第一話
「あーもう!! うるさい!!」
卓也が絶叫したのは、地球時間でいうところの朝の五時。いわゆる早朝という時間だ。
普段ならば鈍いエンジン音だけが日々く静寂の時間に、卓也が飛び起きたのには理由があった。
『さあ、朝の体操の時間だぞ。さあ! おいっちにー! おいっちにいー! ほら、体を動かさんか』
ルーカスの声はタブレット端末を中心に、レストに配置されているあちこちのスピーカーからやかましく流れ響いた。
「もう! 誰かルーカスに体を作ってやってよ。このままじゃどうにかなっちゃうよ!! どうにかなるってことはどうにかなっちゃうってことだよ!! つまり今の僕!!」
卓也が半狂乱気味に叫んでいる理由は、ここ数日まともに寝ていないからだ。
ルーカスがデータ化してタブレット端末で生きているということは、彼はエネルギーを電気で賄っているので寝る必要がない。
暇になっては、今のようにスピーカーを使って話しかけてくるのだった。
「私に言っているのならば断る。何が悲しくて、この男の世話をしなければならないんだ」
ラバドーラは苛立っていた。
ルーカスがデータ化したことにより、ラバドーラの活動範囲が減らされたからだ。
今までは電磁波の領域というのはラバドーラ専門だった。しかし、今ではルーカスが好き勝手にやっている。
新たな領主に土地を奪われた農民のようなやるせない心持ちに襲われていた。
「でも、このままだと悪いことばっかり覚えるよ」
卓也の指摘は今まさにこの現状のことを言っていた。
スピーカーへのアクセス権をルーカスに渡した覚えはないのだが、いつの間にかルーカスはスピーカーを掌握していたのだ。
いつもの悪知恵が偶然良い方向へ動いただけなのだが、これが宇宙船のコントロールパネルと繋がってしまったら大変だ。
機械の体を与えて、ある程度自由にさせていた方が何かと都合がよさそうではあるのだが、ラバドーラも素直に動くには頑固になってしまっていた。
「どうしろというんだ。この体をもう一つ作るには惑星連邦の船を襲うくらいしか手段がないのぞ」
「豚に真珠。ルーカスに操縦席。宝の持ち腐れだよ。ラバドーラみたいな高性能なボディをルーカスが扱えるわけないだろう。もっと簡略化された機械でいいわけ」
「なるほど」とラバドーラは唸った。ルーカスが人間なので、人間と同じようなボディを用意しなければいけないと思っていたが、タブレット端末に保存されているように”ガワ”の形はなんでもいいのだ。
ラバドーラは考えたままの格好で「なるほど」と、自分に言い聞かせるよう何度も呟きながら部屋を出ていった。
「それじゃあ僕は眠るよ。ここ数日で十時間も寝てないんだからね」
卓也はそれっきり黙って横になったのだが、あまりにもルーカスが静かになったものだから、気になってしょうがなく結局起きてしまった。
「君も煮え切らん男だ」
ルーカスのバカにしたため息は、スピーカーを通して何倍も大きくなって響いた。
「それはこっちのセリフ。なんでわざわざ起こしたのに、もう無視なわけ? 普通もっと妨害工作してくるもんじゃない?」
「してやったではないか」
「あれだけ?」
「文句でもあるのかね?」
「せっかく不死の体を手に入れたのに……ルーカスだなって思っただけ。普通はもっと色々やるよ。――というかやって……。裸の王様の宇宙一セクシーな男に返り咲きたいの。ハッキングとかできないわけ?」
「ふむ……。面白い」
ルーカスは目を瞑るとそのまま静かになった。
「ルーカス? ルーカス? おーい……死んだ? ――やった!!」
卓也はこれはチャンスだと、タブレット端末を布に包んで遠くに追いやった。
そしてそのまま静寂の中で久々に長い睡眠を取ったのだっった。
卓也が起きてから一時間後。
「ダメだ!」とルーカスは声を荒らげた。
「まだやってたわけ?」
すでに朝の身支度を終えた卓也は、デフォルトが作った朝食兼ランチをもう食べ終えるところだった。
「まだも何もたかだか三十分くらいのことだろが」
「十時間は経ってる。まさか十時間もハッキングの方法を考えてたのか? ……ありえない」
