第十八話
カフェテリア内。窓のように宇宙が見えるモニターがついた特等席で、ステイシーは遠く見ながら細く息を吐いた。
「ねぇ……凄いと思わない? あの小さく見える星のどれもが誰のものでもないのよ」
「あれなら地球から見たほうがキレイだよ。僕が宇宙に出て学んだことは、キレイなものは眺めるより触れることに意味がある」
卓也は目の前の手を握って真っ直ぐ目を見つめたのだが、ステイシーの視線は相変わらず外へ向いていた。
「ダイヤや金に負けない輝きよ。まるで有終の美を閉じ込めたみたいな長くて一瞬の輝き」
「わかってる。でも、有終の美はここに存在してる」
「有終の美の意味がわかってるとは思えないけど」
「わかってるよ。僕が全うすることは、君を幸せにすること」
「本当におバカね……。そこが可愛いんだけど」
「君が望むなら僕は犬にもなれる。お腹を撫で回した後、お風呂に入れたくならない? 今なら口でくわえて下着も脱がせられる」
「それは犬の中でもバカ犬って呼ばれる類よ」
「でも、おバカな犬は可愛がられる。これもまた真実だ」
というくだらない会話が繰り広げられたのが昨夜であり、今現在なにが起こっているのかというと、大量のバカ犬が発生していた。
もっと細かく説明するのならば、犬の形をしたミュータントが女性の下着を漁っては逃げている状況だ。
こうなったのは昨夜の二人の会話のせいだ。
昨夜ステイシーがした会話の意味は、卓也の夢の中で自分の願いを叶えようとしたものであり、思惑通りに行けば今頃お金持ちになっているはずだった。
ステイシーの願いよりも、卓也の犬になって女性に可愛がられるという欲望のほうが勝ったせいだ。
こうなってしまっては周囲に隠しておけないので、デフォルトは騒動の原因を話しに向かった。
「詳しい説明は以上かね?」
田中という上司に聞かれ、デフォルトは隠すことは一つもせずに、起こった事実と自分の見解を述べた。
「はい」
田中は額に手を当て、深いため息をついた。
「つまり……昨夜の会話が原因で、この宇宙船内に下着を集めるミュータント犬が大量発生したと?」
「はい。本人の意思とは関係なく、夢が具現化してしまった模様です」
「そしてその“夢”が、よりによって犬の群れが女性の下着を集めるという内容だったと」
「はい……。ステイシーさんの願いより、卓也さんの本能のほうが強かったようで」
「……まったく、どうしてこうなるんだ」
田中はもう一度ため息をつき、デスクに置かれた通信端末に手を伸ばした。
「こちら管理局、緊急事態発生。セクターB1の隔離シールドを展開、対象の捕獲作戦を開始する。優先目標は……いや、デフォルト。この先は君に任せた」
「自分がですか?」
「この事態をうまく収めるんだ」
「私は彼のケアへと向かう。同じ地球人同士のほうがわかり合えることもあるからな」
「そうしてください。卓也さんも寂しいのかも知れません。自分は地球人にはなれませんから」
「そんなたまではないと思うがな」
田中はデフォルトに後を頼むと、卓也を部屋へと呼びつけた。
「どうだ? 素晴らしい景色だと思わないか?」
田中に言われ、卓也がこたえのは「はあ……」という気のない返事だった。
「どうした? 最新の小型探査機だぞ。次のモデルではワープが可能になる予定だ」
「それはまだまだ先の話。大事故が起きて、市民団体が出来て、地球の歴史を繰り返してからようやく、宇宙のワープの話がまとまるの」
卓也は既に習った歴史だと肩をすくめたが、この時代の地球人である田中に伝わるはずもない。
だが、田中は余計な口を挟むことなく大きく頷いた。
「なるほど、それは良い夢物語だ。実に期待が出来る。君の妄想力にはいつも驚かされる」
「妄想じゃなくて事実」
「そうかそうか。実にいいぞ」
田中は卓也の尻を叩いて激励した。
体育会系のノリが苦手な卓也は、露骨に嫌悪をあらわにした表情を浮かべるが、まるでそれが同意の笑顔だったかのように話は進んだ。
「この広い宇宙……地球の技術というのは実にちっぽけなものだ。どうあがいても、デフォルトのような知的生命体には叶わない。わかるな?」
