第二十四話
「宇宙旅行帰りに不時着した惑星が、実は遥か未来の地球だったって娯楽映画があるんだけどさ」
卓也は天井を見上げながら言った。
カプセル内は真っ白なので、見上げたところでなにか変わったものが見えるわけではない。
だがそれで良かった。
なぜなら。モニターから目を背けた卓也に現実を見せるため、ラバドーラーが壁一面に映像を映し出しているので、なにも映らない天井を見るしかないのだ。
「卓也さん……その話は何度も聞きました。とても古い映像作品で、事実ではないものを楽しむ娯楽。それが地球で人気があるのはわかっています。ですが……これは現実です」
デフォルトは触手を数本使って、無理やり卓也をモニター前に座らせた。
それでも卓也は子供のようにギュッと目をつぶり、絶対に現実を見ないようにしていた。
「諦めてください。目に見えるものが現実ではないですが、起こっていることは事実なんです!!」
「猿が交通整理をしてるのが!?」
卓也は思わず声を荒らげた。
今の現状を説明すると、渋滞に捕まり、交通整理をされているのだが、その相手は全て猿なのだ。
「どうか焦らずにスタッフの指示に従ってください。水分の持ち込みは制限させて頂きます」
はっきりと地球の言語を話す猿たちは忙しそうに働いていたが、その全員が働くのが素晴らしいと信じて疑わないような笑顔だった。
「……事実です。ですが、本物の猿がいるわけではないです。なぜか猿のDNAに似たなにかがここで働いてるのです……」
「猿が? なんでルーカスの腸内で働いてるわけ?」
「それを調べに来たんです。まさか猿のDNAが悪さをしているとは……。いったい……どういう経緯で……」
デフォルトは驚愕していた。
別の生物のDNAが、ルーカスの体内に存在しているなどと思いもしないからだ。
地球人は乳酸菌ら腸内細菌に寄生されている。それらが腸に潜伏するのならば、乳酸菌にゲノム編集が施された可能性がある。問題はゲノム解読がどこまで進んでいるかだ。寄生菌というのは惑星環境の影響を最も受ける生物だ。
「もしもゲノム編集された腸内細菌がいるのならば、ゲノム解読に時間がかかります。卓也さんの身体から調べるのが手っ取り早いのですが……」
「僕? 僕!?」
嫌な予感がした卓也はお尻を両手で押さえ込むと、壁に背を向けて磁石のようにくっついた。
「したくても、このカプセル内では器具がありません。一度出て、話し合ったほうがいいかもしれませんね」
デフォルトが便と一緒に体内からの脱出を提案しようとした時だ。
突然一人の猿に止められてしまった。
「すいません。ごめんなさい。消化不良を起こしているようなので、一度こちらでお話を聞かせてもらえませんか?」
「だから! ルーカスの菌でもなければ、消化しそこなった食物繊維でもないの!! 人間!! わかる?」
卓也の必死の説明も、猿は困って首を傾げるだけだった。
「とても難しいお話をしているのは理解しています。ですが、ご理解頂けると助かります。私達は侵略をしに来た異星人ではありません」
会話が出来るとわかったので、デフォルトはなんとか穏便にこの場を済まそうとしていた。
だが、猿もここにいなければいけない理由があった。
「おそらく駆除というのが理想なのでしょうが、私どもを駆除したらルーカスは死にますよ。これは脅しではありません。現在ルーカスの腸内細菌は死滅中。私どものうち三十パーセントが『猿菌』という腸内細菌に成り代わり働いてるところです。免疫のことを考えると、今すぐ考えなしに駆除というのは……」
あまり腸内細菌というものに覚えがないデフォルトの代わりに、卓也が知ってる知識で聞き返した。
「それって……善玉菌にも悪玉菌になれる日和見菌ってこと?」
「難しいお話で返すのも申し訳ないのですが、細胞にもなれますし、腸内細菌にもなれるのです。地球のバナナが宇宙船だという話はご存知で?」
