第四話
「次の惑星への航路は、なにも障害はありません。もらったログのおかげでですね」
レストは機械惑星を出発し、新たな惑星『ムル』に向かっていた。
いつもとは違い、ログを利用して安定した宇宙空間を移動しているので、心配事は皆無だ。
しかし、不機嫌になっているものが二人。いや――二体いた。
「まだ怒ってるの? それなら勝利は譲るよ。勝利の音はルーカスのオナラの音。僕は地球にこの称号を持ち込むのは推奨しないけどね。子供達のニックネーム合戦が始まっちゃうよ。それも最低な部類のね……」
「私が怒っているのは、機械の大会に人間が参加したことだ。人間の大会に機械の力が働いたら文句を言うくせに、一丁前に参加か? 育ちが知れる」
ルーカスはタブレット端末の画面いっぱいに顔面を移し、不満の表情を押し付けていた。
「わお……わおだよ。驚いた……。いつからルーカスは機械代表になったわけ? というか、もうなんか……その体に慣れすぎてない?」
機械の体になったルーカスはもう自然体になっており、元の体より使いこなしてた。
というのも、疲れ知らず痛み知らずの機会の体になったので、ルーカスの無茶な思考にピッタリとハマっていた。
反対にラバドーラは人間のように、むくれて不機嫌になっていた。
「勝てた勝負だったんだ」
「もう五日も前のことですよ。まだ気にしていらっしゃるんですか?」
「まだ五日だ!!」
ラバドーラが机を叩くと、ヒステリーに同調するかのように留め具が壊れた棚がカタカタ鳴った。
「ラバドーラさんなら気付いてるはずです。あの場に想定パターン以外の状況に対応するAIはいませんでした。なので、どちらにせよ正確な批評は不可能かと」
「そんなことは知っていた。だが、あんなに居心地のいい場所は初めてだった。なにもそそくさ帰る必要はなかったんじゃないか?」
「これもわーおだ。一緒に旅行に行った時のおじいちゃんと全く同じこと言ってる」
「至極当然のことを言ってるだけだ。まだ情報を集められたかもしれないんだぞ」
「それは……肉体改造の権威がいる惑星だと聞いているので、早めに向かった方が良いかと思いまして。ルーカスが元の体に回復したら、一度戻りましょうか?」
「あの時のあの時間はあそこでしか味わえなかった」
「またまたわーお」卓也は驚いたと目を見開いた。「今度は子供みたい」
「確かにおかしいですね……。ラバドーラさんが影響をこんなに受けるだなんて。変な電磁波が干渉したんでしょうか?」
デフォルトは心配になり、ラバドーラに検査を受けるように勧めたが、スキャンした結果ウイルスの類もバグもなかった。全くの正常だった。
「ほら見ろ」と威張るラバドーラ。
「見ましたけど……」と困惑するデフォルト。
「なるほど……」と納得する卓也は、ラバドーラの前に改めて立った。「もしかして思春期始まってない?」
卓也が思ったのは子供のような言動だ。最初は老人と言っていたが、老人も子供の一種。できることが少なくなり、第二の反抗期が始まる。
そのどちらにあてはまるかはわからないが、少なくともこの類の我儘には身に覚えがあった。
それは卓也が地球人であり、思春期を迎えたからだ。
デフォルトには思春期というものはないので、いまいちピンときていなかった。
「私が地球人特有の病気にでもかかると思っているのか?」
「うーん……確率的にはありえるかもね」
ラバドーラの元は地球人が作ったラブドールだ。勝手に自我に目覚めて、さまざまな知識を吸収したのですっかりそのデータは無くなってしまったが、地球人のプログラミングならば万が一の可能性はあった。
そのことは卓也だけの秘密なので本人にも伝えるつもりはない。それに伝えたところで、答えは同じだ。
「くだらん」
ラバドーラは一蹴した。
「ですが……自我の目覚めの第二段階かもしれませんよ。ずいぶん感情の種類が増えたので、処理回路がヒート気味なのでは? 熱くありませんか?」
「大丈夫だ。いちいちうるさいぞ」