「まあ、身に沁みてるかな」
「ふと思ったんだ。我々があの頂に到達するまで、何千の歳を重ねればいい?」
「数千で足りると思ってるなら、たぶんこれから万年以上かかると思うけど」
卓也は自分の地球に習った歴史だとしても、デフォルトの技術や知識に追いついていないと知っているので、なにも興味がないと視線を逸らした。
すると、視線を逸らした先の壁が外側観測モニターに変わり、宇宙の星々を遠くに映し出した。
卓也が宇宙の景色を眺めていると、不意に田中が肩に手を置いた。
「なあ、卓也……」
田中の声が妙に低く、真剣だったので、卓也は嫌な予感を覚えた。
「なに?」
「お前とこうして旅をしていると、つくづく思うんだ……人間というのは、孤独な生き物だと」
「……はあ?」
話の流れが唐突すぎて、卓也は思わず田中の顔を見た。すると、田中はどこかしんみりとした表情で、窓の外の星々を見つめている。
「宇宙は広い……広すぎる……。それなのに、俺たちはたった一隻の船に乗って、ちっぽけな存在として漂っている。そんな中で、たった一人でも心を許せる相手がいるというのは……本当に貴重なことじゃないか?」
「まあ、それは否定しないけど……」
「そうだろう? だからこそ、俺はオマエにはこの景色を見せたかったんだ。
「……え?」
卓也の眉がピクリと動いた。
「この景色を目に焼き付けろ。きっと自分の気持ちに正直になる」
田中は卓也の心の奥底にある探究心や好奇心を刺激したつもりだった。
ここで卓也が地球の技術を底上げするような夢を見れば、文字通り世界は変わるかも知れない。
そうなれば自分も評価されるし、地球のためにもなる。まさに一石二鳥の考えだった。
そのためにデフォルトという邪魔なものを遠ざけて、卓也を誘惑しようとしているだ。
最新の技術に触れさせ、特別扱いをしてやれば、この閉鎖的な宇宙船という空間の中で卓也を自由に扱える。田中はそう考えていた。
普段なら入れない場所や、宇宙の景色が綺麗に見える特等席。一定の地位者にだけ使うことの出来るVIPルームなど、まるで他惑星の交換技術制度でやってきたエイリアンを案内するかのような特別扱いをされた後。
卓也はようやく部屋へと帰ることが出来た。
「おかえりなさい。大丈夫でしたか!?」
卓也の部屋で今後のことについて話そうと待っていたデフォルトは、顔面蒼白の卓也を見て慌てて駆け寄った。
「大丈夫なもんか。目を逸らすことの出来ない真実が僕に襲ってきた……」
「隔離ではなかったのですか?」
「隔離か……それもいい。そうだ! 僕はインフルエンザにかかった! 今すぐ隔離されないと!」
卓也は必死の形相でデフォルトの触手を掴んだ。
「随分元気そうですが……」
「元気だよ。元気だから困るんだ」
「まずは簡潔に説明してください。そこから言いたいことを足していっていただけると助かります」
「僕は田中少尉に狙われてる……」
「少尉ならそこまでの権限はないはずですが……。おそらく卓也さんの聞き間違いだと」
「違う! 僕の体を狙ってるんだ!」
「もしかして手術を勧められたのですか?」
「手術を勧められただぁ!? そんなことで僕が怒るとでも思ってる? ルーカスじゃないんだよ。手術はナースと仲良くなるのに絶好のイベントだ。死ぬ思いまでする価値はある。合法で何度もベッドチャンスをコールできる場所なんて他にある?」
「そんなことしてたら出禁になりますよ……。それでなにがあったんですか?」
「田中少尉に狙われてるって言っただろう。彼は僕の身体を狙ってるんだ!!」
卓也の必死の言葉に、デフォルトはまずため息で返した。
「デスクに奥さんと子供の写真がありましたよ」
「逃げ場のない宇宙。僕と個室でいたら、性的趣向が変わることはありえる。僕は宇宙一セクシーな男だぞ」
「今は違います。時代が違えば、その時その時の価値観があるものですよ。いいですか? 美というのはいわば心理学や哲学の世界の価値観です」