「卓也さん……ごめんなさい。後は任せます……」
あまりに突拍子のない話に、デフォルトは降参して考えるのを止めてしまった。
今話している『猿菌』の話によると、遥か昔バナナという宇宙船に乗ってやってきた宇宙人は、知的生命体への進化レースで人間に負けてしまった。
しかし、ただ生命の歴史が終わるわけではない。
故意的に別の進化の道を選んだのだ。それも二種類の生命体へと。
一つは猿によく似た生物。
もう一つは姿は変わらず、頭脳だけが進化を遂げた生命体だ。ノミのように猿に寄生している。
この生命体がゲノム編集を施し、宇宙から来た猿は地球の新種の猿として生活している。
地球を支配するつもりもないのでそれでよかったのだが、ある時一匹の猿の知能が目覚めてしまったのだ。
だが、映画のような展開はない。
ただの猿でいることを選んだ。
しかし、ただの猿ではいられない状況が出来てしまった。
それはルーカスのペットとして迎え入れられたことだ。
明らかに他の人間より劣るルーカスを放っておけなくなり、様々な教育をすることとなった。
「ほら! 見ろ!! なにが事実じゃないだって!! 地球は猿に支配されてたんだ!」
「いえ、ルーカスの頭は悪くて……教えられたのは箸の使い方くらいでした」
「待った……ルーカスに箸の使い方を教えた猿って……『カノシロ』?」
卓也は過去にルーカスから聞かされていた飼い猿の話は嘘だと思っていた。
まさか猿が箸の使い方を教えるだなんて思ってもいなかったからだ。
「私どもはDNAを引き継いだ別の生命体です。話せば長くなるのですが……『マイクロバイオーム治療』はご存知でしょうか?」
マイクロバイオーム治療というのは、地球人の体に共生する微生物フローラの組成を変えようというもので、鬱や肥満などにも効果があるといわれている治療法だ。
そしてルーカスはあまり家族仲が良くなく、祖母の家で暮らしていた。
一人で遊ぶルーカスを可哀想に思い、飼ったのが猿のカノシロであり、ルーカスにマイクロバイオーム治療をしたのがカノシロだった。
ある日祖母のいない日に風邪を拗らせたルーカス。
カノシロは地球での治療法がわからずに、もう一つの進化先。つまり頭脳だけ進化した生命体を使ったのだ。
本来ならばとっくに治療は終わっているのだが、地球に適合出来なかった生命体は、ルーカスの腸内でパズルのピースのようにピタリとハマったのだ。
あっという間に繁殖をし、様々な細菌や細胞に擬態し、それらに似た役割を補うことにより、ルーカスの身体は、彼らを受け入れたのだ。
「自己管理の出来ないルーカスが無駄に健康なのは、私たち猿菌のおかげということです」
猿菌はわかっていただけましたかと見渡したが、ラバドーラは無反応。デフォルトも今回のことは考えるのをやめていた。
ルーカスという特殊な媒体がいることに起きる超特例の事態であり、今回の特例を認めてしまうと今後の思考全てに影響が出てしまうので、あまり関わりを持ちたくないのだ。
卓也だけが「そんな話を信じられると思う?」と反応した。
「これを話せば信じてもらえるかと。バナナの種がなくなったのは突然変異ではなくゲノム編集です」
「なんでバナナ……」
「バナナの栄養素は私達がコロニーを築くのに丁度いいからです。食物繊維、オリゴ糖、マグネシウムと、実にスムーズに腸内に運ばれ、毎日ゴミを排出出来るので住処も綺麗に保たれます。様々な偶然が重なったことをなんと呼ぶか知っていますか?」
「悪夢」
「奇跡です。私たちはそんな奇跡をおすそ分けすべく、進化の可能性があるもののお手伝いもしているのです」
「ちょっと……なにいいことしてるのさ。ルーカスの中にいてなにを学んだわけ?」
「何も学びませんでした」
「敵は強力だぞ……。ルーカスという弱点がなくなったんだから」