ルーカスの脳みそが十時間も考え事できるはずがないと卓也は怪しんだ。
「そのことなんですが……」とデフォルトは卓也の食事済みの皿を片付けながら切り出した。「タブレット端末のデータの一部がルーカス様のデータと結合している可能性があります」
「うそ!? それってルーカスが無限の知恵を手に入れたってこと?」
そうなれば厄介なことになったと卓也は慌てた。ルーカスに知恵が加わると悪さしかないことがわかっているからだ。
卓也は自分のことを棚に上げて、とにかくルーカスを非難した。
「いいえ。そんなことはありえません。調べれば出てくるようなことが、他より早く検索出来るようなものです」
「それって最強のアプリじゃん。現代はSNS戦争の時代だ。誰よりも早く検索してマウントを取ることに意味がある。言っとくけど半分は冗談だけど、半分は本気だからね。他人の情報をミイラみたいに巻いた棒で人を殴りつけるのが地球のSNS。ルーカスは手強い相手になったぞ……」
「まあ……深くは尋ねませんが。とにかく害はないはずです」
タブレット端末のデータは地球のものであり、宇宙ではほとんどが役に立たないもの。
ルーカスが端末のデータにいかに早くアクセスできようとも、そこから発展することはできないのだった。
「卓也君……君は今焦ってるな。焦燥感は自律神経の乱れが原因してる。弱者はストレスが多くて大変そうだな」
ルーカスはタブレット端末画面で勝ち誇った笑いを存分に響かせた。
同時に複数のスピーカーで響くので、まるで趣味の悪いびっくりハウスを体験してるようだった。
「早くタブレット端末から切り離して……。じゃなければ、僕もタブレット端末に入れて」
「卓也さん……データ化は懲りたんじゃなかったんですか?」
「データの愛は置き場所を変えただけって話。だって、これってさ。僕はルーカスに口で絶対に勝てないってことだろう? そんなの不公平だ」
「卓也さんのタブレット端末にも同じデータが入ってるはずです。勉強すれば言い負かすことは可能だと思いますが?」
「デフォルト。ベッドに入る前にわざわざ勉強してきたんだと切り出す男がいると思う? 男は黙って実践するんだ。で、間違いに気付く。そこから本当に童貞を捨てたことになる。大人の男の常識だね」
「そうやって煙に巻いていればルーカス様にも対応できると思うのですが……」
「これは本気で言ってるんだ。地球人の男ってのは繊細で努力家で、それを台無しにするほどバカなの。そこに付け入るのが僕のやり方。コツは情けなさを見せること。はっきり見せるんだ。そうして印象付ければ……なんの話だっけ?」
「ルーカス様の体を作ろうという話では?」
「そんな話は――そうだった……そこから始まってたんだ。ラバドーラはどこにいったのさ」
「ラバドーラさんなら、ルーカス様のボディになる試作品を作っていましたよ。タブレット端末とドッキングして、簡単にボディをチェンジできるようにするとおしゃっていましたが」
「いましたが?」
「おそらく……まともなボディは次の惑星で交流しないことには……」
デフォルトはレストに有り合わせの素材しかないことを気にかけていた。
どこかで惑星に寄らない限りはタブレット端末の中にいる方が便利だ。
そして、ルーカスを元に戻す方法も探さなければならなかった。
「地球の医療はどうですか?」
「タブレット端末から魂のデータを移すってこと? それって医療? スピチュアルっぽくない? だとしたらお手上げ。スピリチュアルは女の子と話題を合わせる以外に使わないって決めてるんだ。じゃないと変な団体に目をつけられるからね。変な話だと思わない? 僕は女の子に目をかけられるだけでいいのに」
「変な話というはこのことを言うんだ」呆れ混じりに現れたラバドーラは、二リットルペットボトルのダンボールくらいの大きさの機械を持っていた。「なんだこれは?」
そう言ってラバドーラが見せたのは、漫画に出てくるような古いロボットだった。
「なんだって自分で作ったんじゃないの?」
