった一般人で埋め尽くされていた。
警備の警官が襟を正し、小型無線機で連絡を取り合う内に、喧騒は徐々に静まりをみせた。
それが合図のようにルーカス達は入場し、巨大な無重力スクリーンにルーカスの姿が大きく映し出された。
ルーカスの右隣には地球閉鎖党の役員が座り、司会進行を兼務した。彼の慣れた口調で会見はスムーズに始まった。
「どうしましょう……。これでは身動きが取れません」
最後尾にいるデフォルトは、なんとか人と人の隙間に体をねじり込ませ、少しずつ前へ前へと進んでいた。
「人望なんてないと思ってたけど、欲望と夢で出来た催眠の世界では違うらしいね」
「それだけ催眠にトリップして、欲望が吐露されているのです。無垢な赤ん坊でも、ここまで心のうちは明かさないでしょうが……」
会見は多くの支持者の歓声と、適度な数の対立者の野次で盛り上がりを見せていた。
政治会見というよりも、無謀にも難攻不落の山の頂を目指す挑戦者の会見のようだった。
「今までのルーカスの人生が、どれだけ期待されなかったか手に取るようにわかる。なんというか痛々しいよ……中学生の頃の妄想の切り取りを見られてるみたいで」
卓也は心の奥の古傷から流れるなにかをせき止めるように、強く自分の胸を押さえた。
「今は同情をしている暇はありません。なんとかして近づきませんと……。それか、こちらに注目を向けられれば」
デフォルトは大声でルーカスに呼びかけてはみるが、声は響くことなく群衆にかき消されてしまった。
「注目を向けるだけでいいの?」
「そうです。注目が集まるということは、皆が目を凝らし、耳を傾けるということでありますから」
「ふーん……」と、妙な相槌を打って卓也は辺りを見渡した。
「――敵であろうが味方であろうが、皆は一歩を踏み出した。この場に集ったということは、つまりそういうことだ。私には人々を動かす力があることの証明だ。ならば、異星人がいかに地球に不利益をもたらすかの証明も容易いということだ。奴らはトイレットペーパーを使わない。奴らは尻に拭き残しのカスをつけて歩いているということだ。そして、奴らは次々にこう言う『地球に来てからお尻が痒くて仕方がない。我が星の技術でどうにかしなければ』と。そうして技術者を呼び、その家族を呼び、恋人を呼び、子供を作る。気付いた時には、隣りにいるのは人間ではなく異星人だ。我々の居場所は異星人の居場所に取って代わってしまう。そうなったらもう遅い。奴らは肛門に出来たイボ痔のような存在だ。我々が悔しさに顔を歪め、いきむたびに、奴らはひょっこり顔を出す……。そして、耐え難い苦痛を与える……何度もな。何度もだ。激痛のそこへと突き落とす。だが、私が――」
ルーカスが壇上で強く拳を握りしめたときだ。
突如絹を裂くような女の悲鳴が響き渡った。
質問をしようとマイクを準備していた女性記者は、スイッチを入れ「この人、お尻を触りました!」と叫んだ。
「さすが僕の妄想でできたお尻だね。触り心地は充分だ。催眠状態も悪くない」
卓也はお尻を触っていた手を、まるで宝物でも見つめるように満足に見ていた。そして、その卓也にデフォルトは軽蔑の視線をぶつけた。
「邪魔しに来たな……。奴こそが地球の癌細胞。いや――地球のイボ痔だ!! 侵略しに来たのだろう? 反論があるなら言ってみたまえ」
ルーカスが煽ると、涙目の女性記者がマイクをデフォルトに渡した。
デフォルトは「あーあー」とマイクに声が通るのを確認すると、話し始めた。
