第八話
「だから僕は、君がまだハワード・ルイスの顔を保存してるんじゃないかってことを言ってるんだ」
卓也は部屋に入るなり、壁へラバドーラを押しやって詰めるが、あっさりとラバドーラの力に振りほどかれてしまった。
「無駄に保存なんかしないわよ。もう地球人の顔パターンは登録済み。その場で瞬時に生成出来るわ」
ラバドーラはアイの姿を、現在から六〇年経過した姿を投影し直した。
「わーお……それベッドでやられたら絶対にトラウマものだよ。別の意味で足腰が立たなくなる……。じゃなくて、くれぐれもアイさんの姿から変えないように」
卓也は念を押すと部屋を出ていったのだが、数分も立たないうちにすぐに戻ってきた。
『だから僕は、君がまだハワード・ルイスの顔を保存してるんじゃないかってことを言ってるんだ』
まとも壁に押しやられたラバドーラは「しつこい」と卓也をはねのけた。
「保存なんてしないって言ったでしょう。何度言わせるつもり?」
「ちょっと……僕はいま来たばかりだよ。なんか調子悪いんじゃない? 純正パーツとは言えないしね。とにかく、その調子じゃ大丈夫そうだ。くれぐれもアイさんの姿から変えないように」
卓也は念を押すと部屋を出ていった。
この調子ならまた来るだろうと思って部屋で待っていたラバドーラだったが、卓也が戻ってくることなかった。
いつまでも卓也を待ってるわけにもいかず、ラバドーラは船内パトロール用の一人乗りの小型飛行バイクを整備ながら、同僚のミラに先程のことを話していた。
「やだ……それってノロケ? 二人の関係って絶対におかしいと持ってた」
「だから違うって」
ラバドーラはうんざりとした表情を投影したのだが、それが帰って肯定的な表情に見られてしまった。
「別に隠さなくてもいいのに。宣言してもしなくても、性格の悪い女は気にせずアプローチかけてくるわよ。現実では女のほうが男より簡単にリングに上がる」
ミラはカンカンカーンと口で効果音をつけてからかった。
「実際問題どういうつもりなのかしら」
「男がわけわからない行動をするときは一つよ。構ってほしいだけ。男から理性をなくした姿が犬よ。わかりやすいでしょう」
「真面目に相談してるんだけど。卓也が意味わからない行動をする時って、大抵裏でなにかやってる時なのよね……」
「記念日を驚かそうとしてるんでしょう。アイは疎そうだから教えておいてあげるけど、がっかりしても喜んだふりしてあげれば男は一日ご機嫌になる。これも犬と一緒。でも、可愛いところね。まあ……はあはあ言って尻尾振るオマケ付きだけど……。これも犬と一緒だけど、これは可愛くはない」
「あなた一回カウンセリング受けたほうがいいわよ。地球人の脳のことはわからないけど、ミラがおかしなこと言ってるのはわかる。どんな式でも、結局答えは男じゃない」
「言いたくもなるわよ……。私が昇進したの知ってるでしょう?」
「その空いたポジションを任せられたのが私だから知ってるに決まってる」
「結果。部下が出来ました。ルーカスという悪魔のね」
「それは災難ね……」
「災難どころか厄災よ」
ミラがため息をつくと、それを見計らったかのように緊急コールが鳴った。
ルーカスがトイレットペーパーを独占しようと倉庫に忍び込み、バレてトイレに立て籠っているのだ。
「私は天国ね」
ルーカスの後始末をしなくていいラバドーラは、背中に怒りのオーラを纏わせたミラを見送った。
出ていく時に一度甘い声で挨拶が聞こえたので、入れ替わりに誰がやってきたのか、音声解析をしなくてもわかった。
「地獄がやってきた……」
「ちょっと……感じ悪くない? 僕なにかした?」
卓也は今来たばかりなのにと肩をすくめた。
「よくわからないことをするからよ。なに? 今度は裏でなにしてるのよ」
ラバドーラに指摘され、卓也は裏でルーカスと手を組んでるのがバレそうになっているのかもしれないと動揺した。
