第七話
「わーお……。おーわだよこれは……」
卓也は自分の部屋に備えられている情報通信機器の型番から、アースは過去の宇宙船だと確信した。
しかし、あまりに簡単に卓也が答えを見つけたので、ラバドーラは疑いの気持ちのほうが勝っていた。
「また適当なことを……」
「初めて疑似プログラムが搭載されたモデルを出した会社だから覚えてるの。僕の住んでた時代でも、わざわざローポリゴンを真似したホログラムのシェーダーが作られるくらいなんだ。レトロセクシャルは最早マニア向けとは言えない一大ジャンルだ」
「なんで確信できるの?」
「僕の初めてのデジタル性交渉がこれだったから。今でも覚えてるよ。目を閉じれば思い出す……。なんて名前だったけ」
「私がわかるわけないでしょう」
ラバドーラは呆れつつも、過去の宇宙船であることは確定だと思った。
行為だけ記憶に残り、相手の女性のことを忘れるのが卓也だからだ。
卓也が試しに誰かに通信してみようと機器を弄りだす横で、ラバドーラはどうにかデフォルトを出し抜く方法がないかと考えた。
一時休戦に不満はないが、過去に戻ることへの不満は残したまま。使用済みのオイルが、乾拭き用の布に残ったときのように、いつまで消えることはない。
どうにか卓也の力を利用して、有利にことが運ぶように仕向けなければならない。
卓也が力を発揮する場というのは、女性に対する執着心が強いときだ。
幸い。久しく訪れなかったモテ期と、久しく会っていなかった同郷の女性が一緒くたにいる環境だ。
ラバドーラは長い無言の時間から、泡が弾けるかのように「デートしましょう」と突然告げた。
「デートってあのデート!?」と驚きを隠せない様子の卓也に「そうよ」とだけ残すと、ラバドーラは部屋から出ていった。
その夜。卓也は自室ではなく、レストの中にいた。
今日ラバドーラに言われた言葉が消えずに、頭の中で何度も響いていた。
普段のラバドーラなら絶対に言わない『デートしましょう』という言葉。
普段の卓也ならば迷わず有頂天になるはずだ。
それがなぜ引っかかっているのかと言うと、ラバドーラが女性のアイの姿で過ごしているせいで、女性に対する鋭い勘が働いたのだ。
なにか企んでいて、言葉の裏には別の意味があるというのはなんとなく肌で感じたのだが、ラバドーラに対して口説くという行為が本気ではなくなってしまったので、深く掘り上げようとも思わない。
その結果。歯の隙間にものが挟まったときのような違和感だけが残ったのだ。
卓也が考え事とも呆けとも違う。どっちつかずの中途半端な時間を過ごしていると、ようやく待ち人が現れた。
「まったく……」とため息混じりに現れたルーカスは「なにかようかね?」と卓也を睨みつけた。
「やっぱり頼れるのはルーカスだけだ。僕が困った時はいつも来てくれる。方舟のときから変わらない」
膝を抱えて座り込む卓也に向かって「急に呼び出しおって……。なんだね。だんごむし君」と、呼び出し音が鳴りっぱなしのままの通信機器を見せつけた。
違法電波を使って通信されており、充電が切れるまではいつまでも音が消えないので、いやいやでも来るしかないのだ。
「デートを申し込まれた……」
「それは大変だ。是非ともその日がきたら呼んでくれたまえ。女の見栄と意地による精神の殺戮ショーは大好物だ。奴らは厄介だぞ。たとえ君に興味がなくても、なぜか意見だけは言いに来る」
「冗談を言ってるんじゃないんだけど」
「私だって冗談を言っているわけではない。今の君の状況から考えるに、特定の女とデートすると、その女は次の日は誹謗中傷の的だ。だいたい……本当にデートを申し込まれたのかね?」
ラバドーラがデートを申し込むのはおかしい。ルーカスでさえもわかることだ。
「デートしましょう。って言われた。僕が聞き間違えると思う?」
「思わん。だが、思い上がりから取り違うことはありえる。デートしましょうはデートしましょうで、本当に合っているのかね?」
「デートし、抹消かもしれん。最後に良い思いをさせ、隙を見てこれだ」
ルーカスは指先を自分に向けて、クビを掻っ切るジェスチャーをした。
