第二十二話
もしもこの物体がブラックホールだったならば、フライパンを中心にしてレストは跡形もなく姿を消していただろう。
もしもこの物体がダークマターだったならば、宇宙はベーコンによって作られたことになる。
「これはカリカリベーコンではなく、コゲコゲベーコンだ。このベーコンが天然記念物ではないなら、焦げる前にその惨めに長い触手を使って裏返して然るべきだ。では聞くが、このベーコンは天然記念物か? どうなんだ、デフォルト君」
ルーカスが嫌味たっぷりな口ぶりで放った言葉は、フライパンから立ち上る煙に包まれて消えてしまったかのように、デフォルトの耳には何一つ入っていなかった。
煙感知器の警報がうるさく鳴り響くと、まるで今しがた夢から覚めたかのように、デフォルトは慌ててフライパンを火から離した。
「すいません。ボーッとしていました」
「そんなものは見ていたらわかる。星を出てからずっとボーッとしているからな。今聞いているのは、私のカリカリベーコンちゃんが、なぜ見るも無残なコゲコゲベーコンになったかだ。これを食べさせて、私を殺して船長の座を奪おうとしているのならば、それはとても遠回りの道になることを教えておいてやろう。わかったのならば、早く作り直すのだ」
ルーカスはツバでも吐くような瞳でフライパンを一瞥すると、テーブルへと戻り、急かすように皿をフォークで叩いて鳴らした。
キンキン、カチャカチャと鳴り響く音は、誰でも苛立つような音だったが、やはりデフォルトの耳には残ることなく素通りしていった。
たまらずルーカスはまた立ち上がり、デフォルトの耳元で声を少し大きくして言った。
「デフォルト君……いったいなにをしているのかね?」
「なにって、ベーコンを焼き直しているのですが」
「ならば、フライパンの中を確認して、もう一度答えてみたまえ」
「……ベーコンを缶詰のまま焼いています。……すいません、考え事をしていたので」
デフォルトは缶詰をフライパンから拾い上げると、空いた触手で戸棚を開き缶切りを取り出した。
「言っておくが私は聞かないぞ。タコランパ星人の悩みなぞ、たかが知れている。せいぜい無駄に多く生えた触手が、絡みに絡まって転ぶくらいのものだろう。私は私の悩みで手一杯だ。低俗な悩みなど聞いてる暇もない」
「そうですね。言ってどうなるものとも思っていないので」
このデフォルトの言い方に、ルーカスはカチンときた。まるで自分は無能と言われている気がしたからだ。
「……言ってみたまえ。タコランパ星人ごときの悩みなど、私が一瞬で解決してやろう」
「あの……そういうつもりで言ったわけでは……」
煮え切らないデフォルトの言い方は、余計にルーカスを苛つかせた。
「あの……はいらないといつも言っているだろう。早く言いたまえ」
「地球に帰るのだと思ったら、どうしていいのかと思いまして……」
ルーカスはポカーンと口開けて、次の言葉を発するまで閉じることはなかった。
「君はアホなのか? 地球に着いたら私達の旅は終わりだ。唯一の生き残りとちやほやされ、本を出せばベストセラー。その金で豪邸に住み、良いものを食べ、ただ漫然と生きる人類どもを見下し、金がなくなればまた本を書けばいい。それで充分生きていける」
デフォルトはルーカスの甘い考えには突っ込まず、あくまで自分のことだけを話し始めた。
「ルーカス様と卓也さんにとって地球は故郷ですが、自分にとっては未知の惑星に降り立つのと変わりません。身の振り方について、考えなければいけないのです」
ルーカスはため息をつくと「簡単なことだ」と呆れてみせた。「身の振り方は三つある。一つは、侵略に来た宇宙人パターンだ。一生は幕を閉じるが、一生歴史に名を刻めるぞ。是非とも、アイザック・タイラーの家を襲撃してもらいたい。筋肉さえあれば、がん細胞にも勝てると思ってる実に単細胞な男だ。『枝が一人で歩いていると思えばルーカスか』『断食とは恐れ入る。オレはタンパク質をとらないと死んでしまう。そこまで細ければ死んだも同然だな』実に癪に障る男だ……。なんなら彼の住所を今から教えておこう」
「あの……できれば穏便な方法でお願いしたいのですが……」
