第九話
「ねえ、アイ。聞いたわよ」
「はあい。噂の的ね」
道行く女性たちはラバドーラを見かけると、必ずひと声かけてから通り過ぎていった。
原因は一つ。卓也との関係だ。
以前から男女の関係が噂されていたのと、急に現れた男性と卓也のキスのせいで、関係はどうなったのかと追求されたり、恨めしそうな女性の幽霊が現れたと矢継ぎ早に情報が増えていくので、ゴシップ好き達の間では大盛り上がりになっていた。
ラバドーラは「はい、元気ね」と声をかけてから「もう……うんざり……」とこぼした。
最初は意味のないコミュニケーションにもいちいち反応していたラバドーラだが、そのうち行動もパターン化して、ほぼプログラミング化された反応で返すようになっていた。
最初は楽だと思っていたのだが、あまりに声をかけられる頻度が多いので、会話の途中でプログラミングされた反応が出てくるのは、情報の処理に時間がかかった。
だが、それがいちいち会話を止めてでも、愛想よく反応してくれると評判なのだ。
「それだけ好かれてるのよ。羨ましいわ。私はあれだけアプローチかけてるのに、噂の一つも立たない」
異星人フェチのカオリは、定期的にデフォルトに声をかけているのにと落胆した。
「デフォルトはあなたのことを親善大使だと思ってるわよ。こんなによくしてくれる星人は初めてだって」
「ようし! 初めて奪った。これで、男は情にほだされる。デフォルトも例外じゃない」
「彼は例外だと思うけど……。それにしても、ちょっと色恋沙汰で騒ぎ過ぎじゃない? 仮にも宇宙よ」
「だからよ。閉鎖的空間ほど盛り上がるものでしょう。今私がほしいのは、デフォルトの触手を一本ずつハメられる拘束具よ。どうしてこう……異星人ってそそる身体をしてるのかしら」
「私はそういうことに疎いけど、カオリがまともな性的趣向を持ってないことはわかる」
「だれだってそういうものよ。だから仲の良い人以外には隠すの。私だって人は選んでる。それをしないとどうなるか、わかるでしょう?」
カオリは人差し指を天井に向けた。
ちょうど天井スピーカーから、いつも通りルーカスが起こした騒動の説明と、その後始末の命令の放送が流れた。
「あーあー……また呼ばれてるわね、ミラが」
カオリが天井のスピーカーから視線を戻すと、既にラバドーラの姿はなかった。
止まることない放送は、ルーカスが見つかってないことを意味していた。
「私が何をしたって言うんだ……。だが、まさかこんなひなびた倉庫に隠れるとは思うまい」
倉庫の隅。棚の物陰に隠れたルーカスは、ようやく一息をついた。
「なにもしていないからよ」
ラバドーラはルーカスを見つけるなり、ためらいなく声をかけた。
先程の放送の内容は、第三下部エンジンがオーバーヒートしたと知らせるものであり、その原因は内部の温度管理を怠って別のことをしていたからだ。
「なぜここがわかった!」
「ルーカスの逃げ込む先なんてわかるわよ。ここがダメだったらレストでしょう。ワンパターン過ぎ」
「喧嘩を売りに来たのかね」
「違う。嫌われる方法を聞きに来たのよ」
ラバドーラは回線をジャックして、騒動を別の方へ目に向けることにより、倉庫へ誰も来ないよう操作した。
これで邪魔者が入ることはない。
「やはり喧嘩を売りに来たようだ……」
「私は真面目に言ってるのよ。なにかと言えば誰と誰が寝たとか、誰がなにかしでかしたとか。いちいち顔を見合わせるたびに話しかけられるんじゃ、なにも出来やしないじゃない」
「なるほど」とルーカスは役者さながらに間をたっぷり置いて頷いた。「ようやく、君もこの境地へたどり着いたか」
「意味がわからないんだけど」
