第十三話
「卓也さん! ラバドーラさん!」
二人の姿を見つけたデフォルトは、百年も離れていたかのような表情で駆け寄った。
「これはまずいな……」
そうつぶやいたのはラバドーラだ。
「どういうことですか?」
「今まで顔を合わせることのなかった三人が、急に照らし合わせたかのように集合しているんだ」
「実はそのことで相談が……」
デフォルトはここ数日の異変について、気付いたことと考えていたことを伝えた。
なぜ四人が出くわさなかったかだ。
ただの憶測に過ぎないが、行動を管理されていることは間違いないと。
「監視ではなく管理か……厄介だな」
ラバドーラが真剣に考えている横では、卓也が眉間にシワを寄せていた。
「厄介なのはこっちのセリフ。さっきまで女の子の姿を投影してたじゃん。なんでマネキン姿に戻ってるってわけ?」
「なりたかったら自分がなったらどうだ?」
「できるならね。僕が女の子になってごらんよ。奪い合いの戦争が起きるぞ」
「なら、私が人間になって一番に殺しにいってやる」
ラバドーラはイラつきを表現するのに、大型動物の威嚇の表情を顔に投影した。
「人間になれるくらいなら、自分もなっていますよ。さあさあ、お二人共。とりあえず落ち着いて」
デフォルトは三人が揃ったことにより、心細さもなくなりいつもの調子を取り戻した。
だが、それもルーカスの声が聞こえるまでだ。
「これほどまでに恥をかかされたのは初めてだ……。諸君、小銭を落とした子どものようにうつむき反省したまえ」
ルーカスはうつむきため息をついた。それに怒りや憤りなど様々な感情を感じる三人。
いつもと同じはずのやり取りは、ルーカスが頭を上げた時から今までしたことのないやり取りに変わった。
眼の前にいる見慣れたはずの姿はどこにもなく、それぞれが別のものへと姿を変えていたのだ。
卓也は女性の姿へ、デフォルトは人間の姿へ、そしてラバドーラも人間の男性へと姿を変えていた。
驚く卓也とデフォルトとは違い、ラバドーラは投影技術と光の屈折を利用したトリックだと考えたのだが、考える時にしていた腕を組むポーズ。手の甲にふにふにと感じる二の腕の肉は錯覚ではなかった。
手を握るたびに固くなったり柔らかくなったりするものが筋肉だと理解するには、人間の脳みそになったラバドーラでは時間がかかってしまった。
いつもは一番冷静なラバドーラがフリーズしてしまっては、残された二人は慌てふためくしかなかった。
卓也とデフォルトは互いに見つめ合い、池で餌をねだる鯉のように口をパクパクさせていた。
「た……たたた、た卓也さん!! 女性の姿になっていますよ!」
「知ってる。デフォルトの瞳に反射した僕を見てるからね。わお……すっごい美人……。見た? 今の。驚いた表情まで美人だ……」
「よかった……中身は卓也さんのままですね……」
あまりに突然姿が変わったので、デフォルトは転送装置の類かと思ったがこれで違うことがわかった。
では、一体何が起こったのか。思案を巡らせる前に、キャッキャッと子どものように笑うバチコムが「やった! 成功だ! ライブバグシステムの完成だ!」と喜んだので、デフォルトは思わず「ライフバグシステム?」とオウム返しに聞き返してしまった。
「生命はエネルギーを残したまま死ぬんだ。死ぬってどういうことかわかる? 魂と肉体のエネルギーは違う。生きている間は互いに変換し合って生きている。魂も肉体も個人という器に寄生されているものに過ぎない。魂というのは何十倍――いや、何百倍と言っていいほど体より寿命が長い。だから植物状態という状況に陥る。宇宙の科学者達はこれを別次元への扉だと解釈した。それにより、VRの世界は広がった。しかし、私は魂をデータ化し別の肉体へ移すことを成功させたのだ。非現実ではなく、現実世界に起こる魂の変換。それこそが『ライフバグシステム』だ」
「そんな……今すぐ元へ戻してください!」
デフォルトは強い瞳でバチコムの声がするスピーカーを睨みつけた。