「しょうがない……。もう一つは動物園で暮らそうパターンだ。餌ももらえれば、若さだけが武器のアホな女のキャーキャーという嬌声ももらえる。若さを失えばなにも残らないのに、それにさえ気付かないアホだ。どれだけアホかというと、『かわいいー』とか『エモーイ』とか単語でしか会話出来ないほどのアホだ。悪い意味で今を生きるだけで精一杯な女だ。なぜなら、よそ見をすると目の前のことを忘れるほどおバカだからだ。その名もアイリーン・タイラー。アホと書いた服を着ているような女だ。もし見かけたら、私の代わりに檻の中から糞でも投げつけてくれ」
デフォルトは諦めのため息をつくと、ルーカスの個人的な恨みには触れず、一応の相槌を返した。
「檻に入るつもりも、排泄物を投げるつもりもないです……自尊心は大切にしたいですから」
「わがままばかりの奴め……。ならばこれが最後の手段だ」
「いえ……もういいです」
「いいから聞け、異星人を演じればいいのだ」
「演じなくとも、自分は地球人から見れば異星人なのですが」
「いや、わかっていない。ただの異星人ではない。知能は高いが、か弱い宇宙人を演じるのだ。つまり、地球に利益をもたらすが、自分は前へ前へと出ない。そうすれば、あとは勝手に保護団体が設立され、手厚く扱ってくれる」
デフォルトは素直に感心した。身の振り方ではなく、異星人への保護制度があるということにだ。
「地球は保護制度がしっかりした星なのですね」
「いいや、保護団体を設立するのが好きなだけだ。今じゃなんにでも保護団体ができている。保護は金になるし、手軽に承認欲求を満たせるからな。だが、肝心のシステムは矛盾だらけだ。実に嘆かわしい。……なにを見ている?」
ルーカスは驚きの顔を見せるデフォルトを睨みつけた。
「ルーカス様の口から、意見と呼べる意見を聞いたのは初めてのような気がしたので……」
「当然だ。私はいつも考えている。言っただろう。地球人とは、考えることに優れた最たる生命体だと。もはや、考えることは義務と言っていい。出会う人物すべてに考えている。私以上か私以下か……まぁ、答えは決まりきっているから、考えるだけ無駄なことだがな」
「たしかに考えるまでもないですね……。最後の話は置いておいて、支援は必要になるかもしれませんね。他の異星人は、地球でどう暮らしていたのですか?」
「会社を設立したり、観光をしたり、我が物顔でやりたい放題だ。私の星だというのにだ」
「……ルーカス様の悩みが多い理由がわかりますね」
「ようやくわかったか。上に立つ者というのは、いつでも新しい悩みが出てくるものだ。思春期のニキビのようにな」
「出来たニキビを潰すから、いっつもなんにも解決しないんだよ。それどころか酷くなる一方だ。人のシャツをトイレットペーパー代わりにして、トイレに流してつまらせたり……それを人に直させたり」
今しがたトイレの配管修理を終えて戻ってきたばかりの卓也が、恨みのこもった声で言った。
「私は直さなくても問題がないと判断した。卓也君、君だ。君がトイレに行きたいから、直すと判断したんだ。ならば、君が直すのは当然のことだ」
ルーカスはカリカリに焼き上がったばかりのベーコンを口に運びながら言った。
「自分は出して満足したからって勝手な……。覚えてろ、いつか仕返ししてやるからな……」
「そうカリカリするな。カリカリなのはベーコンだけで充分だ」
卓也は「まったく……」とルーカスに冷たい視線を浴びせると、デフォルトに何の話をしてたのかを聞いた。
ことのあらましを聞いた卓也は、理解と自分の名案に何度か頷いた。
「そんなに心配なら、しばらくは僕のところにいればいいよ」
卓也の提案は、デフォルトにとって魅力的すぎるものだった。頼れるものがいない星で、今のように生活できるのはとても安心ができる。
「いいんですか?」
「地球に帰ったら、僕は残った単位を取りに学校に戻らないといけないしね。その間家のことをしてくれるなら願ったり叶ったりだよ」
「たしか休学中とおっしゃっていましたね、卓也さんは。……ルーカス様は召集される前はなにをしていたんですか?」
「そういえば……僕も知らないな。なにをやってたんだ? 無駄に努力家なんだから、なにもしてなかったってことはないだろう」
