第十八話
人が二酸化炭素を吐き出すように、車が排気ガスを出すように、宇宙船も二酸化炭素や水素などを船外へ廃棄しながら動いている。
そして、その中の一つに電磁波がある。宇宙空間に残る電磁波は、いずれは拡散して消えていくものだが、それを使い通信やデータの送受信をすることができる。
その電磁波のことを『回遊電磁波』と呼ぶ。
回遊電磁波は宇宙空間に浮遊するとても目の大きな網のようなもので、宇宙船が宇宙空間を飛行するだけで、常に新しく作られていくものだ。そして、同時に常に消えていくものでもある。
うまく繋がれば地球へと最短で最短でデータ通信が出来るが、途中で回遊電磁波の網にほころびがあると、別の電磁波の通り道を探さなければいけなくなるので、とても時間がかかってしまう。最悪、消えていく回遊電磁波に巻き込まれ通信不可能になってしまう。
最悪とはいうが、そもそもその可能性の方が高い。
本来の使い道としては、近くに宇宙船を作ることのできる一定以上の知能を持つ生命体がいるかどうかを判断するためか、規格の違う異なる送受信方法の宇宙船と交信するためのものだ。
宇宙船がある星同士ならんば途中の過程はどうであれ、回遊電磁波で繋がっている。宇宙船飛行が日常的に使われていない星ならば、回遊電磁波はとぎれとぎれになるのでわかる。
しかし、この回遊電磁波を残した船とのコンタクトに、レストはは失敗していた。
「デフォルト!! どうするんだよ!」
卓也は苛立たしく怒鳴りつけると、手に持っていたタブレット端末を激しく振ったり、天井や壁に近づけたり、携帯電話で電波を拾うかのように試行錯誤をした。
こんなことをしても意味がないとわかっているのだが、なにかしていないとどうにも気持ちが落ち着かなかった。
「レストのデータサーバーの容量不足です。データの受信量が膨大過ぎてパンク寸前だったので、遮断しました。電磁波はレーダーで追えるので問題はありません」
レストは地球でも博物館に展示されるほどの古い型の宇宙船のため、色々と問題が出るのはしょうがない。これまでやってこれたのは、デフォルトが配線を繋ぎ直して電気の供給を効率化したり、必要のない機能を持った機械を分解し、その部品を修理に回していたからだ。
しかし、サーバーのデータ容量だけは手の施しようがなかった。
そんな事情を知っていようがいまいが、今の卓也には関係のないことだった。
「これが問題ないって本当に言えるのかい? せっかくデータを受信したと思ったらこれだよ」
卓也はタブレット端末をデフォルトの目の前に突きつけた。
画面には、この世に存在するすべての青色を混ぜたような深い青い肌。髪なのか触手なのかわからないエビの尻尾のような頭の女性が胸元まで写っていた。
「デフォルトが途中で遮断したせいで、肝心な場所を受信する前にダウンロードが終了しちゃったんだよ! ようやく裸の王様の新刊が届いたのに!!」
「そう言われてもですね……。サーバーが熱暴走を起こしてシステムがダウンしてしまったら、それこそデータのダウンロードどころじゃないですよ」
「この日を楽しみにしてたんだぞ。見てよ、この見出し。宇宙一セクシーな女性に選ばれたのはアネンダ・デルルルカルド=ポニッシュ。僕が票を入れる予定だった女性だ。一位に選ばれたらヌードになるって企画だったんだぞ。それがどうだ! 肝心な場所がなにも写ってやしない……お願い! 三秒でいいから回遊電磁波を受信して!!」
卓也は床に額をこすりつけて何度も懇願したが、デフォルトが了承することはなかった。
むしろ逆効果になり、勝手にアクセスして回遊電磁波を拾わないようにパスワードを掛けられてしまった。
「なにもそこまですることないだろう……。せっかく購読情報をレストに変えたっていうのに、届かないんじゃ意味がない」
「我慢をしてくださいって言っているんです。優先事項は、まず他の知的生命体とコンタクトを取ることです。少しはルーカス様を見習ってください」
「……あれを見習えって本気で言ってるの?」
卓也は鎮座するように静かに椅子に座っているルーカスを指差した。額には脂汗が流れており、ただ一点を見つめ、長い深呼吸を繰り返している。まるで空気にでも溶け込もうとしているようだ。ここ最近のルーカスはいつもそんな感じだった。
「……少しはです。あれからもう二週間ですか……。意思が強いというか……頑固というか……。体調が芳しくないようですが、大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だったら、今頃嫌味の一つでも言いに来てるよ」卓也はルーカスに向き直ると、少し声を張り上げた。「ルーカス、いいかげんトイレに行ってきなよ。顔が吹き出物だらけで、もう笑えないぞ」