「なにも」と首を横に振るが、卓也の怪しい動きはすでにパターン化して登録してあるので、やはりおかしいところがあるとラバドーラにはわかっていた。
「隠したってなんにもならないわよ」
「そんなことない。下着だって隠されてるから価値がある。じゃないと水着だもん。水着は水着で最高だけど……。温水プールってさ、もう温泉を下着で歩いてるようなものだよ。ありがとう……重要なことに気付かさせてくれて。それじゃあまた」
踵を返す卓也を引き止めたラバドーラは「逃げようたってそうはいかないわよ」と睨みつけた。
「本当になんもしてないよ。ここにだって、たまたま寄っただけだもん。僕の勘がここに出会いが転がってるって言ってたの」
「勘ぐってるって言ってるのよ、こっちは」
「勘違いだって言ってるの、僕は。とにかく邪魔しないでよね。最近アイさんと関係があるんじゃないかって噂になってる。君は知らないだろうけど、恋人がいる男っていうのは一部の女性にしか価値がないの。平均値を取ったら、他に恋人がいない男の人が恋人に理想だってさ。驚きだよね」
「構ってられない……」
ラバドーラは飛行バイクのテストをするのに、わざと電気エンジンの音を立てて出ていった。
アースは地球の古い宇宙船だとわかり、機械文明のレベルの低さに絶望していたラバドーラだったが、逆にハッキングしなくても乗れる程度のものであり、運転するという感覚はとても楽しいものだった。
なので、卓也の姿を再び見かけると、気分害されたといちゃもんをつけに向かったのだが、その直前にルーカスの騒動を片付けたミラに出くわしたことにより、見逃すこととなってしまった。
「どうしたの怖い顔して」
「怒ろうと思ってたんだもの。怖い顔をするのは当然。そういうものでしょう? でも、良かったわ。怒るって感情。エネルギーを使うって知ってた?」
「知ってるわよ。今エネルギーを使ってきたから」
ミラがぶん殴る仕草をすると、ルーカスをぶっ飛ばしたとわかったラバドーラは笑顔を投影した。
「見たかったわ……。ルーカスは足腰が弱いから、おしりを蹴るのも効果的よ。まるで微弱な磁力でギリギリくっつき合ってるネジみたいにふるふるするわ」
「それ……生まれたの子鹿じゃだめ? 全然イメージできないんだけど」
「なんでもいいわ。もう一人のバカをぶっ飛ばしても、何も解決しないしね」
ラバドーラはここでミラと再び合ったのは良かった出来事だと判断した。
あのまま卓也に追いついて文句を言ったところで、すっきりするとも思えなかったからだ。
代わりに卓也の愚痴を話していると、ミラが表情を歪めた。
「私達がいたところに卓也様が来たのよね?」
「……卓也。様はいらない」
「こっちも、なんだっていいわ。こっちもキャーキャー言って若返ったつもりでいるだけだから。それより、辺じゃない? あなた飛行バイクで来たんでしょう? 同じ場所にいた卓也が追いついたってこと?」
言われてから、ラバドーラはようやく異変に気づいた。
卓也が女性のことで勘を働かせたのに、すぐに考えを改めて別の場所へ向かうとは思えない。
だが、先ほど歩いていたのは、確実に卓也だった。
「本当に遠回しのノロケじゃないの? それとも、今は見間違えるくらい好きな段階ってこと? 恋が愛に変わろうとしてる時って、大概そんなものよ」
「アイが変わるなら、私だけで十分」
ラバドーラはミラにとっては意味不明な言葉を残すと、仕方なくデフォルトへ相談することにした。
しかし、二人が出くわすなり先に相談をしたのはデフォルトの方だった。
「ラバドーラさん……落ち着いて聞いて下さい。どうやら卓也さんは二人存在しているようです」
ラバドーラが卓也の様子がおかしいと思ってる間。同時進行でデフォルトにも同じような現象が起こっていたのだ。
「やっぱりね……。原因はなに?」
「ワームホールによる影響か。時空のすり合わせ。光速ワープによる位置情報の誤差などあると思うのですが……」
