第十話
更に数日が経ち、デフォルトは無重力の空間に自分の触手で道を作るような浮遊感を感じながら歩いていた。
体すべての関節にオイルを差されたように、肌をすべて新品に取り替えられたように、体の不快感は消え去っていた。
体の不快感が消えると、心にも余裕が生まれてくる。
次は何をして癒やされよう。十分に癒された後は、逆に負荷をかけるのも悪くない。デフォルトはすっかりこの惑星が気に入っていた。
惑星バルは健康管理を目的としたトレーニング施設も充実しており、老後を過ごすなら間違いなくここがいいと言える場所だ。
自分に合ったプログラムが次々と紹介され、その中から行動を選択出来るので、充実した一日を送ることが出来る。
色々なプログラムに参加したほうが、選択肢も増えるのでデフォルトは臆することなく色々なプログラムを試しては、自分にあった過ごし方を模索していた。
今日も、巨大に振り子のようなものに揺られるというプログラムを試し終えたところだった。
「なんか……頭に血が上ったって感じだ」
一緒にプログラム受けていた細身の星人が額を手で抑えてフラついた。
「落下中の重力による影響でしょうね。連絡しておいたので、すぐに巡回中の介護ロボットがやってきますよ。ほら」
デフォルトが指した触手。それに向かって、磁石で引っ張られるかのように、ボール型のロボットが転がってきた。
すぐにデータ照会を済ませると、ボールは変形してカプセル状のベッドの姿になった。
中が特殊な酸素クッションに満たされると、細身の星人は転がるようにして医務室へと運ばれていった。
「逆に具合が悪くなりそうだ……」
もう一人の顔の平べったい星人が、乱暴に運ばれていく友人を見送った。
「明日にはよくなっていますよ」
「そうなんだよな……謎の治療も効果があるから驚きだ。昨日なんか、ただ草を食べ続けるだけのプログラムだった。体の内側。エネルギーから変えましょうってなもんだ」
「それはまた……主義主張が対立しそうなプログラムですね」
「まあ、価値観が違えばプログラムを選ばなければいいだけだからな。おっと次のプログラムの時間だ。またな」
男が去っていくと、デフォルトにも次のプログラム参加のお知らせの通知が届いた。
これまで多種多様にプログラムを数こなしてきたデフォルトだが、段々と自分の体と思想にあったプログラムがわかってきたので、前より深く考えることなく行動に移すことが増えてきた。
全てのプログラムを終えたデフォルトは、心身の充実と心地良い疲労感に襲われながら、明日は何をしようかと考えながら眠りについた。
そして翌日。身支度と朝食を済ませたデフォルトは、早速早朝プログラムに参加しようと向かっていた。
軽い足取り、クリアな思考。ここ数年で間違いなくベストコンディションだ。
運動前の栄養素が入ったドリンクを飲みながら、なぜこんなに居心地が良いのか考えていると、あることを思い出した。
惑星バルで療養生活を始めたから既に十数日が経っている。
その間、一つの騒動も起きていないのだ。
癒やしの惑星ということもあり、皆が療養生活を目的に訪れているので争う必要はないということもあるが、気になったのはそんな場所でも騒動を起こす二人のことだ。
幸いルーカスは自由に動ける体ではなくなったので、監視の目を強く光らせる必要はないが、問題は女好きの卓也だ。
ここはストレスだけではなく美容にも良いので、女性の星人のほうが多いくらいだ。
普通に考えれば、卓也が問題を起こす可能性が高くなるはずなのだが、デフォルトの耳には何一つ苦情の類の情報は入ってきていなかった。
思えば、歩くだけでもストレスになるような視覚、聴覚情報は少ない。そんな中少しでもストレスになるような騒動があれば、嫌でもデフォルトの耳に入る。
今回は卓也も騒動を起こしていないだと、デフォルトはどこか誇らしげな気持ちでいたのだが、ふと惑星バルで一度も卓也と顔を合わせていないことに気付いた。
ラバドーラにさえ会っていない。
