第五話
軋むベッドの上。卓也が得意げに口角を上げた。
「言っただろう。ベッドに連れ込むための嘘じゃないって」
「本当最高……。こんなマッサージならもっと早く受ければよかった」
ベッドの上。うつ伏せでリラックスしている女性は、私服の吐息を漏らした。
「そう言われるために。宇宙ヨガまで極めたんだ。難点は一つ。使い所を間違えると大変なことになる」
「どんなことー?」
「これだよこれ」卓也は肩を落とした。「安心しきって、そういう気分じゃなくなる。完璧に順番を間違えたよ。最近はずっとされる方だったから」
「なんとかって癒やしの惑星にいたんだっけ? あなたの空想話は面白くて好きよ。宇宙倫理学の観点から考えたら、ちょっとどうかと思うけど」
「全部本当だよ。それよりも、宇宙倫理学の観点から考えて、半裸の男女がこれだけ肌を触り合ってるのに、なにもなしってどうかと思わない?」
「そうねぇ……正直に言うと、途中まではそういう雰囲気だった。盛り上がりすぎて、どうなっちゃうんだろうと思ってたわ。打ち上げ花火の直前の気分。でも、ルーカスの話が出たら、急にどうでも良くなったの。彼が起こした様々な悲劇……単純に倫理的にどうかと思うわ」
「そこが弊害なんだよ。ずっと彼らといたから、話題が彼らのしかないんだ。お願い……リハビリに付き合って」
「リハビリって言えば。あなたのあの話が面白かったわ」
「惑星バルでのこと?」
「違う。仮想現実から現実へ戻った時の話よ。ねえ、もう一度話して」
「ああ……あれね。今でこそ笑い話だけど、本当に大変だったんだよ。なんといっても長期高次元空間への滞在の後遺症が――」
結局この日は卓也の思い出話を聞きながら女性が眠ってしまったので、何も起こらなかった。
しかし、その翌日から事態は急変した。
まるでお忍びで来日した旬な有名俳優の存在がバレたかのような人だかりが、卓也の周囲に出来ていたのだ。
当然不審に思ったラバドーラが「なに? あれ」と睨むような視線を人だかりへ目を向けた。
「何って卓也様の出待ちでしょう」
ミラがさも当たり前のように答えるので、ラバドーラの表情は一瞬にして崩れた。
「卓也様? 出待ち? アホな並行世界にでも迷い込んだのかしら」
「それ知ってる。仮想現実によるシミュレートの話でしょう」
「知ってる? なにを?」
ラバドーラが詰め寄るように聞くと、ミラは昨夜のうちに広がった卓也の宇宙漂流の思い出話について触れた。
そのどれもが嘘というわけではなく、口説くための卓也の見栄を除けば、内容の殆どは真実だった。
「ね? 彼って凄いでしょう。ちょっとこんな経験してる人、他にいないわよ」
「目の前にもいるんだけど」
「なに? 妬いてるの? あれでしょう。いつも一緒にいて気付かなかったけど、周りの評価を聞いたら見直したってやつ」
「違うわ……」
「そう。誰でも最初は否定するのよね。でも、思い出を辿ると、一つ一つが理由を持ってるの」
ミラはうっとりとした表情で自分の世界に入るが、そんな世界が外交してきたら困ると、ラバドーラは肩を揺さぶった。
「あのねぇ……あの閉鎖的空間で、今まで一度も意識してないの。今更あるわけないでしょう」
「でも、私に指摘されたから、嫌でも意識するでしょう」
「それはそういうものでしょう」
「恋ならね」
「それじゃあ、ミラ。あなたはこれから一度も『クリプトスポリジウム対策指針』って行っちゃダメよ」
「無理……意識しちゃって、もう言いたくなってる」
「それと同じことよ」
「強引すぎない?」
「それくらい無茶苦茶言ってるってこと。だいたい今までの話を聞いてたら卓也の頭が良いみたいじゃない」
非常事態を幾度もくぐり抜けたが、特に真新しい技術で切り抜けた問訳では無い。不測事態に便乗して抜け道を探してきたのが正しい。
「そういう話で盛り上がってるのよ」
「意識してると言われてもいい。それは絶対にありえないわ」
ラバドーラがこの状況を不審に思っていること。
同じくデフォルトも不審なことを調査していた。
