第二十三話
「なんて素晴らしい光景だ。まるで戦火に焼かれた滅びゆく惑星ではないか」
ルーカスは狼煙のようにあちこちで上がる煙を見て、バカ丸出しの高笑いを響かせた。
催淫効果のある植物が燃やされている煙であり、クルーの行動範囲内にあるものは根絶やしにされたところだった。
獣のように鳴り響く強風は、時折煙を消しては更に濃い煙を吐き出させていた。
繁殖能力を調べた限り、アースが旅立ち年月が経てば、また同じ規模に繁殖するとわかったので、デフォルトも今回の計画に納得し、今はラバドーラと二人で焼かれた後の土壌の確認に向かっていた。
他のクルーも仕事に追われる中、いつも通りルーカスと卓也はサボっていた。
「それのどこが素晴らしい光景なのさ」
卓也は空に吸い込まれて消えていく煙を見ながら、少しだけでも隠れて保存しておけばよかったと若干の後悔を感じていたが、煙が徐々に薄くなり見えなくなるのと同じように、そんな不埒な考えも消えていった。
「考えても見ろ、自然たっぷりの中で写真を撮られるんだ。ただの観光だと思われてしまう。映画の宣伝ポスターを思い出してみろ、英雄は皆得意げに煙を背負っている」
「でも、バカは煙を登るもんだよ。なぜなら、煙を登れないと知らないから」
「私は煙を背負っていると言っているのだ」
「それは消防士か放火魔のどっちかしか使えない言葉だよ。別にバカにしてるわけじゃないけど、どうせ背負うならさ、期待を背負うくらい言ったらどう?」
「今まで誰からも期待されてこなかった私から、そんな言葉が出てくるわけないだろう」
「なんでさ、そう……所々自己理解を深めてるのに、結果は突拍子もない事になるわけ?」
「いい質問だ。卓也くん。待った……やり直そう」ルーカスは咳払いをして喉の調子を整えると、声を低くして「いい質問だ」と言い直した。
「僕も言い直していい? やっぱりルーカスをバカにしてる」
「卓也君……。君は何一つわかっていない。私達は過去にいるんだぞ」
「知ってるよ。デフォルトが口を酸っぱくして言ってるだろう。なにかと言えば、過去の技術だとか、なになによりはマシだとか、軽い見下しをつけて」
「私が言っているのは、歴史に残るということだ」
ルーカスがどうだと言わんばかりに、手を腰に当ててポーズを取ったので、卓也はまた思考が暴走してると呆れていた。
「歴史に残らないようにするために、僕ら四人が動いてるんだろう。まぁ……今は二人しか働いてないけど」
「私が言っているのは、消えた後のこの時空の歴史のことだ」
ルーカスも元の時空に戻ることに異論はない。
だが、この時空の自分の評価も捨て置けないのだった。
この時空から消えた後に、存在がどうなるかは全くわからないが、写真や動画などで証拠を残しておけば、将来この時空の自分が生まれた時に有利に働く要素があるのではないかと考えたのだ。
「なるほど。ルーカスにしては考えたね。でも、僕は興味ない。だって、もう一人の僕って、言わば最大のライバルだよ。両方の時空を行き来できるならともかく、こっちの時空の僕にだけいいことをさせるめに画策するほど、僕はバカじゃない」
「わからん男だ……。箔が付くというのに」
「ルーカスに付くのは文句だけだよ」
ルーカスと卓也が眺める煙の麓では、デフォルトとラバドーラの二人が被害状況の確認をしていた。
「燃やし残しはなさそうですし、飛び火の心配もなさそうですね」
デフォルトは真っ黒な葉の燃えカスが、風に飛ばされて空で砕けるのを見送った。
「一箇所にまとめないで、近場で燃やすようにしてるから、持ち出しも出来ないわ。この効果を知ってるのも、医療班の数人と私達四人だけ。被害は卓也だけで済んで良かったわね」
「そうですね。地球の歴史を鑑みるに、性的衝動と文化の破壊は切っても切れない関係性にありますからね」
「もっとはっきり言ったらどう? 性に溺れた数人の権力者のせいで、学ぶことなく何度も衰退の歴史を辿ったって」
「地球の歴史はそんなに悪いものでもありませんよ」
「エイリアンの存在を確認して、地球に来訪するようになってから、やっと人種問題から人類問題になったような歴史よ。見たことないから存在しないって、この上なく頭の悪い歴史から導き出される言葉よ」