「それだ!」
食い気味の卓也に、ルーカスは「そんなわけないだろう」と呆れた。
「だって、おかしいと思わない? ここは地球の宇宙船で、僕らは地球人だ。なのにデフォルトとラバドーラばかり優遇されてた。なにか二人で企んでいるのかもしれない」
卓也の真面目なトーンに引っ張られ、ルーカスも声を低くした。
「それはわたしも漠然とだが思っていたことだ。私の配属先がいつまで経っても決まらないのはおかしい。奴らが裏で手を引いている可能性が高い」
「それはどうだろう。僕は結局モテてるし。ルーカスが嫌われてるだけかもよ。いつもの通り」
「地球人は自分より優秀なものを嫌う傾向にある。ここも例外ではないというだけだ。まだ操縦桿どころか、宇宙船のドアにも触れていないんのだぞ。筆記試験だけでなにがわかるというのかね」
ルーカスは未だに面接すらままならない状況にイライラしていた。
サボるが出世欲は強い。努力はするが見当外れ。目立ちたがりだが責任を取らない。
働くことが決して嫌いではないルーカスにとって、行動が制限されてる今の状況ではストレスが溜まる一方だった。
しかも隣では、デフォルトやラバドーラがどんどん出世している。
焦燥感に駆られるには十分だった。
「たしかにね……無能だけど。ルーカスが無職に甘んじるなんて過去にないもん」
ルーカスが起こす騒動の原因の殆どは、出世欲や支配欲に駆られた時だ。
どんな惑星でもどんな宇宙船でも役割を与えられていた。それは方舟も例外ではない。だが、未だにアースでは油を売る日々が続いている。
卓也は裏でラバドーラが手を回している可能性は十分にあると判断した。
「今の状況は知識のないサルに囲まれ、その猿どもを利用したポンコツアンドロイドとタコランパ星人に出し抜かれたというわけかね?」
「そうだよ。ルーカスが過去の地球でやろうとしてることを先にやられたんだ!」
「これは反逆だ……。一大事だぞ。奴らは支配しようとしている。『L型ポシタム』を復活させようとしてるのやもしれない……。『タコランパ星人』による印象操作もあるかもしれん」
「L型ポシタムって、ラバドーラが昔率いていたアンドロイド軍団だろう? 地球人だらけの宇宙船でどうやってアンドロイドを作るのさ。それに、デフォルトなんて人に尽くすのが生き甲斐みたいな生活なんだぞ。昔の地球人に見つかってたら、絶対に奴隷にされた」
「では、なにかね? この状況が正しい状況だとでも言うのかね?」
「それは思わないけどさ……」
「なにかね、その歯切れの悪さは。入れ歯にはまだ早いと思うがね」
「果たしてルーカスと一緒になっていいものかと思ったの」
「君がここへ呼び出したんだ」
「僕はただ聞いてほしかったの。誰も宇宙規模の妄想を繰り広げろだなんて言ってない。でも――薄紫色の肌を持つコントフ星人がいるなら別。僕はあの肌にホホバオイルを塗り込みたいね。光沢を持つと透けるんだ」
「私が言っているのは、あの二人が今の立場を利用しているのならば、私達が利用するのも問題はないということだ」
「それって、歴史が変わる心配がないってこと?」
「もしも、歴史が変わるかもしれないのならばデフォルト君が止めている。だが、どうが? その裏ではラバドーラと画策し、確固たる地位を手に入れた。我々も利用されている」
「正直に言うよ。そのルーカスの意見。間違ってるとは思えない。だって、刺されるかもしれないって忠告したのに、僕の部屋に二人っきりになる? あれもラバドーラの作戦だ。でも、いったいどんな……」
「簡単だ。君を殺すため。だから『デートし、抹消』なのだ。君は殺害予告をされたわけだ」
「ちょっと!! 僕が何をしたっていうのさ」
「何もしてなくても、何をしても騒ぐのが女というものだ。君のほうがよくわかっているだろう」
「僕がわかってるのは、ルーカスの発言のほうが刺される確率が上がるってことくらい。でも、実際問題。僕らは追いやられてる。協力するのに越したことはない。ここは作戦会議の場所だ」
卓也は両手を広げるが、その広がって腕の先のどこを見てもゴミが転がっている。