デフォルトが不審に感じているのは、卓也が急にモテ始めたということではなく、汚水処理システムの古さについてだ。
汚水を処理するのは古今東西どの宇宙船にも必要な設備だが、問題となるのはその規模だ。
地球での暮らしのように無尽蔵に水を使えることはまずない。いちいちトイレを水洗にするのは無駄なコストがかかる。
水の量だけではなく、汚水処理システムの電気の量も相当なものになる。発電システムに負荷をかけすぎてしまっては、システムの故障に繋がり宇宙漂流の原因となってしまう。
改造前の『旧レスト』のように、なんでも燃やせるエンジンなら可能だが、倉庫の広さからして無駄な燃料を保存しておけるスペースはない。
やりくりするタイプの宇宙船だということだ。
なので、デフォルトにとっては得意分野。レストで過ごす時のように、船内の無駄を見つけシステムを再構築するということだ。
なので、デフォルトはアースで歓迎されているのだ。
一見矛盾しているように思えるが、アースはレストに似ているがレストとは違う。
もっと言えば、模倣を重ね、ようやくアイデンティティが出てきたような感じがする。
それは『方舟』よりも古い宇宙船だということを示唆していた。
だが、地球生まれでもなければ、銀河系の外れ惑星にいる地球フリークの星人でもないので、確証を得ることが出来なかった。
すぐにでも確認を取りたいのだが、卓也は久しぶりのモテ期到来に有頂天になり、連絡が取れない状況。それを遠くから監視しているラバドーラの反応も遅い。
暇な男は一人しかいなかった。
「私に声をかけたのは正しい判断だ」
「ルーカス様しかいなかったんですよ。地球人の宇宙適応能力問題で、どこまで過去のことを話していいのか……」
「違う。タイムワープなどしたと話してみたまえ。君は今頃精神科医付き添いの元、私に面会をしている」
「過去にもしているのですが……。本当に覚えていないのですか?」
デフォルトとラバドーラの二人は過去の方舟にタイムスリップをしている。ラバドーラは姿を変えることが出来るが、デフォルトは不可能だ。
スポーツチームのマスコットとして生活することで誤魔化していたので、今と同じ生身の姿で出歩いていた。
過去のことを覚えていれば、少しでも反応を示しそうなものだが、ルーカスの答えはいつも同じだった。
「何を言っているのかね……。定期的にその話をするが、タコランパ星人に知り合いがいれば、とっくに珍獣マニアに売り払っている」
「そうですか……」
デフォルトのつぶやいた声色は悲哀ではなく、むしろ決意が込められていた。
その重々しい口ぶりに、ルーカスも思わず「どうしたのかね」と顔色をうかがった。
「やはりタイムワープしています。それが、レストに起こったことなのか、アースに起こっていることなのかは不明です。現在時空の軸がわかればいいのですが」
「適当なことを言って、私の時間を奪っているな。誰の差し金だ。あのドーナッツ諸島頭のハゲかね」
信じようとしないルーカスを見て、デフォルトはありのまま伝えるを諦めた。今大切なのは、タイムワープに巻き込まれた事実だからだ。
「わかりました……言い方を変えます。卓也さんが頭が良いと持て囃されるのはおかしいと思いませんか?」
「ありえん! そんなことは絶対に有り得ない。天と地がひっくり返り、またひっくり返ったとしてもありえん」
「それだと元へ戻っただけです」
「ええい! そんなことはどうでもいい! 来い!」
ルーカスはデフォルトの触手を一本掴むと、引きずるようにして歩き出した。
「待ってください!」
「待つか! 怒りに燃えたこの身体! そうやすやすと止まるものではない!」
「方向が逆です……」
ルーカスの大声で視線を集めたので、デフォルトは羞恥に目を伏せた。
「怒りの勢いは助走が必要なのだ。ほら、早くアホのもとへ案内したまえ」
「あの……無駄だと思いますが。とてもじゃないが近づけませんよ」
デフォルトが指摘した通り、卓也の周りの人たがりは増えていた。
いくら大きな声で呼びかけても、黄色い悲鳴が壁となるか、吸い込まれるように消えてしまった。