どういう場合でも、デフォルトとラバドーラは新たな惑星で生活する場合は、どんな細かい情報でも情報交換をし合うようにしている。
思考がクリアになりすぎて重要なことに気付けていなかった。
強い光を当てられた時のように、明るすぎて本来見えるべきものが見えなくなってしまっていたのだ。
デフォルトはプログラムを全てキャンセルすると、自室へと戻った。
そして、そこには誰の姿もなかった。
部屋は共同なので嫌でも顔を合わせるはずが、話すことさえない。
「おかしいですね……」
デフォルトが気になっているのは、突然のキャンセルの行動に対しても結果がかわらないことだ。
なぜ不審に思ったのかというと、自身の行動のマニュアル化だ。
プログラムをこなすことばかり考え、日常生活からレストにいた三人との会話という選択肢が消えてしまっていたのだ。
食事の世話、掃除、遊び相手など、普段レストにいる時はルーカスや卓也にかかりっきりになる。
それがここではすっかりなくなったのだ。
一見して良いことのように思えるが、デフォルトはこれをマニュアル化による行動制限と考えた。
プログラム参加による行動の監視。究極のリラックス状態という思考の停止。
まるでなにかに操られているかのように感じていた。
そしてそれを決定付けるような事実がこの部屋に残されていた。
正しく言うなら”消えていた”だ。
データ化されたルーカスが入っているタブレット端末が消えていたのだ。
卓也とラバドーラは同じようにプログラムを受けているので、この時間は別の場所にいても不思議ではないが、移動不可能なルーカスが一人で動くはずはない。
何者かがルーカスを連れ去った可能性がある。
卓也かラバドーラが持っていった可能性もあるが、そのことを確認するためにもデフォルトは二人を探すことにした。
「ここは針の毛布に包まれ血流を良くするプログラムが行われています。針といっても、ナノサイズの密集したものです。剣山に手を当てるようなものなので、全く痛みはないんですよ」
「いえ……聞きたいのはプログラム内容ではなく、ここに地球人とアンドロイドが来なかったなんですが」
「地球人もアンドロイドもお見かけしておりません。しかし、針に微弱な電流を流すこともできます。全身に電気が流れているアンドロイドの気分を味わえるかもしれませんよ」
「いえ、結構です……」
数カ所施設を回ったところで、結果は同じだった。
データの照会を頼んでも、個人情報なので教えられないの一点張りであり、結局プログラムを回るのに登録をしなければならなかった。
デフォルトは午後のプログラムから、卓也がいそうなものを選んで参加の登録した。
簡単に言えば薄着になる可能性や、濡れる可能性があるプログラムだ。
その中でも美容にいいプログラムなら女性の参加者は多い。
そこに卓也がいる可能性が高いのだ。
いつもならば、デフォルトに見つけられた卓也が片手を上げて仲良くなった女性を紹介する流れなのだが、今回は全く卓也の影が感じられなかった。
「おかしいですね……」
デフォルトが触手を強く丸めた瞬間。その触手を優しくほどく女性がいた。
「そうおかしいのよ……ここは柔らかくなる場所。硬くなる必要はないのよ」
ゲル状の星人は微笑むと腕を引っ込めた。
「わかっているのですが……やることがないと考えすぎてしまう性格なのです……」
デフォルトは触手に入れていた力を緩めた。
現在デフォルトは圧搾される果物のように、プレス機によって押しつぶされていた。
軟体の星人がよく活用するブログラムであり、マッサージと似たような効果がある。
見た目は拷問のように見えるが、そのリラックス効果は絶大であり、会話をしながらもデフォルトはウトウトしてしまった。
結局そのまま寝てしまい。気付いたら自室へと運ばれていた。
まずは部屋から出ずに、早朝から昨日の問題点を洗い出し、考えを改めることにした。
難しいのは、心も体もリラックスした状態で物事を考えるということだ。なんでも受け流しすぎて、文章が思考に留まっていてくれないのだ。