「地球では神という存在が今も尚信じられているようだが、神への冒涜へと言うつもりかね?」
バチコムは挑発するような口調で言ったのだが、デフォルトは冷静に首を振った。
「女性への冒涜です! あっ……と」
デフォルトはいつものように触手で卓也のことを指そうと思ったのだが、関節のある人間の腕では自由が効かず、まるで器械体操のような機敏な動きになってしまった。
その隣では宮大工さながらの厳しい目つきで、自分の胸を確かめる卓也の姿があった。
デフォルトの考えの中に、姿形を変えて生きることは不道徳というものはないので、ライフバグシステム自体になんの文句もなかった。
問題は自分達が実験台にされことだ。
「なにをしている……」
バチコムも思わず呆れて、熱心に胸を揉む卓也に話しかけた。
「君ってさぁ……童貞? 女性の胸はこんなに柔らかくない」
「その言葉そのまま返す。今君たちは、自分達が理想だと思っている姿になっているのだからな。つまり、その肉の硬度は君が望んだ硬度ということになる」
「うそ!?」卓也はシャツを引っ張って胸元を開けさせると、乳頭の色を確認した。「本当だ……。この色を言うと宇宙で戦争が起こるから言わないけど、僕好みのナイスなカラーリングだ。ちょっと待った……つまり。これがデフォルトの望んだ姿ってこと?」
卓也はデフォルトの姿を改めて見ると、訝しく眉を寄せた。
「どこかおかしいですか?」
「僕はてっきり地球人になりたがっていたのかと思ってたよ。地球に向かうにあたってさ」
「確かに……特別になにかに成り代わりたいとは思っていませんでしたが……色々なきっかけで地球人は悪くはないと思っていたことは確かです。でも、見てください、この手。卓也さんと同じですよ。ほら、この脚も」
デフォルトは人間の腕と脚をそれぞれ交互に出した。
まだ人間の動きに慣れていないデフォルトの動作は、まるで下手くそなダンスを踊っているかのようだった。
「もしかして脳みそもそれぞれ違うの?」
「どういうことですか?」
「これ何本?」
卓也が右手の指を一本立てて振ると、デフォルトは当然「一本」と答えた。
しかし、今度は左手の指を一本立てて振ると、「二本」と答えたのだった。
卓也がマジックや引掛けをしたわけではない。ただ右手と左手を変えただけど、これも実は意味のないものだ。
変わったのは卓也ではなくデフォルト。
最初に右手の指を見ていたのは若い男の顔。
次に左手の指を見ていたのは老いた女の顔だ。
ラバドーラの投影技術のように、瞬時に投影されて姿を擬態しているわけではない。デフォルトの体は一つだが首から上は四つの顔が付いてるのだ。ボックスの四面にそれぞれ顔を貼り付けたかのように、若い男の顔、若い女の顔、老いた男の顔、老いた女の顔と、合計四つの顔があった。
それが喋る度に回転して変わるのだ。
今は老眼のせいで指が二重に見えてしまっているのだ。
「やっぱり別の星の肉体に魂を入れるのは難しかったか……。でも、とにかくその姿で過ごしてみてよ。ここにいればアフターケアは万全。別の体を楽しんで」
それだけ言うとバチコムの声は消えてしまった。
「ちょっと待った。誰?」
卓也は言いたいことだけ言って消えていった声の主が誰かわからないままだった。
「脳の寿命を解明した。Dr.バチコムだ」
自慢気に語るルーカスの声は腕時計のような機械のモニターからしていた。
「つまりルーカスは脳の寿命が切れたってこと?」
卓也は腕時計を拾うとデフォルトに投げ渡した。
「やめたまえ! 酔うだろうが」
「一体どういうことですか?」
老人らしい深いしわの影を更に濃くしたデフォルトは、時計のモニターにいるルーカスに聞いた。
「投げたら回転するだろう。この中でもぐるぐる回っているのだ」
「バチコムという名前の人物についてです。なぜルーカス様が一緒に?」
「それはだな……。あっ! アイツめ! 私の体はそのままではないか!!」