「まるでブラックホールですね。自分とここらのエネルギーとが同一化したような気分になりますよ」
「なにがブラックホールだ。あっちはでこぼこなら、でこのほうだぞ」
「そういう問題ですか……。ですが、おかしいのは確かなようですね」
「同然だ。こんなおかしいことがあるか?」
「はい、その通りです」
ルーカスの力強い肯定の言葉に、地球での異変は地球人が頼りになると思った矢先だ。
「なぜ私は評価されない」と真面目な顔で言われた。
「あの……。おかしいのはこの状況では?」
「そうだ。過去にタイムスリップした。つまり卓也は原始人相手に知識を披露してるに過ぎない。ならば、私だってチヤホヤされてもおかしくないはず」
「言われてますよ……。知識が原始人並なので、パイロット試験は今後受けさせないよう説得してくれと頼まれました……」
「わかったぞ! それこそが奴らの手だ。この私に宇宙船を操縦させては、このタイムパラドックスから逃げられてしまうと!!」
「やはりタイムパラドックスでしょうか? だとしたら、なにか証拠を見つけませんと。そうして矛盾を見つけることで、以前は解決できました。今のところ自分とルーカス様は同じ時間軸にいるようです」
デフォルトは現在辻褄が合っている箇所を探していこうと提案した。
状況を見るに卓也に話を聞くのは不可能。ラバドーラの姿も見えないことから、どちらの時間軸にいるか確認は取れない。
なので、まずは今いる宇宙船アースがいつの時代のものなのか調べることにした。
「いいですか? ルーカス様。くれぐれも直接聞いてはいけませんよ。宇宙での記憶混乱は精密検査を受ける可能性があります。そうなれば行動の自由も減るでしょう」
「わかっている。設備の型番でも調べればいいだろう」
「ルーカス様……」
デフォルトは珍しく本当に役に立つルーカスに驚いていた。
普通に考えれば当たり前の回答も、ルーカスにとっては採点者の自己満足のひっかけ問題のようにややこしいことになることが多いからだ。
そして早速手頃な設備に、デフォルトの特権で侵入した。
技術者として際限を与えられているので、誰からも怪しまれることはない。
「どうですか?」
「どうもこうもあるか。見たまえ『A34895734 SAS-T』と書いてある。そして、もう一つの機械には『A4657756 SAS-αT』と書かれている」
「なるほど……。それで」
「それでだと? 私は型番を調べただけだ。記憶が自慢だけのポンコツAIとは違う。型番を見ただけでいつの時代のものかわかるものはおらん。ひと目見てわかるのは、よっぽどのバカだ。ひとつのものに固執する大バカということだからな」
「自分が調べればいいんですね……。地球のコードは単純すぎて逆に見つけにくいんですよ……」
デフォルトは邪魔されなかっただけマシだと気を取り直すと、コンピューターにアクセスした。
デフォルトが型番を照合している間。ルーカスはトイレへと行っていた。
いつものことなので気に求めなかったが、いつもではないがたまに聞こえる悲鳴がトイレから響き渡った。
「どうしたんですか? また排泄物が喋ったとか言わないでくださいよ。本当に研究対象になって、隔離ルームから出てこられなくなりますよ」
「見ろ!」
ルーカスは細かいことはいいからとトイレへ引っ張った。
「流した音が聞こえませんでしたが……」
「まだ出していない! 出したのは答えだ!」
ルーカスはトイレの型番を指差すと、これはかなり昔に作られたものだと指摘した。
「なぜ言い切れるのですか?」
「かつて私の肛門を破壊したメーカーだからだ。ウォシュレットを大量破壊兵器に改造するつもりだと通報して潰してやった。間違いない。私を疑うつもりかね?」
「いいえ。ルーカス様は間違っていないと思いますよ。ルーカス様がひと目見てわかるのなら間違いないです」
ルーカスは恨みの記憶力が高いと以前卓也から聞かされていた。
つまり、これでルーカス達が生まれる以前に作られた宇宙船だということは確定したのだった。




