第二十五話
「――それでおしまいかね? そのバカげたほら話は」
ルーカスの表情は、今まで卓也が見てきた中で一番真剣なものだった。
「嘘じゃないって。ルーカスのお腹の中で猿が生活してるんだ。この目で見た」
「卓也さん……違いますよ」
デフォルトはルーカスにどうにか真実を伝えようと口ごもりつつも、卓也の間違いだけはしっかり否定した。
「そら見たことか。君はいつも嘘をつく。さあデフォルト君。説明をしたまえ」
「猿の遺伝子を持つ菌がいたのです。ゲノム編集をすることにより、酸素を取り込むことが出来るようになると、細胞に擬態するよう進化を遂げたのです」
「デフォルト君……。それはなに一つ私が求める答えに近づいておらんがね」
「ですが……」デフォルトは言いよどむと、ルーカスの視界に入らないよう卓也の服の裾を引っ張りながら数歩横へずれた。「どうするんですか……」
「どうするって言っても……」
デフォルトが小声になったことにより、卓也もつられて小声になっていた。
「自分はうまく説明できる自信はありません。付き合いの長い卓也さんから説明されたほうが……」
「ズルいよ。付き合いの長さよりも、説明できる頭の良さだろう。デフォルト以外いないよ」
「いいえ。卓也さんのウイットに富んだ表現と、突拍子もない発想。その二つが合わさってこそ、宇宙の謎を具体的に説明できると思います」
卓也とデフォルトの責任の押し付け合いという褒め合いは続き、ルーカスの我慢の限界が先に来てしまった。
「やめたまえ! なぜ私以外の褒め話をいつまでも聞いとらんといかんのだ! 褒めるなら私を褒めたまえ」
「そりゃあ……もう。褒めるよ……。ルーカスのおかげだもん……ねえ?」
卓也の歯切れの悪い言い方にも、デフォルトは「そのとおりです」とはっきり頷いた。
いつもならばこんな見え透いたお世辞にも、ルーカスは鼻の穴を大きくしていたのだが、今回は違った。
話をすり替えられてなるものかと語気を強めた。
「いいかね? いつ私がごますりをしろといった。私は現状を説明しろと言ってるのだ。なにかおかしなことを言っているかね?」
「ルーカスがまともってこと以外で?」
卓也が茶化すと、デフォルトは「卓也さん!!」と名前を叫んでたしなめた。
「わかってるけどさ……。どうしろって言うのさ」
卓也とデフォルトは顔を見合わせると、同時に困ったと首を傾げた。
現在いる場所はルーカスの体内ではなくレストの中だ。
ここにいる理由を話すだけでも、ルーカスを理解させるのに何日も掛かかってしまうことになる。
それほど厄介な事態に巻き込まれていた。
「君達が私に何かをしたのはわかっているんだぞ」
ルーカスは憤懣やるかたない様子で二人を睨みつけた。
「いやぁ……わかってないと思うなぁ……」
卓也は困った様子で頭をかいた。
「いいや……わかっているぞ。簡単な推理だ。さっきから私の体は動かない。君達がなにかしたに決まっている」
「したのはルーカスだろう。僕らがどれだけ大変だったか……」
卓也は周囲を見渡せと、両手を広げて荷物が散乱した部屋を指した。
ある衝撃に襲われたせいで、レスト内は悲惨な状況になっていた。
ラバドーラ一人だけが会話に参加せず、ただ黙々と掃除をしている。
いつもはデフォルト役目だ。
それだけでもルーカスの不信感は募る。
それに加えて、目の前で明らかに何かをごまかそうと取り繕う二人がいるので、いくら鈍いルーカスでも、今が異常事態に陥っていると認識していた。
だが、いくら首を動かそうにも動かすことができず、爬虫類のように目玉をぎょろぎょろさせないと周囲の認識ができないので、何が起こっているかはわからないままだった。
「一体どうなっているのか説明したまえ。私を診察台にくくりつけてる理由をだ!!」
「あー……そういうこと」卓也はなるほどと頷くと「本当に体が動かない?」と確認した。
