第二十話
ひと騒動があったその後。三人は手分けをして、地球へと帰るための手がかりを探すことに決めた。
デフォルトは地球へのログが保存されていないかという聞き込みと、レストを改良するための技術や素材を見て回っていた。
滞在しているこの星は、テクノロジーの自慢大会のようなものが催されている。
ここにあるものは、物や技術も含めてほとんどが無料だ。
そもそもが宇宙技術を誇示する為のもので、真似ができるなら真似をしてみろという気持ちで出展している。
節度を守ればルールは殆どないが、暗黙の了解が一つだけある。星として出展しないことだ。宇宙は既に個人の技術や知識を奮う時代であり、こういった場に星という単位で出展するのは、技術のないの星の生まれだと侮られてしまう。
地球近辺の銀河では、まだ星単位での交流が続いている。
地球出身の卓也とルーカスには、この星はどんな未知の惑星よりも未知なものだった。まったく理解できない理論や技術ばかりで、むしろ驚くことさえもできなかった。
三人は再びレストに集まるが、地球の情報がなにも手に入らなかったのは明らかだった。
そんな中「アボダ、ボーダボ。ボードホーラ」と、ニヤケ顔で卓也がふいにつぶやいた。
「君がアホなのはわかっている。それとも今知ったのか? だとしたら、アホにも劣るアホだ」
「違う、アボダだって。アボダ、ボーダ。ボードホーラ。マッコァ星の言葉で、愛してる。私の心はあなたのものです。って意味。この翻訳機能テープは最高だね。彼女『裸の王様』を読んだってさ。これで宇宙中の僕のファンとおしゃべりができる」
「宇宙言語学習も結構ですが……やるべきことはわかっていますか?」
デフォルトの心配顔に、卓也は気持ちのいい笑顔を返した。
「僕がそれだけの男に見えるかい? 安心しなよ、わかってるって。やるべきことはやるつもりさ。学習したら、実践もしないと。ちゃんとこのあと彼女の宇宙船に招待されてる」
「……失礼のないようにしてくださいよ」
デフォルトはもう諦めていた。ないものを聞いたところで出てくるわけがないし、そもそも三人で手分けをしたのは、二人に邪魔をされないためだ。最初からルーカスと卓也の情報には期待していなかった。
だが、自分自身の期待にも答えられていなかった。
手元にあるのは高圧縮の酸素タンクだけ。
登録された銀河内の星なら、空中投影ディスプレイに映し出された銀河モデルに、タッチひとつするだけでワープできる装置。異星人の襲撃からも、超新星爆発で飛んでくる星のかけらからも守ってくれる、宇宙浮遊型防衛ロボット。
あればこの先に役に立つものばかりが、タダも同然で売りに出されてるというのに、どれもレストではエネルギー不足で扱えないものばかりだ。
未開の星なら役に立ったレストのエンジンも、少し発展した星に降り立つと不自由この上ない。
結局宇宙船ごと乗り換えないと、扱えないようなものばかりだからだ。
それでも、この星で高圧縮の酸素タンクを手に入れたことにより、酸素生成装置の分の電力を他に回せるのでありがたかった。
レストのエンジンがせめてもう少し新しいものだったらと表情を曇らせるデフォルトに、卓也は心配ないと笑いかけた。
「大丈夫、きっとうまくいくさ」
「そう願いたいですね。空いた電力分で、なにかできないか考えてみます」
「違う。マッコァ星人とのデートのことだよ。失礼のないようにって心配してただろう」
デフォルトは「そうですね……」と察してくれない卓也のことを諦めると、ルーカスに「どうでしたか?」と聞いた。
「私にか? 私に聞いているのだな?」
ルーカスはこの上なく不機嫌な顔を見せて、威圧するように言い放った。
嫌な予感を察知したデフォルトは「いいえ、聞いていないです」と、先程の自分の言葉を否定するが、怒りに火がついたルーカスにはそんなことはどうでもよかった。
「私は歩く汚染源扱いされているのだぞ。歩くうんこと言われているようなものだ。目が合っただけで逃げてく下等生物に、どう話を聞けというのだ」
「言葉をそのまま受け止めすぎですよ。排泄物に含まれているから悪いイメージがあるだけで、大腸菌というのは案外人には無害なものですよ」
「なら、なぜ逃げる必要がある。」