「地球人は突出したものを嫌う傾向にある。理解できないことが愚かなのではない、理解できないものをするものが愚かだとな。いつの世の中も真の天才とは理解されないものだ。わたしも長年苦しんできた」
「一緒にしないで。私はただ嫌われたいだけ。地球人の知能レベルの争いなんてどうでもいいわ」
ラバドーラの言葉をルーカスは親が子を見守るような表情で聞いていた。
「懐かしい……そのセリフも既に私が五歳の時には発していた」
「本当ムカつくわ……。でも、今はそれが頼もしくもあるのね。で、どうやって身につけたわけ? その嫌われ方」
「君は本当に失礼な女だ。いや、機械だった……。最近ややこしいぞ。まるで地球人だ」
「今は紛れもなく地球人よ。誰一人疑ってないんだもの。信じられる? 顔のレンズが反射しても、メイクの一言をつければそれで終了。きっと宇宙中から地球へスパイに来てるわよ」
「だと思った! きっと私のテストの結果を操作してるに違いない! 私が銀河へ進出すると困る輩がいるということだ! こうしてはいられんぞ!」
ルーカスはいきり立つと、ラバドーラの「バカね……」という言葉も聞こえず走って倉庫を出ていった。
監視カメラの少なさから倉庫を選んだというのに、出ていったら全く意味がない。
案の定すぐにルーカスを拘束したという放送が入った。
翌日。ラバドーラは室温のコントロールパネルを操作するルーカスの隣で、昨日と同じく「バカね……」と呟いた。
「そそのかしたのは君だ、アイ君。君が現れなければ私は隠れ続けることが出来たんだ」
「だとしたら、今頃まだ倉庫にいるだけよ。なぜいつも二の矢三の矢を考えないのよ」
「失礼なことを言うな。私はいつも考えている。私が行動を起こす。結果は称賛。最後に大喝采だ」
「頭の中が小三だから、いつも大火災になるのよ。バカといえば……これもなんなのよ」
現在ラバドーラは、多忙なミラの代わりにルーカスの監視をしている。
そのルーカスは、昨日の懲罰で室温管理の仕事をさせられていた。
室温管理といっても、適切な温度に保つわけではない。
不快な温度や湿度にすることで、あえて心体にストレスを与えている。
これは日常における幸福度の操作と免疫力を高めるために定期的に行われているシステムだ。
宇宙船内は基本的に快適に暮らせるように設計されている。だが、地球での暮らしに戻るためにも、あまりに地球の環境とかけ離れた生活は出来ない。
地球人は環境に適応するため免疫力を上げ、不快感があるからこそ幸せを感じる。
台風や猛吹雪を演出しろというわけではないので、ルーカスにでも出来る仕事だ。
「これは元々AIの仕事だったんだ。それを私が奪ってやった。人々はAIに仕事を奪われたが、私は逆のことをしてやったというわけだな」
「ルーカスのバカさ加減は聞いてないわよ……。こんなことしても、本当に効果があるのかって意味よ」
アンドロイドのラバドーラは知的生命体。取り分けて地球人がやることは意味がわからなかった。
「いちいち文句が多い女だ……。そんなに言うなら君がやりたまえ。君も十分人を不快にさせる才能がある」
ルーカスはコントロールパネルを押し付けると、ふんぞり返って椅子に座った。
やりたくない仕事サボるための口実なのだが、ラバドーラはこれはチャンスだと思った。
不快に感じることをわざとやれば、人は不機嫌になる。そうなれば嫌われるのも簡単だからだ。
試しに数度室温を上げてみれば、人々の口調は荒くなりイライラし始めた。室温を下げれば、口数は減り、体を温めるように足早に歩いていった。
「何をやっているのかね。不快指数を上げれば、それだけ人は不快になる。そうなるとどうなるかわかるか?」
「メンタルに影響しそうね。肉体はなくても、見てたらわかるわ」
ラバドーラがいじっているコントロールパネルは、ルーカスが使っていたときとは違い、ハッキングして宇宙船全体に影響が出るようにしている。