ルーカスは怒りのままバチコムのことについて語り始めた。
といっても、ルーカスも出会ったばかりなので、暗号を解いたこととライフバグシステムについての簡単な説明くらいだった。
「なるほど……悪く言えば実験。良く言えば治験といった感じですね。今のところ脳の処理が追いつかないということはないですね……自分と卓也さんに限ってはですけど」
デフォルトは自分の体をまさぐるラバドーラを不憫な目で見ていた。
どう良い表現をしようと、ノミがたかったか犬のような姿が一番マシで、成人を超えた男の姿で人目をはばからず体中を擦り上げているのは、変質者という言葉が一番ピッタリきた。
「なにをしているんですか?」
「なにだと? さっきから微生物にチクチクと攻撃をされているんだ。全く煩わしい……」
ラバドーラはシャツを引きちぎるように乱暴に脱ぎ捨てた。
男の姿なのでここまでは問題ない。ここからラバドーラがズボンに手をかけたことにより、ひと騒動に発展してしまった。
結局全員が落ち着くことはなく、どこか落ち着かずふわふわしたままでの話し合いが続くこととなってしまった。
「バチコムの目的はなんですか?」
デフォルトの声が若い女のものに変わると、卓也の顔は満面の笑みになった。しかし、卓也は今女性の姿なので、男のときのように鼻の下を伸ばすのとは別の雰囲気になっていた。
「宇宙女性化計画だよ。この世に男はいらない。賛成だ。一人で一億人分の賛成票を入れちゃう」
「自分も消えたぞ」
「そうだ。言い直す。賛成票を入れちゃうわ」
卓也がわざとしなをつくって言うと、ラバドーラは「アイデンティティーを失ったんじゃないか」と嫌味を言った。
「女同士でも気持ちよくなる方法はごまんとある。だから僕はご満足ってわけ」
「傲慢な男め……」
苦虫を噛み潰し多様な顔をするラバドーラに卓也は「女」と一言で精神的に畳み掛けた。
「ですが由々しき事態なのには変わりないですよ」
デフォルトは真っ白な口ひげを指でなぞりながら言った。
「それはそうだろう。顔が四つあるんだもん。顔が利くってレベルじゃないよ。利きすぎて、逆に需要はホラーに限られちゃってるけど。でも、保証する。どのホラー映画に出ても性は取れるよ。もしくはマジシャンの助手」
「まあ……焦ってもしょうがないですよね」
デフォルトは白いヒゲを撫でながら、ここにいれば医療関係で困ることはないと判断した。自分でも驚くほど落ち着いた気分だった。
どうやら思考はある程度顔によって偏るらしく、女性の顔の時は女性により、また年を取った時はそれなりに達観した考えになった。
あくまでベースはデフォルトの思考なのだが、そこにちょっとしたスパイスを加えられたような感じだ。
「デフォルトがそう言うなら問題なし。問題はラバドーラが人間になったってことと、僕がせっかく宇宙一セクシーな女性になったっていうのに、記録に残せないってこと」
「おばかめ……」とルーカスがデフォルトの時計の中で呆れた。「卓也君……君は自分の体に興奮するつもりでいるのかね」
「当然。夢が叶った。この体はパラダイスへのフリーパスだぞ。秘密の花園への扉はいつでもどこでも開くってわけ」
「花園には肥料の臭いがつきものだ。肥溜めへの扉のフリーパスかね」
「また拗ねちゃって……自分だけ体がないものだからって。僕が大きな脂肪を余計につけたから怒ってるんだろう」
卓也は胸を揺らすと自慢気に笑みを浮かべた。
「自分で気付いていないのかね? 揺らすほど大層な胸でもないし、それに憧れる旨もない」
「胸の大きさは関係ないの。これだから男って」
卓也はわざとらしく大きなため息をついた。
そのままいつもの言い合いになるかと思ったが、ラバドーラの「おっ! 体の一部が機械化してきたぞ。元に戻りそうだ」という純真な声が聞こえると、慌てた二人はどちらからともなく協力をし、ズボンを脱ごうとするラバドーラを止めた。




