第七話
「一応卓也さんの持ち物から、有益な情報は得ましたが……」
デフォルトはベッドで横になっている卓也を心配そうに見ながら切り出した。
以前にも卓也が無気力状態に陥ることはあったが、あれは女性とずっと会っていないから起こった禁断症状だ。
今回は前回とは違い、喋ることもなくただ天井を見つめているだけだった。
「有益な情報というのは、そのコピーされたマニュアルのことか?」
ラバドーラは卓也の端末をレストのコンピューターに繋ぐと、その情報をスクリーンへ映した。
書かれているのは、記憶を保存するサーバーの使い方だ。
「魂の情報を保存できる可能性もありますから。ルーカス様を元の体に戻すのに役立つかもしれません」
デフォルトが心配ないと目配せをした途端に、ルーカスは大きなくしゃみをした。
「どうやら……風邪を引いたようだ……」
「その体でどうやって風邪を引くつもりだ……」
ラバドーラはあり得ないと否定したのだが、あまりにしつこくルーカスがくしゃみをするので、原因を特定することにした。
すると、驚くことにルーカスはコンピューターウイルスに侵されていたのだ。
ウイルスの元は間違いなくコピーされたマニュアルからだが、型落ちのウイルスなのですぐに駆除が出来る。
だが、ルーカスがくしゃみをしていることにより、事態はややこしくなってしまった。
「コンピューターウイルスで風邪の症状だと? いったい……どういうことだ」
「恐らくですが……ルーカス様の体は滅んではいないのでは? 人間の体がどこかに保存されているから、コンピューターウイルスを錯覚して、風邪のウイルスと思い込んだ可能性が」
「そんなバカな……」ラバドーラはタブレット端末の画面でくしゃみをするルーカスを見ると「バカだったな……」と事態のややこしさに頭を抱えた。
「今のところ問題はないと思いすが……駆除してみますか?」
「そうしてくれ……くしゃみがうるさくてかなわん」
その一時間後。
「――駆除してみろっていうのは私がするのか?」
準備ができたと呼ばれ部屋に入ったラバドーラは、自分とルーカスを繋げるためのケーブルを見て項垂れた。
どう考えても、自分のデータを一部コピーしてルーカスのウイルスを駆除しろということだからだ。
「その方が安全だと思いまして。ウイルスの駆除はこちらからでもできますが、それにより何らかの影響が出る可能性もあります。中から駆除した方が安全だと思います」
「いいか……よく見ろ。感染先のファイルは既に隔離されている。チェックも住んでいる。もし仮に不具合があったとしてもだ。中にあるのはデータよりもややこしい魂だ。いじってどうにかなるとは思えないが? それに……」
ラバドーラは言葉を止めてルーカスを睨みつけた。
「それに――なんですか?」
「動き回られるより、このほうが静かでいい」
つい十分までくしゃみをしていたルーカスは、卓也と同じように大人しくなってしまった。
タブレット端末の画面に映っているのは、ご丁寧にベッドで寝込む姿だった。
「ラバドーラさんが用意したんですか?」
「まさか……そんなわけあるか。0と1の二つを使えば不可能はない。自分の世界はな」ラバドーラはタブレット端末を小突いた。「地球の自己防衛本能――都合の良い妄想というやつだ」
デフォルトはタブレット端末で、文字通りスリープ状態のルーカスを見て、このままでも問題ないと判断した。
「でしたら、マニュアルの解析をしましょうか。どこかに作者の情報が残っているかも知れません」
「文字コードから調べれば、多少は絞り込めるはずだ。ここが銀河系に近付いているのならば尚更だ」
知的生命体が活発な銀河では、銀河言語の癖が生まれてくる。マニュアルはデータのコピー品だ。裏の情報もコピーされているので、解析できれば少なくともマニュアルを書いた場所は特定が出来る。
ウイルスがそのままコピーされたので、情報が残っているのは確かだった。