ラバドーラは燃えカスを拾うと、それをお手製の検査機器でスキャンした。
燃えカスに成分が残っていることもなく、万が一灰を集めても同じような効果は得られない。
思い直した卓也が拾いに来ても問題はないし、万が一風に飛ばされた灰が口に入ってしまったとしても大丈夫だ。
「歴史は失敗と成功を繰り返すものですよ。自分もあまり誇れる種族ではなかったですからね。それで、襲撃に乗じて逃げ出した結果、ルーカス様と卓也さんに出会ったのですが」
デフォルトは昔のようで、そう遠くない過去を思い出し、少し感慨に浸りながら言ったのだが、ラバドーラに「それは失敗? それとも成功かしら?」とからかわれると、今日の強い風に飛ばされたように、思い出すことをやめた。
「目に灰が入りそうですね」
デフォルトが誤魔化すように言った言葉に、ラバドーラは確かにと反応した。
「そうね、急に風が出てきたわね。樹木じゃないから、風通りには関係ないと思うけど……一応見て回りましょう。ここで油断するから、ルーカスとか卓也みたいなバカに振り回されることになるのよ」
「それは否定しません。範囲外エリアに行って風速を測ってみましょうか」
「そうね。とりあえず風の吹くまま歩きましょう」
二人は風向きや風速による急激な天候の変化を気にしていた。
樹木を大量に切り倒すことにより、風の通り道が空くと、直接的に影響する場所が増えて、気温が下がることがある。
それと似たようなことが起こる可能性がないわけではない。
駆除する前に一度確認したことだが、不測の事態が服を着て歩いているような二人と長く過ごしていては、知らず知らずのうちに用心深くなる。
今回も二人に影響されたクルーが、船内に混乱をもたらす可能性があるかもしれない。
そう考えると、めんどくさがる理由はなかった。
それから二人はお互い目の届く位置で、各々調査したのだが、二人は初めて大喧嘩をすることとなった。
理由は大したことではない。
ずっと鳴り響く『ゴオオォオ』という喉を揺らすような風の音のせいで、お互い言葉を聞き取ることが出来なかったのだ。
元から意見が分かれやすい二人なので、衝突まではしなくとも、軽く言い合うことはあった。
だが、今回は強風がもたらすノイズ効果のせいで、言葉が持つ微妙なニュアンスというものを理解できなかったのだ。
ラバドーラはエラーが出てしまい、デフォルトはよく聞こえない途切れ途切れの文章を勝手に理解するしかないので、どうしたって差異は出てくる。
それが積み重なり、お互い同時に爆発したのだ。
幸い二人の周りに誰もいないので、どんなに口汚く罵ろうが、子どものように駄々をこねようが構わないのだが、二人は冷静に自分の意見を押し付けあった。
そのせいで喧嘩が長引いているのだ。
「だから、それだと二度手間になるって言ってるでしょう」
「それは言ってもらわないとわかりません。自分には電磁波の受信機能はついていないので」
「言ったって言ってるでしょう」
「聞こえなかったって言ったじゃないですか」
「だから! 私は言ったって言ってるのよ! しかも三回」
「じゃあ、今ここで再現してみてくださいよ」
「いいわよ? まず、『ねぇ、デフォルト』って言って――」
「それ聞こえてません」
「ちょっと! 今再現してる最中でしょうが! これだから生命体っていうのは……」
ラバドーラが音声を大きくしたが、それも風にかき消されてしまった。
次いでラバドーラが踏み叩いた足元の灰が、怒りでポフッと浮いた。
「そっちこそ、言ってもないことを言ったって断言するのはAI的にどうなんですか?」
「人間的にも、言ったことをなかったことにされるのはムカつくでしょう」
二人の喧嘩はしだいに熱を帯び、ついには何を喧嘩していたのかすら忘れ始めていた。
「っていうか、さっきから何の話してたんだっけ?」
「風速……いや、違いますね。燃えカスの……いや違います、ええと……」
「まってメモリを呼び起こすわ」数分前のことを検索したラバドーラだったが、話題より気になることがあった。
「風の音……やっぱり変だと思うのよね」
ラバドーラは小型スキャンデバイスのマイクに耳を近づけた。そこから流れる『ゴオオォォオ』という音には、何か……感情を乗せるような抑揚があった。