「人にはですから。中には大腸菌に弱い異星人もいるので……。人間も乳酸菌は摂取しますが、黄色ブドウ球菌なんてものにわざわざ近寄らないでしょう。それか……歩くうんこと見なされているかです……」
「私からすれば、私以外の全員が歩くうんこのようなものだ。宇宙の残りカスどもめ……いつか滅ぼしてやる」
ルーカスは窓から遠くにいる異星人たちを見下ろした。
「一応伝えておきますが、なにかあったらレストなんてあっという間に滅ぼされますよ。ここに停泊してるどの宇宙船よりも、レストのレベルは低いんですから。くれぐれも……おとなしくしていてくださいよ」
「それは言う相手が違うのではないかね?」
ルーカスとデフォルトが話している間に、卓也はマッコァ星人に会いに行ってしまっていた。
それから数日。デフォルトはコツコツとレストの整備、ふてくされたルーカスは外にも出ず、レスト中をでひたすらごろごろと時間を潰し、卓也は甲斐甲斐しくマッコァ星人の元へと通っていた。
「卓也さんは大丈夫でしょうか……」とふいにデフォルトがつぶやいた。
「大丈夫なものか。問題を起こすに決まっている。恋人のいる女に手を出し、男にバレて殺されそうになったら、部屋の窓を割って、素っ裸のまま宇宙空間に逃げ出そうとした男だぞ。そして卓也が会いに行ってるのは、『裸の王様』なんて雑誌を読んでるような低俗な女だ。問題が起こらないわけがない。我々に出来るのは、鼻をほじる片手間にお茶を飲むことくらいだ」
「止めたら暴走して、余計にややこしくなりますもんね……」
「そういうことだ」と興味のなさそうなルーカスとは違い、デフォルトは卓也が通っているマッコァ星人の宇宙船がある方角を、心配そうに眺めた。
卓也は乱れたシーツの上に腰掛けて深く息を吐いていた。
「言っておくけど……僕のせいじゃない……。地球人の体は、つま先が膝にくっつくようには出来てないんだから」
「いばるのはベッドの中だけって言わなかった?」
まるでスキー板を履いたような足も脚も長いマッコァ星人の女性が、その長い足を色っぽく組み換えながら言った。
「いばったんじゃなくて、言い訳したの。これが僕の実力だと思われたら困るからね」
「それなら、心配はいらないわ。彼よりもずっとよかった。私の彼って『ボンダボグド』だから」
マッコァ星人はグラスにお酒を入れてくると、卓也に渡して、隣に腰掛けた。
「へぇ……彼がいるんだ」
卓也は受け取ったお酒をまじまじ見ながら言った。
パステルピンクの液体の中に、遠くから見た星雲のように青いモヤがうごめいていた。
「問題あった?」
マッコァ星人がグラスを傾けると、卓也は自分のグラスで軽く打ち鳴らした。
「いいや、まったく。問題があるとすれば……僕の翻訳機かな。ボンダボグドが翻訳されない」
「翻訳されないのも当然ね。とても下品な言葉だから。でも、褒めるときにも使う言葉よ。卓也、あなたは本当にボンダボグドだわ」
「卓也はボンダボグド。うーん、悪くない。ボンダボグド……覚えたよ。ついでに、愛の深めかたがもの足りない時に、マッコァ星の人はどう表現するのかも教えてほしいな」
「違うわ、今度はあなたの番よ。地球ではどうするの? 物足りない時。男女が二人……ベッドにいて……電気が消えたら……」
マッコァ星人は長い足を伸ばして器用に部屋の電気のスイッチを押した。
暗闇に二人の姿は消え、お互いの手を手探りで探し合おうとする時、部屋の明かりは再びついた。
そして「人の女に手を出しやがって!」という言葉とともに、電柱のように太くて長くて硬い足がベッドに向かって振り下ろされた。
全身ゴムタイヤで出来ているのではないかと思うほどムチムチとした大男が、鬼のような形相で卓也を睨みつけた。
「彼女に手を出したって? とんだ言いがかりだ! ただ電気を消した部屋にいて、裸でベッドに座って、体を寄せ合うだけでそう言われるなんて心外だね! こんなに不愉快な思いをしたのは初めてだ! 僕は帰らせてもらうよ!!」
卓也は服を着ることなく、ドアまで歩いていこうとしたが、太い脚に行く手を遮られてしまった。
「……やっぱりダメ? わかったよ……えっとね……じゃあ、異星間交流。そう! 異星間交流をしてたんだよ。地球とマッコァ星。言葉の壁を取っ払って。地球では言葉の壁を取っ払う時は、服も取っ払うんだ。ほら、裸の謎が解けた。これも異星間交流の成果の現れだね」