「そうだ。だから聞いている。これはなんだ?」
ラバドーラはロボットを床に置くと、タブレット端末を卓也に見せた。
そこにはラバドーラが持ってきたものと全く同じロボットが描かれていた。
その中でもラバドーラが疑問に思ってるのは、薄い円柱の二本指のアームだった。
つむことと、つまんだ後に回すかひねるか出来ない無駄な構造は、ラバドーラには全く理解できないものだった。
「なにってロボットアームだよ。知らないの? 古き良き時代のフォルムだよ。エッチな物語にも散々使われてきた偉大なるフォルムだ」
ルーカスは卓也の『偉大なる』という言葉だけを都合よく拾うと、早く自分をロボットへ移せと騒ぎ立てた。
「……本当に言ってるのか?」
ラバドーラは戸惑っていた。
こんなレベルの低い物にデータを移すなんて、高性能アンドロイドのラバドーラには信じられないからだ。
珍しく罪悪感が生まれたラバドーラだが、相手がルーカスなのですぐにどうでもよくなったので、ロボットとタブレット端末をコードで繋ぐとデータの転送を始めた。
しかし、ここで問題が起きた。
人間の精神をデータ化する際に、容量というものは天文学的数字になる。
巨大数の記憶装置はレストに余分には余っていないのだ。
ルーカスのデータ化は手順を踏んだわけではなく、宇宙の自然的に化学式による偶然によるものだ。
タブレット端末と融合した形に近いので、タブレットから切り離すとなると記憶装置を買う必要があった。
「待ちたまえ……」
ルーカスの震える声を聞いて、デフォルトは「大丈夫です。自分が責任を持ってどうにかしますから」と慰めた。
しかし、当のルーカスは「つまり私が優秀過ぎてデータが増えたというわけだな」と上機嫌だった。
「そうですね……」とデフォルトは曖昧に答えた。
隣で卓也が合わせろと肘でついたからだ。
ラバドーラは「仕方ない……」と諦めると、コードを繋いだままタブレット端末をテープで物理的に貼り付けた。
これにより、ロボットの顔部分がタブレット端末の画面になったので、小さなロボットルーカスが完成した。
画面に映し出されているのはルーカスの顔だけ。
四角い画面に、丸い人間の顔では余白があまり過ぎているので、まるで安物ホログラムのように二つの意味で浮いていた。
「僕……VR世界に行ってて良かった……」
今のチープなルーカスの姿を見て、カプセル内にいられた自分はどれだけ幸せだったのだろうと、卓也は少し前の自分が中心となっていた仮想現実騒動を思い出していた。
「どちらが幸せかは比べる必要はないと思いますが……。現実世界が一番ですよ」
「デフォルト。その通りだ。女の子とベッドで良いことをするなら現実に限るよ。もう悲しい思いはしたくないしね……。だから楽しくいこう」
卓也は遠隔でルーカスを動かしてやろうと思ったのだが、電磁波シールドを施されたボディだったため、外からのプログラムの変更は無効化されていた。
「成功だな。これで……不法侵入に苛立たないで済む」
ラバドーラが電磁波シールドをルーカスのボディに付けた理由は、仕事に支障が出るからだ。
ルーカスの思考が電磁波を通して逐一送信されてくるので、苛立ってしょうがない。
これはラバドーラが電波でレストの管理をしているからだ。
本来レストのような小型着陸船でも、搭乗員の数は今の倍の数ほどいなければ満足に動けない。
それを補っているのがラバドーラの遠隔操作なのだ。
「待った! それってスピーカーにもアクセスできないってこと?」
「そうだ」
「最高!! 最高だよ! 今なら女の子の姿を投影したら足の指にマニキュアを塗ってあげちゃう」
上機嫌の卓也はラバドーラにハグをすると、そのままのテンションで一日を過ごした。
しかし、夜になると事態は急変した。
今度はカタカタとキャタピラが小さな段差を乗り上げる音が響きだしたのだ。
これは卓也が片付けをしないせいだった。出しっぱなしのものにルーカスが乗り上げ騒音を立てる。
結局徹夜で掃除をするハメになり、この日に睡眠不足が解消されることはなかった。