「つまり僕に惚れてるってこと」
「そうだったとしても、嫌われるよりマシじゃないですか?」
「いいかい? 景色の良い展望デッキで、紅茶まで一緒に飲んだんだぞ。次はベッドの横で紅茶を飲むハメになる」
「とにかく、今は隔離されなかったことを喜びましょう」
「たしかにそうだ。隔離されてしまったら、僕に逃げ場はなくなる……」
「勘違いですよ。一晩ぐっすり寝て、すっきりすれば忘れます」
「とてもじゃないけど眠れそうにない……」
「簡単ですよ。まずは川のせせらぎと、森の木々のざわめきのBGM。ラベンダーとオレンジのブレンドオイルの香り。後は適切な温度です。さあ、鼻から吸って吐いて。吸って……吐いて……」
デフォルトが赤ん坊を寝かしつけるように、数回肩を叩いてやると、卓也はベッドで寝息を立て始めた。
朝は犬型ミュータント騒動。午後は上司と歩き回ったせいで、肉体的にも精神的にも疲れていた。
こんな時はよく夢を見るものだ。それも悪夢の類を……。
翌朝。卓也は飛び起きるなり、デフォルトに殺してくれと叫んだ。
「どうしたんですかいったい」
「田中に抱かれる夢を見た!! 現実になったら大変だ! そうだ! ミイラだ。僕はミイラになる。ぐるぐる巻きになって、後世の歴史家に発掘され、超重要人物として女の子にチヤホヤされよう。そうと決まれば現世に悔いはない。さあ! やってくれ!」
「なるほど……興味深いですね」
「興味深いだぁ!? デフォルト……同性愛は自分で選ぶものだ。他人の興味で選ばれるものじゃない。日本の女性が決める部分的な文化もあるけど、アレはインターネットの中の話だ」
「落ち着いてください。卓也さんが思っているような事態にはなっていません。死滅したのでしょうか?」
今日は穏やかな朝だった。異変という異変はない。いつもと同じ日常だ。
卓也が夢に見たことが現実になることも、夢に見なかったことが現実になることもなかった。
「つまり僕の身体から出ていった?」
「その可能性はありますね。そもそも願いを叶えるために、なにかしらエネルギーを使うはずですが……」
デフォルトは言いながら、卓也が微熱に侵されたことを思い出していた。熱というのはエネルギーであり、体温の変化による体温の変化が鍵なのではないかと思っていた。
夢というのは寝ている時に見るものであり、就寝時は体温が低下している。
そして、目覚めるとともに徐々に体温が上がる。
つまり卓也が目覚めた瞬間がトリガーになり、願いを叶えるという現象が発生する。
「出ていったんなら、僕は安全ってこと?」
「昨夜は隔離命令がされていなかったので、もしかしたらこうなることを見越していたのかも知れませんね。免疫システムに上手く適用できなかったのかも知れませんね」
「本当に良かったよ。僕の夢だと田中が部屋に来るんだ」
卓也が言った瞬間。部屋のインターホンが鳴った。
「で……僕が無視すると、上司の権限で鍵を勝手に開けて入ってくる」
「卓也!」
「それで僕にキスするんだ!」
卓也が逃げようとすると、田中は「そんなことするか!」と怒鳴った。「広がってしまった……」
「卓也さんの症状がですか?」
「そうだ。昨日の犬型ミュータントせいだ。奴らは犬になり、新たな宿主を探していたんだ」
「なるほど……愛玩動物に化ければ、地球人のガードはゆるくなります。宇宙という楽しみがなければ余計に……。それが本物ではなくとも、機械の動物より好かれるはずです」
「それって僕のおかげでみんなの夢が叶うってこと? 素敵じゃん。なんか問題ある?」
「誰の願いに引っ張られるかが問題なんです。全員の夢が叶うとするならば、どこかに矛盾が産まれます。ですが、現実は矛盾を許しません。統合されるはずです。予測不可能な事態になる可能性があります。それも収束不可能の……」
「こうなれば、全員を検査する……」田中はため息をとした後「今夜は寝かさないぞ」と卓也を睨みつけた。
「そのセリフは夢で聞いた」
卓也は自分の願いはここで終わったと理解し、心底ホッとして胸をなでおろした。