「気のせいじゃないですか? 風も音は変化しますよ。木々や岩が声帯のような役目を果たしたり、パイプの中を通り笛を奏でることも珍しくありません」
「そういう類の音じゃないの……もっと感情的な音なのよね」
「感情的な音をしてる風って何ですか?」
そんなバカなこと、と思いながらデフォルトは、ラバドーラから借りた測定機で風上の地面を測定する。
すると、妙な振動を検知した。
『バイブレーション検知:周期的な地響き。重量物接近中』
「……重量物?」
「デフォルト。風下から来てるんだけど、見て。土が揺れてるわ」
ラバドーラは警戒するように半身の姿勢になった。
土の表面がボコボコとリズムよく波打つ。
しかも、そのリズムが……やけにノリノリだ。
「なんか聞いたことあります……地球のダンスパーティーでかかるリズムですよ。この惑星に降り立った時に開いたパーティーでも、同じリズムがかかっていました」
「じゃあ地球人がダンスパーティーでも開いてるんじゃない? 保護してもらいましょう」
ラバドーラは本気で言ってるわけではない。そんなバカなことがあるかと、遠回しに否定しているのだ。
今現在一つだけわかっているのは、妙な振動と風の音が連動しているということだ。
それを聞き分けようとしたところで、ラバドーラは振動がリズムを刻んでいることがわかった。
「思い出しました! このリズムはEDMですよ!」
デフォルトの大声に、ラバドーラは「だからなんだってのよ!!」と更に大声で返した。
なぜなら、そんなことはどうでも良くなるほどの光景が目の前に広がっているからだ。
土の表面がボコボコとリズムよく波打つ。しかも、リズムが……ノリノリだ。
やがて土の表面は岩のように盛り上がると、茹でた卵の殻のように割れ、この現象の張本人姿を現した。
その姿は地球で言うところのクマそっくりな容姿をしていた。
地面から這い出し、すくっと立ち上がると、クマからは二人が見えてないようで、酔っぱらいのように頭をふらふらさせていた。
「ラバドーラさん。生物がいましたよ」
デフォルトは恐怖よりも感動を覚えていた。
地球の図鑑で見た写真そっくりの姿の生物が目の前にいるのだ。無理もなかった。
「生物がいるってことは、攻撃されるってことよ」
「大丈夫です。ほら、自分たちには興味がないようで、木にじゃれついてますよ。地球のクマは穴を掘って移動することはないので、似て非なる生物でしょう。あの長い爪はモグラに近いのかもしれませんね」
デフォルトが少し近づこうとするのを、ラバドーラは止めた。クマが不思議な行動を取り始めたからだ。
幹にぴったり体を寄せて、洗い物たわしのようにゴリゴリ体を擦っているのだ。
「木に欲情してるわよ」
「縄張りを主張しているんですよ。他にも痒みを取るとか。木に体を擦り付けるのは、そういった意味合いあるのだと書かれていました。見れば見るほどアースにある文献で勉強したクマにそっくりです」
デフォルトの興奮をよそに、クマは幹に抱きるような形を取り、激しく腰を振り始めた。
「木に股間を打ち付けてるわよ」
「マーキングですよ。縄張りを示すのに糞尿を使う生物は多いです」
「じゃあ、尿を出すのに腰を振る理由は?」
「あれも見覚えがあります……。以前卓也さんに見せていただいた。地球でのコミュニケーション上級者編の動画で、男性が女性に向かって一生懸命腰を振っていました」
「それってクマ?」
「地球人ですよ」
「でも、あれはクマなんでしょう?」
「見た目はクマですが……」
「中身は卓也みたいなもんじゃない。なんだってそんなことに? 薬でも治らないわよ、卓也みたいな色狂いは」
「薬……」
デフォルトがぽつりとこぼすと、ラバドーラもすぐに思い当たった。
燃やした植物の成分の多くは、煙や灰とともに空に上がって消えていったが、残った成分は地面に残る。
そして、このクマのような生物は土の中から出てきた。
簡単な答え合わせを視線のやり取りだけで済ますと、次の熊の行動を予測するのも早かった。
正気を失ったクマが見境なく暴れるのはわかりきったことであり、この場で一番活きの良い生物は自分達だった。
クマがこちらに顔を向ける前に、二人は一目散で逃げ出した。