しつこく何度も確認されたルーカスの苛立ちは頂点にまで上り詰め、とうとう噴火するように爆発した。
「何度も何度も同じことを!! 踏み殺してやりたい!!」
ルーカスが怒鳴り散らかすと、右手が振り上げられた。
「次はお尻に意識を集中して。立ったまま事務椅子の上で回転するイメージ。ちゃんと軸はお尻だよ。足の裏はないものだと思って。あと足の指先にプロペラがあるイメージね。一本一本爪の真下で回ってる感じ」
卓也の奇妙なアドバイスはデフォルトを混乱させたが、ルーカスの意識を正常にさせた。
「お? おお……。おお? 動くぞ……動くぞ! 見たかね? この俊敏さを」
ルーカスはカンフー映画のように、その場で暴れ回ってみせた。
だがおかしなことに関節は動いていないのだ。
暴れまわる感覚だけ。関節も筋肉も全く動いていない。
ルーカスがその事に気付いたのは、存分に暴れ回ってからだった。
「おかしい……私の体は一体どうなってしまったのだ!!」
「どうもなにも。オマエの肉体は消えてしまった。それだけのことだ」
ラバドーラは今日の夕食のレシピを言うかのように、何事もなく平然と言ってのけた。
「なるほど……私の肉体は消えてしまったのだな。つまり精神だけの存在――そんなわけあるかね!!」
体を動かす感覚を掴んだルーカスは、ラバドーラに食ってかかろうと飛び込んだが、ぶつかったのはラバドーラではなく透明な壁だった。
「ルーカス様……本当のことなんです……。いいですか? よく聞いてください」
前回。一度ルーカスの体内から出た三人は、三人だけで今後どうするか話し合うことにした。
結論はこの状況を利用するということ。
ルーカスが体内で教育され知的生命体として生まれ変わった菌は、廃棄物として宇宙に排出されている。
レスト以前の方舟からずっと繰り返されてきたことであり、つまり方舟が爆発する前の航路にもルーカスと依存関係にあった知的生命体が存在しているということ。
他に代わりのない遺伝子を電子スキャンすることにより、地球への帰りの航路が完全にわかるということだった。
良く言えばヘンゼルとグレーテル。パンくずがルーカスの排泄物に変わったようなものだ。
しかし問題もある。
ルーカスの体内からワープホールで移動出来ることもわかっているのだが、そこに行くまでレストをどうにかしなければならない。
普通に考えればレストも小型化して、カプセルのようにルーカスに飲み込まれる。というのが理想だが、飲み込んだ先のレストを大きく戻す技術がないのだった。
そして、ルーカスを置き去りにする必要があることだ。
ラバドーラは賛成したが、デフォルトは反対。卓也もさすがに反対したので、この案が使われることはなくなった。
そこでラバドーラをレストと合体させて、ワープ先へ先回りさせようとした。
AIとしてレストを動かすのはラバドーラしか出来ない。中に生命体がいない宇宙船ならば、手荒な移動方法にも耐えられるのも利点だった。
そして、ルーカスの体内からワープホールで脱出し、ラバドーラに拾ってもらうという計画だ。
残ったルーカスの問題は、一度分解して転送先で再構築するという原始的な方法を取ることにしたのだ。
ある意味魂の入れ替えとも言える作業。
精神を別の体に入れ替えるわけではなく、バラして組み立てた自分の体に戻るだけなので適合率は100パーセント。
だが、成功率も100パーセントというわけにはいかない。
全ては一瞬よりも短い時間に終わるが、技術と知識をフル稼働しなければならない。
それで成功率は10パーセントといったところだった。
なぜこんな危険な方法を取ったのかというと、リリリにロロも交えて話し合ったときに、地球人の寿命で地球への帰還は不可能だと確定したからだ。
それはデフォルトの寿命でも同じこと。
どうせ死ぬのならば、今の確率に賭けるほうが賢明だ。