二人はそれぞれマニュアルのコピーを更に複製すると、各々ウイルスが入ったままのマニュアルの解析を始めた。
最初は普段うるさい二人が静かなので、静寂の中で集中して解析を続けていたのだが、ふとラバドーラが勝負をしようと提案したことにより、流れは変わった。
面倒を見るという行為をしなくなってよくなったデフォルトは、これは良いストレス発散になると誘いに乗ったのだ。
この分野はラバドーラが得意なので優勢かと思われたが、デフォルトの執念深さにも似た解決欲は今までにないほど集中力を上げていた。
あっという間に解析は終了。
だが、困ったことに異常は見当たらなかった。
「表では出回らない技術を使っているのですかね?」
表ならば開発者情報の記載は信頼の証になるが、裏の技術ならばわざわざ身元が割れる情報は残さない。
「だとしたら、尚更どこかに情報があるはずだ」
宇宙での情報処理能力やデータは、ある種の芸術として捉えることもあるため、こっそりと名前やエンブレムを残していたりする。
結局目立った情報はなかったのだが、二人は一度休憩を挟んでから再び解析をすることにした。
いつもならば二度手間だというラバドーラが何も言わなかったのは、久々に没頭できるものを見つけたからだ。
ルーカスや卓也がいては、自分が思ったようには集中できない。
まるで人間がサウナでデトックスするような感覚で、退屈な解析を楽しんでいたのだ。
「やはりデータを完全にデリートすると違うな」
ラバドーラが消したデータは、先程の解析時に溜まったデータだ。一から見直すにはゼロの状態から見た方がいい。
ラバドーラにはそれが出来る。
だからといって、それが出来ないデフォルトが無能な訳では無い。
一度知ってからわかる違和感もあるので、ちょうどよく役割分担が出来ていた。
「完全デリートとデリートとは、そんなに違うのですか?」
「全く違う」ラバドーラは言い切った。「記憶――記録というものは繋がっているからこそ意味がある。一部を切り取られることを、地球では認知症や記憶障害とでも呼ぶらしいが、それは一部だから問題がある。全てデリートすると、そこに新しい情報が入る。記憶が残っていると、限られたスペースに限られた形のものしか入らない。それで正気でいられると思っているなら、既に狂っているな」
ラバドーラがルーカスや卓也に本気でムカついて殺意を抱いたとしても、その記憶を消してしまっては、日常に支障が出るほど関わってしまっている。
解析元がコピーのコピーなので、今回は完全デリートとしても問題はない。
ラバドーラにとっては一生遊べるようなおもちゃというわけだ。
二度、三度と、心配性のデフォルトに付き合うのに問題はない。
「おかしいですね……」とデフォルトがつぶやくと、ラバドーラは「そういうものだ」と答えた。
意味はそのまま。異常がないときはどこを探してもないということだ。
だが、デフォルトはあるはずのない異常を指摘した。
「ウイルスの初期位置が違うのです」
「ウイルスは隔離されているはずだろう」
「そうなのですが……。コピーをしたタイミングに影響されてなのか、起動時すぐに検知に引っかかるんですよ」
駆除できるので問題はないが、一度コピー元を変えようとデフォルトは提案した。
しかし、ラバドーラはうなずかなかった。
「どうにもおかしい」
「自分もそう思うのですが、すぐに駆除されるので問題がないと」
「駆除しないでいたらどうなる?」
「怒られます。卓也さんに」
現在デフォルトは卓也のタブレット端末を拝借して、マニュアルデータの解析を行っていた。
ラバドーラならばレストのコンピューターを使っても、しっかりウイルスを遮断できるが、生身のデフォルトには不可能なので、タブレット端末を使うしかなかった。
黙って使っているので、もしもウイルスでデータが削除されたとなれば大騒ぎするのは目に見えていた。
