第十四話
きめ細やかな肌。輝く瞳。
色艶よく血色を帯びた潤んだ唇から「宇宙一の美女って僕だったんだ。これで点と点が繋がった。線になったよ。だから完璧な女性に出会えなかったんだ。僕は僕に恋をすればよかった。線が繋がって円になったよ。だから惑星は丸いんだ」と、大真面目に大馬鹿な大言壮語が発せられていた。
その声はとても美しく、聞いたものを聴覚から癒やすような優しいものだった。
しかし、声の持ち主は卓也であり、どんな言葉を並べようとそこにある意味は下心だけだった。
「卓也さん……」
デフォルトは考えていることがわかると、軽蔑の視線を向けた。
「その目を向けてくるってことは、デフォルトだって思いついたってことだからね。合法的に裸が見放題ってことになるわけ」
「ここは癒やしの惑星バルです。確かに服を脱ぐプログラムは多いですが、性的欲求を満たすためのものではありませんよ」
「癒やしもいやらしも変わらないのが男」
「今は女性です」
頑なに否定的なデフォルトに対して、卓也はアプローチの方法を変えた。
「これはチャンスじゃなくてテストだ」そうしてデフォルトの顔に触れ、少しだけ力を入れると、若い男性だった顔が老女の顔に変わった。「デフォルトだって他人事じゃないだろう」
「それはそうですが……」
デフォルトは一つの体に四つの顔を持っている。元のラバドーラのように投影で顔を切り替えているわけではなく、回転ドアのようにくるくる中心の顔が変わるのだった。
頭は後頭部でくっついており、何かのタイミングや、今のように強制的に回された時など、デフォルトも良きせぬタイミングで視界が変わるので、どうにかしたいのは確かだった。
「僕は女の子の顔を推すけどね。横に並んで歩くと、爺さんの顔になるのがね……」
「それなんですが……どうして自分だけ頭が四つもあるのでしょうか」
「別の惑星で生まれた体と、別の惑星で芽生えた魂を入れるのは不安定だからだ」
ルーカスはバチコムがそう言っていたと、デフォルトが身につける時計の中から発言した。
「脳の処理速度による違いでしょうか。脳の大きさによる神経細胞の増加は、処理に時間がかかりますからね。姿形が同じでも脳を格納する――って聞いてますか?」
卓也は鏡に映る自分に見とれており、デフォルトの不安などどうでもよかった。
「聞いてないよ。僕が聞きたいのは、デフォルトが女湯に行くか行かないかだからね」
「卓也さん……」
「デフォルト……僕だって不安なんだぞ。いつだかデフォルトも言ってだろう? 知るためには観察。時には触ることもある」
「卓也さん……。一応区分分けはされていますが、宇宙で男と女というのはそこまで関係はありません。羞恥心というのも、実は持っている知的生命体のほうが珍しいんですよ。例えばですね――」
「つまりわからないってことだろう。なら見ないと。そもそもこの体で、男湯に入るほうが不自然だろう」
卓也はしなやかに腰をくねらせて、凹凸のある女性の体のラインを強調させた。
「それは……」
終始煮えきらない態度のデフォルトだったが、卓也に頬を叩かれたことによって急変した。
「デフォルト! 君は”女”だろう! 二人仲良くトイレでメイク直ししたって問題はない。なんなら上司の悪口を挟みつつ世直ししたっていい」
「そうですね……。思うように体が動かないので不便なのは確かです……。正確な関節の数だけでも知りたいですし。ラバドーラはさんはダメですよ」
「なんの興味もない。アンドロイドだぞ」
ラバドーラの声色に嘘はなかった。
「元ですよ。実際に身体がどうなっているのかはまだわかりませんが、肉体にラバドーラさんの意識が宿っているのは確かです」
「アホか……」
ラバドーラはデフォルトの甘い考えなど、全く自分には関係ないと一人先に歩き出し、近くにいたロボに温浴施設への案内を頼んだ。
それを見てデフォルトは「それでは行きましょうか」と卓也の手を引いた。
若い女性の顔に切り替えられたデフォルトは、今は自分も卓也も女性なので問題はないと考えを柔和にしたのだった。
温浴施設がある場所へ移動中。
卓也はデフォルトの四つある顔をまじまじと眺めていた。
正面にある顔だけが機能しており、他の三つは寝ているように静かだった。
「確かに……これは関節が気になる。可動式プラモデルのジョイントみたいになってないと、頭が何回転もする理由が説明つかない。普通はねじり切れるはずだもん」
「頭を取り外せるのなら、それはそれで便利なのですけどね」
「地球の考えではそれは便利じゃなくてホラーって呼ばれてるの。近い言葉を探しても、ホラーの恐怖からくる便意だ」
「卓也さん……」
「わかってる。バカなおしゃべりよりも、眼前に広がる楽園。君も楽しんで。僕ら秘密の花園と違って、キノコの王国だけど」
卓也は入口前で棒立ちしているラバドーラの背中を叩くと、鼻歌交じりに別の入口へと向かっていった。
「デフォルト君。腕を上げたまえ、世にも奇妙な光景が広がっている。嘘だろう……なんてでかい尻だ……。あれがコアで、尻を中心に惑星が構築されても私は信じるぞ」
ルーカスはデフォルトの腕に揺られながら、腕時計のディスプレイから外の景色を眺めていた。
人の形をしている星人のほうが少ないので、他惑星の知的生命体に差別的思想を持っているルーカスは、性的興奮よりも嫌悪感を覚えていた。
「ルーカスだって男だろう。その言い方は酷いんじゃない?」
卓也は上ずった声を誤魔化すように小声になったが、周囲から変に思われることはなかった。女声になった自分の声にまだ慣れないのだった。