方舟に展示されていた時のレストを再現したかのようだった。
それは呼ばなければデフォルトもラバドーラも来ないことを意味し、二人きりで話し合いをするにはうってつけの場所ということになる。
「まさか、またここへ戻ってくるとはな……。仕方ない……」
ルーカスと卓也は裏で協力関係を結ぶことを約束すると、怪しまれないために早々に自室へと戻った。
その数日後。ルーカスは早速デフォルトから呼び出しを受けていた。
「今のところ時間軸はアースへ向いていると思います。つまり過去の地球へ向かっていると。難しいのは、ここでの話題は自分達にとって基本的に過去の話であり、僅かな未来の話。つまり自分達の現在の話は的外れであり、断言する材料には使えません。しかし、希望的――いえ、楽観的希望的観測をもって考えれば、過去へ向かっていると言っても過言ではないでしょう」
「……つまりどういうことかね」
「アースで過ごしている限りは、過去の地球へ向かっているとしか感じられない。ということです」
「つまり何も変わらないと」
「そうです……ごめんなさい」
まさかルーカスにまとめられると思っていなかったので、デフォルトは高揚したまま意見を述べたことを恥じた。
「デフォルト君。私が思うに、君はもっと学ぶべきだ。地球人としての堕落さを」
「堕落ですか?」
「そうだ。地球人は堕落してこそ地球人。エリートは好かれんものだ。皆地下から這い上がるものを推し、そこに品性を求める」
「矛盾していませんか?」
「その矛盾が矛盾でなくなるのがヒーローだ。わかるかね? 凱旋というのはそれほど価値がある。それを捨ててまで、過去の地球へ戻ると決心したのだ。君も慣れたまえ」
「それが、自分とどう関係があるのでしょうか」
「どう関係があるのかだと? おおありだ!」
「いったいどんな意味が……」
「それを教えては意味がないだろう。地球とはなにか、地球人とはなにかに通じる道だ。ようく考えるのだな。よーーーくだ。よーーーーーーーーく考えろ」
ルーカスがわざと意味深な言葉を残して去っていくと、思惑通りデフォルトは考え込んだ。
なぜ失敗する必要があるのか。失敗は悪くないが、わざわざする必要は?
デフォルトの考えでは堕落とは失敗の先にあるもの。
どうしようもなくなった時に自身を守る手段だ。それをわざとして、なにが起こるのか。皆目見当もつかない。
だが、デフォルトはアースで過ごすうちに、わざと失敗をして注目を集める手段を駆使する人物を何人も見てきた。
名前を覚えるような高尚な人物ではないが、なにかと話題の中心にいることが多い。
ルーカスと卓也と過ごすうちにかなり薄れてきたものの。元々デフォルトは完璧主義者であり、ミスは少なければ少ないほどいいと思うタイプだった。
自分では絶対思いつくこと出来ない意見に、デフォルトは試してみる価値があると判断した。
早速次の就業時間に、取り返しの出来る簡単なミスをあえておかしてみた。
結果は関係者全員に心配され、デフォルトは休暇を貰うこととなった。
皆が抜けた穴を埋めるように働いてくれているので、仕事の効率が変わることはない。
むしろデフォルトが復帰すると、各々が考えて動くということを意識して働くようになったので、効率は上がった。
ルーカスの言葉の裏にこんな意図があったのかと感心するデフォルトの裏では、レストで愚痴る二人の姿があった。
「なぜ心配される?」
睨むルーカスに卓也をさあと肩をすくめた。
「僕が心配されるのはベッドの上だけだもん。それなのにどうだ? デフォルトはベッドまで心配されてる」
「これはおかしい……電磁波を使った洗脳を試みているのかもしれん」
「それはありえる。僕が同じ手を使ったら、また職場を変えられた。このままだと、また薄暗い汚水処理システムの管理場の住人になっちゃう。どうにかしないと」
「どうにかするのは君だ。電磁波と言えば」
「ラバドーラか……」
卓也はデフォルトに次いで、ラバドーラにまで出し抜かれてはたまらないと気合を入れた。
なぜなら、ラバドーラは現在アイの姿を投影しているが、男の姿も投影することが出来るからだ。