「私か? 私は貪欲に知識を蓄え、技術を磨き、体を鍛えていた。士官学校に通い、宇宙科学大学はもちろん。宇宙支配自己啓発セミナーにも通っていた。そうして、来たるべき日に備えていたわけだ。私が方舟のメンバーに選考されたのは、当然とも言える」
「よくわかんないけどさ。それって両立できるものなの?」
「できるから、たくましく、聡明で、理知的な私という人間が出来上がったわけだ」
「それで? 本当のところはなにやってたのさ」
卓也は強く問い詰めることはなかったが、ルーカスはあっさり白状した。
「……大学院にいた。教授が私を気に入り、卒業させないように手を回したのだ」
「そこには突っ込まないでおいてあげるよ。他に突っ込みたいところはいっぱいあるし。士官学校はどっから出てきたのさ」
「叔父が士官学校に通っていた。彼に教示されれば、士官学校に通っていたようなものだ。そして、彼がやっていたのが、宇宙支配自己啓発セミナーだ。宇宙の支配者になるために、己の未知なる能力を開花させる。実に有意義な時間を過ごした――周りがアホばかりで、私が頭良く見えたものだ」
「……ルーカスの家系って、まともな人間っているの?」
「私と祖母はまともだ。私にケチばかりつけるが、大方君は女の尻でも追いかけていたんだろう。それでなにを掴んだかね?」
「柔肌を掴んだよ。僕はそれで充分。宇宙に出たところで、仕事の内容は便所掃除だったしね。そして、ここでも僕は柔肌を掴んだ。来年の抱負も変わらずだね。そのためには柔肌がある星に帰らないと。それで、地球に帰るにはどれくらいかかりそうなの?」
聞かれたデフォルトはコンピューターを立ち上げながら答えた。
「ログにはいくつかワープゲートを通り抜けた記録があるがあるので、同じワープゲートを使えばあまり時間はかからないと思います。詳しくは調べないとわかりませんが……時間がかかるものでもないので、今軽く計算してみます」
デフォルトはワープゲートの短縮距離を計算ソフトに入力し、結果が出るのを持った。
待ったといっても、元のデータがあるので一から計算するわけではなく、ものの数分で計算は終わった。
結果は驚くべきものだった。なんと十日もあれば地球に帰れるという計算だ。
いくらなんでもこれはおかしいとデフォルトは思った。
ルーカスと卓也が乗っていた方舟は、爆発するまで実時間で数年の期間を移動している。
闇雲に舵をとっていたレストが、奇跡的な確率で正しいルートを辿っていたとしても、地球に帰るのに年単位の時間はかかるはずだ。
ワープゲートが大掛かりなもので、瞬間的大移動を繰り返したとしても数ヶ月はかかる。
しかし、そのことを気にしているのはデフォルトだけだった。
ルーカスと卓也は、もう既に地球に帰ったかのような雰囲気たっぷりで、思い出話を語り合っていた。
「おかしいと思わないのですか? 都合よくもらったログが、都合よくすぐに地球に帰還できるルートを記しているんですよ?」
「方舟の大爆発のエネルギーで、レストが大移動したんじゃない? ほら、僕ら全員が気絶してて、爆発の瞬間を見てないじゃん。気絶してた数日の間に、宇宙空間を光速で移動しててもおかしくはないだろう?」
「ますます都合が良すぎる気が……」
「そもそも都合が悪くなる必要がないじゃん」
「それはそうなのですが……」
デフォルトは自分でも考えすぎだと感じていたが、他の二人が考えなさすぎるので、三人分頭が固くなっていた。
「そんなに心配しなくても、地球じゃなかったら星に降りなければいいだけなんだから。さっさとワープゲートを通り抜けちゃおうよ。今までみたいに闇雲に移動するより、目標があったほうがいいじゃん」
「まったくだ」とルーカスが立ち上がった。「目標を見つけ、それに向かう。当然のことだ。行動は迅速に、有無を言わせる前にだ」
ルーカスは当然のように食器を片付けることなく部屋を後にした。
しばらく足音が響き、それが止まるとドアの開閉音が聞こえた。
距離的には、トイレがある場所だった。
「……このままうだうだしてたら、僕の服が全部トイレに流れちゃう。それでもまだ考えるって言うのかい?」
卓也は恨みがましい目をデフォルトに向けた。
「そうですね……真偽は一度置いておいて、目的地に設定しましょう」
こうしてレストは地球(仮)へと指針を定めた。