だが、デフォルトの静止も聞かず、ラバドーラはウイルス対策をゼロにして再びマニュアルデータをコピーした。
当然のことながら、ウイルスはファイルを媒介にして増殖。
容量を増やして、データ処理を重くさせるのが目的のウイルスらしく、あっという間に熱暴走を起こして強制スリープモードへ入った。
「これで怒られますね……」
デフォルトはやってしまったものはしょうがないと、どうにかウイルスを駆除しようとデータの仮想空間を作り、ウイルス隔離のシミュレーションを始めた。
その間。ラバドーラはふつふつと湧いてくる違和感をどうにか処理しようと考えを巡らせていた。
まず気になったのは、ウイルス増殖の速度だ。
まるでクモが一斉に孵ったかのようにあっという間に広がりを見せた。
「何が起こっている」と処理出来ない情報にラバドーラが排気音で唸ってると、「なにをしているんだ……」とルーカスの呆れ声が聞こえてきた。
ラバドーラが視線をやると、すっかり元気になったルーカスがタブレット端末のカメラから、こっちを見ているところだった。
「ウイルスはどうした?」
「なんのことかね」
「くしゃみをしていただろう」
「くしゃみ? ああ、たしかにくしゃみをしていた。だが、寝れば治る。風邪というのはそういうものだ」
さも当然のように言ってのけるルーカスに呆れたのは一瞬だった。
「直ったのか? 治ったのか?」
「何を言ってるのかね……。とにかく、なにか妙にすっきりした気分だ。今なら因数を使わずに分解できそうだ」
「わけのわからないことを……」
ラバドーラはルーカスの戯言を歯牙にもかけなかったが、解析を続けてる途中で自身の言葉が強く頭を揺さぶった。
直ったのならばなにも問題はない。
治ったのならば、大問題だ。
ラバドーラはルーカスの体になっているおもちゃの車体を持ち上げると、すぐさまコンピューターと繋いでデータの確認をした。
すると、ルーカスのタブレット端末に入っていたウイルスは消えていた。
それだけならウイルスが駆除されただけなのだが、代わりに新たなファイルが作られていたのだ。
すぐさま解析した結果。
それはアンチウイルスのファイルだった。
人間が風邪を引き、よく睡眠をとって治ったかのように、ルーカスにはコンピューターウイルスの抗体が出来ていたのだ。
その効果は凄まじいものであり、ウイルスに侵されたタブレット端末にコードを繋ぎ、その抗体と繋がることにより、次々とウイルスが駆除されていったのだ。
「天然のセキュリティソフトみたいだな……」
ただ増殖するだけの単純なウイルスだが、何も手を加えずにアンチウイルスファイルまで作り出すのは、ラバドーラの理解の範疇を超えていた。
「つまり私は生まれながらの天才ということだ。わかるかね? 生きているだけで価値がある。君のように熱暴走でイカれた脳みそを持っているわけではないのだ」
ルーカスはバグによって自我を持ったAIのラバドーラを差別的に批判したのだが、ラバドーラはその言葉にハッとなった。
ウイルスの増殖の仕方は異常であり、それこそ自分が自我に芽生えた時の状況にそっくりだったのだ。
「誰かが……なにか裏で糸を引いているのか?」
熱暴走の影響により、AIに自我が生まれるバグとなる。
シンプルだが効果的。
当然殆どの宇宙船にはガードされてしまうほどの単純なウイルスだが、捨てられたり破壊された宇宙船や、機械惑星の崩壊などの宇宙ゴミは別だ。
無防備な状態なので、いくらでも侵入できる。
増殖してデータを圧迫するウイルスだが、元のデータは軽い。
誰かが救難に来て電気を通した時。宇宙の電磁波の暴走。宇宙生物によるエネルギー放電など、理由は様々だがウイルス発動のチャンスは転がっている。
「確率は低いが……。そもそも宇宙で高確率なんてものはないか……」
ラバドーラはルーカスが生み出したアンチウイルスファイルを改造して、もう一度マニュアルを読み取ることにした。