ルーカスのおバカを引き継いだのならば勝ち目があるだろうと思っていた卓也だったが、その希望はあっさり砕かれてしまった。
「争うつもりはありません。ただどうしようも出来ないということです。腸内環境やバイオフィルムといった細菌コロニーの責任者のような存在ですので、私達がいなくなると様々な異常をきたすこととなります」
「待った……。それって君を退治すれば、ルーカスがまともになるってこと?」
「いいえ、自分達は共存関係者。ただ共に死、共に生きる関係です。ルーカスが死ぬまで、生体機能の一部として生きるだけです」
「だってさ」
どうしようもないと肩をすくめた卓也だったが、今度はデフォルトが思い当たることがあり口を挟んだ。
「つまり……生体機能として異物を追い出したというわけですか?」
「免疫機能を使ったという質問ならイエスです。もしも他の知的生命体の話をしているのならば、お帰りいただいたという表現が正しいです」
「……と言いますと?」
「ゲストをもてなし、満足して帰宅していただきました」
「……つまりAIを育てたのはあなた達だということですか?」
ここ最近立て続けに起こっていた。ルーカスから生み出された惨劇の数々。
その原因とも言えるべき存在が彼らだった。
「育てたわけじゃありません。会話をして勝手に学んでいったのです。その証拠に誰もここにあるワープホールを使いません。学んだ結果。皆出口はすぐそこにあると気付いて、自分の足で出ていきます」
「気付かなかければよかったのに……」
卓也は出口がどこかを悟った瞬間に肩を落とした。
「待ってください!! 今ワープホールとおっしゃいませんでしたか?」
「言いました」猿が片手をかざすとそこに大きな穴があいたが、すぐに閉じてしまった。「完全に消化できないもの、話し合いに応じずに害を及ぼすものはワープホールから投げ捨てています」
「驚いた……。惑星を作り上げたのか? 体内で」
今まで黙っていたラバドーラが会話に参加した。
ワープホールが存在しているということは、地球でいう宇宙暦の技術に到達しているということ。
更に人体に影響のないワープホールを利用しているということは、地球以上の技術を持っているということになる。
「いいえ。元々惑星なのです。生命体の身体一つ一つが惑星であり、宇宙を作り出すのです」
「だから惑星機能を作り上げたんだろう?」
「いいえ。あるのです。無から有は生まれません」
「知能があるくせに宗教臭い……。なるほど……人格を作り出すには十分すぎるほど――うざいな」
ここで行われていたのは一種の洗脳だ。知能が生まれたての赤ん坊のような状態の時に、ここで余計な知識を叩き込まれたことにより、AIや知的生命体が暴走したのだ。
地球が何億年もかけてきたことを、数十日で終わらせるというプロセスだ。
これは彼らが極小な世界に生きているから可能なことであり、実際の宇宙では役に立たない。
いわば宇宙の仮想現実のような状態ということだ。
猿菌から詳しい話を聞くに連れて、ラバドーラはある計画を思いついた。
「ワープホールの行き先はどこだ?」
「ルーカスの記憶のどこかです。当然ながら記憶という次元にワープするわけではなく、辿ってきた軌跡のどこかにたまたま繋がっているということです」
「つまり宇宙には繋がっているということだな」
「戻ることは出来ませんが」
「よし……ルーカスを仮想現実に閉じ込めるぞ」
ラバドーラの考えとは、ルーカスの体内にいながらワープホールで宇宙空間へ飛び出そうということだ。
「無理ですよ。レストはどうするんですか? それにルーカス様は?」
「考えがある。任しとけ。とりあえず出るぞ。外に出て報告だ」
「待った!! 外に出るって……どこから……」
卓也が止めるのも虚しく、猿菌の「またいらしてください」という言葉が虚しくカプセル内に響いた。