室温が上がり、汗をかいた途端に寒風が吹き抜けたり、二人の目の前を通るだけではなく、どこにいてもずっと感じているので、たったの数分の出来事でもわかりやすいくらいイライラしていた。
メッセージではなく、わざわざ苦情の電話をいれる男を遠くに見ながら、ルーカスはそれは関係ないと首を振った。
「このイライラが全部私に向かってくるということだ。コントロールパネルを管理しなかったせいだと。また冤罪だ。いや……待てよ。今は君がコントロールパネルを持っている。私が疑われる可能性はゼロだ。好きにやりたまえ」
ルーカスはざまあみろと言わんばかりの顔で、壁のボタンを押してリラックスチェアを稼働させると、それにどかっと座り込んで高みの見物を始めた。
「言われなくてもやってる。いちいち上司ぶらないと話せないわけ?」
「それは私のセリフだ。監獄惑星で私を騙していたときから、上司として私の邪魔をしてきたのは君だ。さては……私の秘めたる才能に気付いていたな。それで可能性の芽を摘んだのだ!」
「私の脱獄の可能性の芽を摘んだのはそっちでしょう。邪魔されなければ、あなた達と顔を合わすこともなく、銀河の果てまで逃げたっていうのに」
「ポンコツアンドロイドが何を言っている。私がいなければガス欠で、今頃宇宙のゴミの一部となっていただけだ」
「以上。地球のゴミの見解でした」
「地球人に嫌われる素質は十分にあると思うが……ね……」
言いながらルーカスは倒れ込んでしまった。
言い合いに夢中になったラバドーラはコントロールパネルから指を離すのを忘れてしまい、どんどん室温が上がっていったからだ。
まるでサウナの中のような空間に、周りの人々は次々と倒れていき、最後に倒れたのがルーカスだ。
なぜか自分だけは室温の影響を受けないと思っていたルーカスは、ただの思い込みの力で気絶するのが遅れただけだ。
そして、ルーカスが倒れ込みラバドーラ。つまりはアイだけが立っている光景が、この場で倒れている人たちに漠然だが、しっかりと脳裏に焼き付いた。
その結果。ラバドーラは人々を困らせるルーカスを退治する。物語の英雄のように感じることとなった。
実際にルーカスとラバドーラが言い合っている姿は何十人ものクルーが確認しているし、コントロールパネルの管理を任されたのはルーカスだ。
ルーカスが倒れたことにより、ラバドーラはコントロールパネルの数値を正常に戻したので、傍目からはラバドーラが事件を解決したと受け取られたのだ。
翌日。熱中症から回復した人々は口々にルーカスを罵り、ラバドーラを称えた。
「なぜ……こんなことになっているのだ」
頭を抱えるルーカスの横では、同じくラバドーラが頭を抱えていた。
「それはこっちのセリフよ。なんでそっちのせいになってるのよ。こっちが嫌われる予定だったのに」
「そう思うならだ。自ら罪を白状し、私の株を上げる一言でも添えるのが礼儀なのではないかね?」
「洗いざらい白状したわよ。そしたら、あなたを庇う健気な女だって私の株が上がった。この株はどうやって売ればいいわけ? 全部売りたいんだけど」
「私が知るか! こうなったら実力行使だ」
「実力がないのに行使するからダメなのよ……。地球人ってもっといがみ合って生きてるものだと思ってたわ……」
ラバドーラは当てが外れたと排熱のため息をすると、レストに溜まっていた埃が温められて独特な臭いが漂った。
「私を見たまえ。十分いがみ合っている。これが地球での出来事ならば、戦争の火種になっているところだ」
「そうね……いっそ火種にしたほうがいいのかもしれないわね」
ラバドーラは無駄に上がった評価を落とすために、ルーカスを使ってまた次の一手を考え始めた。