ルーカスは腹痛に歪ませた、とてつもなくブサイクな顔を上げて、苦しく息を混ぜながらつぶやいた。
「トイレットペーパーがなければ……私は……うんこをしない」
「いいや、やっぱりまだ笑える」と、卓也は笑みをこぼしたあと、「で、どうするの?」とルーカスに聞いた。
「なにがだ」
「その分だと、エイリアンの代わりに、今にお腹を突き破ってうんこが出てくるよ。もし、そのつもりならトイレに籠っててよね」
「私の苦しむ様を見て……よくもそんなに呑気なことを言えたもんだな……」
「仕方ないだろう。探してもトイレットペーパーがなかったんだから。なんなら写真でも撮っておく?」
「なんのために」
「Dドライブに送るためだよ。うんこを我慢する顔が一番似合う男に投稿する? 少しは気晴らしになるかもよ」
「するか!」と、ルーカスが怒りに前のめりになった瞬間。猛烈な便意が襲ってきた。まるで腸の中を新幹線が走り回ってるかのような便意に、思わず「はおっ……」と情けない声を漏らした。
眉をしかめ、短く切って何度も息を吐き、ゆっくり息を吸い込むという独特な呼吸を繰り返し、腰の弱った老人のようにゆっくり椅子に座り直すと、過ぎ去った便意の波を見送るように、遠い目をした。
「笑えるけどさ……絶対うんこをしてきたほうがいいって。このままだと、うんこと一緒に尊厳も一緒に漏らすことになるぞ。拾ってお尻の穴に戻すわけもいかないんだからさ。トイレに行って、ウォシュレットは危険なものだって思想も一緒に流してきなよ」
「どうやら、わかっていないようだな。宇宙空間で何度も浄水をおこなった水には、地球型宇宙増殖ウイルスが混ざり込む。それは肛門から感染し、やがて全身に回り、最後には見るも無残な姿になってしまう……」
「知ってるよ。宇宙空間で死滅するウイルスが、生き残ろうと人間の体の中で暴れて起こる症状だろう。最初に肛門が腫れて、最後に唇が腫れる。ただそれだけだろう」
「肛門が二倍に腫れ、唇に至っては十倍に腫れ上がるんだぞ!」
「それはそうだけどさ……子供の頃に予防接種を受ける決まりじゃん。もしかして受けてないの?」
「もちろん受けている……五歳の頃から毎年欠かさずな」
「一生に一回でいいはずなんだけど……」
「何度打っても、抗体が作られないんだから仕方ないだろう。そのせいで、適性検査時に不正行為を働かなければならなかったのだ。その後も、十倍に腫れた唇に視界を遮られて転ぶわ、ガダダラダスタ星人に求愛行動だと思われて付きまとわれるわ散々だった……。だから、私は二度とウォシュレットを使わん! わかったな!」
ルーカスは声を張り上げるのと同時に、襲ってきた便意に顔を歪めた。
「よく食わず、出さずでやれてるよ。尊敬はしないけどね。宇宙船とコンタクトが取れたとしても、今時トイレットペーパーなんか積んでる宇宙船なんてあるかい?」
卓也は自分達よりも技術が発展しているデフォルトに聞いてみたが、デフォルトからの回答はわかりきったものだった。
「全宇宙に漂う宇宙船というのならば可能性はゼロではないと思いますが……。今回に限ってはゼロだと言い切れますね」
デフォルトは立体モニターを起動すると、そこに回遊電磁波モニターの映像を繋いだ。
拡大して映し出されたのは一つの星。そこにまるで毛糸玉のように、回遊電磁波が三六〇度あらゆる方向から密集して複雑に繋がっていた。
「もしかして故障したの? 僕らが探してたのは星じゃなくて、宇宙船でしょ?」
卓也は地球儀を回すように、3D映像の星を回して様々な角度から見た。宇宙船のバーゲンセールでもしていなければ、こんなに回遊電磁波が集まることはないだろう。という卓也の考えは概ね当たっていた。
追いかけていた宇宙船はこの星に向かっていたのだ。そして、この星に向かっていたのは一機だけはなかった。ありとあらゆる知的生命体がこぞって、この星に向かっていた。
「この星で技術交流が行われているのだと思います。自分達が回遊電磁波をキャッチした宇宙船も、その星に向かっているのは間違いないです。様々の宇宙船からの回遊電磁波を拾っているので、電波干渉によりこちらのコンタクトに気付けなかったのだと。どうりでレストのサーバーがパンクしそうになるはずです」
「ってことは、その星に行けば裸の王様の続きをダウンロードできるってこと?」