「だが、意思の疎通が出来ていたわ」
「そうなんですよね……同じ時空の卓也さんが二人存在してる状態です。普通はどちらか意思の疎通が出来なくなるはずなのですが」
コピーではなく、自分がもう一人現れた場合。
それは過去か未来の自分であり、同時間帯の自分は二人として存在できないはずだ。
「つまり、昨日までの記憶は同じ卓也ということでしょう? それがどうして別行動を取っているかよ。どこまでが同じ卓也の記憶かはわからないけど、行動パターンは同じはずよ」
言いながらラバドーラは今朝のことを思い出した。
卓也が全く同じ登場した時だ。
その時は老婆の姿を見せたアイと、アイのままで接した二つのパターンがある。
この時卓也の感情はふたつに分かれてしまった。
時空が不安定な空間で矛盾が起こったことにより『ライフバグシステム』のように意識が分かれてしまい、思念体が形を持ったのだ。
つまり両方が卓也であって、両方が卓也ではない状態だ。
「まさか惑星バルでの弊害がこんな形で出るとは思いませんでした……。ですが、ラバドーラさんの発言が発症の原因ならば、お二人の卓也さんに同時に同じ感情を呼び起こすことができれば、意識も体に戻るはずです」
デフォルトはバチコムから術後のケアのことを聞いていたので、これで原因ははっきりわかったのだが、問題はその治療法だ。
卓也が同じ感情を持つのは女性であり、女性に助けを求めることは簡単に思いついたのだが、相手がもう一人の卓也ということもあり慎重になる必要がある。
なぜならば、アースの宇宙技術では今回の現象を説明できないからだ。
説明できないものを無理やり説明するのは困難であり、余計な技術や知識を不用意に与えないためにも秘密裏に解決しなくてはならない。
今ならまだ見間違いで済ませることが出来るが、時間が経てば経つほど粗が出てしまう。
早急に解決する必要があった。
ラバドーラは今朝卓也とした会話を思い出し、あることを思いついた。
そして、それを実行するために片方の卓也を特定の時間と場所へ連れ出すようにデフォルトへ指示した。
卓也は「感激だよ!!」と、ラバドーラの呼び出しにテンションを上げた。
なぜならラバドーラは現在『アイ』の姿ではなく、『エイミー・ハワード』という方舟時代に卓也が熱を上げていたが、口説くことの出来なかった女性の姿を投影しているからだ。
自分と卓也の噂が立ってうざいから、架空の人物を仕立てあげて自分とは関係ないことを証明したいという建前と、嫉妬した女性からのアプローチが増えるかもしれないという餌を用意し、釣られるがままに架空のデートをしているのだ。
なんてのことのない会話。なんてのことのない仕草。
自分が都合よく思い描いた理想通りのエイミー・ハワードが隣にいるので、卓也の鼓動は高鳴るばかりだった。
周囲の視線も気にならないほど会話に夢中になっていた卓也は、肩が触れるほどラバドーラが近付いているのに気付いていなかった。
腰が当たり、しないはずの髪の匂いが一際強くなったように感じたところで、卓也はキスを求められていると理解した。
卓也がラバドーラの頬に手のひらをあてがって、目を閉じた瞬間。
デフォルトに連れられた卓也が、ちょうどやってきた。
「うそ! 僕だ! 僕あそこにいる!? いや! そんなことより! 僕が――キスしてる!? ハワード・ルイスと!?」
自分の声が外から聞こえてきたことにより目を開けた卓也だったが、もう一人の自分を見るより早く卓也の目に映ったのは、憎きハワード・ルイスの顔だった。
卓也は声を発することなく気絶すると、もう一人も同時に気絶した。
すると、ラバドーラの頬に手のひらをあてがっていた方の卓也の姿が消えた。
ラバドーラは「あっちが本体だったのね……」と小さくこぼすと、周囲の風景を体に投影して、幽霊が消えるかのように姿を消した。
残ったのはドッペルゲンガーと、女性の幽霊が現れるという噂だけだった。




