第二十一話
これみよがしな「はあ」というため息に、ルーカスは「ふんすふんす」と鼻息を荒くして闊歩していた。
怒りに興奮しているのではない。自分を見て会釈してくる姿に満足して興奮しているのだ。
普段はこれみよがしな陰口も、確固たる地位を築いた今では、それも称賛の一つとしてしか感じない。
「ルーカス様」とデフォルトが声を掛けると、すぐさま「船長だ」と訂正した。
「ルーカス船長……。クルーは大変混乱してます」
「トップが変わったくらいでオロオロと……なんてなさけない過去の地球人共だ。まあ、私に畏怖の念を感じているのかも知れないがな」
「なにも指示を出していないからです」
「指示は出しているだろう。地球への帰還だ」
「この船は探査船ですよ。ただの遊覧船ではありません。いくつかの惑星を経由し、補給し、帰還する必要があります」
「デフォルト君……君はタコランパ星人だ。地球人のなにがわかるというのかね? 火星への移住計画かね? 金星を工業惑星にする計画かね? その全ては地球人の妄想の域を出なかった計画だ」
「いえ、帰還に向けての計画書がここに」
デフォルトが表示した資料では、エネルギー補給に立ち寄る惑星と、その周辺にある探索中の惑星の名前。そして、探査目的などが書かれていた。
「私には必要ない」
「ルーカス船長?」
「考えてみたまえ。ここは地球時間でいうと過去の宇宙船だ。そんな猿どもの考え通りに動いてみろ。愚の骨頂だ」
「ですが――」と口に出したっきりデフォルトは黙った。
ルーカスの言葉に思うところがあったからだ。地球時間で過去にいるということは、銀河系も過去の状態の可能性が高い。
過去に開発が失敗した惑星に立ち寄っても、骨折り損のくたびれ儲けということになる。
「無言は肯定の証拠だ」
「そうですね。今はルート通りに進んでいる暇はないかと。ウイルスが死滅したことにより、カロリーがゼロのままの栄養のない食料が増えてしまいました。どこかで補充しなければなりません。予定の進路だと船のエネルギー供給はできますが、食料となるものがありません。未開惑星を探索する必要があります」
「これだ! これこそが私の求めていた宇宙での生活だ。1ミリの狂いもないほど、思い描いた理想だ」
「ルーカス様は船長ではなく、エースパイロットになるのが夢だとおっしゃっていと思うのですが……」
「エースパイロットの次のステップが船長だ。そうと決まれば早い。迅速に指示を出すぞ。速やかにマッハにだ」
ルーカスは意気揚々と宇宙地図を開くと、それを拡大して眺めだした。
「ルーカス様……まだですか? もう二時間は経っていますよ」
「私じゃなくて、このAIに言いたまえ。私の提案をことごとく却下してくる。さては……あのアホAIが介入しているな」
「ルーカス様……。そこは有毒惑星です。アースはレストよりも古い技術の宇宙船ですよ。この時代の有毒ガスの対策は安全に見えて不完全なままです。難しいことを考えなくても、現在の中和システムから考えると、選ばれる惑星は限られてくるはずです」
デフォルトは指示するワードを変えてAIに入力すると、アースのルートが変更された。
「デフォルト君……君は船長にでもなったつもりかね?」
「いえ……。ですが、取る道は限られているので選別しようと……。条件を満たす惑星は三つあります。ですが、すべて未開惑星。食料があるとは限りません。どうか、ご決断を――船長」
デフォルトのへりくだった言い方に大変満足したルーカスは、ご機嫌で立ち寄る惑星を決めたのだが、考えるわけではなく適当に指さしただけだ。
だが、未開の惑星に降りる前にあれこれ考えるよりも、適当に決める決断力を持ったほうが有利なことも多い。
デフォルトは当面の目標が決まったことに安堵し、惑星に降り立つまで食料制限は続くと放送を入れた。
数日後。船内はストレスが溜まったクルーでいっぱいになっていた。
栄養失調の問題は解決したが、まだ食糧不足。体力の回復を図ろうとした体が空腹のサインを上げ始めた。
ベッドに伏せっていた状態では感じることのなかった不調も、健康になるに連れて増えきたのだ。
地球人は健康になれば健康になるで、新たなストレスが増えるものであり、それをコントロールするのも難しい。