「それどころか、地球に帰る手段が見つかるかもしれません。それに、新しい宇宙技術に触れられる良い機会ですよ。予想もつかない新たな技術、そしてその活用方法。ひと目見て価値観はひっくり返ること間違いないです」
デフォルトの口調に、次第に熱がこもってくる。まるで子供が、週末に行く予定のアミューズメントパークへの思いを嬉々として語っているようだった。
「新しい技術ねぇ……僕はそんなに興味ないけど」
卓也はひとかけらの関心も示そうとせず、それどころかデフォルトの熱の入りようを煩わしく思っていた。
「大まかに言ってしまえば、まばたきをする間に、銀河群を抜けることも可能な技術が出てくるかもしれないんですよ」
「それってトップスターが絶頂期にヌード写真集を出す以上の衝撃? 聞いてると、どうもそれ以下にしか思えないんだけど」
「発見する興奮と共有する興奮は、性的興奮より遥かに上です」
言い切るデフォルトを怪訝な瞳で見つめたあと、卓也はルーカスに声を掛けた。
「裸の女の子と超高性能のネジをいじっていいんだったら、当然女の子を選ぶよね?」
「……トイレットペーパーを作れるほうだ。それも迅速に……もっと言えば今すぐにだ……」
「それは実に興味深いね。二つとも用意して試してみよう。頼むよ、デフォルト。超高性能のネジと、裸の女の子を用意して」
卓也の物言いに、デフォルトはため息を落とした。
「つまりまったく興味がないということですね……」
「ないわけじゃないよ。でも、僕は狭い世界で不自由なく暮らしたい派だからね。新技術が浸透して使われなくなったせいで、再生できなくなったディスクとか、繋げなくなった媒体とか、困ることだらけ。僕に言わせれば、技術の進化っていうのは不自由と隣り合わせだね」
まったく興味のなかった卓也だが、何日か経ち、レストから星が目視できる距離まで近付くと、思わず「すげえ……」と言葉を漏らした。
その星は恒星にのように光を放っていた。しかし、実際に光を発しているのは星ではなく、周りに止められた何万という宇宙船からの光だ。そのすべてが着陸ではなく空中停泊をしている。まるで星が宇宙船という鎧を体中に着込んでいるようだ。
宇宙船同士すべてが、配管や鉄やカーボンなどで複雑怪奇に繋がって一つになっていた。
その巨大な工場のように見える星は、薄いオーロラのようなモヤの中にあった。
スペースデブリ、または宇宙ゴミと呼ばれるものの一つで、モヤの正体は排熱や廃棄などで宇宙に投げ出されて、急激に冷え固まってできた雪のような物質が漂っているせいだ。
様々な燃料を使った船があり、その色も様々なのでオーロラのように見えていた。
「こんだけのスポーツカーの中に混ざって、僕らの三輪車みたいな宇宙船が停まっていいわけ?」
「ダメならば、受け入れ体制は取らないはずです」
デフォルトはモニターに映る、レストに向かって伸びてるくるパイプに目をやって言った。
このパイプはドッキングするためのもので、これを通って星へと下りる。周りの宇宙船が空中停泊しているのもこのためだ。
「重力や、有害物質。それに酸素の有無など、念のためにもう一度調べてからドッキングするので、お二人はもう少しゆっくりしてから来てください」
デフォルトはいそいそとした足取りでドッキング室へとむかった。
卓也は「了解」とデフォルトの後頭部に声をかけると、今度は振り返ってドアに向かって声を掛けた。「聞こえた? ルーカス」
「聞こえていた。私は行かんと言っただろう」
そう答えたルーカスの声からは、苦痛や焦燥の色は消えていた。極めて冷静に、余裕を持った声で受け答えていた。
「まぁね……出てきたら正直引くけどさ……。でも本当にいいの? 今ならウォシュレットを使えば、お尻と唇が腫れる前にこの星を見て回れるけど」
「くどい! だが……見つけたのならば、盗んででも持ってきたまえ。私の肛門が乾いて砂漠化する前にだ。木を切り倒し、自然を破壊して作られたトイレットペーパーを持ってくるのだ。あと今すぐ食事も持ってきたまえ。出すものを出したら腹が減った」
「よく、トイレの中で食べられるよ……。負け犬の臭いがする中で」
「いいや、最早勝ちと言って良いものだ。私は達成感に満ち溢れている。これは芳しい美酒の匂いだ。この勝ちを完全勝利と呼ぶためにも、トイレットペーパーを持ってくるのだ」
「トイレで立て籠もりなんてされたら困るからね。やれるだけ、探してくるよ」
デフォルトから通信の入った卓也は、トイレのドアに呆れた顔を向けてから歩き出した。