表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
惑星迷子  作者: ふん
Season8
193/223

第十八話

「眠れませんか?」

 体が人間になってから十数日が経ったある深夜。

 闇に染まり切る前の群青の空を眺めるラバドーラに、デフォルトは優しく声をかけた。

 表情が憂いの影に染められていたように見えたが、振り向けば至って普通の表情だった。

「眠らないんだ。まだ今日一日の情報を処理しきれていないからな」

 自身の行動管理を制御する方法は様々だが、その中でもラバドーラが選んだのは瞑想という古典的な方法だ。

「そこに共有のコンピューターがありますよ」

 自分達の健康データは運動量も含めて全て保存されている。

 アクセスの制御もされておらず、どこからでも自由に利用して役立てることができる。自らが健康になるのに遠慮はいらない惑星だ。瞑想も大事だが、システムの簡略化も重要になる。

 それはアンドロイドのラバドーラなら十分に理解しているはずだった。

「この体になってわかったことがある。知的生命体はアホだ。情報をコピーするのではなく、曲解してインプットしてくる。だからこうして自らの中で整理し直しているんだ」

「知的生命体共通の悩みですね。己の経験と知識を優先した結果。事実であればあるほど受け入れ難くなるというケースもありますから」

 ラバドーラは「そうだろう」と得意げに笑みを浮かべた。

 その顔は褒められた子供の笑顔そのものだった。

「ですが、考えれば考えるほど泥沼に陥るのも知的生命体の定めです。コンピューターのように簡単にはいかないんですよ。フォルダは自分でも気付かないうちに無駄に細分化されるものです。なのでとっさに引き出せずにパニックに陥るのです」

 デフォルトは自分の体験談を交えて説明した。詳しいことは書かなくとも、ルーカスと卓也の名前が出れば、デフォルトの気苦労は誰にでもわかる。

「なんて難儀な構造をしている……。一度技術者に根本からアップデートしてもらえ」

「それが出来ないから寿命もあるのですが……。それよりとても良い方法があるんですよ」

 老婆の顔のデフォルトは孫を諭すような優しい口調で言ったので、ラバドーラも強く反応することはしなかった。

「言うだけ無駄だ。それができれば苦労しない」

「自分以外の誰かに優しくするんです。自らの経験を相手に分け与えるのですよ」

「技術を無償で渡せというのか? ずいぶんと優しい強盗もいるものだな」

「優しさは誰しも持っているものですよ」

「今の優しいはマヌケという皮肉だ。いいか? 知識や技術というのは――」情報の保護と独占の有用性を説いていたラバドーラだったが、デフォルトがクスクスと笑っているのを見ると「なにがおかしいと」と語気を強めた。

「いえ……アンドロイドだった時はデータの共有が基本だったのに、ずいぶんと”個人”を気にするようになったなと。知的生命体らしいですよ」

「不便なだけだ」

 ラバドーラは不貞腐れるように言うと、最後に一度だけ夜空を見上げてから眠りについた。



 翌朝。ラバドーラは飛び起きるなり全員を叩き起こした。

「大変だ! 脳がハッキングされた!」

「ラバドーラ……」と卓也はぐしゃぐしゃの細い髪を抑えながら起き上がると「またそれ? 何回説明したらわかるの? 夢だって」

「そうか……そうだった……」

 ラバドーラはほっと胸をなでおろすと、脱脂綿を詰めたようにからからに乾いた口内を水で潤した。

「今日はどんな夢で目覚めたわけ? 昨日は右乳首をひねったら、そこへ別世界への扉を開くドアノブで、うさぎとカメがお茶会してしたんだろう? 続きでも見れた? お茶をこぼしたら要注意だ。夢は現実となる。その年でおねしょなんて洒落にならないだろう」

「卓也さん! ラバドーラさんはまだ生まれたばかりなんですよ。たとえおねしょをしても恥ずかしいことはなにもありません」

「生まれたばかりでも、見た目が成人の男だよ。胸を張っておねしょされてご覧よ。ギャグ漫画の世界だ」

「卓也さんだって、あと十数年後。再びお漏らしをするようになるんですよ。地球人の体は死の恐怖を和らげるために、緩やかに弱っていくように出来てるのですから」

「そうなの?」

「認知機能の衰えが一般的になるのはそういうものですよ。寿命の中で脳のペース配分が重要ですから」

 卓也とデフォルトが地球人談義を始めると、ラバドーラは長くなると身支度を始めた。

 ここ最近デフォルトの地球人憧れが強くなっており、一度卓也と話し始めるといつもの1.5倍は雑談が続く。

 卓也も前よりも話すのが好きになったせいか、長い時は2倍以上にもなった。

 結局身支度を終えても二人の話が終わることはなく、一人プログラムをこなすために部屋を出ていった。

 その道すがら「ラバドーラ君……」と心底落胆した声色でルーカスが話しかけてきた。

「なんだ役に立たないアドバイザー」

「私は何度も言っているだろう。大便の後はウォシュレットではなく紙を使えと。私の悲惨な事件を覚えていないのか? 思い出したまえ」

「せっかく忘れてたのに思い出させるな……。あーもう記憶の上書きが……」

 目に入る情報。耳に入る情報。肌に伝わる情報。香り、温度、なんでも過敏に感じ取る地球人の体は、次々と情報を上書きしていく。そうして押しやられたもので作られたのが記憶であり、これがラバドーラには厄介だった。

「重要な話をしているのだ。そもそも地球人の体はウォシュレットに対応しておらんのだ。それなのにバカが思考停止して良いものだと広め、考える力のないバカどのが賛同した。その結果どうだ? わざわざ宇宙船にまでウォシュレットを使っているんだ。重力制御の無駄遣いだ」