「それなら、オレにも教えてくれ。地球ではどういう殺され方が、一番苦しく、むごいんだ?」
「そうだな……このままなにもされずに帰されて、地球で寿命で死ぬって言うのが一番苦しく、むごいね。ほら、人生って苦しくてむごいものだろう? これもダメ? わかったよ……ちょって待って……そうだ! ボンダボグドだ!」
卓也は苦し紛れに先程教えてもらったばかりの言葉を、男に向かって言い放った。
「ボンダボグド? オレがか?」
「キミはボンダボグドだって言ったんだ。宇宙で一番のボンダボグド。キミ以上のボンダボグドはいないよそうだろう?」
「オレがボンダボグドで間違いないって言ってんのか?」と男が笑みを浮かべながら、聞き返すと卓也はうなずき返した。「よっぽど死にたいらしいな!」
男が怒りに任せて足を振り上げると、女がそれを止めた。
「もう、いいかげんにして。私は卓也と寝た。それが真実よ」女は開き直ると、男に詰め寄った。「アンタはいつもそう。仕事に女にふらふらと、こっちに構いもしないで。それで、私が離れそうになると急に惜しくなって戻ってくるんだから。だからアンタはボンダボグドなのよ!」
「大事な取引だ。座標ビジネスは人と合うのが仕事みたいなものだ。それにオマエも言ってくれただろう。頑張って、応援してる、あなたを信じてるって」
「じゃあ、誰が他の星人の体液をつけて帰ってこいって言ったのよ」
マッコァ星人の二人は口論を始めた。まるで卓也など眼中から消えたようにお互いまくし立てている。
卓也はチャンスだと、そのすきに服を着ると、この宇宙船から逃げ出そうと忍び足でドアへと急いだ。
しかし、女の長い足に引き寄せられてしまった。
「とにかく、私はあなたとは別れて。卓也と付き合うわ。結婚してくれるって言ったもの。そんなボンダボグドなことある?」
という衝撃の言葉に、卓也は驚いて眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。
「うそぉ……僕、初耳なんだけど。それってボンダボグドじゃない?」
「ベッドの中で叫んでたじゃない。君を一番愛してる。君しか見えない。君が、君だけがって」
「ちょっとぉ! ベッドの中での言葉を武器にするってありだと思う!?」
卓也が慌てて男に聞くと、男は「……なしだな」となぜか深く同意した。
「とにかく! 大きくて、威張り散らしてバカみたいなあなたには、もううんざり! ボンダボグドよ! 卓也、あなたは小さくてキュートで素敵よ。それにセクシー。ボンダボグドだわ」
しなだれかかる女に、卓也は決心の深呼吸をした。
「そこまで言われたらわかったよ……僕も覚悟を決めた」卓也は彼女の両肩に手を置くと、顔を覗き込んだ「僕は逃げる」
卓也は男の荷物の一つであろう小さな機械を拾うと、それを小窓に向けて投げつけた。
この小窓の大きさならば、マッコァ星人の二人は足が引っかかって出てこれない。その間に逃げればいい。
しかし、機械は窓付近で重力制御装置が働き、ぶつかる前に床へと落ちてしまった。
逃げ遅れた卓也の前には、当然男が立ちはだかった。
「もう一回、頭からやり直さない? 君が部屋に入ってくる前からとか」
「もういい……」と、男はうんざりとしたため息をついた。「もう、帰れ。あとはオレと彼女の問題だ」
「本当に?」と卓也は驚いた。「後ろから刺すってのはなしだぞ」
「別に許したわけじゃない。このままなにもされずに帰されて、地球で寿命で死ぬって言うのが一番苦して、むごいんだろう? だから帰してやるって言ってんだ。ほら、地球の座標だ」
男はログの入ったデータカードを卓也に投げ渡した。
「良くしてもらっておいてなんだけどさ……もしかして、バカなの? 信じたの?」
「それを返してもらっても構わないんだが? 地球人にマジになってる自分がアホらしくなったんだ。これじゃまるっきりボンダボグドだ」
「すまない……誤解してたよ。キミこそ本当のボンダボグドだ」
「いいや……オマエこそボンダボグドだ。ほら、いけよ」
男はさっさと卓也を部屋から追い出すと「ボンダボグドの相手は疲れる……」と肩を落とした。