究極のリラックス状態では全てがどうでも良くなってしまう。
しかし、二人を探すにはプログラムに参加するしかない。
そして、ラバドーラはアンドロイドなので、デフォルトが同じプログラムを受けられるのは数える程度しかない。
結局卓也を探すしかないのだが、プログラムを受けるとなると、昨日と同じ結果になるのが目に見えていた。
デフォルトが頭を悩ませている頃。
卓也は、昨日デフォルトが参加していたプレス式のプログラムを受けていた。
「本当……すごい……肺がせんべいになったみたい……」
プレス機に背中押されながら、卓也は苦しそうに言った。
隣ではゼリーのように透明な体をした星人が「心臓が潰れちゃうわよ」と心配の視線を向けていた。
「実はそれが狙いなんだ。広い心を持とうと思って。君を包み込めるくらいの大きな心をね」
「地球人って心臓を広げるの? クッキーの生地みたいに」
「そうだよ。生地を寝かせて、それからオーブンで熱く燃え上がるんだ。甘いスイーツの完成ってわけ」
「ダイエット中なの。見てわかんない? 体を押しつぶして、老廃物を全部押し流してるの。軟体の特権よね」
女性は気持ちよさそうな声を漏らすと、それっきり声を寝息に変えた。
「またこれだ……」
卓也はため息を落とした。
ここに来る女性は恋よりも休息。
卓也がいくら声をかけようとも、いくら行動に移そうとも、自分の体と時間を大事にするために惑星バルへとやってきたので、異性の好意に揺れることはなかった。
むしろ、そういう感情に辟易して癒やされに来る女性も多いので、卓也にとっては何の意味のない時間が過ぎていた。
一昨日は青いライトに照らされる中。ひたすら架空の宇宙を眺めるというプログラムに参加した。
精神統一が目的のプログラムだが、卓也は青く照らされる肌を目的に参加していた。
昨日は惑星の固有種である毒虫に肌を刺してもらい、その毒素を使って体のデトックスをするというプログラムに参加していた。
理由は一つ。抗体の反応による体は熱を発する。その汗で蒸れる女性の姿を見るためだ。
そして、今日。地球人には全く効果のないプレス式のプログラムを受けた理由は、押しつぶされる女性の胸を見たかっただけだ。
不順な動機はことごとく当てが外れてしまった。
「文字通り胸がつぶれる思いだよ。というかちょっと……強すぎ……!! スタッフの人ぉ!!!」
あばら骨が軋む音を聞いた卓也は、死んでしまうと騒ぎ立てた。
すると素早くロボットが対応に当たった。
「最初に説明した通り。骨がある星人には向かないプログラムです。これ以上は危険なので、動作は停止します」
「助かったよ……鼻の下が伸びるどころか、潰されて身長が伸びそうだったよ。本当にクッキー生地になるところだった。ところで背を伸ばすプログラムとかないの?」
「ここでの主な行為はケアです。医療ではないので不可能です。地球人でしたら、湯に浸かるプログラムもありますがいかがでしょう」
「とっくに体験済み。お風呂の遊園地って感じ。あれは癒やされないよ。あのカプセルの中。溺れそうなのに溺れないんだ。恐怖でしかないよ」
地球とは勝手が違うリラクゼーション施設は、卓也一人で参加するにはどれもつまらないものばかりだった。
「でしたら、一度なにもしないことをしてみてはいかがでしょぅか?」
「なにもしないって……なにもしないってこと?」
「はい。恒星の光を浴びて、ただぼーっと過ごすのも重要なことです」
卓也の調子はよくなったものの、ある一定の状態から回復しないのを見て介護ロボットは一人の時間を過ごすことを勧めた。
「一人ね……」
卓也は仕方がないと諦めようとしたが、あることを思い出すと踵を返した。
「僕ってやっぱり頭が切れる」
卓也が思い出したこととは、ラバドーラの存在だった。
ラバドーラに女性の姿を投影してもらい一緒にプログラムを受けようということだ。
そうと決まれば今日にでもと、卓也は足を踊らせながらラバドーラを探すことにした。