「それは言った事ある。その時のママの目が忘れられないよ。それから僕は代わりに愛してると言うようになった」
「だから違う」
ラバドーラはいい加減にしろとイラついているが、それが余計に思春期の症状に見えた。
「とにかく、僕からのアドバイスは一つ。その気に入らないは今後十年引きずると思って。男が大人になる条件は、思春期の価値観を一度捨てることだから」
「卓也さん……真面目な話ですよ。AIのプログラムが書き変わったということですから、それも本人に自覚なくですので……色々と不具合が出てくると思います」
心配性のデフォルトは、それを踏まえた上でもう一度検査をしようと言い出した。
卓也は「大丈夫だって」と二人の間に割って入った。「色々な不具合を乗り越えた男がここにいるんだから。本当はもう一人いたはずなんだけどね……」
卓也はタブレット端末いっぱいにバカの二文字を映し出しているルーカスに呆れていた。
「そういう問題ではなくてですね……」
「いいや、そういう問題だ。問題が出たら対処すればいい。問題もないのに、いちいちクリーンアップされてたまるか」
それから数日。レスト内では同じ言い合いが続いたが、ムルにつくと自体は急変した。
言い合いはぴったり止まったのだ。
しかし、それは言葉だけではなく、行動が止まることも意味していた。
「デフォルト……惑星に降りなくていいの?」
「ええ……。もう少し後で……」
珍しいことに、デフォルトは新しい惑星に興味を持つでもなく、触手を折りたたむように椅子に座ったまま動くことはなかった。
「家猫だってもう少し動くよ。具合でも悪いわけ?」
「いえ……そんなことは。まあ……でも焦らずでいいと思います。レストは着陸に成功です。じっくり準備をしてから上陸しましょう」
口ぶりだけはやる気があるように見えるが、未だにデフォルトの体は、猫がうずくまるように椅子に固定されていた。
最初は疲れているだけかと思っていたのだが、様子がおかしいのはデフォルトだけではない。
ルーカスもラバドーラもいつもとは違った行動を取っていた。
ラバドーラはなにをしているかわからないが、同じ場所を行ったり来たり。それも滞在時間まで全く同じ、だが卓也が後でそこを訪れても、部屋なにが変わったのかはわからない。
なにをしていたのかも、なにもしていないのかもわからないままだった。
ルーカスも同じで、決められたプログラミング通りに動くロボットのようだった。
「もう……一人で降りちゃうからね」
着陸してから一日この調子なので、一人レストで元気な卓也は飽き飽きしていた。
幸いこうなる前に、デフォルトが惑星調査を進めてくれていたので、惑星の安全性はわかっていた。
有害物質レベルは小。人体に有害な物質が漂っているが、人によっては咳や鼻水が出る程度。防護服の必要はない。
卓也は気楽な観光気分でレストから出ていったのだが、入星審査に来る者もいなければ、異星人を迎え入れてくれる団体もいないことに気付いていなかった。
黒と白の世界が錯覚して見せる灰色の風景。
惑星ムルはどこか寂しさに包まれている。
卓也はそんな雰囲気を感じ取っていた。
寂れた道路。駐車されている六輪の乗り物。どこか地球にも似ているが、違うとわかるのは埃臭さだ。
外にいるのに、廃墟の密室にいるかと錯覚するほど息苦しい。
惑星の空を覆う灰色の雲はまるで埃の塊かと錯覚するほどだ。
足元の埃に足を滑らせ、舞った埃に盛大に咳き込んだ卓也は、ようやく異変に気がついた。
「おかしい……僕が苦しんでるのに、誰も女の子が声をかけてこないなんて」
普段卓也は女性の姿しか目に映っていないが、それを抜きにしても誰も存在していないかのように街が静かなのだ。
正しくは生命の音が聞こえない。
換気のファンや電気系統のこもった電磁波の音など、機械音は聞こえているが生活音がなかった。
しばらく耳障りな音を聞きながら歩いていると、新しい足跡は自分ひとり分だということに気がついた。