「ルーカス様は色々とおっしゃいましたが、私が言いたいのは一つだけです。たった一つ。それだけ聞いていただきたいと思います」デフォルトは深呼吸を一つ挟むと、偶像の群衆ではなく、空に向かって話し始めた。「ルーカス様はおバカさんなのです。どれだけおバカさんなのかとおっしゃいますと、五分後の予定も立てられないほどおバカさんなのです。食事の最中おしっこに席を立ち、戻ってきて一口サラダを食べると、今度は大便をしにまたトイレに向かうのです。それだけではありません。自分は努力すれば、なんでもできると本当に信じているのです。大きくなったらスーパーマンになれると信じている子供と一緒です。無垢なほどおバカのまま大人になったのです。思い描いたことは何一つ実現できないほどのおバカさんなのです。つまり、ルーカス様の差別的な危険思考は、子供のごっこと遊びと等しいものなんです。罪はないんです」
デフォルトは懇願するように触手を合わせて空に向けた。
「……いいや、私はすべてを実現できるほどの力を持っている。異星人など即刻根絶やしにし、地球人口調整のための選別を始める」
「ほら、見てください。喋れば喋るほど自分が不利になることを、まだわかっていないのです。ここまで催眠尋問にかかった星人はいますか? それだけで、たまたま知的生命体に生まれたおバカさんというのがわかるはずです」
「だから私はバカさんではない!」と叫ぶルーカスの背景は消え去った。
催眠が解かれたことにより、人々も風景もなくなり、代わりにあったのは床に投影された、六面三目二口の異星人の顔だ。
そして、その異星人の左の口が開いた。
「つまり、その男の記憶の底。一昨日の夕食のサラダは青臭かったと同程度の感情の引き出しにあった、宇宙船の破壊行為の記憶も、おバカなルーカスの偶然が重なって起きた事故だったというわけだな」
「そのとおりです。計画など、おバカなルーカス様が最も苦手なことですから」
「……いいや、計画的だ。頭脳明晰の私が長期計画で考えた完璧な破壊工作だ。私はおバカさんではないからな」
「星先住民に余計な知識を与え、不用意に高度進化を遂げさせたのも、ルーカスがおバカなことにより起こった事故というわけだな?」と、今度は床の異星人の右の口が開いて喋った。
「そのとおりです。おバカですから、調子に乗ると周りが見えなくなるのです。先程の会見などまさしくその症状が出ていました」
「……いいや、あれも計画的だ。星々に私という知識を与え、ルーカス軍団を作るためのな。私の一生をかけてやり遂げるべきことだ。これもバカにはできない長期計画だ。それが、なぜできるか? 私はお利口さんだからだ」
自体を把握できていないまま自信満々に喋るルーカスを、床の三目が一斉に見つめた。
そして、目と口は六面を行ったり来たりなにやら会議をすると、二つの口が同時に開いた。
「死刑は取り消す。だが、代わりに連邦惑星間条例違反によりP-M1026での十年の強制労働を言い渡す。つまり、この惑星だ」
「そんな! 罪状は?」
死刑を免れたものの、刑に服すことにデフォルトは不服を述べた。
「軽犯罪の積み重ねによるものだ。特にその中で大きなものは、流用ログの悪用だ」デフォルトがそれは渡されたものだと言おうとしたが、既に催眠尋問で入手を経路の調べはついていたので、それより先に言葉を続けた。「詳しく調べて元を辿ってもいいが、その二人の記憶をこれ以上辿ると、さらに刑期が延びると思うが……どうする?」と、床の目は三つとも、デフォルトに同情の視線を送った。
デフォルトの答えは当然決まっていた。
「……異議はありません」
「宇宙船は押収する。今から刑期を終えるまで、近づくことは決して許さない。囚人部屋まで、一歩の寄り道も許さない。そもそも――できないがな」
そう言うと床の顔は消え、床全体が一度強く発光した。その瞬間、足と床が磁石でくっついたかのように固定され、床そのものが動き出した。
行く先は当然囚人部屋。
部屋に用意されていた唯一のものは囚人服だった。
Season1は終わりです