「考える力がないのは同感だ。地球人が作るものは無駄が多すぎる。最新のものでも、どこか時代遅れの機能がついている。デフォルトの言葉が参考になったが、正しいものを信じるのではなく、正しいと思うものを信じる傾向にあるらしい」

「たかだか数日間地球人を気取ってるだけのくせに偉そうだぞ。わかったようなことを言うな」

「何十倍も地球人を見てきてるんだ。残念ながら、デフォルトの言葉は正しいらしい」

 ラバドーラは厚顔無恥なくせに知識人ぶるルーカスをまっすぐ見たが、その瞳の意味に気付かれることはなかった。

「私は更にその何百倍もの地球人を見てきている。いいかね? 他人の意見は取るに足らん戯言だ。なぜなら大抵はひとこと言いたいだけのアホだからだ。アホは厄介だぞ。アホが集まるとムーブメントが起こる。それも考えなしのムーブメントだ。誰も終わらせ方を知らない」

 ラバドーラはバカなことを話半分で聞いていたが、元々の考え方はルーカスと似たりよったりなので、全てを否定することも出来なかった。

 それどころか、人間の考え方に寄り添ってみようという気にさえなっていた。

 アンドロイド時の思考はイエスとノーがはっきりしていたが、人間になってからというもの曖昧な回答や答えを出さない思考というものが多くなってきた。

 それでも容量を圧迫しないのは助かるのだが、後回しの問題が山積みになっているだけだと気付いた。それを整理するには、やはり人間的な思考が必要不可欠だからだ。

「こんなアホに教わることがあるとはな……」

「ラバドーラ君……聞いていなかったのかね? 私はアホは厄介だと説いているのだ」

「それには同意だ。一つの反論もない」

「ならば理解したまえ。アホに教わることはなに一つないと」

「それにも同意したいが、どうしたって反論が出てくる。悲しいことにな……」

 ラバドーラはやりきれないと肩をすくめた。

「なんとも煮え切らん男だ。アンドロイドの時の決断の速さはどうしたのかね」

「こんな柔な肉体でなければしている。言葉通りの意味だぞ。なんだこの柔らかさは。クッションの役割をしているのなら、中の資材を変えるべきだ」

 ラバドーラが自分の二の腕を揉むと、腕時計の中にいるルーカス「なにをしている! 酔うだろう」と暴れた。

「魂がデータ化してるやつが酔うか。いっちょ前に人間を気取るな」

「そうは言っても酔うものは酔うんだ仕方ないだろう……」

 データが振動や視覚で酔うことはありえないが、それっきりルーカスが大人しくなったので、これは幸いだとラバドーラはプログラムを始めた。

 今日のプログラムは体力テストが主だ。柔軟から有酸素。主に持久力を測る簡単なものだ。

 代謝がよくなり汗が出る。汗が出るば水分補給。水分補給をすれば、今度は尿がしたくなる。

 運動後の軽食を取る前に、ラバドーラはトイレへと向かった。

 同じ場所で同じようなメニューをこなしているので、だいたいトイレには誰かがいた。

 いつものように気にせず小便器の前に立ったラバドーラは、覚束ない手つきでズボンの窓を開けると、早速用を足した。

 なんとも言えぬ開放感に、しばしの思考の自由を感じていると、小走りで走った来た四つ腕の星人が隣に並んだ。

 尿意が限界に来ているのか「あーもう! イライラする」とズボンの構造に戸惑っていた。

 最初は気にならなかったが、隣でやかましくモソモソされ、的を外したとなると別だ。

「慣れてないのか?」

「なんだ? 人の小便の仕方に文句があるのか?」

「文句はないが意見はある。見ろ。この装置の前に立つと、的が出るだろう。そこを狙うんだ。習わなかったのか? 私は最初に習ったぞ」

 ラバドーラは数日前に教わったことを得意げに言うので、ルーカスは『アホなことを……』とラバドーラにだけ聞こえる音量で言った。

「男ってのは逆らうものだ」と星人はぶっきらぼうに答えた。

「こんな便利なホースが付いてるのに使わないのか? オマケの付属品ならともかく、必要パーツだ。長さが足りないなら取り替えるといい」

 ラバドーラの言葉は本心だった。的を外すほど短いのなら、持ちやすいグリップのものに変えればいいというアンドロイド的思考。

 だが、星人はラバドーラの言葉を挑発と受け取った。

 男ならばこのシチュエーションで勘違いするのも無理はない。

 だが、放尿中は無防備なもので、なんのアクションを返すことも出来ない。

 星人が返した唯一のアクションは睨みつけるというものだった。

 しかし、ラバドーラはそれを助けを求める視線だと判断した。

 そして、今朝のデフォルトの言葉を思い出していた。

『自分以外の誰かに優しくするんです。自らの経験を相手に分け与えるのですよ』

「仕方ない……」とため息をついたラバドーラにいち早く反応したのはルーカスだった。『まさか……』とラバドーラに必死で通信を求めた。

「いいか? 銃を撃つのと一緒だ。角度を決めろ。持つ場所は柔らかさで決めろ。根本過ぎると、持つとしおれるぞ」

 急な意見に目を丸くする星人の影にラバドーラの影が重なった。

『おい、バカ! やめたまえ! せめて反対の手だ! 音声の解除はどこだ! この滝の音をサラウンドで聞かせるつもかね!』

「ほら、見ろ。ここを持てば一発だ」

 ラバドーラが満足そうに言うのと、星人とルーカスの悲鳴。

 そして、警報の音がなるのはほぼ同時だった。

 ルーカスは『右腕は人に触る方の腕だ』とアドバイスをしたことを公開した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