だが、生命がいないわけではない。
新しい足跡の下に、古い足跡が化石のように痕跡を残していたのだ。
裸足ではなく、靴を履いているということは、機械を使う文明にも馴染んでいるということだ。
生命体は存在している。出てこられない事情がある。
敵対している別の生命体から身を隠しているのか、異常事態により外出禁止令が出ているのか。
どちらにせよ、背中を冷や汗が舐めるようにゆっくり落ちていくのを感じた。
得体の知れない恐怖というものは、いつも大げさにドラマティックに脳の中を支配する。
怖いものはより怖いものへと。普段気にもしないものは恐怖の対象へと。雨だれの一粒でも、血の滴る音に聞こえてくるものだ。
恐怖に対する思想を乗り越えるには、セーフティーゾーンを作ることが重要だ。自室。実家。電車の中。なんでもいい。
安全だと思える場所にいることで、心は落ち着きを取り戻す。
現在の卓也の場合はレストだ。
頑丈なレストならばなにか攻撃があっても耐えられるし、デフォルトやラバドーラといった頼れる仲間もいる。
卓也は一刻も早くレストへ戻ることを決めた
決意の力強い第一歩を踏み出した時。卓也の靴を通り越し、足裏になにか温かいものを感じた。
「これは……!? 女の子の足跡だ……。それもキュートと見た」
卓也は靴裏で引きずらないように静かに足をあげると、自分の足跡の下にある一回り小さな足跡を見て歓喜の雄叫びを上げた。
その一瞬。世界が騒いだように思えたが、街に電気は点っておらず、相変わらずなモノクロの世界のままだった。
だが、卓也は違う。この惑星に女性がいるとなるとレストに戻る訳にはいかない。
恐怖心が欲望を上回ったのだ。
簡単に言えば、ホラー映画の中のエロスという束の間の休み時間だ。
この後に起こるのは大抵は惨劇と決まっているのだが、あくまで映画の話だ。
卓也は胸を躍らせて、足跡を追跡を始めた。
まるで忠犬のように迷うことなく足跡を追い、他と変わらない個性のない家の前にたどり着いた。
卓也は欲望に赴くままにドアに手をかけるではなく、まず服についた埃を払い、汗で濡れた額を拭い、そのままついでに髪をセットすると、ドアをトントンとノックした。
しかし反応はない。
急かし過ぎる男だとは思われたくないと、卓也は十分に時間を開けてから再びノックをした。
結果は同じ。物音一つさえ返ってこない。中にペットの類もいないということだ。
普通の常識のある男ならばここで諦めるのだが、卓也は違う。
「そうだ! ノックは運命の音だ」と地球でしか通じないようなことを思いつき、トトトトンとリズムよくノックした。
そのリズムはこの惑星では響いたことのない音で、それが合図かのようにドアが開いた。
「誰?」
女性の声が聞こえると、卓也はいつもの女性限定の人懐っこい笑みを浮かべた。
「君の心を扉をノックした男。鍵はいつだって運命だ」
卓也は薄暗い部屋の中。女性の顔を見ようと少し前のめりになると、目を見開いて驚いた。
「まさか……まさか君がここにいただなんて……」
「なに?」
女性が怪訝に目を細めると、卓也は更に興奮して鼻息を荒くした。
「その目……本当最高……。ずっと君に逢えるのを待ってたんだ」
「どこかで出会った?」
「出会っただって? それこそ――これだよ」
卓也はトトトトンと運命のリズムでドアを叩いた。
「はあ?」
「運命だってこと。地球では皆が一度は君に恋をするんだ。月を見上げていた宇宙飛行士みたいにね。そして、月に手が届いたらどうするか……」
卓也は女性の首元に手を伸ばした。
するとまるで雨の日に見つけた鮮やかな一輪花のように、モノクロの世界で二人だけ色付いた――かのように卓也だけは思っていた。
女性は「なんなの?」と不機嫌を隠さずに言った。
「猫耳最高ってこと!」
卓也は女性の被っていたフードをはだけさせると、頭に生える三角の耳を見て歓喜の悲鳴を上げたのだった。