ストレスの矛先は段々とルーカスへと向いてきていた。
「まったく……」と司令室でルーカスは苛立っていた。
「仕方ありません。空腹は避けられませんから」
「私が言っているのは願いを叶えるウイルスで半壊状態になったのに、こりずに願いを押し付けてくることを言っているのだ。なにも学んでいない」
「まさかルーカス様に言われるとは……クルーの皆様も夢にも思っていなかったでしょう」
「だいたい船長というのは大統領や総理大臣みたいなものだ。クルーが私に合わせるべきだ。政治家が国民にあった政治をするかね? 国民が政治家に合わせる。それが世の仕組みだ。私が歩み寄る必要はない」
「宇宙船の船長と、大統領や総理大臣は全然別物です。もし同じならば、地球の歴史を遡るに……クーデターが起こった後、ルーカス様は処刑されます」
「やつらめ……そこまでするとはな。よし、先手を打つぞ。兵糧攻めだ。主食を奪い、考える気力を減らすんだ」
「もう既に食料不足です」
「ならば島流しだ。宇宙の果に飛ばしてやれ」
「既に漂流中みたいなものです」
「さっきから否定ばかりではないか。なんなら出来るというのかね」
「それは――」
更に数日後。船内は笑顔のクルーによって満たされていた。
未開惑星を探索し、食料を見つけたからだ。
今はその惑星にとどまっている。
依然として食糧不足のままだが、ネガティブな雰囲気を取り除こうと、地球流のささやかなパーティを開いたのだ。
「ルーカスにしては気が利くじゃん」
恋人のステイシーとともにパーティへ参加した卓也は、ご機嫌にぶどうジュースの入ったグラスを傾けた。
「本当どうしちゃったの? ルーカスが船長になる以上に変なことが起こるなんて思わなかった」
「船長になって色々考え方が変わったんですよ。きっと」
デフォルトは自分の案だとは言わず、船長のルーカスの評価が上がるように努めた。
卓也は気付いていたが、パーティを開くことになんの不満もないので黙っていた。
その結果ルーカスに対する不満は弱まっていった。
誰が呼び始めたか、デフォルトを副船長と呼ぶ声が多いおかげで、クルーの間に安心感が生まれたのだ。無能なトップに責任を押し付け、有能な副官のもとで働く。理想の仕事循環だった。
それに加えて、降り立った未開惑星に地球人の栄養となる食料があったので、ルーカスに文句を言うものは自然にいなくなっていった。
――一人を除いては。
「どうなってんのよ」
ラバドーラはルーカスの胸ぐらを掴むなり、力任せに壁へと押しやった。
「船長に逆らうとは! 即刻船を降りるよう命令を下してやる」
「そんなものハッキングして無効にするだけよ」
「L型ポシタムのボスだったことをバラすぞ」
「そのボスと一緒に活動してたことをバラされて困るのはどっち?」
一触即発の雰囲気に思わずデフォルトが割って入った。
「ちょっとちょっと! 落ち着いてください。どうしたんですか!? お二人共」
「どうしたもこうしたも、このアホAIが私に難をつけてきたのだ。カレーの日でもないのにだ!」
「落ち着いてください。カレーはスパイスがないので作れませんよ」
「このアホが勝手に惑星に降りたことで怒ってるのよ」
「その判断は自分も賛成しました。間違ったのならば、自分も間違ったことになります」
「いい? 私達は、過去か現在。そのどちらかに戻るかで意見が分かれていたでしょう」
「そうですね。今も忘れてないです」
「重力振の反応がすっかりなくなって安定したの。これってどういうことかわかる?」
「どちらかのルートに向かっているということだと思います」
「9割正解。でもその1割が大間違いよ。正しくは"どれか”のルートに向かってる」
どちらかは二つから選ぶものであり、どれかは複数から選ぶものだ。
元の時空に戻るのならば、時間の差異を埋めるための大きな重力震が起こる。
そうして宇宙電磁波が安定するのだが、今回は重力震が起こる前に安定している。
つまり過去と現在の他、未来へと進む可能性が出来てしまったのだ。
未来とは常に新しいものが作られるので、差異を合わせる必要がない。
普通に生きていれば当たり前の時間の進み方をしている可能性があるということだ。