確率は低いが、賭けられる場面が次に訪れるとは限らない。
少なくとも技術がある場所で試せるのならば好条件だった。
そして――結果は成功。
卓也とデフォルトはルーカスの体内から、宇宙を漂うレストの船内への転送に成功したのだ。
それから十日間をカプセル内で過ごし、ゆっくり元の大きさへ戻り、カプセルから出てきたのが今日。
二人がラバドーラに真実を告げられたのも、つい先程のことだ。
ルーカスの体内で途中まで順調にワープホールへの準備をしていたのが、土壇場になりルーカス体内にいる猿菌がこのチャンスに宇宙へ飛び立とうとしてパニックになったのだ。
その結果起こったのは腸内細菌による戦争。
ルーカスの腸内ではガスが溜まり、爆発を起こし暴風に押し出されて転送されてしまったのだ。
この爆発は文字通りの爆発。ルーカスの体は内側から四散爆発を起こした。
レストにいて中の状況を知らなかったラバドーラが、ルーカスを転送したのは同時。
この瞬間。タイムパラドックスが起こりルーカスの体は傷ひとつなく転送されたのだが、意識と肉体が別れてしまったのだ。
ルーカスの意識はデータ化されたことにより、転送座標がずれてしまい、レスト内のコンピュータへ保存されてしまった。
先にレストと同化していたラバドーラは、データ化されたルーカスの情報から今まで起こったことを全てを理解し、自分の居場所を奪われてはたまったものでないと、タブレット端末の中へと閉じ込めたのだ。
つまり先程から卓也とデフォルトは、タブレット端末の画面いっぱいに映るルーカスの顔と話しているのだった。
「殺したのか!! 私を殺したのか!?」
驚愕するルーカスに、卓也は少し申し訳無さそうな顔をしながらもいつもと同じように返した。
「違うよ。ルーカスはここにいないだけ」
「殺したんだな……」
「勝手に死んだんだよ。猿菌の戦争の原因って、ルーカスの承認欲求のせいだって知ってた?」
「信じられん……」
「本当だよ。別の生物の腸内で成り上がってやる先導したせいで、一部の猿菌が悪性ウイルスに変わったんだ。そしたらマクロファージっていう警察官みたいのがかけつてくるわけ。そしたら残りは免疫細胞やらどうやらって――」
「違う! 私を殺したのが信じられんと言っているのだ!! これは犯罪だぞ」
「大丈夫だって。ほら見て。まだレーダーに地球は映ってないけど、昔に方舟で寄った技術惑星があるだろう。ここでエンジンを改造すれば――」卓也は急にパンっと手を叩いた。「―あっという間」
「私はこのままか!!」
「大丈夫だって。デフォルトが元に戻す方法を探してくれてるから。VR世界を楽しんでよ」
「卓也さんVRではありません。仮想現実ならば卓也さんに使ったマシーンが使えます。しかし、現在ルーカス様は完全なデータです。ラバドーラさんに近い生命体ということになります……ね……」
デフォルトはラバドーラが憤慨しないよう小声になりながら言った。
「気にするな。私も同じことを思っていた。そして、同じだと認識したからこそ、私の優秀さも認識出来た」
ラバドーラは満更でもない様子で頭を振った。
「なんかさ……ラバドーラって人間に近付けば近付くほどルーカスみたいだよね」
「私が? どこがだ」
「自覚がないところとか――まあとにかく!」卓也は仕切り直しだと大声を上げた。「僕らはようやく、帰路に心配がなくなったんだ。今日はゆっくり休んで英気を養って。明日から頑張ろう」
急に仕切りだした卓也だが、デフォルトもラバドーラも拳をあげて賛同した。
ルーカスがタブレット端末の中へと閉じ込められているのならば、何事もなくゆっくり出来るチャンスだと気付いたからだ。
端末のボリュームを落とした卓也は、充電器にタブレット端末を置くと昨日までの奇妙な旅を思い出しながら、明日からの奇妙な旅を想像して眠るのだった。