「酷いのはあの胸だ。見たまえ……きっとあれで首を絞めるつもりだ」
「昔祖母にやられたお仕置きがトラウマになってるんだろう」
「トラウマだと? ある意味洗脳だ。私は二度と逆らえなくなった。というか……待ちたまえ。ここで脱ぐつもりかね?」
「ルーカス。ここは脱衣所で、湯船はあの湯煙の向こう。ここは羞恥心に考慮した女性にとって楽園。つまり生物学上的に男はいないってこと」
「なにが悲しくて、同僚の裸を見ないといけないかと問うているのだ。しかもそんな面白みのない身体をだ」
卓也が魂を移された身体はとても女性らしいものだが、特徴的に出たり引っ込んだりしたわけではない。いわゆる標準体系というものだ。
「これは洗練されたボディなの。見てよ、腕を上げた時にうねる胸の脂肪。適度な余韻で終わって下品じゃない。これが古代の芸術家が後世に残そうとした裸体という芸術なの」
「現代に残る芸術も、古書屋で見かけたエロ本扱いとはな。とにかく今すぐシャツに押し込みたまえ」
「だから見てよ。お尻からつま先まで完璧」
「見るか」
「見て」
「見ない」
「見ろって」
「デフォルト君。今すぐ電源をオフにするんだ。吐き気がしてきた」
ルーカスが画面につばを吐きつけるので、デフォルトは言う通りオフにしてロッカーにしまった。
「卓也さん。静かにお願いします。ここは癒やされる場所で、怒号を発生する場所ではないですよ」
「でも、失礼だと思わない? 人の裸を見たなら多少なりとも称賛の言葉はあるべきだ。デフォルトもそうだろう?」
「自分の体はこんなのですから」
デフォルトは人間の体はマネキンだった。
ラバドーラのようにマネキンのようではなく、ある程度の人間のフォルムを残してあるだけで、簡略化された作りだった。
産毛が再現されることもなければ、血管が浮き上がっていることもない。シミ一つない身体だといえば聞こえはいいが、不完全な身体だとも言える。
「確かに……人間だけど、どこか違う。ないけど男にも見えるもん。でも、逆にも見える」
卓也は出っ張りも引っ込みもないデフォルトの股間に目を向けた。
「もしかして用意されたボディではなく、なにか記憶から作り出されたボディなのでしょうか?」
デフォルトは人間の身体のサンプルが少ないことから、不完全な身体が作り出された推理していた。そうなれば顔が四つあるのも、自分がどういう立場でいたいのかという葛藤の現れのような気がしたからだ。
「だとしたら、僕は分身してるはずだけど。自分の体は鏡じゃないと、よく見えないのが盲点だったよ」
卓也はポーズを取っては、鏡に映る自分に見惚れていた。
姿見くらいの大きさの鏡は、自分の裸以外も映し出す。
様々な惑星から来ているので、女性の裸も目移りするほどのバリエーションがある。いつもの卓也ならば、もっと興奮するはずだった。
自己愛が強いせいで他に目がいかないと考えることも出来るが、卓也にはもっと大きな問題があった。
自分が女性になったせいで、女性の裸に性的興奮を覚えなくなってしまったのだ。
無防備に横を通り過ぎても、アンダーヘアや脇の毛の処理の仕方を気にしたり、体の部分の形を気にしたり、今までとは全く違う思考が浮かんでくるので、パニックに陥ってしまった。
湯気による熱気のせいではない息苦しさが襲うと、卓也の足元はまるで砂山なのように不安定にふらついた。
「デフォルト……僕死んじゃうかも」
「大丈夫ですか? 卓也さん? 卓也さん!? 卓也さーん!!」
デフォルトが救急を待っている間、もう一人も災難に見舞われていた。
「なあ、これは一体何だ。なんで揺れてる。なにが目的なんだ?」
ラバドーラは股間のものを揺らしながら、他の男性客に質問していた。
「なんでってそりゃあな」と困る星人の横では、もう一人の星人がニヤニヤと「男の心と一緒だ。あっちへふらふらこっちへふらふら。人によっては、でかく変えるとこもそっくりだな」と適当なジョークを言っていた。
「これがでかくなるのか?」
ラバドーラは自分の股間に触れながら驚いた。
「ここでされたら困るだろ」
「バカにされてるんだよ。気付け」
男二人は付き合ってられないと、適当にあしらって去っていった。
ラバドーラは人によって大きさが変わるという興味深い情報を聞いたせいで、人通りが多い場所に行き、股間を突き出すような形で仁王立ちしていた。
温浴施設の中なので、裸でいるのはなんの問題もない。
他の客は奇異の目を向けて通り過ぎていくだけだ。
十数分もそうしていて、ラバドーラは急に身体が熱くなるのを感じた。
卓也のことを思い出して、デカくなるという意味に気付いたのだ。
頬は紅潮し、体中のあちこちで小爆発が起きているようなピリピリ感が肌を襲う。
人間の羞恥という感情に、初めて打ちひしがれているのだ。
人間の脳の処理の遅さは、アンドロイドだったラバドーラには耐え難いものだった。
何度も何度も余計なことが思い浮かび、最適解を出すのは困難を極める。
苦労して導き出した答えも、それが本当に合っているかわからない。起こってもいないことに強い不安を覚えるというのは初めてのことだ。
「なるほど……まったくわからない」
ここまで強く人間の感情を感じたのは初めてなので、ラバドーラは頭痛と動悸に襲われていた。
リズムを刻むようにズキズキとこめかみが脈をうち、肺を圧迫させ呼吸をさせないかのように心臓の動悸は早まる。
湯の熱気によりのぼせ状態にあったラバドーラは徐々に体の力が抜けていき、意識が黒い枠組みの中へ消えていくのはあっという間だった。