新しい時間軸を作り上げてしまえば、そこは別次元となる。
「正しい時間軸から外れてしまう可能性があると……」
「そうなれば、私達の存在が危うくなるわ。有機物のデフォルト達だけではなく、無機物の私もね」
異次元とはコピーではない。元時空から外れるしかなかった世界の行き場所だ。
親から生まれる子供がコピーではないように、生きるのに問題はないが大きく変わっているのが別次元。
極端な話。水分がない時空に行ってしまえば、地球の生物はどれも生きていけない。体を作る成分がないので、存在を保つことすら出来ないからだ。
そうして生き残ったものが進化を始め、歴史を構築していく異次元において、地球人のように体の大きな生物や、ラバドーラのように様々な化学記号を羅列したような物体も、存在しなくなる可能性が高い。
「ですが、まだ決まったわけではないですよね」
デフォルトはこれから調査を始めてからでも、結論を出すのは遅くないと思っていた。
「たまたま選んだ惑星に、たまたま地球人の食べられるものがあって、たまたま全員助かったってわけ? 時空が選別を始めてるのよ。地球のウイルスと一緒。時空に選別されたウイルスは、ある日突然理由もなく消えるの。私達もそうなる可能性が高いわ」
デフォルトとラバドーラが頭お悩ませる中、ルーカスはお気楽にリラックスチェアの上で休憩していた。
「まったく……生き残っているというのは、選別されて残ったということになぜ気付かん。私はいつだって残ってきた。居残り、残業。お手のものだ。それでもダメだと言うなら、ここにいる過去の地球人が悪い。速攻切り捨てるまでだ」
「それよ! 今、アースには二つの時間軸の生命体がいるの。お互いがお互いを引っ張り合って、時間軸が別時空へと移動するのを防いでるのよ」
「意味がわからん」
「私達は同じ時空の別の時間軸の船と出会ったの。つまり敷かれたレールの上で場所が違うだけ。私達が分かれることで、ポイント切り替えが出来るの。これが別時空。ここでが、さっきした親と子の例よ。子供は親のコピーじゃないけど、生きるのに問題はないってこと。じゃあ生きられなくなったらどうなるか。そこは異次元へ行くの。全くの別の世界。レールは闇の先。運良く生きていたとしても、同じ形を保つことは不可能よ」
説明しても、まだ首を傾げるルーカスに向かって、ラバドーラはもっと簡単に説明した。
「死ぬかうんこになるかよ」
「一大事ではないか! うんこになるなら、死んだも同然だ! 今すぐ奴らを切り捨てよう! 今なら奴らをおいてアースを出発させられる!!」
「おバカ……聞いてなかったの? 今は時間軸が違う彼らのお陰で、均衡が保たれてるのよ。どっちかというと誰も死なせちゃだめ」
「無能を抱えて生きろというのか!? それは死ねと言っているようなものだ! つまりうんことも言っているようなものだぞ!」
「落ち着いて」
「そっくりそのまま返すぞ。君が落ち着いていたら、ウイルスに願いを叶えてもらい、さっさと地球へ帰る方法もあったのではないかね!」
「そんなこと思いついてたならさっさと言いなさいよ」
「今思いついたんだ」
「だったら過去に戻って伝えれば?」
「待った! 今が過去か現在か未来か混乱してきたぞ……」
「とにかく、やるべきことは限られてる。まずはここを動かない。理由は食料の補給でも、船の整備でもなんでもいいわ」
「そして帰るべき場所はやはり『現在』ですね」
「そうね。時空がズレそうなら、時間軸はずらさないほうがいい。幸いここは銀河系よ。どうにか地球からの電磁波を拾って、正しいルートを選びましょう。そのためにも、ここを基地にする必要があるかも知れないわね」
「宇宙からの電磁波を拾いやすくするためには……『Dドライブ』のようにしてはどうでしょう? あそこは発信の場でしたが、応用すれば受信に特化出来るかと」
デフォルトとラバドーラは顔を見合わせて自信に満ちた笑みを浮かべあったが、すぐに同時にため息を落とした。
「それでは……指令を頼めますか? ルーカス船長」
「私は今の時間軸が大好きだ」
ルーカスは「ふんすふんす」と鼻息を荒くすると、放送を惑星中に響かせるため放送室へと闊歩して向かった。




